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魔法使いと太陽神  作者: 水栽培
二章 掌中の沙
21/32

021 花

 山中にある川上村より歩きで二時間強、より山奥を目指して参詣道を辿ってゆくと湖を背にしたやや幅広の滝にぶつかる。

 滝の脇にある階段を上った先に小さな鳥居があり、本来ならばそれを通った先の神域で神との対面となる。


 滝の手前、滝壺の中に常ならば存在せぬはずの大岩があり、その上に大蛇が鎮座していた。

 川上村の神、ミズチである。


「御無沙汰しております、ミズチ様」


 予定よりも早くまみえる事となって固まる望をよそに、朔弥は平然とミズチの前に進み出て頭を下げた。

 あまりに自然な振る舞いに、まるでここで会う事がわかっていたように望には思えた。


「自らが晴れ女であると知りながら今日この日まで名乗り出る勇気も持てず、情に訴え身内に匿わせ徒に被害を」


「よい。許す」


 頭頂部までの高さが2メートルはあるだろうか。

 大蛇と呼ぶにふさわしい巨体ながらその胴は頼りない程に細く長い。

 顔つきもどことなく幼く見える。

 まるで蛇の幼体をそのまま大きくしたようだと、姉と言葉を交わすミズチを見て望は思った。


「……最後まで言わせて頂きたく。この事態は私一人が招いた事です」


「みなまで言うな。お前の家族については敵う限り良きように計らおう」


「……ご厚情、感謝致します」


 深く深く頭を下げる姉を見て、望は目を逸らした。

 望とその父が犯した過ちが為に姉が頭を下げている。

 死の間際にあって尚、自らの身では無く家族の行く末を案じている。

 そんな姉を見ているのが、どうしようもなく悲しかった。


「……すまない。力及ばず領民一人守れぬ我が身を恥ずかしく思う」


「お止めください。責は、予見しながらも今日この日まで有効な手を打てなかった私にあります。

 前例が少ないながら、立場を利用して得られる範囲の情報だけでも私が晴れ女に成り得ると充分に予測可能でした」


「それこそ、俺の仕事よ。ただの領民が責を負うようなものではない」


 朔弥は譲らぬミズチの態度に苦笑を浮かべ、望に向かって手招きをした。


「望、私はこれからミズチ様と話す事がある。お前とはこれでお別れだ。最後に」


 近くで顔を見せてくれ、という姉の声がやけに遠く聴こえる。

 鼓動が速まるのがわかる。腕が小刻みに震えるのがわかる。

 ここに姉を連れてくるまでに覚悟が出来た気でいた。

 意図せぬ体の反応に覚悟などまるで出来ていなかったのだと気付かされ、望は愕然とした。


「……い、嫌だ」


 口から独りでに言葉が転がり出る。


「別れたく、ない。姉さんが行くなら、私も行く」


 口に出して、自分は今自ら死ぬと宣言したのだと気付く。

 死の恐怖に歯が鳴り始める。

 ここで姉がそうかと頷けば、もう取り返しがつかない。

 死は、今自分の目の前に……いや、既に自分は死に向かって一歩足を踏み入れてしまっている。

 口が滑った、引き留める為の言葉で本意では無い、姉さんならわかってくれるはず。

 そんな浅ましい思いを抱く自分に気付き、望は強い怒りを覚えた。


 歯を噛み締めて強引に震えを抑え込む。

 目に力を籠めて姉を睨み、取り下げぬと精一杯の意思表示をした。

 ここで退けば、命が助かろうと心が死ぬ。

 たとえ命を落とす事になろうと退くわけにはいかない。

 姉と二人で無事に帰るか、さもなくば諸共に死ぬか。

 意地を張っても意味が無いと薄々ながら知ってはいる。

 姉と二人で帰ったとて、なんの解決にもならない。

 それでも、物わかり良く姉を諦める事だけはどうしても出来そうになかった。


「……あまり困らせてくれるな。そんな事を言われては決意が揺らぐ。……ミズチ様」


「ああ」


 湖から流れ落ちる水の束が軌道を変えて望に向かって落ちてくる。

 頭上から叩き落とされた水の衝撃に思わず体勢が崩れ、そうして上下がわからなくなった。

 水に体を丸ごと飲まれ水流に良いように弄ばれる。


 どれだけの時間水に揉まれていたか、朦朧とする意識の中でべちゃり、と湿った音が聞こえた。

 どうも、湿った自分の服が地面に触れた音らしいと望は察した。

 酷い倦怠感に意識が薄れて行く。

 さよなら、と望は最後に姉の声を聴いた気がした。




─────




「……姉さん」


 一沙王は腕の中で寝息をたてる要に目を遣りそう呟いた。


「記憶を引き継いでの、生まれ変わり」


 晴れ女は本来持ちえないはずの記憶を持って生まれる、あるいは思い出すという話を一沙王は姉の朔弥から聞いている。

 かつてはそこに希望を見た。姉の記憶をもった姉の生まれ変わりと、またあの頃の生活をやり直せるのではないか、と。


 その望みは朔弥の遺した手記を読んだ夜須奈の言葉によって否定された。

 晴れ女から晴れ女へ記憶の継承が為されたと判断できる記録が無いとも、次の晴れ女が持っている記憶は朔弥の物ではないだろうとも、朔弥の遺した手記に記されていたと聞いている。


「でも、姉さんだ」


 わかっている。生まれ変わりは姉と繋がりがあるだけの他人で、姉その人ではないと。

 わかっている。要には既に要自身を大切に思う人々、要自身が大切に思う人々が居て、決して自分の姉に戻ってはくれないと。


 それでも、胸の内のどこかにある喜びと安堵を、間違ったものと否定する事ができない。

 頬を涙が伝う。一沙王は周囲の草を切り払い延焼の危険を除き、刈り取った草の小山の上に要を横たえた。


「戦……戦はどうなった」


 剣を手に取り意識を集中する。

 神としての力を蓄えたミズチが生み出した神器、ミズチの分け身である神鉄の両刃剣を介して一沙王は祈祷師との通信を試みた。


「お前一人を残して祈祷師は全滅か。知る限りの情報を頼む」


 自軍の祈祷師全てに通信を試みたが、反応があるのはただ一人のみ。

 敵の陣地内ゆえに妨害を受けているというなら手応えでそれとわかる。

 接続先が綺麗さっぱり消えている。一沙王は反応のある一人を除いて全滅したものと判断した。


「英雄もほぼ全滅しました。

 夜須奈様は逃れられたとの事ですが、未だ王の下へ辿りついておられないのなら、もう……。

 私はどうにか生き延び山を下っておりますが、恐らく王をおびき寄せる為に私だけ生かされたものと……。

 山にいる草壁の兵は全員忍者です。草壁の長が強力な陣を敷いており如何に王とてお一人では」


 全滅か、と一沙王は一言呟き体の調子を確かめた。


 まだ動ける。相当に消耗したが、まだ並の英雄を五体六体同時に相手取ったとて負ける事は無いと言い切れる。

 それでも、状況を聞く限りもう勝ちの目は無いだろう。


 勝って、それでどうなる、という思いもある。

 要には既に身を挺して守ってくれる叔父と、自己犠牲を諫めてくれる好い男が居る。

 斬って捨てるしか能のない自分が勝って、だからどうした、と。


(国造りは私にとってただの手段でしかなかった、という事か)


 戦意が失せているという自覚がある。

 未だ火の消えぬ草原は遥か遠くに在り、一沙王のもとには熱風が届く事も無い。

 風が心地よいと一沙王は思った。


(失ったものを埋め合わせる。ただその為だけに皆を巻き込んだ。

 それで最後まで走り抜けたならまだしも……私は、王の器ではなかったという事なのだろう)


 神鉄剣を通して感じられるミズチの神力が溶けるように小さくなり、やがて消えた。

 それに伴いミズチを通して繋がっていた祈祷師との通信も途絶えた。


「来たか」


 天に穴が空いた。




─────




 孝洋にとっては、地に穴が開いたと言うが正しい。

 都合三発ヤマツミハンマーを叩きつけた孝洋は、ミズチが消えた跡に残った穴にヤマツミの勧めに従い飛び込んだ。

 視界が一度完全に暗転した後一気に開ける。移動先は戦場上空、雲の直下である。


「あれかっ!」


 孝洋は落下しながら周囲を見回し、今尚火が消えぬ草原を見つけるや粒子状の結界を噴き出す事で推力を得て草原に向かった。

 移動しながら索敵を続け軌道をわずかに修正、燃えている場所から少し離れた一沙王へと目標を変えた。


「要は……死ん、ではいないな」


 雑草の小山の上に横たわる要を見つけて最悪の事態を想像したが、どうも死んでいるようには思えない。

 何故雑草を積み上げた上で仰向けに寝ているのか今一つ理解できないながらも、孝洋は着地時の衝撃に要を巻き込まぬよう結界で全ての衝撃を地面に逃がし着地した。

 一沙王と相対する。


「要は」


「怪我はない。寝ているだけだ。抱きしめていたら寝息を立てだした」


「気絶、ではなく?」


「絞め落としたりはしていない。疲れていたのだろう。寝た」


 状況に理解が追いつかない。

 要はよく眠っている。一沙王はやけにさっぱりとした様子で雰囲気もどこか柔らかい。

 ただどうやら、もう要に危害を加える気が無いらしい事は孝洋にも読み取れた。

 孝洋が困惑しながらも状況の理解に努めていると遅れてヤマツミが下りてきた。


「お久し振りです、ヤマツミ様。姉さんを──要を、少しの間預かってくれませんか」


「……ああ、かまわん」


 人質のように使うでもなく要の身を気遣う様子で引き渡す一沙王と、何かを理解した様子のヤマツミ。

 少なからぬ疎外感を感じていた孝洋に一沙王が向き直る。


「あの時叱ってくれたあなたになら任せられる。要を、よろしく頼む」


 そう言うと、一沙王は深々と頭を下げた。


 孝洋はただ一言、引き受けたと答えた。


 ヤマツミが遠くへ跳び去り、草が短く刈り取られた原っぱに二人が取り残される。

 どちらからともなく剣を構えた。


「一沙国王、川上望」


 一沙王が名乗りをあげる。


「雷神、山本孝洋」


 孝洋がそれに応えた。


「参る」




─────




 視界がゆらゆらと揺れている。心地よい振動が下方向から伝わってくる。

 何か、昔こういう事があったような。

 要はそう思いながら視界の端の夕焼け空を眺めるともなく眺めていた。


「ん、起きたか」


 前方から男の声。声に連動して伝わる、細かな振動。

 今自分が接しているこの背中が声帯の震えを直接伝えているのだ、と要は理解した。


「……父さん?」


「……」


 徐々に覚醒する意識の中、この声は誰の声だったかと考える。

 背中の匂いを嗅いで思い出そうとするに至って、要は自分が負ぶわれている事を自覚した。

 やや遅れて、声が孝洋のものである事にも気付く。


「た、孝洋さん!? ちょ、これは何が」


「ああ、落ち着いて。暴れると落ちる」


 言葉とは裏腹に孝洋は巧みに姿勢を変えながら危なげなく要を背負いなおす。

 全く堪えた様子も無く一定の速度で歩き続けた。


「経緯がよくわからないが、要さんは意識を失ったそうだ。疲れたのだろうと言っていた」


「意識を……?」


「ああ。だからこうして負ぶって要さんの家に向かっている。

 まだ山を下っている途中だからもう少しかかるが」


 何故意識を失ったのか。記憶を探ろうとして、まず戦争の事を思い出す。


「戦いは……戦いはどうなりましたか」


「勝った。郷長達がいま今日中にやる必要がある処理をしているそうだ」


 勝った、と聞いて一先ず胸を撫で下ろす。

 次いで、自分が何故意識を失ったかに思い当った。戦いの中で気絶したと考えるが妥当だ。


「私は……戦争中に一度死んだ?」


「……助けに行くのが大変遅れて申し訳ないが、死にはしていなかった。

 俺が駆け付けた時には一沙王の近くで眠っていた」


「一沙王の? ……ああ、そうか。……望」


 ようやく全てを思い出した。

 この戦で自分が体験した事。そして、かつて自分が川上朔弥であった事。


 要は孝洋の背に体重を預け、肩に顎を乗せた。


「……兄さんは」


 自分を守って死んだ叔父をふと思い出す。


「ピンピンしてるよ。

 ヤマツミ様の社まで持ってった兵器とか道具とか片付けないといけないから残るとさ。

 先につれて帰ってくれと頼まれた」


 要はそれを聞いて、ほ、と安堵の息を一つ漏らした。

 パッと見でわかる程の異常は無い。

 何かの恐怖症があとになって出てくるかもしれないが、一先ずは安心だ。


 顎を肩から外し、額を肩に乗せる。

 首を少し捻って横を見ると、山向こうに隠れようとしている夕陽が見えた。


「孝洋さん、山の端に陽が沈む」


「ん……」


 孝洋が歩みを止め夕陽に向き直る。

 二人はしばらく何も言わず、ただ沈みゆく夕陽を眺めた。


(あれを見る度に思い返される遠き日の情景。それは、今生での経験に由るものではない。

 ……川上朔弥としての記憶を得た事でこれから一層そういう事が増えるだろう。私は──)


 私は、私なのだろうか。

 どこからどこまでが自分なのか。何を以て自分とするか。楠本要にはそれがわからない。


「孝洋さん」


「ん?」


「名前を呼んでくれ」


 不安でしかたがなかった。

 これまで十数年かけて築いてきた『楠本要』が、あっという間に壊された。


「私の名前を呼んで欲しい」


 おおよそ同じだけの長さの、三つの人生。楠本要はその内の一つでしかない。


「要……さん」


「さんを付けずに」


 どうにか日本人としての過去世と今の自分を切り分けて、ようやく自分のかたちを把握し始めたばかりだったのに、と要は思う。

 克服したと思った問題がより大きくなって目の前に現れた。

 いささか心が弱るも止む無しといえる。


「要」


「もう一度」


「要」


「……もう一度だけ、頼む」


 つまらない事をしている、と思う。

 この手の戯れは要も苦手とする所で、意味の無い繰り返しに何度も付き合わされる事には苦痛を覚える。


 意味が無い。

 わかっている。結局、この種の問題は一人で向き合い一人で解決するほか無い。

 付き合わされる孝洋はいい迷惑だ。


「いや、つまらない事を言った。忘れて──」


「要。楠本要だ」


「……」


「君は、楠本要だ。俺が保障する」


 何故、と疑問を抱き、そういえば前世の記憶があると明かしていたのだったと思い至る。

 心を見透かされたように思えて要の顔が熱を帯びた。


「俺がついている。次郎さんだってついている」


「……うん」


「要はまだ子供だ。前世と併せて何十年生きていようと関係無い」


「うん」


「苦しければ俺を頼れ。俺はそれに必ず応える」


「……はい」


 力強くそう言い切った後、いや今回は間に合ったとは言えないが、などと小さな声で孝洋が何やら言っていたが要はそれを聞き流した。


(……あれ、あの樹、まだ桜が咲いてる)


 ふと目について周囲を見回すと花を残した桜木が所々に見える。


(他の桜はもうすぐ花も終わりといった風情だが……あれだけ、まだ七分咲きにもなっていない)


 もう四月も下旬に入っている。標高も然程高くはないこの場所でこれ程遅咲きとは珍しいな、と要は思った。


(……ああ、でも山桜はこんなものか。

 品種もまちまちで開花時期はばらついていて、一斉開花して一斉に散ったりはしない。

 知識で知ってはいても……山に、それも桜の時期に入る機会なんてまだ数える程だから)


 どうにも日本人の尺度で物を見る癖が抜けないな、と要は苦笑した。


(まだ子供。その通りだ。私はこちらについて知らない事が多すぎる)


「孝洋さん、桜」


「うん? ……ああ、綺麗だな」



 遅咲きの桜の花弁がひとひら、風に舞った。

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