腐霊茸の代償
呪いの村を出て三日。
林帆は荒野の隅にある小さな岩窟で、腐霊茸を使う決心をした。紫色のキノコは、布に包んだままでもかすかに震えている。生きているかのようだ。
「本当にやるのか?前回の腐霊草より毒性が強いぞ」
老怪の声には珍しく心配が混じっている。
「やらなければ前に進めない」
彼はキノコの傘から小指の先ほどの欠片を切り取り、口に含んだ。
一瞬、何も感じなかった。しかし次の瞬間――全身が紫色の光に包まれた。
「があっ!」
激しい痛みが全身を駆け巡る。血管が浮き出て、皮膚の下で何かがうごめいている。吐き気とめまい。意識が遠のきそうになる。
「循環を回せ! 毒を力に変えろ!」
林帆は歯を食いしばり、八本の気脈全てを使って三力を回した。しかし毒は抵抗するように体内を暴れ回る。
左手の甲の赤い線が紫色に変わる。さらに腕、肩、胸へと広がる。
「くそっ…!」
彼は思わず短剣を握りしめた。調和の剣がかすかに鳴き、五行の力が林帆に同調する。火、水、木、金、土の光が順番に彼の体を包み、毒を少しずつ浄化していく。
一時間。
二時間。
三時間が経過した頃、ようやく痛みが引いた。
林帆は岩窟の床に大の字で倒れていた。全身から脂汗が吹き出し、息も絶え絶えだ。
「生きて…いるのか…」
「奇跡的にな。体内の血脈の太さが二倍になっている。これで三力循環の速度もさらに上がるだろう」
彼は手の甲を見た。赤い線は消え、代わりにかすかな紫がかった光が浮かんでいる。
「これは…」
「毒が完全に抜けたわけではない。お前の体に“免疫”として残ったんだ。これからは普通の毒ならほとんど効かなくなる」
林帆はゆっくりと起き上がった。体は軽く、力がみなぎっている。試しに拳を壁に叩きつけると、岩の一部が粉々になった。
「すごい…」
「ただし、腐霊茸の毒は強い精神的影響も与える。気をつけろ。苛立ちやすくなっているかもしれない」
確かに、いつもより心臓の鼓動が速く、些細なことで腹が立つ気がする。しかし、それも訓練で抑えられるだろう。
その夜、彼は岩窟を出て、月明かりの下で新しい力の調整を始めた。
八本の気脈を通る三力は、以前の三倍の速さで巡っている。調和の剣に込められる霊力も格段に増えた。
「これなら…次の街でもやっていける」
彼は北の空を見上げた。遠くに、ぽつりと灯りが見える。町の明かり。
歩き出そう。まだまだ道は長い。
その時、背後から冷たい風が吹いた。振り返ると、何か黒い影が岩陰に隠れるのが見えた。
「誰だ?」
返事はない。しかし、確かに人の気配。
林帆は短剣を抜き、慎重に近づいた。影は動かない。岩の裏に回ると、そこには――
一人の少女がうずくまっていた。痩せ細り、服はボロボロ。肩を震わせて泣いている。
「おい、大丈夫か?」
少女が顔を上げた。青白い肌、大きな目。そして、その瞳は真っ黒だった。瞳の色ではない。眼球全体が黒い。
「にげて…」
少女のかすれた声。
「わたし、もう…」
その瞬間、少女の体から黒い煙が噴き出した。それは先週戦った吸魂鬼と同じ匂い。
「まさか…」
林帆は調和の剣に五行の炎を込め、少女を狙う黒い煙を斬り裂いた。煙は悲鳴を上げて消えるが、少女の体はその場に崩れ落ちた。
「生きている…か?」
彼はそっと彼女の頬に触れた。冷たいが、かすかに脈がある。
「どうする? 置いて行くわけにもいかないだろう」
老怪の言葉に、林帆は少女を背負い上げた。軽い。まるで藁のように。
「次の町まで連れて行く。そこで治療してもらう」
彼は歩き出した。背中の少女は時折うめくが、それ以外は無反応。
月明かりだけが、二人の影を長く伸ばしていた。




