029 進物
「では私共はせねばならぬ事がありますので、これで」
「ええ。事態を複雑にしてしまったようで……ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ない」
「滅相も無い。父を救って下さった事、感謝こそすれ迷惑だなどと決して」
ありがとうございました、いえこちらこそ、とやりあっている孝洋と左近右近を眺めながら、要は思考の整理を行っていた。
状況が、想定していたものとは大きく変わった。
直近の予定も今後の方針も根本から見直す必要がある。
ただそれは嬉しい悲鳴というもので、要は孝洋の齎した変化を好意的に受け止めていた。
(成層圏に国土を造成し連邦からの離脱も視野に入れていたが)
郷長が孝洋さんの眷属──裏切るおそれの無い味方となった事でその必要も無くなったか、と要は小さく呟いた。
狡兎死して走狗烹らる。
孝洋は臣として従えるにはあまりに強い。
このまま草壁郷に留まれば戦力として便利に使われるのは勿論の事として、それらを乗り切った先に待ち受けるのはまず栄達ではあるまいと要は考えていた。
ヤマツミを第一に考える郷長が、ヤマツミの安全を脅かし得る孝洋を自由にさせるはずもなし。
なんらかの形で首輪を填め制御下に置こうと画策するであろう事は想像に難くない。
であるからこその、成層圏新国土。
であるからこその、連邦からの分離独立。
そして、結界製品群の無償供与。
競合相手の存在しない天空に土地を作り、魔力板という燃料で駆動する製品を提供する事で魔力板を唯一生産可能な資源国として外貨獲得手段を確保する。
研究中の積層型屋内農場で食料を自給し高い自立性を実現する事で、郷長の策動に左右されない安定した環境の形成を要は計画していた。
しかし少なくとも郷長に関しては、眷属である限りは主人を陥れる事が出来ないその性質上、警戒する必要が無くなった。
必要性が薄れたのは勿論、孝洋と郷長の繋がりが強化された事で実現が難しくもなった。
郷長をヤマツミから引き離す事を孝洋が承諾すまい。
無理に実行するだけの意義も無い。要は離脱計画を破却した。
郷長・草壁児屋太の肉体が生命活動を停止し氷の剣を依代として眷属に転生してから一時間弱。
要と孝洋及び左近右近は孝洋が作成した軌道車に再び乗り草壁郷に戻っていた。
新生した肉体を得た児屋太は孝洋のはからいによってヤマツミの神域に留まっている。
眷属になったからといって人として暮らせぬわけではなく、孝洋から与えられた肉体がある限りは孝洋の領地を離れて自由に活動する事も出来る。
眷属として働かせようにも当面は他に頼む仕事も無いからと、孝洋は児屋太にヤマツミの補佐を命じ、与えられた肉体を用いた活動を許可した。
つまりは、児屋太にほぼ以前と同じ生活を許した。
(孝洋さんらしい)
孝洋は不思議な程に見返りを求めない。
せっかく手に入れた眷属も、手駒ではなく世話を見るべき保護対象として捉えている節がある。
(そんな人だからこそ)
余計な世話かも知れないとは思いつつも、つい孝洋を守ろうと動いてしまう自分を要は自覚していた。
恩を受けた義理から来る行動ではなく、孝洋の人柄を好ましく思うがゆえの行動。
好感の持てる相手には進んで世話を焼きたくなるのが要の性分だ。
(……だが今回は助力を求められたにもかかわらず応じる事が出来なかった)
求められるまでもなく力を貸したいとすら思っているのに、その心に実力が追いついていない。
要は自身の不甲斐なさを嘆いた。
「要」
「うん?」
挨拶を済ませた孝洋と合流し帰宅しようと歩きだしてしばらく後、要の顔色を伺いながら孝洋が声をかけてきた。
「何か考え事か?」
「あー、いや」
連邦離脱を含む一連の計画の事は孝洋にまだ話していない。
時機を見て必要であれば打ち明けて説得するつもりで、今の今まで先延ばしにしてきた。
(私が郷長の裏切りへの備えをしていた事を、孝洋さんはきっと喜ばないだろう)
必要な事として理解してはくれるだろうが、猜疑心の強さを見せる事は好印象には繋がるまいと要は見ていた。
要にとって、あまり人に見せたい一面ではない。
「そう、ヤマツミ様と郷長──いや、もう郷長ではなく草壁さんと呼んだ方が良いのかな、あの二人の事を考えていた」
「二人の事?」
半分嘘で半分本当である。
今後の事に思いを巡らせる頭の片隅で、ずっとヤマツミと児屋太の恋について考えてもいた。
「草壁さんとヤマツミ様の関係がこう、なんだか素敵だな、と。
種族を超えた恋というか、人間である事を躊躇なく捨てさせてしまうくらいの想いというか。
ちょっと憧れる」
「恋、か」
恋の話。
誤魔化そうと選んだ話題が思いの外気恥ずかしいものである事に思い至り、要は少し後悔した。
「いや、みなまで言わずともわかっている。我ながら似合わないとは思っている。
だがこれでも一応乙女の端くれ、恋に憧れの一つや二つはあるんだ。
良いなと思ってしまう心は止められないんだから仕方がない」
何か言いかけた孝洋を手で制し、要は早口で自己弁護をした。
孝洋に限って自分を無神経にからかうような真似はしないと信じていたが、隙を見せてしまった事がただ恥ずかしい。
「いや、似合わないとは思っていないが」
そう言って孝洋はしばらく視線を宙に彷徨わせた。
適当な言葉を探しているようだ。
「あー……その、郷長と言えば」
諦めたのかこの話題には今は触れない方が良いと気を遣ったのか、孝洋はやや強引に話題を逸らした。
「うん」
居たたまれない気持ちにはなったが掘り下げられるよりはこの方が良いと要はそれに乗った。
「あれは、もしかして何かまずかったか」
「……何が?」
どうも歯切れが悪い。
意図を掴みかねて怪訝な顔で聞き返すと孝洋は決まりが悪そうに目を逸らした。
「いや、意見を訊きもせずに郷長を眷属にしてしまったのは悪かったなと……」
首筋に手を置き後頭部を掻くような仕草をする孝洋を見て、要はふと望がまだ幼かった頃の事を思い出した。
何か叱られるような事をやらかした時、望は決まって目を逸らしながら片手で後頭部を掻き、歯切れの悪い言葉で話を切り出していた。
「まあ意見を求められれば助言は出来たと思うけど……」
(ああ……成程。考え込む私の顔色を窺っていたのも、急な話題転換も)
孝洋にとってはこれは話題転換ではなく、きっとこの話をする事こそが最初の目的だったのだ。
気が急いてつい、話の流れをぶった切ってしまったのだろう。
幼な子と同じような仕草を見せる孝洋の姿に要はつい噴き出しそうになった。
咳払いをしてどうにか表情を維持する。
「孝洋さんがどう行動するかは孝洋さんが決める事だ。
私の思ったように動かなかったからと怒りはしないよ」
(表情の変化に乏しい人ではあるが、よく観察してみると意外と感情が顔や仕草に出ている)
読み取るのに少しコツが要るというだけの話で、慣れてみるとむしろ分かり易い部類の人だと要は思う。
「これでも自分の影響力が小さくない事は自覚している。
要やジロさんに迷惑がかかる可能性がある以上、身勝手に振る舞うべきではないと思っている。
ただ、状況によっては相談するだけの余裕がない事もあるから、必ずとは約束できないが」
相談できる状況にありながらあえて相談しないという判断を下した自分の事を思えば、孝洋の心掛けはよほどマシなものであると要には思えた。
「なるべく、出来る範囲で相談するように心がける」
「うん。
そうしてくれるというならその方が嬉しいな」
─────
「お、帰って来たか」
辺りが暗くなり始め次郎が照明を付けてまわっていると、玄関を開ける音と共に孝洋達の話声が聴こえた。
「ただいま」
孝洋と要の声が唱和する。次郎はおかえりと出迎えた。
「思ったよりも遅かったな。何かあった?」
「ちょっと郷長の家に寄ってきて……まあ、色々」
「……まあ取りあえず飯にしようか」
要の少し困ったような顔を見て次郎はどうやら説明に時間がかかるような何かが起きたらしい事を察した。
同時にそれは今すぐに自分が把握せねばならないような緊急性のある内容では無い事も理解し、ひとまず話を流す事にした。
次郎としてはそれ以上に優先して解決せねばならない問題があり、今はあまり難しい話が聞きたい気分ではない。
「ヒロさんちょっと申し訳ないんだけど今日は忙しくて、残り物になっちゃうんだけど……」
次郎が運んできた料理は蓮根と鳥肉の煮物に味噌汁、漬物に白米のみ。
米を炊く以外に料理らしい料理をしていない。あとは全て前日の残り物だ。
「いや、お気遣いなく。いつも世話になってばかりで申し訳ない」
そう言いながら孝洋はごく自然に三人分の座布団を運び、自分の定位置に腰を下ろした。
もう以前ほどの遠慮は無く、すっかり馴染んでいる。
「ごめん兄さん、最近家の事任せっきりで」
「いやいや二人の方が俺よりよほど忙しいし、全然気にしなくていいから」
次郎の良心がきりきりと痛む。
実際の所この日の仕事は昼過ぎまでに大体片が付いており、料理をするだけの余裕は充分にあった。
孝洋が楠本家に寄って食事をしていく事は事前に把握していたのだから、残り物を早めに処分しておかなければならないにしても気の利いた品の一つぐらいは加えられたはずだ。
しかし次郎はあえてそうしなかった。
(わざと手を抜いたのに気遣われるのはつらいな)
料理や掃除にまで手が回らない忙しい自分を演出するには丁度良い、などと考えた過去の自分を殴りたいと次郎は思った。
「まあまあ、取り敢えず食べよう、な。
ただほら、家だけならともかく」
次郎は忍の里産の鶏肉に箸をぷすりと突き刺し口に運んだ。
一晩寝かせ再加熱した煮物に味がしっかりと沁みている。
「ちょっとあれだ、仕事もしつつ社の管理もするとなると正直な。
料理とかは手抜きしがちになるというか」
「うーん……一時的な事ならともかく、一山越えたとはいえ当面は忙しいのが続くだろうし……。
人、雇うしかないかな」
「あ、やっぱ要もそう思う?」
「なるべく身内以外を社に関わらせたくなかったんだけど、少し状況も変わったし。
社殿の清掃や奉納品の管理、神饌の用意に参拝者の応対、まあ一人でこれは無理だよね」
無理かどうかで言えば、まあ無理ではない。ただし仕事の質を問題にしなければである。
現状、社の祭神である孝洋は次郎とは気安い仲にあり、社を訪れる人々の殆どは顔見知りの里人である事もあって次郎の仕事が多少雑である事を問題視する声は挙がっていない。
しかし軌道車や飛行船を利用して雷神の社に詣でようという人々が郷に多く訪れるようになれば、また状況も変わってくる。
「やっぱり料理や掃除くらいは俺が自分でやった方が」
「あー……ヒロさんの気持ちは嬉しいんだけど、そういう日常のあれこれで神様の手を煩わせてるとなると良い顔しない人って結構居るもんでね……。
ちゃんとしたお世話が出来てないと思われると巫女の要とその代理の俺の評判がアレしちゃうから、申し訳ないんだけどお世話されてくれると俺としては助かるなーと……」
孝洋が人に世話をかける事を好まないと知っている次郎としては孝洋の意見を採用してやりたい所であるが、慣習的にも里人の心情的にもそれは難しい。
「ああいや、蒸し返して悪かった」
「居心地悪い思いしてるの知ってるんだけど……すまんねホントこっちの都合で。
それでまあ、雇う人間についてだけど」
口を湿らせる為に味噌汁を一口すする。
貝の出汁がよく効いていてなかなか美味いと次郎は料理の出来を自賛した。
蓮根も鶏肉も貝も味噌も、すべて雷神の社への奉納品である。
ここしばらくは楠本家の食費はゼロだ。
「一人心当たりがあってな。余四郎から親戚を紹介された。
ヒロさんも知ってるだろ、余四郎。ヨッシーとか呼ばれてるあいつ」
「ああ、落とし穴の」
「そうそう、骨折った奴。そいつの爺さんの弟の……なんだっけ、とにかく親戚だ。
俺はその子で良いと思うんだけど要とヒロさんも一度会ってみてくれねえかな。
えーっと、そこに」
次郎は箸と椀を置いて立ち上がり、引き戸の傍に置いてあった包みを拾い上げた。
「これ、余四郎が置いてった手土産。まあ後でこれでも食べながら考えてみてくれ。
ちょっと奮発して一沙の都の高い菓子屋まで観光がてら買いに行ってきたらしい。
半月分の食費が吹っ飛んだとか言ってたぞ」
「……ねえ兄さん、それ収賄……」
「えっ」
包みを開いて綺麗に包装された菓子箱を取りだした次郎の手が要の指摘に固まる。
よくよく考えればこれは確かに賄賂だ。
少なくとも、次郎としては説得材料として利用出来ると考えて今この場に出した。
「いや、でも……頼み事に伺う時って普通手土産ぐらい持っていくし……駄目なのコレ?」
「訪問時の手土産くらいは慣習上賄賂とは見做されないけれど……。
こんな高価な物を贈って貰ったんだからこっちも気持ちに応えないと、なんて具合に贈り物の価値の高低で対応を変えてしまえばそれはもう受託収賄なんじゃないかな」
言葉に詰まる。
これが家で採れた野菜一包み程度であったとしても自分は同じ気持ちで要や孝洋に交渉を持ちかけただろうかと次郎は自問した。
高級菓子にありつけるからと発奮したわけではないはずだが、遠い親戚の為に半月分の食費を犠牲にした余四郎の心意気に感じ入りどうにかしてやりたいと思った部分は確かにあり、それを贈り物次第で対応を変えたと指摘されれば返す言葉が無い。
「送り返すしかないのか?」
黙り込んだ次郎を見かねてか、孝洋が口をはさんだ。
「うーん……。
一度受け取ってしまった手土産を突き返すのは気が進まないね……。
それもわざわざ遠出して買ってきてくれた物を」
要は渋い顔で孝洋にそう答えてしばらく思案し、小さく首を横に振った。
「いや、こちらでの金銭にあたる各種紙幣ならともかく、私の知る限りでは贈答品に関してはその辺結構緩いから受け取る事自体は多分問題ない。
草壁郷長も川上村長もわりと普通に受け取ってたし。
収賄の疑いがかかったとしても誓紙を使えば贈り物が職務上の判断に影響を与えていない事を簡単に証明できるから、無理に旧慣を改める必要も無いという判断なのだと思う」
だから公正な判断を下せる人間が受け取る限りは問題ないはず、と要は一度言葉を区切り、一口麦茶を飲んだ。
「でも兄さんはそういう立場に就く人間としての心構え教育されてないから……。
この手土産、誰への贈り物かは聞いた?」
「え、いや……単に手土産置いてくぞとしか」
「じゃあ兄さん宛ではなく孝洋さん宛の贈り物だったのかもしれない。
用件は雷神の社への人の紹介だったんだよね? そして余四郎さんは孝洋さんとも友人だ。
友人である孝洋さんに直接頼むつもりで訪問して、留守だったから兄さんに預けただけなのかもしれない」
「……まあ、そうかもしれんが」
「孝洋さんへの贈り物であったなら話は簡単だ。
神への捧げ物はその品物の価値の高低に関わらず認められているし、神を縛る法の施行前の現時点では孝洋さんは何をしようと罪には問われない。
たとえこれが賄賂であっても受益者が孝洋さんであるなら問題は無いんだ。
私と兄さんはこれに一切手を付けず、贈り物があった事を頭から追い出して公正な判断を下せばそれで良い。
そうすれば賄賂を受け取った人間も利益と引き換えに便宜を図った人間もどこにもいなくなる。
今後誓紙を書く必要が生じたとしても、自信をもって私は不正をしていませんと書ける」
これで問題ないか今度郷長に聞いてみるよ、採用不採用を正式に通知する前なら取り返しがつくから、と言い終えて、要は蓮根の煮物を一欠片口に放り込んだ。
しばらく黙って咀嚼し嚥下した後再び口を開く。
「細かい事を言えば、現時点では私も兄さんも賄賂を受け取っても罪には問われないんだけどね。
今私達を裁けるのは孝洋さんだけだから。
でも一般常識的に収賄は悪事だから、適法であっても弱みにはなり得る。
避けられる状況なら避けた方が良い。誓紙がある限り証拠隠滅できないんだから」
「避けた方が良いというならヒロさんは」
「そっちも出来るなら避けた方が良いと思うよ。
今の時代では神を批判する人間なんて殆どいないけど、時代が変われば価値観も変わる。
そうせざるを得ないと判断するに足るなんらかの事情があったわけでもなしに、一般人であれば法的にも道義的にも許されない行為を、それと知りながらやる。
単にそれが許される立場にあったからというだけの理由で、特権を利用する。
これだと理屈のうえでは弁護する事が可能だとしても、どうしても一般の人からの心証が悪くなってしまう。
後世、神を攻撃する材料の一つとして利用されてしまうのではないかな。
そして多分、不老不死であるらしい神々はその時代まで普通に生きている。
先々を考えるとそういう失点は一つでも少ない方が後悔が少なく済むはずだ。
だから私と兄さんだけで採用の可否を決めるのがこの状況だと一番良いと思う。
孝洋さんが単に奉納品を受け取っただけで採用の判断に関与していないとするなら、それを指して収賄だと非難される事もないだろう。
孝洋さんがそれで良ければの話だけど」
それで構わないとの孝洋の答を聞いて、次郎はまずい事になったと額に汗を滲ませた。
孝洋という味方を失ってしまった以上、一人でこの交渉を成功させねばならない。
孝洋ならば、多少仕事への適性が低かろうと里の外の人間だろうと余四郎の紹介であるという一点でおそらく採用に前向きな意見を出してくれたはずだ。
しかし要はどうにもそういう部分で厳しい印象がある。
人柄や交友関係もある程度解っている草壁郷内の顔見知りから見繕った方が良いと提案される可能性が高い。
他の仕事ならともかく孝洋の傍に仕える人間の人選となれば、要が何より重要視するのは信頼できる人柄であるかどうかのはずだ。
余四郎からの紹介ではあるものの要と全く面識が無く、恐らく紹介した余四郎でさえ人柄を充分に把握できていない遠縁の親戚。
まず、要は素直に頷きはすまい。
余四郎の人を見る目を信用している次郎としては佳苗の人柄についてあまり心配してはいないが、余四郎との間にそうした信頼関係のない要にまでそうした判断は期待出来ない。
「そ、それでその……要の意見としては」
「兄さんが信用出来ると思ったのなら採用で良いんじゃないの」
「えっ」
おそるおそる訊ねた次郎に要はあっさりとそう答えた。
「何その反応……」
「いや、すまん。反対されるとばかり」
物言いたげな目で見遣る要に思わず謝る。
「あのね……。
一切口出ししないというわけでは勿論ないけど、社の事は兄さんに任せてあるんだから人事その他諸々はある程度兄さんが勝手に決めても文句言わないよ。
兄さんならそんなに変な判断はしないはずだし、少しぐらい失敗しても私が処理できる範囲でおさまるだろうとこれでも信頼して任せたんだから」
「そ、そうか」
次郎は後頭部を掻きながら照れ笑いを浮かべた。
どうも、思ったより自分は信頼されている。
多少重荷に感じる所はあるものの、次郎にはそれが少し嬉しかった。
「ええっと、じゃあ佳苗ちゃんの採用は決まりって事でいいか。
いやあ、ようやく肩の荷が降りた」
「……佳苗?」
安堵から出た次郎の言葉に要の眉間に皺が寄る。
一度は緩んだ緊張が再び高まるのを感じる。次郎は何かをしくじったらしい事を直感した。
「お、おう。佳苗ちゃん。余四郎の親戚の娘さん」
「女の子? 年は」
「ええ……聞いてないけど多分要よりちょっと年下?」
「……ある程度年のいった女性ならともかく、若い女の子に自分の世話をさせるのは孝洋さん的には抵抗があるんじゃないかな。
奉納品の運搬とか力仕事もあるし、できれば男性の方が良いと思う。
人数増やす段階で女性を入れるのはアリだろうけど、女性一人で社の管理は難しくない?」
任せてくれるんじゃなかったのか、という言葉をぐっと飲みこみ次郎は要の批判に耐え得る答を探した。
力仕事に関しては残しておいてくれれば自分が後で処理するからという返しが可能であるし、実用化がまだ少し先の話ではあるものの個人レベルで利用可能な重量物を浮かせて運ぶ技術が研究中であり、近い将来には重量物の運搬は女性一人で充分可能になると反論する事が出来る。
短期的には自分が責任を持ち長期的には仕事を任せられるようにもなる、とこれを根拠に答えればこの点をこれ以上つつかれる事は無いだろうと次郎は結論した。
問題はもう一点の方だ。
「ヒロさんはどう思う?」
「俺? 俺は参加しない方が良いんじゃ」
「参考意見としてヒロさんの気持ちが聞きたい」
若い女の子に世話をされる事に抵抗があるかどうか、という点に関しては世話をされる当の孝洋の意思こそが尊重されるべきで、理詰めで反論し押し通すべきではないと次郎は思う。
孝洋の意思を確認して、抵抗が無いというならそれで良し。
抵抗があるというなら、最低でもこちらは下手に出てお願いをする態度であるべきだ。
孝洋の友人として、また恩を受けた人間として、次郎にとってはそこは守るべき一線だった。
「参考……まあ、気を遣わないと言えば嘘になる。同性相手の方がいくらか気楽だ」
「やっぱそうだよな、ヒロさんだし」
「とはいえ何度か経験のある事だし、すぐに慣れると思うから俺の事は気にしなくて良いよ」
孝洋はどうやら女性に苦手意識があるらしい。
暇を見ては孝洋を連れ出して草壁郷の住人との交流を仲立ちしている次郎の目にはそのように映った。
女性と話している時の孝洋はわずかではあるが表情がぎこちなく感じられ、次郎が適度に助け船を出してやらねば会話が上手く続かなくなる事がある。
距離感を測りかねて困っていたように思える。
「それをわかったうえで、申し訳ないとは思うんだけど今回は、仕事無くなって困ってる子を助けると思って俺のわがままを──」
「兄さん、あまり孝洋さんを困らせるような真似は……。
……仕事が無くなったっていうのには時期的に多分私が絡んでいるんだろうしそこで責任感じてるんだろうけど、佳苗さんの再就職に関しては私が責任を持ってちゃんと請け負うから。
だから──」
(……なんなんだよ女の子ってわかった途端)
一度は裁量を認めるような事を言っておきながら掌を反すように反対されて少なからず苛立っていた所に、更には言葉を途中で遮られるに至って我慢の限界に達した次郎はつい、普通では聞き取れない程度の小さな声で、
「嫉妬かよ」
と呟いた。
(──やべっ)
要の顔色が変わった。
どうやら聞こえたらしい。次郎は要の五感の鋭さが既に人間の域に無い事を今更に思い出した。
「いや、違う、ごめん! 今のは言葉の綾で」
どう考えても言葉の綾ではないとは思いつつ、兎も角も発言を撤回する意思は見せねばならぬと次郎は即座に謝罪した。
腹を立てていたとはいえ言って良い事と悪い事がある。
賛同が得られなかったからといって悪意を以て相手の意図を解釈しようとするのは下衆の勘繰りというもので、次郎としては本来好む所では無い。
それを普段親しい間柄にある姪にやってしまったのだから、今の言葉は本意ではないという事だけは伝えねばならぬと必死であった。
謝りながら恐る恐る薄目で要の表情を窺う。
兄さんはまたそういう事を、と軽い感じで怒られる自分に有利な想像を働かせながら要を見ると、そこにあったのは想像していたような怒りや呆れの表情ではなかった。
何かまずい事に気付いたような深刻な表情で、深く思考に沈んでいる。
こちらの言葉が届いているようには見えない。
「要?」
要の様子を訝しんでか問いかけた孝洋の声に、次郎の声には反応の無かった要がびくりと体を震わせる。
「あ、その……。
孝洋さん、何か?」
「……いや、なんでもない」
何事も無かったふうを装い余所行きの微笑を浮かべて答える要に何かを感じ取ったのか、孝洋はそれ以上問う事はしなかった。
「そ、そう」
気まずい沈黙が流れる。
「……えっと、要──」
「──ああ、そうそう、話が途中だった。ごめん、兄さん」
意を決して声をかけた次郎の言葉が要に遮られる。
無視をされているわけではないと安堵したのも束の間、自分と目を合わせようとしない要に気付いた次郎は強く衝撃を受けた。
「親戚の方の紹介状は……これだね。ええっと、なになに、檜沢村の……」
菓子箱と一緒に包まれていた書状を取り出して要が目を通す。
「紹介状はあるし身元保証はこれで良いとして書類審査は通過、順番逆だけど面接は兄さんがもう済ませててそれも問題なし、あとはしばらく仮雇いで試用期間を設けてそこで問題なければ本雇いで良いんじゃないかな。
私はちょっと公正な判断を下せる自信がないからあとは兄さんが判断して」
要は次郎と目を合わせないようにしながらそう言い終えると、
「孝洋さん、少しやらないといけない仕事を思い出したから、慌ただしくて申し訳ないけど今日はこれで失礼します。おやすみなさい。
兄さん、そういう事でちょっと今は食べられないから網でもかぶせて置いておいてください。
また後で食べます。ごちそうさまでした」
と言い残し足早に居間を出て行った。
「……。
おやすみ」
少し経ってから思い出したようにそう返事をした孝洋の声に現実に引き戻され、次郎はよろよろと孝洋に近付き孝洋のすぐそばの壁にもたれかかった。
力が入らない。
「やべえ……やらかした……」
今までに何度も喧嘩はしたが、怒ってすらもらえないのは初めてだ。
見切りを付けられたのではないか、などと悪い想像ばかりが頭を巡る。
「ヒロさん……助けて……」
藁にもすがる思いで孝洋を見る。孝洋はそっと視線を逸らした。




