019 雨
「――川が」
最初に異変に気付いたのは孝洋であった。
戦闘の余波ですっかり透明度を失いながらも絶えず流れ続けていた川が、急速に枯れて泥濘へと変わってゆく。
そしてそれに対応するように、ミズチの頭上にもやが現れ瞬く間に黒雲となった。
「勝負を決めにきたか」
ヤマツミが呟くと同時、空一面に広がった黒雲から無数の水流が放たれた。
人を容易く飲み込むだけの直径を持った水の矢が一直線に飛来し大岩に穴を穿つ。
土砂降りの雨のように間断なく降り注ぐその全てに、充分な量の神力が籠められていると孝洋にも感じ取る事が出来た。
「長期戦を捨てたな。確かに私相手にならば有効な技だが――」
躱す余地も無い雨の中、雨傘がぽつんと浮いている。
傘の下、ヤマツミの周辺に限り雨は無く、泥はねすら届く事は無い。
山が削り取られ奇岩の林立する沼地へと変貌してゆく中、傘の下だけは雨が降る前の姿をそのままに留めていた。
突然に辺り一面が白く染まり、遅れて轟音が響く。
ミズチが昏倒し派手な地響きが起きた。
「雷も一応効果はあり、か。回復中枢とやらには効かなくとも動きを止める事はできる」
孝洋はそう言うと震えながらも身を起こすミズチにもうひとつ雷撃を見舞った。
草壁の見る目は確かだったようだ、とヤマツミはぽつりと呟いた。
「水分りを使わせて神力を削り取る算段だったのだろうが、神力の消耗も無く防がれてはどうしようもなかろう。
こちらも攻めあぐねているが、向こうはそれ以上に攻め口が無い。膠着状態だな。
あとは草壁達が勝てると良いのだが――」
「戦況はどうなってます?」
「予定通り山に引き込んだそうだ。英雄は半数以上の温存に成功、村人に少数の死傷者」
「……死者が出ましたか」
「端からそのつもりで、そういう作戦だと知った上で参戦した者達だ。気に病むな」
「そうは言ってもですね」
雷を落とす度にびくんびくんと痙攣するミズチを眺めながら孝洋は策を練る。
(さっさと倒すなどと言っておいてこのざまか)
気が急いて仕方が無いが、攻め口が見つからない。
物理的に破壊する事が一応は有効である以上、時間さえあれば倒す事は出来るだろう。
ただし手早く倒すとなると、操れる神力量の少ない孝洋では難しい。
必然、攻撃面ではヤマツミを頼らざるを得ない。
鉄の鎧を孝洋が削りヤマツミが体当たりで神力を削る、という攻撃方法は有効ではあるだろう。
しかし傷口から槍が生えてくるのでは、そこに体当たりをするヤマツミも傷を負う事になる。
カウンターですら無いただの一突きで、ヤマツミが纏っていた土の鎧が砕かれ深い傷を負ってしまった前例がある。
体当たりにカウンターを合わせられればどうなるか。
(物理的なダメージは結界で防げても、神力を流し込まれるのが防げない。神力を遮断する結界を張ってはヤマツミ様側からも神力が流せなくなる。攻撃の瞬間だけはどうしても敵の神力に対しても無防備になってしまう。……自分一人の身なら守る自信はあるが、ヤマツミ様の巨体を守る程の結界をそこまで速く切り替えできるかどうか)
「動きを封じている今が攻め時ではないのか」
「どうでしょう。
あの状態でも水流撃ってきてますし、鉄の操作も問題無さそうな――と、効かなくなったか」
雷を受ける度に倒れ伏していたミズチが、震えながらも起き上がる。
起き上がるまでの間に何度か雷が直撃しているが、僅かに反応するだけで倒れる様子が無い。
孝洋にはミズチの体が少し膨らんだように思えた。
─────
「なんでこっちを追いかけてくるんだ!」
「私に聞かれてもわからん!」
要と次郎は高速で駆ける一沙王から二人乗りの小型車に乗って逃走していた。
山中で遠目に一沙王を発見した要は咄嗟に試作段階であった車を取り出し、結界で強引に道を仮設して山を下った。
不整地でもある程度は走れるが、小回りが利き三次元機動が出来る英雄と山の中で追いかけっこが出来る程の性能の乗り物では無い。
英雄の殆どが山に入った今なら、平野を高速で逃げ回るのが一番生存率が高いと要は踏んだ。
その逃走の過程でどうやら一沙王に発見されたらしい。
逃走開始前から見つかっていたのかもしれない。
「速度では微妙にこっちが勝っているが……っ!」
「差が縮んできてるじゃねーか!」
「仕方ないだろう! こっちは障害物避けなきゃ駄目なんだから!」
平野と言っても段差もあれば木々や岩のような障害物もある。
走りながらも進行方向に道を生成できるとはいえ、あまりに背の高い障害物は迂回せざるを得ない。
試作段階ゆえに操作性が悪く大回りを余儀なくされるこの車では、岩を飛び越え木々の間をすり抜ける一沙王に差を詰められるのは仕方のない事と言えた。
(カートリッジが切れる! やはりこれは魔力を食いすぎる……!)
英雄に対抗できるだけの速度で不整地走行をするには、現時点の車の性能では道路を敷きながら走る他無い。
そして未だ試作段階のこの車には不要になった道路を魔力に還元する機構が無い。
長距離対応連弩一号とは消費する魔力のケタが違う。
「脱出!」
要がレバーを引くと車が消滅し、膝丈程の草原の上に繭状の物体が二つ投げ出された。
繭はごろごろと地面を転がり、回転が止まってしばらくたって中身を残して解けるように消え始めた。
解けた繭の中から要と次郎の姿が現れる。
「……これ以上は逃げられん」
「スラスターは!?」
「凡人の身体感覚では使い物にならん」
「何か無いのか!? 爆弾か何か!」
「持ってはいるが、恐らく効かん」
要の頭にあったのは爆風を――衝撃波を斬り分けて進む一沙王の姿。
要の手持ちのカードでは、何を切っても勝てる気がしなかった。
(……いや、ひとつあるにはある。あるが――)
要は胸元に手を遣り、自作の首飾りを握りしめた。
「……斬られる前に一つ伺いたい。なぜ郷長の居る山を離れて私を追った」
要の見るところ、要の生き死には戦況に然程影響を及ぼさない。
最優先で撃破すべきは大将である郷長であり、最大戦力の一沙王が直々に要を追うというのは要にはどうにも腑に落ちなかった。
追うにしても部下に追わせれば良い事だ。
「あなたは何をするかわからない」
道を譲るように左右に別れて倒れていく草の中、さくさくと音を立てて一沙王が無造作に進む。
「この年になって尚私が最も尊敬し、最も恐れるのは亡き姉だ。
あなたは姉に似ている。理由はそれで充分だ」
「なぜ、あの直線で追いつこうとしなかった?」
一沙王の歩く速度が僅かに変わる。
「先に見せたあれを」
(……効いたか?)
「目で追えぬ程の速度を出して見せたあれを使えば、もっと早くに追いつけた」
(揺さぶりが効くのか? 当てずっぽうでも言ってみるものだ……!)
一沙王の足が完全に止まった。
たとえ戦後に蘇生するにしても、できれば斬られたくは無い。
その一心で苦し紛れに発した言葉が一沙王の何かに触れたらしいと要は受け取った。
「神の戦がどのように推移しているかは知っているのだろう。
万金の価値ある時間をなぜ浪費する」
(――いかん、これでは手早く斬れと言っているようなものだ。方向修正を)
「……姉と重ねて見ているといったな」
姉に似ている、姉を尊敬しているというキーワード。
姉の死去によって解消できなくなった姉妹間の確執か何かを決着させる為の代償行為として、要という生贄を欲している――と要はあたりをつけた。
「冷静さを失っているように見受けられる。最優先で追うべきは郷長だろう。
英雄の王たる者のその勘で、おおよその居場所はわかっているんじゃないのか」
(よし、こうして揺さぶりをかければ…………何かの足しになるんだろうか?
――いや、まだだ、諦めるな!
口八丁で見逃して貰える可能性は――まず無い。
隙を見つけて反撃は――有効な攻撃手段が無い)
せめてある程度の時間一沙王の攻撃をしのぐ手段があれば優先目標を郷長に書き換える事もできただろうに、と要は奥歯を噛み締めた。
現状、要を仕留める上で障害らしい障害が無い。
要をさくりと斬り倒して、それから郷長のもとへ向かえば良い。
わずかに時間を稼ぐ事は出来たが、そこから回生に持ち込む方法がどうにも存在しない。
冷静な自分を自分に向けて演じて、無理矢理に震えを抑え込むのも限界に近い。
(この首が)
一瞬後には宙を舞っているのだろうかと、要は視点をそのままに自分の首に意識を向けた。
(しんがりを任された彼のように)
首周りがひどく心細く感じられた。
実際に、自分と相対している一沙王が今も手に持つその剣で、人の胴と首が泣き別れたのを要は目撃している。
嫌になる程に生々しく、自分の首が飛ぶ様が想像出来る。
冷や汗が出て頭皮がぴりぴりと痛む。現実と想像の境界が曖昧になってきた。
「冷静ではないかもしれない。だが、私はあなたを」
は、と我に返る。
どうやらまだ自分は生きて一沙王と会話をしているらしい、と要はどうにか現実を認識した。
目前の敵に対して最大限に集中しているつもりであるのに、まるでまどろんでいる時のように脳が現実を遮断しようとしてくる。
一沙王の姿がゲシュタルト崩壊を起こし、要にとってはなんだかよくわからないものとしか認識出来なくなっていた。
「ここで斬っておかなくては、先に進めない」
ざく、と草を踏みしめる音を立てて一沙王が歩みを進める。
(最悪、ここで死んでも蘇るのだ)
これからいよいよ死ぬにあたってそれだけが救いだった。
死ぬ程痛い思いをするかもしれない。
二度と味わいたくないような不快な感覚を味わう事になるのかもしれない。
しかしそれでも、人生がここで断ち切られる訳では無い。
「あなたはもう二度と矢面に立つ必要は無い」
(……本当に生き返るのだろうか?)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
(前例はある。――しかし再現性について絶対の保証は)
「私は強い――あなたの力を必要としない程に!」
身の危険故に感覚が研ぎ澄まされたか、それとも一沙王が平静を失っているからか。
一沙王が斬りかかる瞬間が要にも知覚出来た。
身が竦み、避けなくてはと思うもののぴくりとも体が動かない。
そんな要の体を押しのける者があった。
押し倒されて数回地面を転がり天地も定かで無い要の顔に、ぱたぱたと何か降るものがある。
混乱しながらどうにか身を起こした要の目に映ったのは剣を手にしたまま動きを止めた一沙王と、その視線の先で血を流して倒れている次郎の姿。
要は声にならぬ声を上げ、握り込んでいた首飾りを破壊した。




