#46 異界のビルのエレベーター
暗闇に本物の口があるとしたら、きっとこんな雰囲気なのだろう。
そんなことを考えながら五十鈴は、薄暗いビルの中へと足を踏み入れる。
(オフィスビル……という感じですわ)
中を覗いて、まず最初に浮かんだ印象はそれだった。
照明が落ちて薄暗くなっていること以外は、中はごくごく普通のオフィスビルのようだった。外観と同じく内装もすべて黒系統で統一されている。
そんなビルの内部を、空中をふわふわと漂うように飛ぶ文字について歩く。
エントランスホールから廊下へ、そしてその途中にあるエレベーターへ――その間に異形の襲撃が一度も起きないことを五十鈴は意外に思った。ビルの窓にあれだけびっしりと張り付いていたのだから、少なくとも何匹か襲い掛かってくるだろうと警戒したが、それがまったくない。
静けさの中を歩き、エレベーターに乗り込んで五十鈴は首を傾げた。
「異形さんには全然遭遇しませんわね」
「シュラムが統制しているんだろうねぇ。カリスマがあって何よりだよ」
「カリスマっていうか、単純に怖いんじゃないっすか?」
「ま、それもあるかもねぇ」
五十鈴を挟んで会話をする二人。ダンデの兄にあたる異形はどうやら怖いらしいが、どうにもイメージが浮かばないなと五十鈴は思った。
何せ、あのダンデの兄弟なのだ。優しく、気さくて、時々ちょっと様子がおかしくなることはあるけれど、ダンデは基本的に紳士的だ。そのダンデの兄のような異形となると、どうしても「怖い」と結びつかない。
(シュラムさんって、どんな方なのでしょう?)
そんなことを考えながら、エレベーターの操作盤を見つめる。上部に表示された現在位置は、七階、八階、九階と、どんどん数字が大きくなっていた。
実のところ五十鈴たちは、このエレベーターが何階へ向かっているか知らない。乗ったとたんに動き出したものだから、行き先がまるで分からないのだ。
異界ということも併せて考えると、ドアが開いた先に、まったく違う風景が広がっている可能性だってある。
「そう言えば……エレベーターに乗ると違う世界へ繋がるというお話を聞いたことがありますわ」
半年くらい前に果歩とした怪談話を思い出し、五十鈴は何となく口を開く。
「ふむ。ま、確かにあるにはあるな」
「まあ! 本当にあったお話ですの?」
「ああ。それの仕組みはね、君たちの世界と異界を繋げるあの扉と一緒だよ」
そう言って、アルヴェアーレは天井を指差した。
指の動きにつられて五十鈴とリカントも上を見る。何の変哲もない、しかしよく掃除されたエレベーターの天井だ。
アルヴェアーレは小さく笑って「その上だね」と続ける。
「エレベーターの昇降路内さ。そこにたまたま扉が出てしまい、運悪く昇ってきたエレベーターが通過し、異界へと行ってしまった。あれはそういう話なんだ。うちでも何度か助けに行ったことがあるよ」
「あー……そういやあったっすね。大変だったわ……」
「そうなんですの?」
「ああ。ダンデがエレベーターに挟まれてさ」
「挟まれたっ!? だ、大丈夫だったんですの!? あっ、いえ、大丈夫だからダンデさんとお会いすることができたのですけれど」
「センパイ、ぎょっとしたりほっとしたり忙しいっすね」
「あうう……!」
おろおろとしていたら、リカントからツッコミを入れられてしまった。
だって心配だったのだ。五十鈴が情けない顔をしていると、アルヴェアーレがくすりと笑って「大丈夫」と頷く。
「日本の製品は優秀で良かったよ。ちゃんと安全装置が働いてくれたからね」
「な、なるほど……!」
「それにダンデなら、手足が吹っ飛んだ程度なら、すぐに再生するから問題ないっすよ」
「そ、そうなのですの……いえ、そちらは問題があるのでは!?」
「異形なんて大体そんなもんっすよ」
呑気に言ってのけるリカントに五十鈴は愕然とする。
しかしアルヴェアーレも特に何も言わなかったので、本当にそうなのだろう。
(あ、だからダンデさん、異形さんを討伐する時は、念入りになさっていたのですね……)
これまでの異形討伐の諸々が脳裏に浮かぶ。
ダンデはいつも、異形が体を起こせないくらいに弱るまで徹底的に攻撃を続けていた。異形の危険性を熟知しているからこそ、慎重にやっているんだろうなと五十鈴は思っていたが、当たらずも遠からずだったようだ。
――そんな話をしていると、エレベーター内にチーンと音が響いた。
どうやら目的の階に到着したようだ。操作盤を見れば、十九という文字が表示されている。最上階より一つ下だ。
「何か中途半端な階っすね」
「ああ」
ドアがすう、と開かれる。
その先には照明の消えた暗い通路が続いていた。
「あっ」
真っ先に飛び出したのは、五十鈴たちをここまで案内してきた文字だ。
相変わらずのふわふわとした動作で、文字は空中を飛んで暗闇の中へと沈むように進んで行く。
「行くしかあるまい。二人とも、十分気を付けなさい」
「うす」
「はいっ」
アルヴェアーレの言葉にしっかりと頷くと、五十鈴たちはエレベーターを降りて文字を追った。




