第三話「数字の正体」
部屋は、静かすぎた。
ワンルームの狭い空間に、時計の音だけが響いている。
カチ、カチ、カチ。
その音がやけに大きく聞こえるのは、他に何もないからだ。
テレビもつけていない。
つける気力もない。
テーブルの上に、スマホを置く。
画面は黒いまま。
でも、さっき見たメッセージは消えない。
『本日中にご連絡がない場合、法的手続きに移行します』
頭の中で何度も再生される。
「……うるさい」
誰もいない部屋で、呟く。
でも、消えない。
しばらくして、観念したようにスマホを手に取る。
指が少しだけ重い。
開きたくない。
でも、開かないといけない。
銀行アプリを開く。
残高表示。
数字が出る。
2,143円
一瞬、思考が止まる。
少なすぎて、逆に現実味がない。
「……こんなやったっけ」
呟く。
分かっている。
昨日も見た。
でも、毎回初めて見るみたいに感じる。
次に、カードのアプリを開く。
利用残高。
487,000円
息が浅くなる。
でも、まだ“これだけじゃない”ことも分かっている。
消費者金融のアプリ。
ログイン画面で一瞬止まる。
IDもパスワードも、すぐに出てくる。
それが一番嫌だった。
開く。
A社
借入残高:320,000円
B社
借入残高:280,000円
合計が頭の中で勝手に計算される。
しないようにしても、出てくる。
「……はは」
笑うしかない。
まだ終わらない。
スマホのメモを開く。
自分で書いた“借金メモ”。
見ないと把握できないから。
でも、見たくないから普段は開かない。
スクロールする。
・クレジットカード①:487,000
・A社:320,000
・B社:280,000
・大地:100,000
・職場前借り:50,000
合計。
1,237,000円
指が止まる。
呼吸が止まる。
「……無理やろ」
小さく呟く。
現実として認識した瞬間、体が拒否する。
頭がぼやける。
考えたくない。
「いや、でも…」
勝手に言い訳が始まる。
・分割にすればいける
・ボーナス入ればなんとかなる
・ちょっと勝てば減らせる
全部、何回も考えたやつ。
全部、うまくいかなかったやつ。
でも、また同じことを考えている。
「……返せるし」
根拠のない言葉を口にする。
声に出せば、少し現実が変わる気がするから。
そのとき、スマホが震える。
画面を見る。
大地からのメッセージ。
『さっきはごめん。言い方きつかった』
胸が少しだけ痛くなる。
『でも、このままやとほんまにまずいと思う』
正しい。
全部、正しい。
だから、しんどい。
返信しようとして、止まる。
何を返す?
「大丈夫」?
「なんとかする」?
どれも嘘になる。
そのとき、別の通知が入る。
A社から。
『ご返済が確認できておりません』
さっき見たばかりの現実が、また突きつけられる。
画面を閉じる。
考えたくない。
その代わりに、別のことを考える。
——今、いくらあればひっくり返せる?
さっき見た数字が頭に浮かぶ。
120万。
でも、そんな額は無理だと分かっている。
じゃあ、せめて。
「10万…いや、5万でも」
呟く。
5万あれば、少しは楽になる。
A社に入れて。
大地にも少し返して。
“ちゃんとしてる感”が出る。
そのイメージが、妙にリアルに浮かぶ。
——5万くらいなら、いけるかもしれん。
その瞬間。
頭の中で、店の光景が浮かぶ。
回る台。
当たる瞬間。
一気に増える玉。
「……いけるやん」
小さく呟く。
さっきまで“無理”と思っていた数字が、
“届きそう”に変わる。
これが、いつものパターン。
分かっている。
でも、止められない。
大地のメッセージが、まだ画面に残っている。
『一緒に考えよ』
その言葉を見て、少しだけ手が止まる。
でも。
「……今じゃない」
小さく言う。
今は、“取り返す方が先”。
そう決めた瞬間、体が軽くなる。
さっきまでの重さが、嘘みたいに消える。
財布を手に取る。
中身は、ほぼ空。
でも、頭の中ではもう計算が始まっている。
・コンビニで下ろせる分
・使ってない枠
・いけそうなカード
「……あと3万くらいはいけるか」
その考えが自然に出てくる。
怖いくらいに。
ドアに手をかける。
一瞬だけ、止まる。
テーブルの上のスマホ。
大地の名前。
借金の数字。
全部が、そこにある。
でも。
目を逸らす。
「次で終わりにするし」
誰に言うでもなく、呟く。
その言葉を置いて、部屋を出た。
——その夜、借金はさらに増えた。




