イチャイカジ
沖縄の空は深く、青い。
そんな事を思うのは、今日何度目だろうか。
美ら海水族館から逃げてきた俺と奉は、エメラルドビーチとかいう人工の砂浜でぼんやりと座り込んでいた。
「何なんだあいつら⋯何で飽きないんだ」
そりゃ熱帯魚は綺麗だしジンベイザメはデカいが、所詮は魚じゃないか。1時間もウロウロすれば十分だ。それなのにあの二人はもう5時間近く、写メ撮ったり魚臭いバックヤードに入り込んで水槽に落ちそうになったりと一向に出てくる気配がない。
「若さだねぇ」
自販機で買ったブルーシールアイスを木べらで掬い、ねぶりながら奉が呟いた。傍らには数冊の本が積み上げてある。
「若さ通り越してもう子供だろう。 ⋯お前はお前で、なんだこれは」
ご丁寧にポータブル電源と扇風機と数冊の本をレンタカーに積み込んでいたらしく、雑にレジャーシートを敷いて快適そうな空間を作りあげている。傍らには台車まである。
「もう歩きたくないよ⋯あぁ、でも」
ふと顔を上げて、白い砂浜の向こうをじっと睨めつけた。
「そろそろ、引き上げたほうがいいねぇ⋯」
そう呟いて、奉は本と扇風機を台車に放った。
「あっおい家電を投げるな!」
「お前はポータブル電源を積んだら車に運べ。俺はあいつらを呼び戻す」
言い捨てると、奉はスタスタと歩き始めた。⋯よりによって一番重いものを俺に押し付けて。そしてポケットからスマホを取り出すと何かを打ち込んだ。俺のスマホがLINE通知音を鳴らす。⋯野郎、呼び戻すとか言っておいてグループLINEにメッセージ送っただけじゃないか。
くっそ重いポータブル電源を台車に積み込み、駐車場に運ぶ前に一応グループLINEをチェックする。⋯これは、一体。
―――伊江島からイチャイカジが溢れている。嫌な感じがする。車に戻れ。海には近づくな。
思わず沖合に目をやると⋯伊江島というのか?正面に見える島の、尖った山頂らしき場所を包み込むように霧が⋯いや、人か!?
とんでもない数の人影が山頂に、折り重なるようにして群がっている⋯ように見える。⋯いや、
これが見えているのは恐らく俺だけだ。
この異様な光景を目の当たりにしながら誰一人、島の山頂に注目していない。あんなにも夥しい数の人間が山肌にしがみつき⋯吹き飛ばされるように風に乗り、ひと塊の白い煙と化していくというのに。
「うわぁ⋯」
声が出てしまってから、自分の失態に気がついた。風に吹かれるままに散っていたそれらの煙が
そろそろと、山肌を降り始めた。
―――目が合った。そう直感した。
頭の中で警鐘がガンガン鳴り響いているが目が離せない。⋯まだ、海には人がいるのだ。沖合から流れ込んでくる白い煙は人の輪郭を残したまま周囲と融合し、俺達を眺め回し。
物凄く、笑っている。
イチャイカジ、と奉は呼んでいた。あれは何だ。近づいてくる、広がる、海で遊ぶ人々を、ゆっくりと包み込む。そしてひと塊の煙が、俺を見つけた。⋯満面の笑みで。
「⋯⋯⋯似ている?」
人だったものが溶けて混ざりあったような白い煙の塊に、溶け残る満面の笑み。その顔が似ている。⋯塊ごとに、似た顔をしている。男と、女と、老人や子供が融合しながら不気味に笑い続ける、白い塊。それが海に溶け込むように広がり、その中のひと塊が、俺を溶かし込むために⋯。
「何をしている、戻れ」
戻ってきた奉に肩を掴まれ、我に返った。振り向くと、縁ちゃんと蓮も戻ってきていた。
「⋯車に戻ったんじゃなかったのか」
「ビキ兄ィが来ないから!様子見に来たんですよ!」
そんなに長い時間、俺はここに突っ立っていたのか。
「手間を取らせるな。もう行くぞ」
「待ってくれ!⋯あれ、どうなるんだ!?」
さすがに指を差す勇気はなく、何となくアゴで沖合の煙を示す。季節外れの異様な汗が服の中を伝った。
「どうにもならんよ」
「え⋯」
「『あれ』は行き遭った者を取り込もうとする。⋯いや、取り込まれようとするのかねぇ」
「行き遭ったらどうなる」
「⋯あの、一つ一つの塊があるだろう」
す、と躊躇いなく指を差した。うわやめろやめろ、近寄って来ている。
「彼らの死因による」
―――彼らの、死因?
「伝染病で死んだなら、病をもたらす。事故であれば不運。大抵は伝染病なんだが⋯ここのは少し、やばいんだよねぇ」
「やばいって何だよ!!」
「話はあとだ。車に戻れ」
「海にまだ人が!!」
「あぁ煩いねぇ⋯じゃあこう叫べ」
奉がぼそりと呟いた言葉を、大声で叫んだ。
「ハブクラゲがいたぞ!!海から離れろ!!」
海を漂っていた観光客が何人か、岸に向かって移動し始めた。⋯出来る事はした。
「イチャイカジ、即ち『行き遭い風』。アクフウ、ヤナカジとも言われる」
白煙を振り切るように車を発信させると『それ』は簡単に視界からきえた。蓮と縁ちゃんには見えていないのか、終始不思議そうにしていたが指示に従って『美ら海水族館撤退』を飲み込んでくれた。
「アクフウは悪い風っすか?」
ヤナカジは厭な風か。
「そんなとこだ。彼らは自らが果てた場所をさ迷い、行き遭った者を似たような地獄に引きずり込んで嗤う、そういう悪霊の類だと思えばいい」
そう呟いて、奉は窓の外を眺めた。⋯こいつは一応免許を持っているくせに、運転を代わろうとはしない。
「憑かれたらユタが祓うんだっけねぇ、沖縄では」
「―――あの場所は⋯何なんだ」
「⋯知らんのか。伊江島は、先の大戦で激戦区となった場所だ」
第二次世界大戦も後半に差し掛かった1943年、航空戦力の増強の為、伊江島に飛行場が建設された。半ば強引に土地や労働力が徴収されたという。
それが悲劇の始まりだった。
伊江島の位置は、本土攻略における要衝としてアメリカも目をつけていた。そこにきて建設された飛行場。真っ先に攻撃の対象とされる流れは必然⋯疎開せず島に残った島民約4000人のうち、1500人が犠牲となった。一家全滅は90戸にも及んだという。
「一家全滅⋯?」
「一族もろとも死亡して、血統が絶えることを沖縄では『チネードーリ』というらしいねぇ⋯」
そう呟いて奉は、車内に目を戻して缶コーヒーを煽った。
「はい、『血が倒れる』くらいの意味で、祖霊を祀る人が居なくなるから不吉と言われていますね!」
「お前詳しいな。多分そんな言葉知らん沖縄県民居るぞ」
今どきの都市伝説マニアかと思っていたが、意外と古風なところがある。
「その結果悪いマブイになって彷徨うんだよ、って婆ちゃんが言ってました!婆ちゃんはそういう話が好きなんです」
「はあぁ⋯でもそうか。似ているわけだ」
ひと塊の白い煙に浮かび上がる人影は、元々家族だったのだ。
「⋯首を吊って自殺した者や、チネードーリした一族はイチャイカジとなり、障りを起こすというねぇ⋯」
どぅむ、と気が抜けたような破裂音が後方から聞こえた気がした。バックミラーに白い柱が映りこんだような⋯。
「水柱!?ねぇ停めて!!」
縁ちゃんの悲鳴のような声に驚いてブレーキを踏む。⋯後続車は居ない。
「どうした!?」
「い、今、ビーチの方から水柱があがったよ!!」
水柱は既に見えないが、縁ちゃんが指し示す方向に白い霧のような⋯水柱の余韻のようなものが立ち上がっていた。
「ああ⋯そういう」
奉が、口の端を釣り上げて笑った。
「⋯⋯何が、起こった?」
くっくっく⋯と低く笑って、奉が水柱の残滓が立つ空を見上げた。
「伊江島は激戦区だった、と説明したな」
「⋯⋯あぁ」
「まぁ、伊江島に限ったことじゃないけどねぇ。⋯嘗ての激戦区には今でも、不発弾が残されている」
びしり、と飛沫が頬を打った。
飛沫は俺が思っていたよりも広く散ったようだ。⋯飛沫が頬を伝った。それはほんのりと紅い、ような。
「⋯⋯彼らが色めき立つわけだ」
ビーチで不発弾が爆発した事故は、全国ニュースで報道された。
死者2名、重軽傷者8名の惨事となった。しかし付近でハブクラゲの目撃情報があり、大事をとって海から上がっていた観光客は難を逃れたという。そんな女の子の二人組が興奮気味にインタビューを受けていた。
俺たちはそのニュースを、蓮の古民家で畳に寝そべりながら聞いていた。⋯皆、異様な疲れに見舞われていた。
「徳を積んだねぇ」
奉にからかい混じりに言われたが、気持ちは晴れない。気取られないように普通を装っていたが、縁ちゃんには気づかれてしまった。
「そんなにさ、一人で何でも抱えきれないよー。仕方ないじゃん、もう慣れなよ。拝み屋なんだから」
昔から変わらない、左側に手足を投げ出す寝そべり方のまま、縁ちゃんがむくりと顔を上げた。
「拝み屋じゃないって⋯」
今ならば分かる。
転がるように海へ降りてきた『あれ』が、満面の笑みを浮かべていた理由。
負荷に耐えきれず爆ぜる不発弾に、彼らは沸き立ち歓喜していた。
「―――『あれ』は喜んでいたんだな。自分らの死に様を繰り返せることを」
誰にともなく呟いてしまった。
「信じているんだろうねぇ、自らの死に様を辿らせた御霊は仲間に出来ると」
ちゃぶ台に頬杖をついて本を読んでいた奉が、顔を上げて答えた。
「強引に仲間にするんじゃないのか」
「亡者にそんな力があって堪るか。人を取り殺すような力もないよ。やれて精々、行き遭った者に不運や病魔をそっと押し付けて破滅を待つくらいだ。⋯こういう時、家に入る前にフールに寄り、憑き物を落とす。それで落ちる程度よ」
「⋯嫌な気分だよ、それでも」
力があるか否かではなく⋯悲惨な死に方をして未だに成仏出来ず、誰かの死を望みながら彷徨う御霊の群体が沖縄の激戦区に居る、というのが堪らなく辛い。
「沖縄じゃ珍しい話じゃねぇよ。激戦区は伊江島だけじゃないからねぇ。住民の6割が死んだ地区だってある」
そう言って奉は、事も無げに本に目を落とした。
何故だろう。『帰りたい』という感情が頭を擡げ始めた。
俺の、沖縄旅行⋯⋯。




