#48 ダンデの兄のような異形
「あれがシュラムだ」
小声でアルヴェアーレが教えてくれる。この人が、と五十鈴の口が動いた。
彼の見た目は人間のそれだった。ダンデたちと同じように、人間に見える幻影をかけているのだろうか。
そう思いながら様子を見ていると、
「……さて、せっかく来てもらって悪いが、俺が招待したのはダンデのお嬢様だけ。他の二人は帰ってくれるかな」
シュラムは五十鈴を見つめたまま、淡々とそう言った。
「そう言わないでくれ。私は誕生日は大勢で祝いたい方でね。うちの従業員のことなら、なおのことだよ」
「へぇ、お節介」
「誉め言葉だねぇ」
「そう聞こえるのなら、前より耳が遠くなったようだ」
「ハハハ、君は口がより悪くなったようだね」
無表情のシュラムと笑顔のアルヴェアーレ。
お互いに向けた視線がぶつかりあいバチバチと火花を散らす。
遠慮のないやり取りだが、そこからは決して良好そうな雰囲気は感じられない。ダンデとリカントが口喧嘩をする時の方が、まだマシに見えるくらいだ。
やり取りを続けていくうちに、二人の間に流れる空気はどんどん悪くなり、様子も険悪になっていく。
口を挟む暇もないくらいすらすらと出る嫌味の応酬を、五十鈴がハラハラしながら見守っていると、
――ぴちゃん。
と、再び水の雫が落ちる音が聞えた。
心なしか先ほどよりも音が大きく、近い場所で落ちたような気がする。
するとシュラムがちらりと五十鈴を見た。
「……まぁ、いいか。十分かかっているし」
「何だと?」
「言っただろう? 弟の誕生日会に必要なのは一人だけだ」
そう言ってシュラムは五十鈴の方へ顔を向け、ゆっくりと腕を持ち上げる。そのまま真っ直ぐに伸ばされた指先は、射貫くように五十鈴の顔を指していた。
「ダンデの居場所を教えてもいい。ただし、行けるのはお前だけだ。藤原五十鈴」
「わたくしだけ?」
「ああ」
シュラムは頷き、伸ばした方の手の指をパチンと鳴らした。
――ぴちゃん。
すると、またあの水の音が鳴る。
このタイミングで鳴ったというなら、どうやらこの音を操っているのはシュラムのようだ。彼は軽く首を傾けて、僅かに目を細くした。
「音が聞こえるだろう? 弟のいる場所には、その呪いがかかっている者しか辿り着けないようにしていてね」
「それなら、それを俺たちにかけろよ」
「いやだね。招待してもいない無作法な相手に、かけてやる優しさはないよ」
「ふむ、ならば却下だな。罠が張ってあるのが分かっていて、五十鈴一人を行かせるはずがないだろう」
「それじゃ、弟はあのままだ。かわいそうに。きっとそろそろ腹が減ってくるころだろうね」
「――――!」
同情心の欠片も感じられない声で、シュラムは淡々とそう告げる。
とたんにアルヴェアーレとリカントの顔色が変わった。
お前、と二人の口が動く。怒りと殺気が二人の体から膨れ上がって、その苛烈な気配に五十鈴はびくりと肩を跳ねさせた。
「ああ、勘違いしないでくれ。まだ、だよ。まだ。そろそろと言っただろ?」
でも、とシュラムは続ける。
そこで初めて、今まで無表情を貫いていたシュラムの表情に変化が起きた。
唇の端がニィと上がり、五十鈴が異界で何度も見てきた、異形らしいあの底冷えのする笑みが、彼の端正な顔に浮かぶ。
「今すぐ決断しないと、間に合わないかもな。俺はその方が良いんだけどさ」
「…………わ、分かりましたわ!」
彼らの会話を黙って聞いていた五十鈴は、ぱっと右手を挙げた。
分かった、とは言ったが、本当は何一つ分かっていない。三人の会話が何を示しているのかさっぱりだ。
けれどもこのままだときっと埒が明かない。そしてこのまま放置していたらダンデが危険、というのは確かなのだろう。
(異形さんにとってお腹がすくということは、たぶん、言葉以上の意味があるのですわ)
アルヴェアーレとリカントがここまで表情を変えたのだ。きっと良くないことになる。そしてそれはダンデにとって取返しのつかないことになりかねないのだろう。
それならば条件として提示されている自分が行くしかない。
五十鈴はぐっと拳を握り、シュラムの目を真っ直ぐに見つめ返す。
「ダンデさんはどちらにいらっしゃるの?」
「よしなさい、五十鈴。どう考えも罠だし、君の場合は別の意味で危険だ」
「だ、大丈夫ですわ。お守りもありますし、それに……」
五十鈴は胸に手を当てる。そして一度目を閉じて、すうと息を吸い、
「ダンデさんに会えば、何とかしてくださいますわ!」
――などと、他力本願極まりないセリフを言い放った。
アルヴェアーレとリカントは呆気に取られて口を開け、シュラムは「何だこいつ」とでも言うような、冷ややかを通り越して氷点下以下の目をしていた。
「……センパイ、それ堂々と言うことじゃねぇっすよ」
「まったくだよ」
「ふ、二人して言わないでくださいまし! でも、別に希望的観測でも、楽観視しているわけでもありませんわ。だってダンデさんはずっと、わたくしにとってそうでしたもの」
五十鈴はダンデと出会って、まだ半年も経っていない。けれどもその間ずっと、どんなに場所でもダンデは執事として付き添ってくれた。そして大小様々な危険から守ってくれていたのだ。
だから今回だって、ダンデと会えばきっと大丈夫。五十鈴にはそんな確信がある。
「……どうでもいいけど、行くんだね?」
先ほどの五十鈴の発言で妙な空気になってしまったからか、シュラムが不愉快そうな、一段と低い声で訊いてくる。
もちろん、と返事をする前に、五十鈴はまずアルヴェアーレを見上げた。
「……ふう」
彼女は物言いたげな様子だったが、少しして小さく微笑んで「分かった」と頷く。
「お守りは確かにあるが、あまり過信はしないように。何かあればすぐに逃げなさい。くどいようだが、君は異形にとって極上のごはんなのだから」
「美味しくいただかれないように気を付けますわっ!」
五十鈴は力強く答えてみせると、シュラムの方へ体を向けます。
「行きますわ!」
「オーケー。それじゃあ、あの水槽の前へ歩いて」
シュラムはちょうど五十鈴と自分の中間点にある、ひと際大きな水槽を指さした。
水槽の中身は他と同じ。澄んだ水で満たされた中に、水草がゆらゆらと揺れている。
そこに扉や入り口があるようには見えないが、先ほど彼は呪いがどうのと言っていた。メッセージカードの浮かび上がった文字と同じく、何かしら仕掛けが施されているのだろう。
五十鈴は緊張しつつ、それでもしっかりとした足取りで指定された位置へ向かう。
すると、ぴちゃん、とまた音がした。
ぴちゃん、ぴちゃん。
先ほどよりも短い間隔で、水の滴る音が聞こえる。
(――――あ!)
そうしていると、水槽に変化が起こり始めた。
青い照明に照らされて淡く輝いていた水槽の水が、ザッ、と黒色に変化したのだ。
「…………!」
どうやらそれはアルヴェアーレたちにも見えたらしい。二人が息を呑む音が聞こえる。
ぎょっとはしたが、五十鈴は歩みを止めない。
すると次は水槽のガラスに白い線が走り始めた。その動きを目で追っているうちに、線は縦長の長方形を描く。
ドアだ、と五十鈴は思った。
その瞬間、長方形の内側のガラスがパッと消える。
しかし、そこから水槽の水は零れ出てこない。
「そのまま進んで」
シュラムが告げる。
五十鈴は「はいですの」と答えると、一度も止まることなく、その中へと入って行った。




