インヌフィークーテアッチュン
「3、2、1⋯消灯!」
カウントダウンと共に、蓮が部屋の電気を消した。周囲に民家が存在しない、山奥の一軒家は電気を消すと完全な闇だ。卓袱台に乗せておいたカンテラの電源を入れると、薄明がぼわりと広がり、俺たちの影が四方に伸びた。
「わぁ⋯すっごい星」
雨戸の隙間から顔を出した縁ちゃんが、思わず呟いた。雨戸の隙間を広げて、俺も外を見てみた。⋯御影石に粉を散らしたような満点の星空が広がっていた。
「凄いっしょ。ホントは夏場の方が天の川が凄いんだけど、今の時期なら南十字星とかカノープスがよく見えるんですよ!」
「カノープス?」
「南極老人星とか寿星って言われてて、確か⋯見ると寿命が延びるって言われてます!大抵、地面スレスレを移動しているんで、結構探すの大変なんですよ」
「へぇ、それ今見えてる?」
「うーん⋯地面スレスレに見える赤っぽいやつ⋯あ、運いいっすね、今ならあのデカい木陰の隙間に見えてる!」
「やった!」
―――こいつツアーガイドになればいいのに。
「房総半島では『布良星』と言われて、コイツが出ると海が荒れる⋯と言われているねぇ」
奉も顔を出してきた。
「⋯⋯へぇ」
「凶兆だねぇ⋯」
―――こいつは呪殺師になればいいのに。
俺もカノープスを探してみたが、デカい木陰がどれのことかがまず分からない。俺は長生きはできない宿命かもしれないな⋯と視線を落とすと、地面スレスレを移動する青い火の玉が見えた。
「あれは⋯カノープスとかじゃないよな⋯」
「はっはっは、あれは⋯⋯⋯え、なに?」
全員が静まり返り、固唾を飲んで地面スレスレをゆらゆらと移動する青い火を目で追った。
「昨日のマジムン、じゃないよね」
縁ちゃんが小声で呟いた。
「ウワーグワーマジムンとかではない⋯けどマジムンですね、あれ」
「遺念火かねぇ」
「⋯声が大きい。黙ってろ」
さっさと雨戸を閉めて見なかったことにすべきなのかも知れないが、何故か目を離せない。俺たちはただ、ゆるりと地面スレスレを動く青い炎を凝視し続けた。
「ビキ兄ィ、あれ、見えますか」
蓮が青い炎の少し後ろを指差した。⋯薄茶色い獣が、炎をのそのそと追っている。距離が少しづつ縮まっている。
「あれ、犬じゃない?」
炎との距離が縮まると、獣の全貌が照らされて明らかになった。赤毛に黒い縞が入った虎模様の痩せた犬。少なくとも俺は見たことがない犬種だ。
「⋯⋯琉球犬ですよ、あれは」
「琉球犬?」
初めて聞いた。沖縄固有の犬だろうか。
「縄文犬の生き残りみたいなもんです。希少だけど沖縄には結構いますね⋯どこかの家から逃げて来たのかな」
琉球犬⋯はゆっくりと舞う火の玉に歩み寄り、徐に口を開けた。
「馬鹿な⋯火を食うつもりか」
「⋯⋯あぁ、分かった!あのマジムンの名前!」
「⋯⋯へぇ」
奉が意外なものを見る目で蓮を流し見た。
「インヌフィークーテアッチュン⋯!」
―――何て?
「火を咥えて歩く犬です!インヌは犬、フィークーテは⋯火を、咥えて⋯」
犬は徐に火の玉を、はむ、と噛んだ。
「そしてアッチュン!!」
うわ熱っ!のような仕草で犬は火の玉を落として飛びすさった。
「⋯そりゃ熱いよ!アッチュンだよね!」
「違います縁さん、アッチュンは『歩く』です!」
ひとしきりキューキュー鳴いて口の周りを前足で払うと、犬は再び火の玉に近づいた。
「⋯いや、駄目だって火の玉は⋯てか何で『イケる』と思ったんだよ」
思わず呟いてしまった。
「いやいやいや、イケるんです!ほら、インヌフィークーテ!」
ぱく、と再び火の玉を咥える。⋯何がこの犬を奇行に駆り立てるのだろう。
「アッチュン!!」
うわ熱、ムリ!とばかりに火の玉を吐き捨ててキャインキャインと鳴きながら飛びすさる。
「あーあ、やっぱアッチュンだよねー。アッチュン」
「違うってば!『歩く』ですから!!頑張れインヌ、リトライ!!」
犬は尚も果敢に火の玉に挑む。⋯もう見てられん。あれを止めさせられないかと振り向くと、奉が体をくの時に曲げて静かに爆笑している。
「くっくっく⋯何があいつを駆り立てるんだろうねぇ⋯くっくっくっく⋯」
「⋯⋯見てられん。ちょっと行ってくるわ」
「遺念火が居るが、良いのか近寄って」
「⋯⋯鬼火くらい関東にもいるだろ、何か色々」
雨戸を開けてサンダルを突っかけ、再び飛びすさる犬の背後にそっと近づく。⋯雨戸の方から、まだ「アッチュン!」「アッチュン!」と聞こえてくる。⋯あいつはあいつで、この犬を何にしたいんだ。
「⋯⋯もうやめておけ」
犬の両脇に手を入れ、そっと持ち上げる。何度か身動ぎしたが、すぐに観念したようにダラリと脱力した。⋯目玉だけをこちらに向けて、俺を見た⋯ような気がした。この危機感のなさはやはり、元々飼い犬なのだろう。
「今日だけ保護して、警察に連れていくか⋯」
あぁ、面倒臭いことになった。俺が犬をぶら下げて歩いてくるのを見て、奉が益々体をくの字に曲げて爆笑していた。
「⋯あーあ、いいとこまでいってたのにねぇ」
塩抜きしたラフテーと米を貪り食う琉球犬を撫でながら、奉がまだニヤニヤしている。
「何がいいとこだ。鬼火咥えて歩いたらマジムン転生したとでも言うのか?」
「上手いことインヌフィークーテアッチュンに転生してくれたら、あのマジムンの全貌が分かったんだがねぇ」
「全貌て」
「資料が少ないんだわ、あのマジムンに関しては。地元民からの聞き取りの覚書が民俗学者の著作に残っている程度でねぇ。実在するのやらしないのやら」
「そんなあやふやなマジムンのために鬼火を食わせるな」
琉球犬だか何だか知らないが、普通に人懐こい犬じゃないか。何なら、大分長いこと飯を食べていなかったようだ。とても痩せている。
「これ、まじで鬼火咥えて歩くのに成功してたらマジムンになったんですか?」
「⋯⋯さあね。こいつに関しては本当に分からん。ただ⋯そのマジムンは本当に『火を咥えて』いたのかな」
「というと?」
「例えば中国の『禍斗』。火を喰らい、同時に火を吐く犬の怪異だ。他にもケルベロスやフェンリルも、火を吐く犬だねぇ。⋯そのマジムンは、火を咥えていたのではなく、吐いていたのでは。だとしたら成り立ちがまるで違う」
「たしかに⋯インヌフィークーテアッチュンの事は、その民俗学者の覚書だけ⋯てことは証人は一人ですね⋯」
「こいつが鬼火を齧りたがる変な犬というだけでマジムン転生とは関係なかったのかも知れんし、本当にマジムン転生する一歩手前だったのかもしれんが、その場合」
その犬は、生き物としての生は終えていたよ。そう言って奉はニヤリと笑った。
明日は朝一番に警察に直行する。




