奥へ、さらに奥へ
腐れ森の奥は、思った以上に静かだった。
林帆は足音を殺して、倒木の影から次の影へと移動する。左手には布に包んだ宝玉のかけら、右手には錆びたナイフ。装備はこれだけだ。
「変だな…生き物の気配が少ない」
老怪も同意した。「警戒しろ。強者が縄張りを持っている証拠だ」
三十分ほど進んだだろうか。突然、彼の足が止まった。
目の前に、巨大な獣の足跡があった。大人の頭ほどの大きさ。爪の跡もはっきりと残っている。
「これは…クマ?」
「違う。魔獣“岩背グマ”だ。お前が今まで見た狼の比ではない。一撃で粉々になるぞ」
林帆は足跡を避けて、大きく迂回した。しかし、その先には別の足跡。今度はもっと小さいが、無数に連なっている。
「狼の群れか…」
「あの灰色の連中とは別種だ。黒狼――より獰猛で、頭も良い」
彼は息を呑んだ。今の自分では、どちらにも勝てない。宝玉のかけらのエネルギーを全部使っても、おそらく一匹が限界だろう。
戻るべきか――
そのとき、風が運んできた。かすかに鉄錆びた匂い。血の匂いだ。
林帆は迷ったが、匂いの元へ向かった。倒木の向こう側。そこには、瀕死の黒狼が一匹、横たわっていた。
腹に深い傷。岩背グマにやられたらしい。息はあとわずか。
「これなら…」
彼はナイフを握りしめた。震える手を叱りつけ、ゆっくりと近づく。
黒狼は気づいたが、動けない。黄色い目が林帆をじっと見つめている。憎しみではなく、なぜか諦めにも似たまなざしだった。
「楽にしてやれ。それも慈悲だ」
老怪の声に、林帆は歯を食いしばった。
ナイフを振り下ろす。一度。二度。
黒狼は動かなくなった。
その場で彼は震えた。吐き気をこらえながら、何とか刃を拭った。
「立派だ。お前はやるべきことをやった」
林帆はうなずくことしかできなかった。そして、逃げるようにその場を離れた。
それでも――彼は黒狼の死体を無駄にしなかった。毛皮と牙をナイフで剥ぎ取り、森の端で干すことにした。これも生き残る術だと、自分に言い聞かせて。
その夜、洞窟に戻った彼は、初めて獣の肉を焼いて食べた。味はよくわからなかった。ただ、生きている実感だけがあった。
「これで少しは強くなれたかな…」
「強くなったのではない。生き残るための重さを、一つ背負っただけだ」
林帆はその言葉を胸に刻んだ。
そして明日もまた、森へ行こうと決めた。




