#45 ビルから降り注ぐ眼差し
手紙について話を終えた後、三人は五十鈴の家へと向かった。
リカントから「五十鈴センパイんちに、異界へ繋がる扉がありました」と報告があったからである。恐らくそこからダンデは異界へと連れて行かれたのだろう。
門をくぐって中へ入ると、リカントは真っ直ぐに桜の木へと向かった。その桜は五十鈴が生まれるよりもずっと前から庭に立っていたものだ。この桜もすっかりおばあちゃんなんだよと祖母が言っていたのを五十鈴は思い出す。
その桜の幹に薄っすらとしたノイズが走っていた。目を凝らさないと分からないほどに微かなそれを、よくリカントは気付いたものだ。
「リカントさん、すごいですの……! この辺りも見て回ったのに、まったく分かりませんでしたわ」
「まぁ、俺、鼻はいいんで。これだけ薄けりゃ、人間が見分けるのは無理っすよ」
リカントはそう言うと、胸元から砂時計のペンダントを引っ張り出して、桜の木に近付いて行く。ダンデが持っているのと同じものだ。
リカントがその砂時計を指で摘まんで前へ差し出すと、幹に走っていたノイズがとたんにはっきりとし始め、やがて異界への扉が姿を現した。
「これでよし……っていうか、オーナーも本当に行くんすか?」
リカントは顔だけアルヴェアーレに向けてそう訊いた。
心配だからというよりは、確認の意味合いが強い。リカントは店を出る時も同じことを訊いていたが「オーナーが来ると大事になる……」ともつぶやいていた。
その不安そうな声が聞こえてしまった五十鈴も、彼女がついて来ると何が起きるのかと戦々恐々としている。
そんな従業員たちの内心を知ってか知らずか、アルヴェアーレはその美しい顔をふわりと綻ばせ、
「もちろんだとも、従業員の危機だからね。カフェで呑気に珈琲を飲んでいるわけにはいかないさ。それにダンデが不在の分、五十鈴の護衛も必要だ。というわけで、安心してくれたまえよ、五十鈴。私がしっかり守るからね」
なんてウィンク付きで、胸を叩いて宣言する。
これには五十鈴もノックアウトされた。
「…………!」
何せ、強烈なまでに美人なアルヴェアーレからの突然のご褒美だ。
五十鈴は雷に打たれたかのように硬直すると、胸を押さえてよろよろと二歩ばかり後ずさった。
「し、心臓を撃ち抜かれたかと思いましたの……! アルヴェさんはおモテになりそうですわ!」
「ふふ、いいねぇ、その反応。うちの子たちはこういうかわいげがないんだよなぁ~」
「ハイハイ、馬鹿やってないで行きますよ」
リカントは「付き合ってられるか」と言わんばかりの様子で、狼人間の姿に戻りながら、異界への扉へ近付く。そして五十鈴たちを振り返りもせず、さっさと中へ入ってしまった。
「あっ待ってくださいですの!」
慌てて追いかける五十鈴。その後ろをゆったりした足取りでアルヴェアーレも続いたのだった。
* * *
扉をくぐった先にあったのは、高くそびえ立つ漆黒のビルだった。
壁も窓も、すべてが色調の違う黒色で統一されている。異界の空が、深く濃い夕焼けの色ではなく夜だったら、景色に溶け込んで見えなくなっていたことだろう。
「うわぁ……」
見上げて、五十鈴はポカンと口を開ける。ビルの窓を縦に数えてみたところ、地上二十階はあるだろうか。
「いつもと違いますわね」
これまでに五十鈴が訪れた時の異界は、扉をくぐる前とほぼ同じ光景が広がっていた。つまり、ここにあると予想していたのは五十鈴の家なのだ。
しかし、それがない。そのことを意外に思いながら五十鈴がビルを眺めていると、ふと、窓のところで何かが動いた気がした。
「…………?」
何だろうかと、五十鈴はじっと目を凝らす。
ややあって、それが人の形をした影のようなモノであることに気が付いた。
足元にできる影法師。その顔の部分に、ぎょろっと丸い目が二つ付いている。あれも異形だろうか。
妙に印象的なその目は、じっと下に向けられている。何となく目が合った気がして、少し気まずく思った五十鈴は隣の窓へ視線をずらす。
するとそこにも同じ影があった。
「…………あっ」
違う、と五十鈴はすぐに思った。
そこにも、ではなかった。よく見ればどの窓にも、同じような影がびっしりと張り付いている。そしてその影たちは皆一様に下を見下ろしていた。
目を逸らしても逸らしても、不自然なまでに目が合う。
――こちらを見ているのだと五十鈴はすぐに気が付いた。
「これはまた大層な歓迎だなぁ」
同じようにビルを見上げていたアルヴェアーレが、やれやれと肩をすくめる。茶化すような声色だが、その顔は決してふざけているものではなかった。警戒しているのだ。
「五十鈴、メッセージカードを見せてくれるかい?」
「はいですの!」
アルヴェアーレに頼まれて、五十鈴は慌ててポケットから先ほどのカードを取り出す。またふわりと白檀の香りがした。メッセージカードについていた香りはまだ薄れてはいないようだ。
非現実的な世界にいて、自分の日常を思い出させてくれるその香りに五十鈴は何となくほっとしながら、カードをアルヴェアーレへ差し出した。
「ん、ありがとう。……さぁて」
アルヴェアーレはカードを受け取ると、ビルに向かって印籠のように掲げる。すると、どうだ。メッセージカードの文字が淡く光を放ち始めたではないか。
「わあ……!」
何だか魔法みたいだ。そう思う五十鈴の視線の先で、光る文字は、まるでシールが剥がれるようにぺらりとカードから離れて空中に浮かび上がる。
文字は、ほんの僅かでも触れれば千切れてしまいそうな儚い厚さで、ビルへ向かってふよふよと飛び始めた。
「あら、まぁ……」
五十鈴は驚きながら、文字の動きを目で追う。
そうしていると、文字は少し進んだところでぴたりと停止した。
「停まってしまいましたの」
「案内用のものだからね。ある程度離れると、ああして待っていてくれるんだよ。ま、送られた相手がいなければ、何の反応も示さないんだけどね」
「お、お利口さんですの……!」
思わず五十鈴が褒めると、不思議なことに文字は、空中でぴょこんと軽く跳ねた。まるで喜んでいるかのようなその動きに、五十鈴は目を丸くする。
「あの、あれって異形さんでは……ないんですのよね?」
「違うな。あれは単純にそういうもんなんで」
リカントの言葉に、五十鈴は「そうなんですの……」と感心した。異界には知らない色々がまだまだたくさんあるようだ。
「ま、行ってみますかね」
「そうだな。五十鈴、私から離れないようにな」
「は、はいですの!」
リカントとアルヴェアーレが歩き出したのを見て、五十鈴も急いで彼女たちを追う。数歩進めば、空中で停止していた文字も再び動き出した。
(本当に不思議ですの。それに……)
歩きながら、ちらりと上を見上げる。窓に張り付く異形たちは、相変わらずこちらをじっと見つめている。
その中の数匹の異形が、舌なめずりするように口を動かしたのを見て、五十鈴はサッと視線を逸らした。
(こ、怖くはありませんわ……!)
いつもより数が多いだけ。それだけのことだ。
五十鈴は小さく深呼吸をすると、胸の中に湧いた恐怖心を追い払って前を向く。
その先は、ちょうどビルの入り口になっていた。




