022 新しい時代
戦が終わって十日程経った五月上旬。
戦の後始末に草壁郷長を含む連合各村の長や祈祷師英雄その他特殊な立場にある者が忙しく動き回っている中でも、農繁期というものはやってくる。
育てる作物によって忙しい時期というものは違うものの、草壁郷は田の神のお膝元という事もあって大半の者が米を主に置いた稲作農家である。
神の力による水温調整・雑草の成長阻害・病害虫の活動抑制・地味の回復、そして稲穂の再生による一期あたり二回の収穫。
そうした恩恵が水田に限っては破格の神力消費量で受けられる。
畑作でもそれらは可能であるが、神力のコストパフォーマンスが著しく低下する。
自然、米以外の作物は輸入コストがかかるものを少量生産するだけという形に落ち着く。
ゆえに、農繁期も農閑期も郷の農民ほぼ全てに同じタイミングで訪れる。
とはいえ、全ての農家が全く同時期に同じだけ忙しくなってしまっては人手が足りない。
それを無理して捌いたとて、今度は同時期に大量の人手があまる。
昨日は松本さん家を手伝って今日は中村さん家の田植えをやって、明日は皆でウチの田植えだ──実際にはそういう具合に少しずつ時期をずらして予定がたてられる。
郷全体としては田起こしの最盛期にも遠いものの、このぐらいの時期からほぼ毎日誰かしらの家の作業に呼ばれる形となる。
例年であればそうであった。
郷の入り口に通じる道を次郎が一人歩く。要と孝洋が連れ立って川上村に出かけ、次郎一人が郷内での作業の為に残された形だ。
「先が見えねえ」
やる気無く歩きながら、次郎がぽつりと呟いた。
不満という訳では無い。しかし変化が急激過ぎて、少なからぬ不安があった。
「蓮華草の収穫も田起こしも、予定してたとこのは全部終わっちまった。
いくらなんでも便利すぎだろ……余った人手どうすんだ」
便利になる事は悪い事では無い。だが、落差が有り過ぎる。十人以上の人間が集まって一日がかりでやるはずの仕事が、数人がほんの数時間作業するだけで終わってしまう。
今はまだ、今年は楽に済んで良かった良かったと皆も喜んで居られる。
採れた米も今年の分は今までとそう変わらない価値で取引されるかもしれない。
しかしそれは長くは続くまいと次郎は思った。
「要はもっと効率化して人間の作業減らすとか言ってるが、暇人増やしても碌な事にならねえぞ……何か仕事まわさねえと」
草壁郷の農繁期、例年であれば同時期に人が余る近隣の村からも少数の手伝いを呼んでいたが、今年はまだ呼んでいない。
こうした道具が辺り一帯に普及すれば草壁郷が農閑期に入ってもおそらく手伝いを要請される事も無いのだろうと次郎は考える。
生活の有り方が今までとは随分と変わる事になるのは避けられないように思われた。
「余った人間開拓にまわすにしても、一人の人間が食う食い物の量なんて変わりゃしねえのに一人の人間が作れる食い物の量がどんどん増えて必要な土地もどんどん増えたんじゃあ……どうやったって米作り以外の仕事を主に据えにゃならん人間が出る。年寄は今更生き方を変えられんだろう……」
ぶつぶつと呟きながらも橋を越え、郷の入り口に歩を進める。
次郎は郷の最外周に防壁を作る作業に向かっていた。
とはいえ、予定時間より随分早い。暇を持て余して早くに発った為か、周りには次郎の他には人が居ないようであった。
「ん……何してんだあの爺さん」
入り口付近の蓮華畑の畦に老人が一人腰掛けている。
衣服は装飾も無い簡素な物ながらも清潔感があり、姿勢の良さが次郎の目を惹いた。
人に化ける妖怪や物盗りを働く抜け忍といった雰囲気では無い。
どこぞの英雄か祈祷師あたりだろうと次郎は見当をつけた。
もしそうでなくとも、要に護身用の道具をいくつか持たされている。
「もし、見ない顔だが草壁郷に何ぞ用ですかい」
次郎は孝洋に声をかけた時よりは幾分気軽に声をかけた。
「旅の道中疲れてちと休憩を。見事な蓮華畑ですな」
「まあ、綺麗ですな。もうすぐ刈り取って鋤きこんじまいますが。旅という事は祈祷師様ですか」
「いいえ、呪術師の真似事なぞを」
「呪術師……」
次郎の知る限り、一般的な村には特別重要な役職というものが四つある。村長・英雄・祈祷師・呪術師だ。
倉を管理する者や交易を行う者、村長の補佐をする者など他にも重要な仕事はいくらでもあるが、この四つは別格だ。
村長は神から村の運営に関する一切を任せられた最高権力者。
実際には一人で何もかも決められる訳では無いが、意見が割れた場合には余程の事が無い限り村長の意向が優先される。村長を解任する権限も任命する権限も神以外には無い。
地位は血縁によって相続される事は無いが、村長の実子あるいは養子が次代の村長候補として教育を受けそのまま村長に任命される事が多い。
英雄は戦時には主戦力、平時には村の防衛や大規模工事、交易にも欠かせない貴重な人材。
近隣の村と協力して当番制で交易の護衛役を担っており、英雄の護衛無しには妖怪の跋扈する野を荷馬車を曳いて移動する事はかなわない。
祈祷師は神に関わる事柄の大半を担当する。
村の結界を調整したり青銅器に神力を籠めたりといった仕事の他、神域まで出向いて神に村での出来事を語って聞かせるのも仕事の内だ。
祈祷師としての技術を習得した者が複数あった場合、未発見の神を求めて旅立つ者も居る。
最後に、呪術師。主に医療と醗酵を担当する。
医療に関しては主に診察と内服薬の処方、塗り薬の製作販売。醗酵に関しては醗酵全般、発酵食品はもちろん堆肥作りにも関わっている。
薬の製造や醗酵に関する技術は村長と呪術師一族以外には秘匿される。
血筋が重要というわけでも無いらしく、外部から養子を迎える事が頻繁にある。
「祈祷師様なら話には聞きますが、呪術師様が旅とは珍しいですな」
「そうでしょうな。私も自分以外にそういう者が居るとは聞いた事がありません」
「道中、どうやって身を護っておられるので?」
次郎は話しを続けながら老人の隣に腰掛けた。
現場に着くのが早すぎて少々暇であったので、旅先での話なぞを聞かせて貰おうと考えての事だ。
幸い、地域通貨として草壁郷で流通している兌換紙幣の持ち合わせはある。
面白い話が聞ければ食事代の足しにでもしろと渡すつもりであった。
「行く先々で護符なぞをわけて貰っております」
「護符……しかしあれは祈祷師としてそれなりの修行を積まねば村から離れれば使い物にならんと聞きますが」
「もうひとつ、これです」
老人が畦に寝かされていた杖を手に取りコン、と小突いた。
三種の布が三重螺旋の形で巻き付いた木製の杖の頭に四色の宝玉。
宝玉は四種の歪な玉が互いに絡みつくようにして一つの玉を形成している。
中程より少し上に精緻な細工の施された楕円の青銅板が二枚巻きつき、杖の中程より少し下に小柄のような物が差し込まれている。
「縁あってとある方から借り受けた杖。この杖があれば素人でも護符が使えまする」
「へー……便利な道具があるもんだ。あ、便利といえば──」
迷惑になっていないか時折顔色を伺いつつ、次郎は老人と話をしながら皆が来るまでの時間を潰す事にした。
─────
「いや、これは大したものだ」
導水管の吐水口から流れ落ちる水が巨大水車を軽快に回している。
水車の軸に取り付けられた歯車が回転し箱ふいごを稼働させていた。
「これは水車駆動のふいごに……高炉。熱風炉はニールソン型か……?」
建物の中にはレンガ造りの外観を持った高炉。
箱ふいごから伸びる配管が焚口と煙突の間から高炉の中に吸い込まれている。
焚口付近から高炉に導かれている配管経路などを見るに、焚口で加熱された空気が煙突に到達するまでの間にそれに接する送風管に熱を移す機構──つまり炉内への送風を予熱する機構が組み込まれているように見受けられた。
送風による炉内温度の低下を緩和する為に19世紀前半に考案されたものだ。
より進んだものとして高炉から出る排熱を送風の加熱に再利用するカウパー熱風炉があるが、何か技術的な壁にでもぶつかってニールソン型で妥協したのだろうと要は推測した。
「朔姉が──川上朔弥が遺した資料を参考に作りました。
転炉の資料が乏しく、そちらの方で少々手こずりましたが」
「転炉も……内壁には何を?」
「青銅で内張りを」
「そうなるだろうね。酸素は」
「……まだ研究中で」
「うん、書きかけだったねあそこは……とすると、窒素量が少し多いか。
高炉があるという事は鉄鉱石とコークスが手に入るように?」
「いえ、木炭で。以前は鉄鉱石も使っていましたが今は焼結した砂鉄が主です」
「……砂鉄を高炉に?」
「資料には砂鉄は向かないとありましたので、高炉が出来た当初は鉱山の神のおわす地から仕入れた鉄鉱石を。ただ輸送に難があり資源を自前で賄いたいという事もあって、砂鉄の純度を上げる事でどうにかならないかと試行錯誤をしまして」
「純度をあげる」
「岩山の神としての山体再生と鉄の神としての選鉱を……。
神力の消費を抑える為にまず先に鉄穴流しで比重選鉱を行ってから──」
「いや、大体わかった。なるほど、なるほど」
要は過去生に於いて高炉の実物を見た事が無い。
まして、初期に用いられていたというニールソン型熱風炉を備えたレンガ造りの高炉など、過去生で見ようと努力をしたとしてもそう簡単に目にできるものではない。
それを自分の──自分の過去生における家族が、碌な資料も無い中自力で作り上げた。
神力によって性質を操作された青銅や神の力を用いてチタンが除去された砂鉄など、過去生には無かったものがある為に大幅に難易度が下がってはいるが、決して平坦な道のりではなかったはずだ。
有り体に言って、要は感動していた。そして、今尚稼働している初期型高炉というレアな一品を見て興奮していた。
「素晴らしい。素晴らしいが……。
孝洋さんの結界でこれを改良するよりは、結界による製鉄施設を新しく作った方が良さそうだ。
これは文化遺産として観光資源にしよう」
「……え?」
「新型炉の設計図を持ってきている。まもなく時代が変わる。
この炉は青銅器から鉄器への時代の転換期に於いて非常に大きな役割を果たした。
が──この努力の結晶を前に口にするのは心苦しいが、その役割ももう終わる」
「ちょ、ちょっと待って下さい。
これは確かにもう十五年は動いていますが、まだまだうちの主力です。
新型炉はうちでも計画していましたがこれ以上生産量をあげても炭の供給が追い付かなくて、多少効率を改善した所で新型炉を作る費用を考えると」
「ああ……結界について碌に説明していなかったな。うっかりしていた」
要は手製のリュックサックを背中から下ろし、中から紙の束を取り出し夜須奈に手渡した。
「これを読めば気が変わる。
その前に結界というものが如何にでたらめであるかひとつ実演といこう」
そう言って、リュックサックからそこそこの大きさの水差しを二つ取り出した。
─────
全方位に、水平線が見える。
孝洋は果ての見えない程広大な湖の上に立つ社殿の中で、巨大な蛇と対面していた。
「本日は宜しくお願い致します、ミズチ様」
「敗者に畏まる必要などないぞ、雷神殿」
「神として未熟な私に有難くもご指導下さるミズチ様に礼を失するわけには参りません」
「ならば俺への礼を示せ。畏まるのをやめよ、と俺は言った」
「はあ、そういう事なら」
要と共に一沙国の旧都である川上村を訪れた孝洋は、夜須奈や望と今後の事について話があるという要と別れミズチのもとを訪れていた。
この辺り一帯で最も強大な──戦後処理による神力剥奪及び分配が未だ行われていない──神であるミズチに、神としての力の使い方や心構えなどを教示して貰う為だ。
「雷神殿は嫌味がお上手だ。
手も足も出なんだというのに持ち上げられて良い気分になれるわけもなかろう。
せめて対等に話せ」
「いや、はは。でも最後は危なかったですよ。ヤマツミ様の体当たりにしっかり反撃を合わせてきて、ちょっと反応が遅れればヤマツミ様がやられていたかも知れない」
「あれを体当たりと言い張るか……。
俺もやれるだけの事はやったつもりだが、結果としてお前に傷一つ付ける事もかなわなかった。
それが全てだ。お前は強く、俺は弱い。それでこの話は終わりだ。
……さて、神としての力の使い方が未熟だという話だが」
「あ、はい。神力の方は何故かどんどん増えてそろそろ並の神と同程度にはなりそうなんですが」
孝洋が軽く手を挙げると頭上に小さな黒雲が現れる。それを見てミズチが僅かに身じろぎした。
「こう、雲を出して雷を落とすぐらいは出来ますが、それ以上の応用が少し……。
あと、どうやって雲を出しているのか自分でもいまいち解らず」
「基本も解っておらんのか。お前を見出した祈祷師は何をやっている」
「見出した祈祷師、というと要の事ですか」
「いや、お前が神として祀られるようになるきっかけを作った祈祷師だ。
旅の祈祷師に会ったのではないのか」
「きっかけを作ったのは……要ですね。
草壁郷で妖怪退治をするまでは神と呼ばれた事などありませんでしたし、初めて会った祈祷師は草壁の郷長です」
「……とりあえずその雲を引っ込めろ。気が散る」
「あ、はい」
ミズチに促され孝洋は黒雲を仕舞った。
以前のように結界で水を集めて雲を作り、不要になれば分散させて雨に変えるという手順では無い。
忽然と上空に黒雲が現れ、忽然と消える。神としての力が高まる内にそういう事が自然と出来るようになっていた。
「まずはそれだ。お前は今神域から雲を引出し、神域に雲を戻した」
「神域、ですか」
「俺にとっての此処と同じく、お前にも神域がある。郷人に社を建てさせたと聞いているぞ」
「ああ、社というか家を最近建てて貰いました。ちょっと立派過ぎて気が引けますが」
戦争開始時にはまだ完成していなかった草壁郷の孝洋の住まいが、戦を終えて郷に帰る頃には居残り組の郷人の手によって完成していた。
以来、孝洋はその家で寝起きしている。
孝洋の希望で楠本家から徒歩数分の距離に建てられたそれは、田んぼの中にぽつんと建つにはいささか大きくよく目立つ。
社には毎日何かしらの供え物が届き、敷地内に建つ専用の倉に次郎が納めてくれている。
「社に神域への入り口が開けられるようになっているはずだ。帰りは神域を通ってお前の社に帰ると良い。歩いて帰る必要は無い」
「ほー……便利なもんですね。でもどうやって」
「今雲を仕舞ったように、これは感覚のものだ。説明できん。やってみれば出来る」
試しに右手を虚空に突き出す。肘から先がどこかに呑まれて見えなくなった。
「この湖の底には俺の戦用の体と予備の体、そして鉄が沈んでいる。
お前の神域には雷雲が浮いている事だろう。
出し入れに多少の神力を必要とするが、神域には物を入れるも出すも自在だ。
神力や通力を扱える者を同意無く取り込むのは難しいがな」
「なるほど……巨大化や回復はここから」
「そうだ。失った体を埋め合わせる材料はここから引き出さねばならん」
ああなるほど、と孝洋は二、三度頷いた。
切り飛ばした肉片を蛇に換え血を鉄に変え、それらが川に落とされヤマツミに食われても際限なく再生し続けるミズチの体の仕組みがずっと気になっていたのだ。
「神域の扱いは基本にして奥義。川の水を吸い上げて天より降らすも田畑の地力を回復させるも、神域を利用している点では同じだ。
雨量が多ければ神域に水を貯え、雨量が少なければ神域の水をあるいは雨として降らせあるいは川に流す。
統治者たる神として求められる力の大半は神域の操作にかかっている。それらの操作に必要な神力量や神域の操作以外に必要な能力に、神としての権能が関わってくる」
(つまりは倉庫のような物……。
基質をいくらでも溜め込めて、いつでも取り出せるというわけか。これは助かる)
孝洋の扱う結界魔法には、結界の性質は結界の基点とした物質に依存する、という特性がある。
鉄粉を起点として作った結界は鉄に似た性質を持ち、水を起点として作った結界は水に似た性質を持つ。
これら結界の基点として用いる物質を孝洋は基質と呼んでいる。
無調整の結界の性質は基質のそれに準じるが、そこから魔力を加えて性質を変質させる事は可能だ。
大気を基に鉄より硬い物質を作る事も、鉄を基に常温の液体を作る事も出来る。
但し、基質と性質の乖離した結界ほど、また結界の体積に対する基質の体積の割合が小さいほどに作成に多量の魔力を必要とし、魔力効率が悪いだけに留まらず結界の展開速度にも影響がでる。
自在剣には基質を利用しているものの戦闘中結界を作る際には殆どの場合大気を利用している孝洋にとって、基質を自在に引き出せる倉庫の存在は非常に有難いものであった。
「では……中に人を住まわせて、必要に応じて呼び出すという事は?」
「出来る。新しい神を見出したばかりの開拓初期などは、領民全てを神域の中に住まわせる事も珍しくは無い。
畑をするには広さが足りぬし、何より神と人との線引きの為に軌道に乗れば退去させる事にはなるが。
生身の生物では無いが、今はここに俺の眷属の蛇どもが住んでいる」
「眷属?」
「出した端からお前達が擂り潰してくれたやつらだよ」
そういうとミズチは自らの尻尾に食いつき、噛みちぎった。
ペ、と吐き出された尻尾の切れ端がグニャグニャと蠢き小さな蛇へと姿を変えて行く。
「俺の体の使用権を一部貸し出している。
首を二、三本増やしてこいつらに操作させたり、物陰に転がした肉片を操作させ不意をつかせたりと、今よりずっと弱い頃は色々と工夫したものだ」
ミズチの腹が膨らみ左右に大きな瘤が出来る。
二つの瘤はそのまま伸びて蛇の首を形作り、ミズチは瞬く間に三つ首の蛇の姿となった。
左右の首がうねうねと落ち着きなく動く。三つの首全てが別の意思を持っているように孝洋には見受けられた。
「こういう具合だ。まあ、そう便利なものでもないがな。
使用権を譲った時点でその部位は俺とは別個体になるから、俺に出来る事全てが出来るわけではない。
傷の再生すら、元からそういう能力を持っていたのでなければ俺が世話してやらねば満足にできん」
「……この蛇をたとえば殺した場合、その眷属というものの頭数は」
「こいつらは殺しても死なん。神域に戻ってまた呼び出されるまで待つだけだ」
「では体の使用権を返上させる事は」
「体から眷属を抜き取り神域に戻す事は出来る。
が、眷属を抜き取った後の体は俺の一部では無いただの肉塊だな。
一度切り離して神域に仕舞い、再生材料に使うしかない」
「なるほど……切り離された体が勝手に動き出していたのは?」
「ちょっとした小技だ。使用権に優先順位を設定する方法がある。
切り離されて俺の支配を離れた部位はおのずと下位の権限を持つ眷属に使用権が移る。
俺の独創で、まだ誰にもやり方を教えておらん」
決して死なない兵隊。正確には、死んだ端から再生産出来る兵隊。
精神面での疲労はともかく、肉体の疲労は新しい体に入れ替えればとれるだろう。
見る限り、神本体の大きさが可変であるように眷属の大きさも可変であるようだ。
大きさを自由に変えられる意思疎通が可能な生物にはいくらでも使い途があるように孝洋には思われた。
孝洋の体は一つしかない。自在剣には自立行動が可能であるが、自在剣の構造を理解していない孝洋には自在剣の量産手段が無い。
手が足りずに困った事はこれまでにいくらでもあった。
「うん……便利ですね、それ。今日のところは眷属についてお教え頂ければ有難いのですが」
神の仕事の大半は結界で代えが効く。神域の扱いは神域への出入りの方法と倉庫としての使い方がわかれば一先ずは充分だろうと孝洋は考える。
そうした物よりも、結界では実現できない新技術である眷属というものに孝洋は強く興味を引かれていた。
─────
「朔姉、この吸熱魔法っていうのが本当ならこれで廃熱を吸収して加熱魔法で予熱すれば」
「ああ、熱風炉用の燃料は不要になるな。──準備が出来たぞ」
早速資料を読み込みあれこれと質問をする夜須奈に答えながら要は実演の準備を完了させた。
準備、という程の事も無い。内側に蝋を塗り込んだ餅つき用の臼と水の入った盥に柄杓、そして先程取り出した水差しを並べただけだ。水差し以外の品は望が都合をつけた。
「結界魔法を利用するにあたって問題になるのが再生能力ゆえの加工性の悪さ。
壊れれば熱に変わり、その熱が吸収されて元の形に再生する。
これは優れた形質であるが、孝洋さん抜きには加工が出来ないという欠点がある。
加工した端から加工前の形に再生しようとするんだ。加工には再生能力が邪魔になる」
要が盥の中の水を掬って藍色の印が付けられた水差しに流し込んだ。水差しの中に浅葱色の液体が溜まっていく。
「しかし再生能力を付与せず壊れても崩壊しないように極小さな結界の集合体としたのでは後々問題になる。
結界は自然に分解されない。自然に分解されない物質がどう厄介かはプラスチック──は、知らないか」
水差しを傾け臼の中に浅葱色の液体を流し込む。一見するとただ色がついただけの水に見える。
「ともあれ、切り離された粉塵に自壊する性質を持たせる必要がある。
それでいて、加工後の本体には再生能力が備わっている方が望ましい。
これを満足させる為に、まず全体に時間経過で自壊する性質を持たせ、それを加工した上で完成後に再生能力を付加する必要がある」
次いで赤色の印がついた水差しに水が注がれる。水差しの中が薄紅色の液体で満ちていく。
「また、重要なのが孝洋さん抜きでそれら全ての工程を実現する事だ。
結界製の建材などを作る度にあちこちに孝洋さんに移動して貰ったのでは申し訳ないし、便利が悪い。孝洋さんにはこの結界液生成器の様な道具の製作時にのみ協力して貰う形が望ましい」
臼の中に薄紅色の液体が注がれ、浅葱色の液と混ざって薄紫になった。
「このように道具と水さえあれば誰でも合成樹脂めいた物が得られる。結界樹脂と仮称している」
薄紫色の液体の色が徐々に変化し、薄緑色になった。
要が液体表面を軽く叩く。コン、と硬そうな音がした。
「水を原料にA液を生じさせる水差しとB液を生じさせる水差し。
この二種の液体を混合ししばらく置くと凝固する。
この状態から任意の形に成型し、最後に再生能力付与処理をして終わり。
これで炉を建設する為の材料を安価で大量に用意出来る。
完成品の性質は結界液生成器で作られる液の種類と仕上げ処理によって変わるが、今日持ってきたこれは仕上げをした後は鉄より硬く靱性もあり、吸熱魔法無しに二千度程度に耐えられる耐熱性を備えた物質になる。
膨張せず収縮せず劣化もせず……まあ、神力を消費しない青銅だと思ってくれ」
「神力を消費しない、青銅」
「青銅の欠点は神力を消費する事。
年間に使用可能な神力量には神の力の強さに応じた限界がある。
過去……朔弥として過ごした時代は農具や生活用品まで青銅に頼る部分が大きく、神力の予算が常に圧迫されていた。
一沙で安価且つ実用に足る品質の鉄が大量に生産された事でそれが変わった。
鉄器で間に合う部分の大半を鉄器に置き換える事で神力に余裕が生まれ、余剰神力による安全地帯の拡大、安価な金属器の普及による生産力増大、防衛及び流通コストの削減……これが人口の増加を促し一沙を強国足らしめた。
その恩恵は米及び木炭と引き換えに鉄を輸入した草壁にも及んでいる。
一沙草壁に限らず、この一帯の人類の生存可能領域の拡張速度は目に見えて上がっている」
凝固した薄緑色の物体──結界樹脂を要が臼から取り外す。
「鉄は一時代を築いた。
望や夜須奈の働き無しには生まれなかった命もあるだろう。その功績は計り知れない。
それを否定する訳では無く、単にもう一度時代が変わるというだけの話だ。
鉄が埋められなかった隙間を、今度はこれが埋める。
青銅に依存していた時代が完全に終わる。新しい時代が来るんだ。
その新しい時代を迎えるにあたって、この高炉には現役を退いてもらう必要がある。
役割を終えたというのはそういう意味だ」
要は結界樹脂に付いた蝋を払うと夜須奈に手渡した。
「就いては、夜須奈には是非とも協力をお願いしたい。
研究にまわせる人材が悲しい程に足りない。私一人で出来る事などたかが知れている。
たったあれだけの資料から高炉を完成させてみせた、貴方の力が必要だ」
夜須奈は感極まった様子で要の差し出す手を取った。
「……変わっていないな、本当に。姉さんも、夜須奈も」
望を置き去りにして話に熱中する二人を遠巻きに眺めながら、望は昔を懐かしんだ。




