#39 努力に違いはないですの
五十鈴がカフェ・フロストで働き始めてから、しばらく経ったとある土曜日。
その日の空は重たるい曇天で、小雨がしとしとと降っていた。
五十鈴が聞いたラジオの天気予報によれば、今週末は土砂降りの予定だったのだが、上手くずれてくれたようだ。
(お出かけの予定だったから良かったですわ)
五十鈴はほっとしつつ、お気に入りの向日葵柄の雨傘を両手で握り直した。
今日は学校もカフェ・フロストでのアルバイトもお休みなので、五十鈴は雑貨を買いに出かけていた。
雨が酷い様子なら来週にするつもりでいたが、このくらいの降りならば問題ない。良かったと思いながら、五十鈴は隣へちらりと視線を動かした。
そこには黒色の傘をさしているダンデの姿がある。彼は護衛として、そして執事として、五十鈴の買い物に付き合ってくれているのだ。
「お嬢様の大量の荷物をお運びする……執事あるあるシーンです! 是非やりたい!」
五十鈴が声をかけたところ、彼はそんなことを口走り、大喜びでついて来てくれた。
しかしそこまで大量の買い物をするつもりがなかったため「片手で持てるくらいですの」と五十鈴が伝えたところ、ダンデは若干ショックを受けていた。
しかしそれでも「荷物持ち……イイ……!」などと胡乱な言葉をつぶやいていたので、まぁいいかと五十鈴は思っている。
「どうなさいましたか、五十鈴お嬢様?」
人間頭の彼の横顔を五十鈴が何となく眺めていたら、視線に気が付いたダンデが顔を向けた。
その目は陽だまりのように温かい。
ダンデは出会った時から五十鈴に優しかったが、その時よりもさらに表情が柔らかくなっている。
魚の異形の一件の後から、甘やされていると感じるほどにダンデの態度がより優しくなっていた。
「いえ、何でもありませんの」
どうしてだろうと思いつつ、敢えて訊ねるほどでもないので、五十鈴は笑って首を横に振る。
それから「もうしばらくしたら梅雨の時期ですわねぇ」と違う話題を口にした。
「そうでございますね。そうなると、やはりお迎えに車がほしくなります。くっ、私が異形でなければすぐにでも……!」
ダンデは悔しそうにギリリと奥歯を噛んだ。
車についての話はこれまでにも何度か出ているが、ダンデはまだ運転免許が取れないらしい。
ダンデが勉強不足だからとか、費用がどうとかそういう話ではなく、単純に彼が異形だからである。
異形の彼が免許を取得するために必要な根本的な部分が、今の法律では難しいのだ。
この国では異形も免許の取得は出来る。
何でも国のお偉い方の一部は、異形の存在について知っていて、特定の交換条件で便宜を図ってくれるらしい――というのを五十鈴は先日アルヴェアーレから聞いて仰天したものだ。
(それがカフェ・フロストへ届く異形さんの討伐依頼……)
実のところ、この国で時折起こる原因不明の神隠しや不審死には、異形が絡んでいるものがあるらしい。
そしてただの人間が異形に対抗することはほぼ不可能。
その対抗策として国は、人間に対して友好的な異形と連携を取って対処している。
カフェ・フロストへの異形討伐の依頼はその一つで、報酬以外にそこで出来た繋がりと信用をもとに、各種の手続きが可能となるのだ。
そんな事情で異形でも正式な手続きを取れば、時間こそかかるものの、運転免許を含めた各種資格の取得は可能なのである。
もちろんそのためには、人間と同じく教習所へ通ったり、試験を受けて合格する必要はあるけれども。
「はぁ……許可が下りるまで、まだ半年かかるなんて……」
ダンデは嘆きながら、傘を少し傾けて、小雨が降る灰色の空を見上げた。
憂いを帯びた端正な横顔に、雨の雫がぽちゃんと落ちて、まるで涙のように頬を伝った。
「ねぇ、あの人かっこいい!」
「すごいね、何かの撮影中かな……!?」
そんなダンデを見て、すれ違う人たちは振り返る。きゃいきゃいと華やいだ声を上げる人もいた。
五十鈴の通う学校でもあった反応だ。あちらの場合は、さすがに毎日見ているから慣れもあって、今ではとても落ち着いているけれど。
とは言え、ダンデが目の合った生徒ににこりと笑いかけたり、手を振り返したりしていれば、その都度楽しそうな声は上がるけれど。
「ダンデさん、とてもおモテになりますわねぇ」
「ハッ! 五十鈴お嬢様、もしやそれは嫉妬でございますか!? ご安心ください、このダンデ・ライオンは永久にお嬢様だけを……」
「違いますの」
「手厳しい……しくしく……」
五十鈴がすっぱり否定すると、ダンデはわざとらしく泣き真似をした。
それを見て五十鈴は肩をすくめる。
「嫉妬はしませんけれど……でもちょっとだけ嬉しくは思いますわ」
「嬉しい、でございますか?」
「ええ。うちのダンデさんはかっこいいでしょうって。綿毛頭のダンデさんも素敵ですから、一粒で二度おいしい……いいえ、何度も美味しい方ですの!」
「お嬢様……っ!」
ダンデは片手で口を覆い、目を潤ませる。
「執事冥利につきます……! 大変光栄でございます! ああっ今日という日を五十鈴お嬢様記念日にしなければ!」
「何の記念日ですの!?」
五十鈴はぎょっと目を剥いたが、ダンデはお構いなしだ。彼は「今日で二十回目~」などと楽しそうに鼻歌を歌っている。
あまりにも多すぎる記念日の数に五十鈴は愕然とした。
しかもほとんど知らない記念日だ。どこでカウントされたのかと、五十鈴が記憶の引き出しを慌てて開けていると、
「――ですが、私たち異形は見た目だけならば、やろうと思えばいくらでも綺麗に出来ますからねぇ」
ダンデは声のトーンを少し落としてそう言った。
「異形が作る外の顔はあくまで見せかけです。中身まで綺麗なお嬢様には、どう頑張っても敵わないのですよ」
「わたくし、そこまで綺麗な人間ではありませんのよ?」
「ふふ、ご謙遜を。異形の嗅覚は誤魔化せませんよ」
「ごはんとして?」
「ごはんとして」
こくりとダンデは頷いた。
確かに五十鈴も「美味しそうな香り」には弱いし、良い匂いの料理は大体が期待通り美味しい。
きっと異形の嗅覚による判定も、そういう話なのだろう。
しかし、やはり褒め過ぎのような気もして、五十鈴の顔がぷしゅうと赤くなる。
そんな五十鈴を見てダンデはくすくすと楽しそうに笑った。
「ですから私たちからすれば、とても羨ましいのでございますよ。お嬢様の美しさは本物だから」
「……私は本物も偽物もないと思いますわ」
「え?」
ダンデは不思議そうに首をかしげる。
「だってダンデさんは、頑張ってそのお顔を作り上げたんでしょう? お化粧と一緒ですわ。人間だって綺麗になりたいから、頑張って勉強して試行錯誤して、自分で自分を綺麗にする。それはとても素敵で、すごいことだと思いますの」
それは化粧だけではない。
髪型や服装も、勉強や努力をしなければ、手に入ることはないのだ。
「ですから人間のお顔のダンデさんも、すごく綺麗でかっこいいですの!」
「…………お嬢様」
五十鈴が力説していると、ダンデはポカンと口を開けた。
彼は目を丸くして五十鈴を見つめている。
(あ、あら? いつもの反応がありませんの)
ダンデの様子が思ったよりも静かだったので、五十鈴は動揺した。
もしかしたら気に障ることを言ってしまっただろうか。
ふと不安になって、五十鈴がおろおろとしていると、
「きゃんっ」
――どこからか仔犬の鳴き声が聞こえてきた。




