#16 アルヴェアーレとカプチーノ
ひとまず五十鈴はアルヴェアーレに促された通り席に着いた。五十鈴が椅子に座ると同時に、ダンデも腕からするりと抜け出して、隣の椅子にぴょんと飛び乗る。猫の姿だとテーブルは少し高い様子だが、頭くらいは出るようだった。
「オーナー、五十鈴お嬢様にカプチーノをお願いいたします」
そしてサッとそんなオーダーまでしてくれた。異界で五十鈴が飲みたいと言っていたのを覚えていてくれたらしい。
「ああ、了解した。……というか、先ほどさらっと流してしまったが、お嬢様と呼んでいるのか?」
「当然でございますか?」
「……何故そんな当たり前のことを訊くのか、みたいな顔をされてもね」
アルヴェアーレは呆れ顔で肩をすくめる。しかしそれ以上言及するつもりはなかったようで、彼女はそのままカウンターの方へと歩いて行く。ややあって、珈琲の香ばしい匂いが漂ってきた。
(良い香り……)
五十鈴はその香りでふっと、自分が元の世界へ戻ることが出来たのだと改めて実感した。日常の香り、とでも言うのだろうか。珈琲は、五十鈴の家だと父親が好んで飲んでいて、一緒に休んでいると五十鈴にも淹れてくれるのだ。
珈琲の香りを嗅いでいたら、少しだけ体の力が抜けてしまった。どうやら自分は今の今まで、それなりに緊張していたらしい。そんなことを考えながら、ほ、と息を吐いていると、アルヴェアーレがマグカップを三つトレーに載せて戻って来た。
「お待たせしたね。砂糖は好きにいれてくれたまえ」
アルヴェアーレはそれぞれの前にマグカップを置いて、最後に星の形をした砂糖が入ったガラス瓶をコトンと置いた。目が合うと、彼女はバチンとウィンクをする。流れるようなファンサービスに、五十鈴の胸がまたきゅんとした。
「あ、ありがとうございますわ!」
「いやいや。ふふ……初心な少女はかわいいねぇ」
楽しげに笑うアルヴェアーレ。それを見てダンデが不満そうに口を尖らせた。
「……オーナー、悪い癖でございますよ。五十鈴お嬢様を誑かさないでくださいませ」
「いいじゃないか、少しくらい。ただでさえうちに来る客は、かわいげのない奴が多いんだから。従業員も含めてね」
アルヴェアーレは両手を軽く開いてそう言って、五十鈴の向かい側の席へと腰を下ろした。
「何を仰います。他の方々はともかく、私はかわいげがあるでしょう? 見てください、この万人受けする愛らしい姿を」
言って、ダンデは尻尾を揺らし右の前足を軽く挙げてみせた。あざといそのしぐさを見て、アルヴェアーレは盛大にため息を吐く。
「猫はかわいくても、中身が君なのがかわいくないんだよ」
「失礼ですよ」
「事実だろう。正体が図体も態度もでかい男だと分かっているせいで、それが余計な雑音になって、素直にかわいいなんて思えないんだから」
アルヴェアーレはそう言って、自分のカプチーノに口をつけた。二人のやり取りを聞いた五十鈴はくすりと微笑い、それでは自分もいただこうと、砂糖の入った瓶に手を伸ばした。そこから砂糖を三つ取り出すと、カプチーノにポチャンと入れる。砂糖の星は、夜空のような黒色にあっという間に溶けていった。
五十鈴は軽くかき混ぜたあと、そっと口をつける。珈琲とミルクのほど良いまろやかさの中に、疲れた体にじんわりと染み入るような甘さが美味しい。
ほう、と五十鈴が息を吐いていると、
「……あちち」
隣からそんな声が聞こえてきた。見ればダンデが小さな舌でカプチーノを舐めている。ちょっとだけ顔をしかめている辺り、姿通りの猫舌なのかもしれない。
(ダンデさん、かわいいですの)
五十鈴はふんわり微笑んで心の中でそうつぶやく。口に出さないのは、彼のプライドを傷つけてしまうかもと思ったからだ。
「……それにしても、なるほど。これほどとはな」
そうしていると、アルヴェアーレが感心したように言った。彼女は五十鈴をじっと見つめて、ふんふんと何度か頷いている。
「確かに美味しそうな香りだ。これは異形連中が執着する気持ちも分かるよ。まったく、こんなに近くにいるのに気付けなかったとは……相当上手く隠していたものだ」
「隠す、ですの?」
「ああ、そうだよ。大事な餌は誰かに盗られないように、こっそり隠さないとだからね」
アルヴェアーレは片目を瞑った。五十鈴の頭の中に、野生動物が餌を隠す姿がふっと浮かんだ。もしかしたらああいう感じなのだろうか。
とは言え、その餌は他でもない五十鈴自身である。さすがに複雑な気持ちになっていると、どうやらそれが表情に出ていたようで、アルヴェアーレが小さく笑った。
「その様子だと、だいぶ大変だったようだね。ダンデ、念のため訊くが、対処は問題なく出来たのだろう?」
「ええ、もちろんです。ただ……お嬢様の魂はしっかりと食べられていましたので。最後のひと口に間に合って良かったです」
「わ、わたくし、そんな状態だったんですの!?」
聞き捨てならないダンデの言葉に、五十鈴はぎょっと目を剥いた。
「ええ、その通りでございますよ。ですがお伝えした通り、大事なところはちゃんと残っておりましたから、大丈夫でございます」
「でもそれって、つまり……大事なところ以外は残っていなかったとか……?」
「はい、そうでございます」
「しっかり肯定されましたの……」
五十鈴はがっくりと肩を落とした。大丈夫と励まされたが、それは全然大丈夫じゃない気がする。思わず手からも力が抜けて、持っていたマグカップを落としそうになってしまった。寸でのところで我に返って握り直したものの、支えきれなかった五十鈴の精神の方は地面に落ちて、ころころと転がって行く。
「あうう……気が付かないうちにジ・エンドするところでしたの……」
「まぁ、安心しなさい。ダンデの言う通り、大事なところはちゃんと残っているからね。そこが一番美味しいから、最後のひと口に残しておいたんだろうが……それさえ無事なら時間はかかってもちゃんと元に戻るよ」
「ええ、その通りでございますよ、五十鈴お嬢様」
ダンデとアルヴェアーレの二人は口を揃えてそう言った。異形二人から、ここまでしっかりと肯定してもらえるならば、本当に大丈夫ではあるのだろう。不安な気持ちは未だ残っているものの、ひとまず五十鈴は二人を信じることにした。
「……わ、分かりましたわ。取り乱して申し訳ありません」
「いや、それは当然の反応だよ。実害が出ているのだからね」
アルヴェアーレは五十鈴の髪の方へ視線を向けた。五十鈴の黒髪の毛先はまだまだ白い。魂を食べられたことでこうなったらしいので、これもいずれは元の色に戻ってくれるのだろう。
「そう言えば魂がその……食べられると他にどんなことが起きますの? 頭がぼうっとすることが増えたのも、それが原因だと言われましたけれど」
「そうですねぇ……。あとはだんだんと存在が希薄になって、いずれ誰からも認知されなくなることでしょうか」
「存在が希薄と言うと……」
「物理的な意味で影が薄くなるのでございます。人の記憶から消えて、姿も透明人間のようになって、いずれ最初から何もいなかったかのように世の中から忘れ去られてしまう」
「それは――……」
もしかしたら『死』なのではないかと五十鈴は思った。もっとも知識として知っていた『死』とはまた違う風ではあるけれど。それが五十鈴の間近に迫っていたものだったようだ。
「だ、ダンデさんのおかげで命拾いしましたわ……! ありがとうございますの!」
「いえいえ。私は上司から指示を受けて向かっただけに過ぎませんから」
「ああ、その通りだ。盛大に感謝したまえ」
アルヴェアーレはにこっと笑って堂々と言ってのけた。
(ダンデさんの上司なのがよく分かりますの)
この従業員にしてこの上司。五十鈴の頭にそんな失礼な言葉が過ったが、命を助けてもらったのは事実である。だから五十鈴も頭を深々と下げた。
「ありがとうございますの、アルヴェさん!」
「ふふ。まぁ、感謝、とは言ったがね。こちらにも事情があったのだよ」
「事情?」
「ああ。私たちはね、君のような人間を探していたんだ」
アルヴェアーレはテーブルの上で肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せる。金色の瞳にじっと見つけられた五十鈴は、そこで初めて彼女の目の瞳孔が蛇とそっくりなことに気が付く。まるで獲物を狙うようなその眼差しに、五十鈴は何やら嫌な予感がした。
(わたくしが探される理由と言えば……)
どう考えても『美味しそうな香り』の関係ではないだろうか。
五十鈴はごくりと唾を呑み込んで、彼女の次の言葉を待つ。
「君、異形用の囮としてうちで働かないかい?」
「やっぱりですの!!」
予想した通りの内容に、五十鈴は「こんなことで的中したくありませんの」と頭を抱えたのだった。




