#22 狼人間
「いてててて、力を弱めろ馬鹿野郎!」
「私のお嬢様に手を出そうとした愚か者の仕置きには、これでも弱いくらいですよ」
ダンデはリカントを冷たく見下ろしながら淡々とそう告げる。そして何とか抜け出そうと藻掻くリカントを押さえ込んでいる手の力を、涼しい顔でさらに一段階強めた。
「え、えっと……そちらの方は元従業員さんですのね」
「ええ。名前をリカントと言います。元フロアスタッフ兼異形討伐担当の仕事をしていたのですが……色々とやらかしてくれましてね。それでオーナーに解雇されたのでございますよ」
ダンデは声こそ冷静だが、言葉の節々に怒りを滲ませている。普段は気さくで、異形を前にした時すら落ち着いていた彼が、ここまで不快さを露わにしているのを見て、これは相当なことをしたのだなと五十鈴は思った。
「それで、リカント。あなた、一体何をしにここへ戻って来たのです?」
「…………」
リカントはぐっと口を結んだまま、気まずげにダンデから目を逸らす。
しかし待てど暮らせど、彼は何も答えない。
そしてリカントを睨みつけたままダンデも何も言わない。
明るい音楽の流れる店内に、まるで地獄のような重苦しい沈黙が落ちた。
そんな空気の中だから、五十鈴だってひと言も発せられずにいた。
――どうしよう。もしかしたら何か助け舟を出した方が良いのだろうか。
そうは思ったものの、五十鈴は彼らの間にある事情をまったく知らない。そんな部外者が口を挟んだところで、余計に拗れるだけではないか。
ならばせめてオーナーのアルヴェアーレだったらと、五十鈴は一縷の望みをかけて、普段彼女が立っているカウンターの方へと顔を向けた。
しかし、そこには誰もいない。ピカピカに磨かれたコーヒーサイフォンが、天井照明の灯りに照らされて輝いているだけだ。
(そう言えば来た時にもいなかったような……)
店は開いているのに、店の人間が誰もいないのはどういうことだろうか。いくら異形が経営しているとは言えど、防犯意識を含めて、この店は本当に大丈夫なのかと五十鈴はだんだん心配になってきた。
「…………ったんだよ」
そうしていると、どうやら観念したらしいリカントが何かを言った。
けれどもつぶやくような小さな声だったのでよく聞こえない。
「もっと大きなお声で」
すかさずダンデの指摘が入った。
有無を言わさぬその迫力に、リカントが床を見ながら唸りつつ、
「~~っ金が、なくなったんだよっ!」
今度は店中に聞こえるような大声でそう白状した。
五十鈴はあらまぁと目を瞬いて、ダンデは盛大にため息を吐く。
その二人の反応を見たリカントは、羞恥のためか顔を真っ赤にしていた。
「でしょうね。我々異形のまともな働き口なんて、こちらの世界では多くはありませんから。大方、素性を隠してバイトでもして、そちらでもトラブルを起こしたんじゃないですか?」
「…………っ」
呆れるダンデの言葉に、リカントは唇を噛んだ。どうやら図星らしい。
彼はその悔しさからか、拘束されていない左手を血管が浮かぶほどに強く握りしめた。
――するとその時、彼の体に異変が起こり始めた。
彼のその手から、腕から、燃えるような赤い毛が生え始めたではないか。
それは腕だけに留まらず全身に広がり、それに合わせてリカントの体も膨れるようにぐぐっと大きくなっていく。
やがて頭に耳が生え、臀部に尻尾が生え。
気が付いた時にはリカントの体は二倍ほどに大きくなり、まるで狼のような姿に変化した。
その異形の姿に、五十鈴は何となく見覚えがあるなぁと思った。
「もしかして狼人間さん……?」
「正解でございます、お嬢様」
五十鈴が思いついた言葉を口に出すと、ダンデはにっこりと微笑んだ。
呑気なやり取りをする二人に、リカントはケッと悪態を吐くと左手に力を込めた。そのまま片手で腕立て伏せをするかのように、ダンデごと自身の体を持ち上げる。
「やれやれ、相変わらずの馬鹿力でございますねぇ」
ダンデは肩をすくめると、リカントを拘束する手を離し、彼の背から飛び降りる。
そしてすぐに五十鈴のところへと向かうと、リカントから守るように前に立った。
「ハッ、馬鹿力ってんなら、お前は他人のことは言えねぇだろーが」
「まぁ、確かにそうでございますね。……それで?」
「それで……って」
「先ほどの質問にちゃんと答えていただいていませんよ。あなたは何をしにここへ来たのですか? こんな仕事なんてやってられるかと、威勢よく飛び出して行ったワンちゃんが、どの面下げてお戻りに?」
「ワンちゃん言うな! 俺は狼だっ!」
ぐるる、と牙を剥き出しにしてリカントが吠える。
彼の放ったひと際大きな声に、五十鈴の肩が思わず跳ねた。
どうやらリカントは挑発に乗りやすい性格らしい。
「げ、元気な方ですのね」
「ああん!? ところで何だよ、お前は!? こんな美味そうな香りを振りまいてここにいたら、異形共にペロッと食われちまうぞ! 美味そうな自覚を持て!」
「ご、ご心配いただきありがとうございますの! 私、藤原五十鈴ですわ。先日からカフェ・フロストでお世話になっておりますの!」
リカントの迫力に負けじとと、五十鈴は声を張り上げてそう挨拶をする。
するとリカントは驚いた様子で、目を丸くした。
「お世話になってる? 人間が? うちで?」
「ええ。異形討伐兼フロア担当でございます。そして何を隠そう……私のご主人様です!」
ダンデが胸を張って答えた。最後の説明は必要だろうか……と五十鈴が訝しんでいると、リカントはその大きな口をぽかんと開けて、
「フロア……担当?」
呆然と、そうつぶやいた。
「ええ、そうでございますよ。カフェ・フロストの新しいフロア担当です」
「…………」
ひと言ひと言ゆっくりと、ダンデは答えてみせる。
するとそれを聞いたリカントはぶるぶると震えた後、
「は~~~~っ!? こいつがフロア担当!? 何でそんなことになってるんだよ!?」
五十鈴をびしりと指差して絶叫した。
ダンデはハッと鼻で笑う。
「フロア担当がいなくなったのですから当然でございましょう? それにこれはお嬢様からのありがたい申し出でございますよ。私共としては、異形討伐をお手伝いだけをお願いするつもりだったのですが、店の方も手伝っていただけるとのことで……ああっ、何てお優しいのでしょうか、私のお嬢様は!」
ダンデは自分自身を抱きしめて体をくねらせた。最後だけ妙に力と気持ちが込められていたが、全体を通してリカントに対する嫌味であることは五十鈴にも分かった。
この異形頭は、存外口が悪いようである。
「――と言いますか、そもそも『何で』とはこちらの台詞でございますよ」
そうしていると急にダンデがスンと静かになってそう言った。
先程までの異様なテンションはどこへ行ったのだろうか。見ている側が混乱するほどに落ち着いた彼は、リカントの目を真っ直ぐに見つめる。
氷の矢のような鋭く冷たい眼差しを向けられたリカントは、気圧されたように僅かに体を仰け反らせた。
「お嬢様が店で働くことについてオーナーが許可を出したのは、あなたを解雇したことでフロア担当がいなくなり、実際に困っていたからですよ。この店は客がほとんど来ませんが、まったくのゼロというわけではありませんからね。お分かりですか、リカント」
「それは……」
「原因となったあなたには、お嬢様の優しさに感謝することはあっても、疑問を呈する権利なんてないでしょう。そのご自覚すらありませんか?」
「…………」
事実を淡々と告げられて、リカントは口を結んで俯いた。
五十鈴も普段のダンデとのテンションの落差に驚いて、言葉を失ってしまう。
カフェ・フロストに再び重い沈黙が落ちた。
――その時。
ポーン、と時計の鐘のような音が店内に鳴り響いた。
柱時計の音によく似ていると五十鈴は思ったが、直後にこの店に、そんな調度品は置かれていないことを思い出す。
それでは、この音は何なのだろうか。
「……ああ、こんな話をしている場合ではありませんね」
するとダンデが天井を見上げてそうつぶやいた。
それから彼は五十鈴の方を振り返り、
「この音は、店が討伐対象の異形の反応を察知した音なのですよ」
胸に手を当てて、にこりと微笑む。
その瞬間に彼の頭が、五十鈴の見慣れた異形の、ふわふわした綿毛のそれに変化する。
「それではお嬢様、お仕事の時間でございます」




