#21 赤毛の少年
カフェ・フロストに到着した五十鈴は、さっそく制服に着替えると、従業員用のスペースから店内をひょいと覗いてみた。
店には今日も客がおらず、穏やかなピアノ曲だけがゆったりと流れている。
五十鈴がこの店を訪れてから一週間。店で働き始めたのは三日前からだが、その間であっても、この店に客が入っているところを一度も見たことがない。
お昼時じゃないからそうなのかと思い、ダンデに訊いてみたところ、
「いえいえ、お昼も大体これでございますよ。うちの営業時間は、ほとんど閑古鳥が鳴いておりますので」
そんな悲しい答えが返ってきてしまった。
客がこうもいないなら、フロア担当が足りなくて困っているというあの言葉は何だったのだろうと、五十鈴は疑問に思った。
(このカフェ、経営は大丈夫なのかしら……?)
五十鈴は心配になったが、よくよく考えてみれば、この店には『異形討伐』という仕事があるのだ。カフェの売り上げは残念でも、きっとそちらで何とかなっているのだろう。
(そう言えば、異形を討伐したら何か報酬が出ているのかしら?)
そんなことを五十鈴が考えていると、不意に店のドアが開いて、カランコロンと涼やかなドアベルの音が鳴り響いた。
「お客様っ!?」
五十鈴はハッと顔を上げ、ワクワクしながら入口の方を見る。
するとそこには赤毛の少年が立っていた。彼は鋭い金色の瞳で、店内をじろりと睨むように見回している。歳は五十鈴と同い年くらいだろうか。身長は高めで、少しだぼっとした大きさのストライプシャツにチノパンを身に着けている。
少々怖そうな印象だが、それでも初めてのお客様だ。
五十鈴は目を輝かせ、そして高鳴る胸の鼓動を抑えつつ、満面の笑みを浮かべて彼に近付く。
「いらっしゃいませ!」
「あ゛? 何だ、お前?」
元気いっぱいに挨拶した五十鈴に返ってきたのは、大変不機嫌そうな少年の声だった。
とたんに五十鈴はピシリと固まる。そのぶっきらぼうな態度に、心臓が怖い方の意味でドキリと跳ねた。
(だ、大丈夫ですわ。こういうお客様もいるって、本に書いてありましたの!)
ちょっと怖いな……と思ってしまった自分自身に、五十鈴はそう言い聞かせる。
少年は不機嫌そうには見えるものの、冷静に考えればこの短時間で、五十鈴が何か粗相をしたわけでもない。だからきっと彼の態度は、単純に虫の居所が悪いか、これが彼にとって平常運転かのどちらかだろう。
(こういう時は笑顔が大事ですの!)
五十鈴が接客の仕事のためにと読んだ本にだって「よく分からないことが起きたら笑顔で乗り切れ!」と書いてあった。だいぶ精神論よりの対応な気もしたが、それこそが今必要な方法である。
五十鈴は崩れかけた笑顔を何とか戻し、ついでに笑みを二割増しにして少年に話しかける。
「お客様、本日はおひとり様ですか?」
「は? ああ、いや、おひとり様っつーか……」
少年は訝しんだ風に目を細め、五十鈴を見下ろしながら首を傾げる。
少し歯切れが悪いが、断言しなかったあたり複数人での来店になるのだろう。
なるほど、と五十鈴は頷いて、くるりと向きを変えた。そして「それではこちらのお席へどうぞ!」と席へ案内しかけた、その時。
「あれ? お前、何か……美味しそうな匂いがするな」
五十鈴の耳にとんでもなく不穏な言葉が届いた。
ぎくりと五十鈴の肩が跳ねる。そして錆びた扉のように、ギギギ、とぎこちなく振り返った。少年と目が合う。その瞳がどこか怪しく光っているように見えた。
「美味しそう……」
五十鈴は口の中で言葉を繰り返す。
異界で嫌と言うほど聞いたあの言葉。それが少年の口から放たれたと理解した五十鈴は、大きな声で信頼できる男の名を叫んだ。
「ダンデさんっ!」
その瞬間、五十鈴のすぐそばを黒い風が通り抜けた。
直後にガンッと何かが床に叩きつけられる音が響く。見れば、ダンデが少年の首と腕を掴んで、床に組み伏せているところだった。
「五十鈴お嬢様、ご無事ですか?」
ダンデは五十鈴を見上げ、未だ人間のその顔でにこりと微笑む。
その優しい笑顔を見て、五十鈴はほっと息を吐き、こくこくと頷いた。
「だ、大丈夫ですの。ありがとうございます、ダンデさん!」
「いえいえ。これが私のお仕事でございますから」
ダンデはそう言うと、今度は少年の方へ目を向けた。
とたんに彼の眼差しが剣呑なものに変わる。五十鈴に向けられたそれとは比べ物にならないほどに、少年を見るダンデの目は冷たい。
「……それで、これは一体何の真似ですか、リカント?」
「何はこっちの台詞だっ! 急に何しやがる、ダンデ!」
リカントと呼ばれた少年は、くわっと噛みつくように怒鳴る。大きく開いたその口からは、犬歯のようなものがちらりと見えた。
二人のやりとりを聞いて、五十鈴は目をぱちりと瞬く。
「えっと……お知り合いの方ですの?」
「ええ」
ダンデはリカントを睨みつけたまま頷く。
「この男は、カフェ・フロストの元従業員ですから」




