濃霧の向こう
銀葉参の三枚の葉を全て使い終えた翌朝、林帆は洞窟を早足で出た。
霊視を開くと、森の奥から幾筋もの青白い霊気の線が立ち昇っているのが見える。特に、これまで入ったことのない北東の方向が最も濃い。
「老怪、あそこは何なんです?」
「さあな。しかし霊気の濃度が他と桁違いだ。何かがあるに違いない。同時に、何かが住み着いている可能性も高い」
林帆はナイフの柄を握り直し、慎重に歩を進めた。
三十分ほど進んだとき、視界が急に開けた。そこは――沼地だった。
面積は野球場ほどの広さ。水面は濁った緑色で、所々から泡が立っている。そして、その中央にぽつんと一本の枯れ木が立っていた。
枯れ木の根元に、かすかに光る何か。
「あれは…」
「“腐霊草”だ。沼地の毒気を吸収して育つ珍しい霊草。銀葉参より一段階上の代物だが、採取には細心の注意が必要だ」
林帆は沼の縁を回り込み、枯れ木に近づける場所を探した。しかし、沼全体がぬかるみで、足を踏み入れればすぐに沈みそうだ。
「どうすれば…」
「お前の二力循環を使え。血脈の熱で足元の地面を一時的に硬化させ、その上を走れ。ただし、一瞬の判断ミスで沼の底だ」
林帆は深呼吸をした。循環を最高速度で回し、左手の血脈から熱を足裏へ集中させる。
そして――走った。
バチバチと地面が固まる音。三歩、五歩、十歩。枯れ木までもう少し――
その時、足元の地面が突然柔らかくなった。
「しまっ――」
体が沈みかける。しかし彼は反射的に右手のナイフを枯れ木に突き立て、体を引き寄せた。
なんとか幹にしがみつく。下を見ると、ぬかるみが彼の足首まで飲み込んでいる。
「腐霊草…そこだ!」
手を伸ばす。指先が光る草の根元に触れた――
引き抜く。
同時に、沼の中心が大きく波打った。何か巨大なものが動いた気配。
「戻れ!」
林帆は逆の手順で、再び地面を硬化させながら全力で走り返した。背中に冷たい風を感じる。何かが迫っている。
岸に飛び込むと同時に、後ろの地面が大きく陥没した。沼の中から太い触手のようなものが顔を出したかと思うと、すぐに水中へ消えた。
「あ、危なかった…」
彼は腐霊草を握りしめたまま、しばらく立ち上がれなかった。
「よく生きて帰った。あれは“沼の古蛇”の幼体だ。成体ならお前は一瞬で引きずり込まれていた」
林帆は震える足でその場を離れた。帰り道、何度も後ろを振り返ったが、追ってくる気配はない。
洞窟に戻った彼は、腐霊草を布の上に広げて眺めた。銀葉参よりは小さいが、光は強い。
「今すぐ使うか?」
「いや、これはまだとっておけ。今のお前には刺激が強すぎる。二力循環が完全に安定してからにしろ」
林帆はうなずき、腐霊草を銀葉参の根と一緒に布袋の奥にしまった。
今日は生きて帰れただけで十分な収穫だ。
その夜、彼はいつもより長く循環を回した。怖かったが、それ以上に「もっと強くなりたい」という思いが強くなっていた。




