森の奥の泉
村を出てからさらに二日。
コンパスの針は確かに北西を指している。森は深くなり、木々の間から差し込む日差しはわずか。地面には苔が生え、歩くたびに柔らかい感触。
「そろそろ近いはずだ」
林帆が警戒しながら進むと、視界の先にかすかな光。水の反射だろうか。
近づくと、それは小さな泉だった。水は透明で、底まで見える。しかし、その中央に黒い歪みの球体が浮かんでいる。
「また歪みか…」
彼が右手をかざした瞬間、泉の水が突然渦を巻き、中から何かが飛び出した。
それは水でできた竜。体長は三メートルほど。全身が透き通り、内部に歪みの黒い核がある。
「水の精霊が歪みに侵されているのか」
老怪の声に、林帆は構える。
水竜が咆哮を上げ、水の弾を吐き出した。林帆はマナの盾で防ぐが、盾が凍りつく。
「冷気も帯びているのか…」
ヨルは後ろに下がり、月の護符を掲げて林帆を支援する。護符の光が水竜の動きをわずかに鈍らせる。
その隙に、林帆はマナと星の力を融合させた光の刃を放った。刃は水竜の胴体を斬るが、水はすぐに再生する。
「物理的な攻撃では足りないか」
彼は作戦を変えた。右手の虹色の紋章から、熱のマナを集中させる。赤い光が強まる。
「これで…」
熱の光線を水竜に浴びせる。水が蒸発し始め、竜の体が徐々に小さくなる。
「ギャアアア!」
水竜は悲鳴を上げ、最後の力を振り絞って突進してきた。林帆は避けずに、正面から拳を叩き込む。虹色の光が爆発し、水竜は霧散した。
泉の中央に、小さな水色の宝石が残された。
「水のマナ結晶か」
林帆が手に取ると、ひんやりとした感触。体内のマナが呼応し、新しい力が加わる。
「これを紋章に取り込めば、水の力も使えるようになる」
老怪の助言に従い、彼は宝石を右手の紋章に押し当てた。結晶が光り、吸収される。紋章の色がさらに鮮やかに。
歪みの核も消え、泉の水は完全に透明になった。周囲のマナの流れが正常に戻る。
「これで三つ目か」
コンパスの針は、次の歪みを指している。今度は東。
「かなり広範囲に散らばっているな」
その時、森の奥から複数の足音。警戒して身構えると、現れたのはエルフの戦士たち。先頭はレリスだった。
「やはりここにいた。エルドラン様が伝言を頼まれた」
「何だ?」
「南の港町にも歪みが現れた。通常のマナ使いでは対処できない。あなたの力が必要だ」
林帆はうなずいた。
「分かった。すぐに向かう」
ヨルと一緒に、レリスたちと共に森を抜ける。南へ向かう道は、今まで通った場所より整備されている。途中、小さな川を渡り、畑の中の道を歩く。
日が暮れる頃、ようやく港町が見えた。石造りの建物が並び、港には数隻の船。
しかし、町の上空は暗い雲に覆われ、異様な雰囲気。
「ここか…」
町に入ると、人々はうつむき加減に歩き、活気がない。エルリリアが迎えに出た。
「よく来た。歪みは港の倉庫の中にある。しかし、近づくと奇妙な幻覚を見るという」
「幻覚?」
「あなたの最も怖い記憶を見せるらしい」
林帆はヨルを見た。彼女は心配そうな顔だが、うなずく。
「行く」
彼は一人で倉庫へ向かった。中は薄暗く、古い木箱が積まれている。奥の方から黒い光。
近づくと、歪みの球体が浮かんでいた。今回は特に大きい。
球体が光り、林帆の目の前に幻覚が現れた。
そこには――倒れたヨル。血に染まっている。
「にげ…て…」
幻覚のヨルがかすれた声を出す。
林帆の心臓が凍りついた。しかし、すぐに首を振る。
「これは偽物だ。ヨルは無事。今も外で待っている」
彼は目の前の幻覚を無視し、歪みの球体に手を伸ばした。
「消えろ」
虹色の光が球体を包み込む。幻覚は霧散し、歪みも消えた。
倉庫の外に出ると、空の暗い雲も晴れていた。ヨルが駆け寄る。
「大丈夫だった?」
「ああ。おかげでな」
林帆は彼女の頭を撫で、微笑んだ。
これで四つ目の歪みを修復した。
しかし、まだまだ続く。
世界のバランスを取り戻すために、彼の旅は終わらない。




