#38 あなたはあなた
「いやぁ、思ったよりも大変でしたね!」
そう言ってダンデが魚の異形を切り伏せたのは、遭遇してしばらく経ってからのことだった。
地に落ちた巨大な異形の上で、ダンデは晴れやかな声を出している。
しかし彼の服装は異形との戦いで大変なことになっていた。
ダンデの着ている執事服は異形の雷撃を喰らったことにより、今や水着レベルに布の面積が著しく減っている。
ただそれでも怪我はしていないようで、露わになった彼の肌は健康的な色のまま、異界の赤い夕焼けに照らされていた。
(この姿で外を歩いたら捕まってしまうやも)
五十鈴はカフェ・フロストへ帰るまでのことが心配になったが、そう言えばダンデは猫の姿になることも出来た。
あの姿であれば――果たしてボロボロになった服が猫の姿にどう反映されるか分からないが、五十鈴が腕に抱いて帰れば良いだろう。
そう思って少し落ち着いていると、魚の異形の体が端から徐々に塵となり、崩れ始めた。
「ああ、ああ、口惜しい……。昔であれば、簡単に挑発に乗ってくれたものを……」
魚の異形の口から憎悪に満ちた言葉が、呪いのように吐き出される。
異形はもはや動くことすらままならない体で、それでも血走った目でダンデを睨みつける。
殺気と共に向けられた射殺すような眼差しは恐ろしく、直接それを向けられたわけではない五十鈴でも背筋がぞっとした。
けれどもダンデは何も感じていない様子だ。片手に携えたサーベルを、いつでも震えるように構えながら、静かに異形を見下ろす。
「あの頃とは違いますので。今の時代はアップデートというものが必要なのですよ」
「ハッ、何があっぷでーとじゃ、妙な言葉を使いおって。そんなもの、わらわ達になのに意味がある?」
異形は吐き捨てるように言って、
「……ああ、じゃが、このまま消えるのは悔しいのう」
そうつぶやくと五十鈴の方を見た。
悪意を感じさせるその眼差しに、五十鈴の肩がびくりと跳ねる。
「のう、人間。わらわたち異形がどうやって生まれるか知っておるか?」
「え? いえ……」
「じゃろうなぁ。だーれも教えてくれんかったじゃろう? 言いたくはないものなぁ」
「五十鈴お嬢様、こんな奴の戯言なんて聞く必要はありませんよ」
ダンデはいつもより低い声でそう言うと、異形の頭にサーベルを突き立てる。
ぐしゃりと嫌な音がした。
出来た傷口からは、黒いタールのような液体が、まるで血のように噴き出す。
魚の異形は一瞬だけくぐもった声を零したが、
「土や泥じゃよ。汚くて、臭い、土や泥の中。わらわたちは皆そこから生まれる」
異形の言葉は止まらない。
大きな口をにんまりと開き、けたけたと笑う。
「黙れ」
ダンデの声に苛立ちの感情が混ざった。
彼の怒りに呼応するように、サーベルの光も強くなる。
するとその光は、タールの上を走り――まるで油の上に広がる炎のように異形の体を覆い尽くした。
とたんに異形の体が崩れる速度が加速する。
けれども異形はもう、何とも感じていない様子だった。
「その中でいっとう汚いのは、醜いのはな――そこにいる同胞殺しの異形じゃよ!」
魚の異形は最後に、ひと際大きな声で叫ぶ。
まるで断末魔のように告げた後、異形の体は完全に塵と化して消滅した。
「…………」
足場が無くなったダンデは、すとんと地面に降り立つ。
しかし彼は無言だ。いつもであればすぐに「お嬢様!」と駆け寄って来てくれるのに、ダンデはその場から動こうとしない。
それどころか下を向き、何かを迷っているように綿毛頭が不安げに揺れていた。
「……ええと、あの、お嬢様。今のお話ですが――」
「すごいですわ。ダンデさん、あんなこともできますのね!」
「えっ?」
ダンデが何か言うよりも先に、五十鈴は両手を合わせて歓声を上げた。
するとダンデがきょとんと首を傾げる。
「最後の、魔法みたいでしたの。とってもすごいですわ!」
「え、あ……はぁ……ありがとう、ございます?」
五十鈴の言葉にダンデは困惑しながらも、とりあえずと言った様子でそう言った。
今の流れから、どうしてそこに注目されたのか分からないのだ。
「サーベルの時も思いましたけれど素敵ですの。わたくし、魔法って大好きなんですの。他にもまだまだありますの?」
「え、ええ、まあ……」
「まあ! それはとても楽しみですわ!」
五十鈴は両手を頬に当てウキウキと話す。
そんな彼女の様子にダンデは混乱し、まるで迷宮にでも放り込まれたように、途方に暮れていた。
それを見て今度は五十鈴が首を傾げる。
「どうしましたの?」
「いえ、どうしたと言いますか……先ほどの異形の話ですが……」
「あ、はい。生まれがどうのと仰っていましたわね?」
「……はい。その、私の生まれは確かに汚いですが、今は全然そんなことは――」
「誰しも何かから生まれるものですもの。異形さんたちのことをまた一つ知ることが出来て良かったですわ!」
「え?」
五十鈴が元気に答えれば、ダンデは聞いたことのないような間抜けな声を出した。
彼は一瞬固まって、少ししてハッと我に返ったかと思ったら、わたわたと両手を振って狼狽え始める。
「いえ、あの……お嫌ではないのですか?」
「何がですの?」
「私が、その……今はこんな姿をしておりますが……」
「……えっと、ごめんなさい。わたくし、ダンデさんが何を気になさっているか分かりませんけれど……」
五十鈴はダンデの顔を見上げながらにっこりと微笑む。
「ダンデさんはダンデさんですもの。嫌なんてこと、あるはずがありませんわ」
「――――」
するとダンデは息を呑んだ。
異形の頭である彼がどんな表情を浮かべているのかは、五十鈴には見えない。
けれども驚いている様子であるのは伝わってきた。
どうしてかしらと五十鈴は内心首を傾げつつ――ややあって、あることに気が付く。
「……ハッ! 偉そうなことを言ってしまいましたけれど、むしろ囮しか出来ないわたくしの方がダンデさんに愛想をつかされてしまうかもしれませんわ! そ、それは嫌ですの! 何とか頑張りますから、見捨てないでくださいまし!」
五十鈴は大慌てでダンデへ駆け寄る。
考えてみれば今のところ、五十鈴は異形から「美味しそう」だと狙われる以外に何も出来ていない。
そんな自分が呑気な顔で何て偉そうなことを言ったのだろうかと、五十鈴があわあわ焦りながらダンデに懇願する。
するとこれに驚いたのはダンデだ。
「こ、このダンデ・ライオンがお嬢様に愛想をつかすなんてこと、あるはずがありません!」
「ほ、本当ですの!?」
「本当ですとも!」
混乱を極めた二人の声が、静かな異界に広がる。
「それでは指切りいたしましょう!」
「指切り?」
「はいですの!」
未だ落ち着かない思考で、五十鈴は右手の小指を差し出した。
ダンデは少しだけ固まって、それからおずおずと、同じように小指を差し出す。
二人はお互いの小指を絡ませて、
「ゆーびきーりげーんまーん。うそついたらはりせんぼんのーます!」
指切った、と手を離した。
「はい、これでお約束ですの!」
とびきりの笑顔の五十鈴。
それを見たダンデは、呆けたような様子で、自分の小指を見下ろした。
「…………はい」
そして噛みしめるように、そう頷いたのだった。
* * *
そのあと、異界へ引っ張り込まれた人間を救助した五十鈴達は、どうにかこうにかカフェ・フロストへ戻って来た。
ちなみにダンデは猫の姿だ。やはりあのボロボロの恰好で、外を歩くことは憚られたようだ。
ダンデの異形頭を人間のそれに見せる幻影には、体全身をどうにかするのは難しいらしい。ダンデ曰く、そのままだとイメージが続かないとのことである。
そのため五十鈴はダンデを腕に抱いて店まで戻ったというわけだ。
「ただいま戻りましたの!」
「おかえりなさ……って、何でダンデの野郎は猫の姿なんすか?」
店へ入ると、リカントが出迎えてくれた。
彼は五十鈴の腕に収まったダンデを見て不思議そうに首を傾げる。
「実は……」
五十鈴が魚の異形の討伐について、最後に彼女が遺した言葉を伏せつつ説明すると、彼は目をまんまるにした。
それから何とも言えない渋い顔になって、アルヴェアーレの方を向く。
「オーナー、全然大丈夫じゃなかったんすけど……」
「いや、これはちょっと想定外と言うか……」
すると何故かアルヴェアーレが気まずそうに目を逸らした。
五十鈴とダンデは、一体何の話かと顔を見合わせて首をかしげたのだった。




