#32 知らないより、知っていたい
ハイデローゼが悪い。
リカントはそう言い切ったが、確かにそれはそうとしか言いようがない。店の中に彼女が入って来なければ、今回のことはそもそも起きたりしなかったのだ。
するとハイデローゼは心外だと言わんばかりに唇を尖らせる。
「あら、ひどい。私が悪いの?」
「当たり前でしょう。オーナーの守りをすり抜けて勝手に入るだなんて……空き巣や強盗と同じではありませんか。まったく嘆かわしい」
ダンデはにべもなく言う。未だ怒りの冷めやらぬ様子の彼を、五十鈴は「まぁまぁ」となだめつつ――ふと『オーナーの守り』という言葉が気になった。
「ところでアルヴェさんの守りとは?」
「ああ、それはだね。我々が不在の時は異形の客が中へ入れないように、ちょっと仕掛けがしてあるのだよ。施錠がそれなんだが……」
アルヴェアーレはハイデローゼをじろりと睨む。しかしハイデローゼはどこ吹く風だ。まったく悪いと思っていない様子で、可愛らしく微笑んでいた。
「意外と簡単に解けたのよ?」
「君がそちらを得意としているのは知っているがね……」
臆面もなく言うハイデローゼに、アルヴェアーレはため息を零す。
「でもね、アルヴェアーレ。あなたにも責任の一端はあると思うわよ?」
「私か?」
「ええ、そうよ。だってこんなに美味しそうな子を、一人でお留守番させるなんて不用心だわ。それにここのお客さんが異形ばかりってことも教えてなかったみたいだし」
「うっ」
ハイデローゼに指摘され、アルヴェアーレは言葉に詰まる。
「……そこはすまないと思っている。伝えれば、怖がらせるかと思ったのだよ」
そしてばつが悪そうに頭をかいた。
彼女が何を言わんとしているかは五十鈴にも分かる。五十鈴は異形に「美味しそうなごはん」と狙われている。だからこそ、来店する客のほとんどが異形だと分かれば、なまじの怪談話よりも、よほど恐怖を覚えるだろうとアルヴェアーレは思ったのだろう。
アルヴェアーレは五十鈴を心配して、気を遣ってくれたのだ。だからハイデローゼが指摘したような、咎める気持ちは五十鈴にはない。
ただ――知らされていなかったと分かった時に、ふと頭の中に、もういない友人の顔が浮かんだ。
(果歩さんのことも、私、何も知らなかった)
異形である彼女にとって、五十鈴はただの『ごはん』だった。そこに友情なんてものはなく、あったのはただの食欲だけ。それを五十鈴はずっと知らないままだった。少なくとも一年は一緒にいたはずなのに、彼女が何を考えているか五十鈴は気が付きもしなかった。
何も、知らなかったのだ。
だから五十鈴は、自分を狙う異形への恐怖心と同じくらい、知らないままでいることも怖いと思った。例えどんな恐ろしい事実があったとしても、最低限、自分が関わることならば五十鈴は知っていたい。
そう思った五十鈴は胸に手を当てて、アルヴェアーレの目を真っ直ぐに見つめた。
「心配してくださってありがとうございます、アルヴェさん。確かに……その、ちょっとは怖いかもしれませんけれど、大丈夫ですわ。わたくし、弱っちいですけれど、それでもそんなにやわではありませんもの」
ですから、と五十鈴は続ける。
「アルヴェさん達がどうしても言えないこと以外は、教えてくださると嬉しいです」
「――――」
そしてありのままの心境を言えば、アルヴェアーレは目を瞠って、それから真剣な表情で頷いた。
「……分かった。それではこれからは、ちゃんと君に伝えよう」
「はい!」
アルヴェアーレの言葉に五十鈴は顔を明るくして微笑んだ。
「ああっ、お嬢様……なんと立派な……!」
そうしていると、隣のダンデが感極まったように肩を震わせる。それを見てリカントはうんざりしたように半眼になった。
「こいつの情緒は一体どうなってんだ……」
「本当よね。ダンデったら、いつにも増して様子がおかしいわ。どうしたのかしら」
「お前のせいだよ、何を他人事みたいな顔してんだよ」
しれっとこちら側に混ざったハイデローゼを、リカントは軽く睨む。ハイデローゼは「あら、怖い」なんて言って、ころころと笑っていた。
心が強いのか、本当に何とも思っていないのか――恐らく後者のような気がするが、何ともちゃっかりした異形である。そこそこ叱られているはずなのに、彼女にはまったく響いていないようだった。
そんなハイデローゼの態度に、アルヴェアーレとダンデがぴくりと反応した。
次の瞬間、二人から殺気のようなものがぶわりと放たれ始める。
「……ああ、そこは本当にリカントの言う通りだな。五十鈴を食べようとしたこともそうだが、不法侵入についても一度しっかりお話をしておこうじゃないか」
「ええ、そうでございますね。お嬢様へ危害を加えようとしたこと……その軽い頭にしっかりと刻み付けてさしあげましょう」
「えっ……えっ? あら? あの、二人とも?」
アルヴェアーレとダンデの堪忍袋の緒が切れたようだ。
それを見て先ほどまで余裕綽々だったハイデローゼが急に狼狽え始めた。どうやら二人の本気の怒りを感じ取って、ようやく危機感を覚えたらしい。
(……あっ、これはもしかして、離れた方が良さそうですわね?)
第六感が働いた五十鈴は、自分の分のカプチーノのカップを持ち上げると、すっと立ちあがった。そして席から少し離れた場所に立っていたリカントの方へと向かう。彼は壁に背を預け、いつの間にやら淹れていた自分用のカプチーノを飲んでいた。
「いい判断」
リカントは自分の隣へやって来た五十鈴を見て、さらっと褒めた。どうやら五十鈴の予感は正解だったようだ。
「異形さんに狙われてから、ちょっとは鍛えられましたの」
「へぇ、そりゃ良かった」
リカントは唇の端を上げると、カプチーノをひと口飲んだ。五十鈴も同じようにこくりと飲む。完全に観戦スタイルだ。二人の視線の先では、今まさにひと騒動が起きようとしている。
「いや~! ごめんなさい、私が悪かったのよ~!」
「ごめんで済んだらオーナーはいらんっ!」
「そうですとも! それで済んだら執事もいりません!」
「ダンデに関してはさすがにまったく関係がない気がするのよ!」
ぎゃあぎゃあと叫ぶ三人。その声は、力いっぱいに叩いた銅鑼のように、カフェ・フロストに響き渡ったのだった。




