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魔法使いと太陽神  作者: 水栽培
三章 狐の呼び声
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028 誓約

「お前が大丈夫だと言ったから開拓に送ったんだぞ? 後釜はどうする気だ」


「もう十年ぐらいはいけると思ったんだがなあ」


 年の頃二十五、六の青年が、十五になるかどうかの幼い少女に詰め寄っている。

 ──懐かしいと児屋太は思った。

 客観的に見る事が叶わないはずの己の背格好や身に着けている物を細部まで観察できる一方で、どのような表情をしているかは解らない。

 別の視点から観察できているようで実際はそうではないのだ。知り得ない情報は上手く再生出来ない。


(季節は──さて、いつ頃だったか)


 若草萌ゆる早春の頃であったか、地を覆う葉が風に舞う晩秋の頃であったか──それすらも判然としない。

 視界の外の一部を詳細に認識できる一方、視界の内にあるはずの事が解らない。

 夢の世界特有の、映像としては破綻した世界。

 意識が半ば覚醒し、これが己の見ている夢である事を児屋太は理解していた。

 ただの夢ではなく、過去に己が経験した事をそのまま見ているのだという事も。


「十二人居た孫が全員逝った」


 少女がそう言うと、青年──若かりし頃の児屋太は言葉に詰まった様子で押し黙った。


「初孫に遺言で世話を頼まれた玄孫もしわしわになるまで長生きして先日老衰で死んだよ。

 なんつうかな、どうでも良くなっちまった。

 新しい時代を担う子供達だって張り切って育てたやつらがみーんな先に死んでくんだぜ」


 少女が虚しく笑う。


「だが、無駄というわけでもなかったろう」


 常の姿から想像出来ぬような顔で笑う少女に対し、児屋太が絞り出せた言葉はそれだけだった。


「無駄じゃあねえさ。大成功だよ。

 皆立派に育ってしっかり生きて爺婆になって大往生だ。不満なんてありゃしねえよ。

 でも俺は──」


 あいつらの将来を想像しながら死ぬべきだったんだ、と、少女は力無く呟いた。


「最期まで全部見る事はなかった。

 ちょっと名残り惜しいな、ぐらいでやめときゃ良かった。

 気が抜けちまった。

 やる気でねえ」


「……少し疲れているだけだろう。何か気晴らしでも──」


「──そりゃあちょっと休めばまたやる気が戻るかもしれねえよ。

 身内が死にまくって一時的に気が滅入ってるだけかもしれねえ。

 だがこれを乗り切って、それでどうすんだ。

 俺は何代先の子孫の死に顔を見届ければ許して貰える?」


「……」


 児屋太には何も答える事が出来なかった。

 言葉だけなら幾らでも思いつく。少女を引き留める為の弁舌も、その気になれば振るう事が出来ただろう。

 だが自分の頭が作り出したそれらの言葉がどうしようもなく安っぽく思えて、児屋太にはどうしても口にする事が出来なかった。

 付き合いの長いこの少女の苦しみに巧みな話術を以て応じるのは、不誠実に過ぎる気がした。


「区切りの無い生には絶望しか無い。

 ……今なら先生の言った事が良くわかる。

 初孫が出来た時は本当に嬉しかった。思うさま可愛がったさ。

 孫が立派に育ってく姿を人より長く見られて、英雄になった自分の幸運を感謝した事もあった。

 だが、過去の事だ。

 夫も死に、子も死に、孫まで死んで、あの子が生き甲斐だと言った玄孫も、老いの為に死んだ。

 ここいらで一区切りとすべきだろう。

 これでも遅すぎたくらいだ。

 手塩にかけた養子を喪ったお前ならわかるだろう?

 俺はこれ以上耐えられそうにないんだ。

 いつまで耐えれば良いかがわかっていればもう百年ぐらいはなんとかなるんだろうが──何せ俺の生には終わりが無い。

 ……神に食われでもせぬ限りは」


「……そうしてお前は」


 少女の言葉をただ黙って聞いていた児屋太が堪え切れずにぽつりと呟く。


「ヤマツミ様を置いて先に逝くのか。

 その苦しみを知っていながら」


 少女はじっと児屋太を見つめ、ああ、と短く答えた。


「……好きにしろ。

 ここで無理に引き留めたとてもはやお前はものの役に立たぬ。どこへなりと行くが良い」


「……ああ、恩に着る」


「空席になる英雄についてだが」


 背を向け歩き出した少女の耳に児屋太の声がかかった。

 あ、という短い声ととともに少女の歩みが止まる。引き継ぎの話が纏まっていない事を失念していたらしい。

 一度歩き出した手前戻るのが気恥ずかしいと見えて、少女は背を向けたまま児屋太の言葉に答えた。


「矢杉村は後継の英雄がそろそろ良い頃合いに育っているだろう。引き継ぎが済んだら呼び戻せば良い。

 矢杉と実原の英雄は俺が育てた。断りはすまいよ」


「──勘違いするな。後任を紹介しろと言った訳では無い」


 訳の分からぬ事を言い出した児屋太に思わず少女が振り返る。

 振り返った先からは児屋太の射抜くような視線が返って来た。


「永遠の時を生きる供をするその任にも耐えられぬくせにまやかしの希望を持たせる英雄なぞ、草壁郷には不要だ。

 まして後継者を育て終えた年嵩の英雄なぞ百年たたぬ内にお前のように死にたがるに決まっている」


「──ではどうする」


「俺をなめるなよ。

 米の融通で四方に恩は売りつけた。忍の里との繋がりも強化した。

 移住した忍も労役を税として課す事に合意した。

 移住者だけでも秘密裏に郷周辺の妖怪を間引く程度の仕事は任せられる。

 十年や二十年の英雄不在なぞどうとでもなるわ!」


(これは記憶の美化の類と見るべきであろうな)


 事態を俯瞰して観察していた児屋太老人は気恥ずかしげに髭を撫でた。

 射抜くような視線、などというものが当時の自分に客観的に認識できたはずもなし。

 啖呵を切ったのは覚えているが、こうもスラスラ言葉が出て来たかは少々疑問が残る。

 生来、激すると吃りがちになる性質だ。実際にはこう上手く発音できていなかったに違いないと思うと下手な演劇を見せられているようで恥ずかしかった。


「里人の中から自然と英雄が現れる事もあるだろう」


「その時は徹底的に教育してやるさ。ヤマツミさまを残して逝こうなどと考えもせぬようにな。

 教育ははじめが肝心だ。お前はもう手遅れだ」


 指を指して悪態をつく児屋太を見て、少女は一言「違いない」と答えいつものように朗らかに笑った。


「児屋太」


「何だ」


「惚れているんだろう、ヤマツミに」


「っ……またその話か。俺はただ純粋に」


「いいから聞け。これが最後なんだ」


 少女はそう言いながらゆっくりと歩み寄り、児屋太の肩を掴んで正面から目を見据えた。


「好きだと一言言ってやれ。それだけで良い。黙って、死ぬな」


「……できるか、そんな無責任な事。

 俺は、お前とは違って老いて死ぬ事しか出来んのだ」


 別れが必然であるというのに──それもヤマツミからすれば恐らくはほんの僅かな時間の後にそれが来るとわかっているのに、想いを伝えても要らぬ心労をかけるだけとしか思えない。

 想いが成就するにせよしないにせよ、児屋太という個を意識させる事はヤマツミの孤独を深める事にしかならない。児屋太はそう考えていた。


「無責任でもなんでも良い。黙って死ぬよりゃよっぽど互いの為になる。

 思った事は口に出しとけ。お前は面倒な事を考えすぎだ」


「めっ……面倒な事を考え抜いた揚句にこれから死のうとしとる馬鹿がどの口で抜かすか!

 お前のような馬鹿は馬鹿面提げて何も考えず生きておれば良いのだ!」


「だからこそ言ってやってるんだよ。先輩の失敗談にゃちゃんと耳を傾けるもんだぞ」


 そう言って少女はからかうように笑った後、じゃあな、と短く言って背を向けた。

 そのまま少し佇んで、意を決したように歩き出した。


「あ……」


 さよなら、が良いだろうか。

 それとも、またいつか、が良かったのだろうか。

 児屋太が迷う間にも少女は歩みを止める事はなく、やがて見えなくなった。


 それが今生の別れになった。




─────




「目覚めたか、草壁」


 孝洋がヤマツミの声に目を遣ると、意識の戻ったらしい郷長がゆっくりと上体を持ち上げていた。


「おや、ここは……」


 少し意識の朦朧としているらしい郷長がゆっくりとあたりを見渡す。

 そして状況がおおよそ掴めた様子でぽつりと、


「──ああ、そうか。もう、俺の番なのか」


 と、小さな声で寂しそうに呟いた。


「失礼しました。頭の方はまだ上手く働いておりませぬが、おおよその所は思い出せました。

 このような老いぼれの為に雷神様方にまでお時間を取らせてしまい、誠に申し訳ない」


「無理はなさらないほうが」


 居住まいを正そうとする郷長を孝洋が気遣う。

 郷長宅で気を失う直前の事を思えばいくらかマシであるようには見えるが、顔色、呼吸、声音、どれ一つとっても完調とは言い難い。

 傍に居た左近と右近が郷長の体を再び横たえた。


「お気遣いなく。多少養生したところで行き着く所は同じでありますゆえ。

 とはいえ、体を起こしたとて一層の無礼を働く事となりかねませぬゆえ、このような姿勢のままお目見えする不敬をどうかお許し頂きたく。

 なかなか時間が取れず雷神様方にはこのような形での報告となりましたが、先もお話致しました通り、この度永のお暇を頂く事と相成りました」


「……はい。そのように聞いております」


「短い間でしたが、雷神様には本当にお世話になりました。

 私自身はもはや何もお返しする事の出来ぬ身ではありますが、それも含め後の事は全て左近右近に任せております。

 どうかこれからも良き関係を」


「ええ。……良い関係を築けるよう、私も願っています」


 孝洋は安請け合いする事無く無難な表現に留めた。

 助けられる範囲で助ける気ではいる。無闇に敵対するつもりなど当然無い。

 しかしそれと、ここで是と答えるかどうかは別の話だ。


 元々、孝洋は約束を好む人間ではない。

 かなう限り誠実に、嘘をつかずに生きていきたいと考える孝洋にとって約束とは気安く結べるものではない。

 次郎から要を宜しくと頼まれている今となっては尚の事、自身の行動を縛る新しい約束を嫌うのも自然な事であった。


 郷長は孝洋の返答を聞き、それで充分とでも言うように笑みを形作った。


「ヤマツミ様」


「……なんだ、児屋太」


「お別れの前に一つ、伝えておかねばならない事があります。

 呆け老人の戯言と思って聞いて下さいませんか。

 聞いてすぐに、忘れて下さってかまいません」


 そこまで言い切って郷長は空咳を一つした。

 一つ咳をするとそれに誘発されたか二つ三つと咳が続く。

 少しの間咳をし続けた後、郷長は口を噤みピタリと呼吸を止めた。

 まぶたがピクピクと痙攣しているのが見て取れる。

 しばらく後に大きく息をつき、少し乱れがちながらも正常な呼吸に戻った。


「……聞こう」


 要が郷長の体を気遣うが、郷長がやんわりと手で制した。

 無理をしてでも言わねばならない事らしい。

 ヤマツミは郷長の咳き込む姿に狼狽える事もなく、郷長の言葉を静かに待っている。


「お慕い、申し上げております」


(──ああ、そういう)


 少しの驚きはあったが、孝洋にはわりあいすんなりと郷長の言葉の意味する所が呑みこめた。

 郷長の年齢とヤマツミの姿形に由来する先入観が邪魔をしていただけで、そういう種類の好意だと読み取れるだけの反応は思い返せば確かに有った。


 ヤマツミは一言もなくただ静かに郷長を見つめている。

 二人の反応を見るに、郷長がヤマツミを好いている事はヤマツミも承知であったらしい。


「郷長として、神であるあなたを、ではなく……男として、あなたの心を好いております」


「……ケモノに懸想なぞするな、この馬鹿者が」


「っははは。──そう、馬鹿者です。私は、馬鹿だ」


 咳き込みながらも、郷長は晴れやかな顔で笑った。

 要は聞き取れぬ程の小声で、ずるい、と呟いた。

 何もかもを置いて先に逝こうとしているくせに、ヤマツミの心だけは自分に縫いとめておこうとしている。

 ずるい男だと、孝洋も似たような事を考えた。


「ああ、馬鹿だ、大馬鹿だ。

 百年足らずで死ぬ人間の分際で、よくも私を好いているなどと言えたものだ!

 聞かずば、まだ堪えようもあるものを……ッ」


 ヤマツミの声に険が混じる。

 涙は見せはしないが、泣いているようだと孝洋は思った。

 神というものはなかなかどうして感情豊かで、人間味があって、情が深い。

 祟りを為す化け物だと心得違いをした過日を振り返り、孝洋は恥じ入った。


「花は散るからこそ美しいと人は言う。

 滅びの予感を内包しているからこそ生は輝くのだと。

 ……それでも私はお前に生きていて欲しかった」


 郷長の告白を受けて、堪え切れぬとでも言うようにヤマツミは思いを吐露した。


「花は散るからこそ美しい、ですか。

 そんなわけが無い。

 それが本当なら、貴方はなぜそれほど美しいのですか」


「またお前はそういう事を臆面も無く……」


 涼しい顔でヤマツミを口説いてのける郷長に、ヤマツミは狼狽えて顔を背けた。


「……全てを忘れようと、魂を砕かれようと、必ず私はあなたの下へ転生します。

 そしてきっと……また、あなたを好きになる」


「……わかるものか」


「わかりますとも。

 ……しばしの、ほんの一時の別れです。

 またお会いできるその日まで、どうかお達者で」



 そう言って笑顔を浮かべ、郷長が瞼を閉じようとした時。



「郷長、少しいいか」


 と、孝洋が割って入った。

 孝洋は空気は読めるが、必要とあらば躊躇なく破壊する、そういう男である。


「……なんでございましょう」


 郷長としての意地か、やや迷惑そうな顔ながらも郷長は目を開けて孝洋に問うた。


「──生きたいか」


「……?

 申し訳ありませんが、問いの意味がよく……」


「人としての生を捨ててでも、生きたいか」


 また負う必要のない責任を自分から背負いに行って、と孝洋は内心で自分を罵倒した。

 孝洋は、人である事を捨てるよう唆しておいてあとは知らぬと突き放せるような人間ではない。

 また一つ、責任を持つべき相手が増える。


「生きたい」


 孝洋の言わんとする所が呑みこめたか、郷長は寸毫の迷いも無く言い切った。


「人として死ぬ事がかなわなくなっても?」


「そんな事は問題になりませぬ。

 ヤマツミ様の傍に仕え少しでもお役にたてるなら、それ以外の全ては些末事です」


 目は爛々と輝き、声には力が満ちている。

 顔付きも、今にも死のうという人間のそれではない。

 死を受け入れた老人の面影はそこには無かった。


「山本殿、それはどういう……?」


 ヤマツミが困惑した様子で孝洋に説明を求める。

 ヤマツミのみならず、左近に右近、要をも含めた全ての視線が孝洋に注がれている。


「眷属との契約方法を、ミズチ様より教わりました」


「眷属? 眷属は……己の権能の及ぶ種か己と近い種でなければ眷属に加えられぬはず。

 山本殿が元はどのような種であるかは存じぬが、人を眷属に加えた例など」


「ミズチ様にはお話しましたが、私は元はただの人間です」


 そう言いながら孝洋は手元に剣を作り上げる。

 結界製ではない。

 神域に浮かぶ雷雲から取りだした氷晶を加工して作った、氷の剣だ。


(自身の権能に関わりのある、神力を通し易い何かで祭具を作る……こんな物で良いんだろうか)


 ミズチの言葉を思い出しながら剣の形を整え、念の為にそれらしい雰囲気の細工を彫る。

 習ったその日に本番、それも教えてくれたミズチはこの場に居ないとあって孝洋の心中には少なからぬ不安があった。


「前例は無いが、人あるいは忍が神となり得たならば人や忍を眷属に加える事はおそらく可能──と、ミズチ様より伺っております」


「確かに──確かに、そうなるはずだが」


 おそらく可能、とミズチは言った。

 それは過去の例からすればそうなるはずという意味以上のものではなく、成功を保証してくれる理論的な裏付けがあるわけでもない。

 期待をさせるだけさせて、試してみたら駄目でした。

 最期の別れの場がそんな事になっては目も当てられない。


(それでも、やるしかない)


 信じ切れぬ様子で孝洋を見つめるヤマツミに、孝洋は大丈夫ですと笑って見せた。

 出来るか出来ないかはその時になれば感覚でわかるというミズチの言葉を信じるしかない。

 出来る、と孝洋の勘は告げている。


「ヤマツミ様の臣である貴方に私の眷属になれとは少し酷であるかもしれないが、現状私にはこれ以外に貴方を延命させる方法が無い。

 どうする」


「それしか無いというのであれば是非も無し。

 臣の立場を離れてもヤマツミ様の為に出来る事はあると存じます」


 郷長の言葉に孝洋は小さく頷き、作業を続行した。

 郷長が体を起こし、ふらつきながらも孝洋の前に進み出て片膝をつく。


(確か口上は……)


「汝を死の穢れより遠ざけ永遠の生を与うる事をここに約す。

 肉体を捨て神使となる事を誓え」


 記憶にある口上をなぞり、孝洋は剣の腹を郷長の肩に置いた。

 口上は意思確認さえ取れるなら一言一句なぞる必要はなく祭具の扱いも相手に触れさせて神力を通せるならどういう形でも良いとは聞いているが、自由にやれと言われると却ってどうすれば良いのかわからない。

 孝洋は無難にミズチから伝え聞いた前例に倣った。


「御身に仕え人の身を捨てる事をここにお誓い申し上げる」


 郷長ははっきりと通る声でそう答えると、それが限界であったように前のめりに倒れ伏した。


「誓約は為された。

 我が眷属として永く膝下に留まる事を許す」


 駆けよる左近右近をよそに孝洋が儀式を続ける。

 郷長の体から薄墨色の靄が抜け出て氷の剣に吸い込まれるのを確認し、孝洋は安堵の息をついた。

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