その2:2026年2月16日月曜日・G県N市駅前「台湾酒場」④
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2026年2月16日13時45分27秒。原アイラは、N市駅ホームにいた。
お酒を交えた食事と仕事の話を終え、13時24分20秒に台湾酒場を出た二人。
カレンは調べ物のために新町通りの自宅へ戻り、アイラは“現場を見ておこう”とN市駅へ足を運ぶことにしたのだった。
普段の移動手段がもっぱら車とバイクである彼女は、駅前を歩くことはあっても、駅のホームに入ることなど長い人生の中でも数えるほどしかない。
以前、興味本位で作った交通系ICカードを持ってはいるが、最後に使ったのがいつだったかも思い出せないほどだ。
「G県N市連続電車飛込事故について」
某ネット掲示板に投稿された短い書き込みから注目を集めることになった一連の事故。
その現場であるN市駅1番線には、N市駅13時50分発の電車が停まっている。
改札正面、5両目の車両が停まるあたりに立ち、アイラは周囲をそっと見回した。
日差しは強い。
だが、それを感じさせないほどの風の強さが、午前中よりもさらに増している。
その風が、アイラの長い白髪を揺らした。
◇◆◇
そんな中、ホームに立ったアイラは、スッと静かに目を閉じた。その瞬間、【ピィィィィィン】と張りつめた空気が彼女の周囲に走り、意識は空間認識と聴覚へと過集中していく。
これまで聞いた話から組み立てた“事故の瞬間”のイメージ。
振り返りながら、まるで“誰か”に押されたように線路へ落ちていく人影。
そして――その“誰か”が、この場所に存在するのか、しないのか。
――その答えを「今は何もなさそうだ」と判断するまで、約3秒。
「ふう……」
アイラはゆっくりと目を開け、もう一度周囲を見回した。
止まっている電車。スマートフォンを片手に、車内で発車を待つ乗客たち。
強い日差しと、それを打ち消すほどの強い風。
――多分これが、今日この場所の“何気ない日常”なのだろう。
(まあ、昼間だしなぁ。でも、確か事故はどれも朝の通勤時間帯だったよな。)
アイラはユウジから聞いた話、そして自分の記憶にある三件の事故を、頭の中で整理した。
事故が起きたのは、2026年1月に二件、2月に一件。
そのうち兵藤ユウジが目撃したのは二件目――1月23日、朝の通勤時間帯。
転落の状況は聞いた通り。
さらに、某ネット掲示板に投稿された短い書き込み。
「三人ともホーム中央付近で電車を待っており、落ちる瞬間に驚いた表情で後ろを振り返っていた」という内容。
現場を間近で見ていたユウジの証言と一致しており、伝言ゲーム的に湧いたガセ情報とは考えにくい。
そして――
「押し出された形跡は無いのに、まるで押し出されたように……か。」
この件は“事故”として処理されつつあるようだが、ユウジはその扱いに強い違和感を抱いている。その違和感の正体を探るのが、自称探偵・原アイラの仕事――
……なのだが。
アイラは、昼食を共にしたカレンが帰り際に口にした“ある疑問”を、このとき思い出していた。
◇◆◇
「ねえ、アイラ。ちょっとこの話、私はおかしいなと思うところがあるのだけど。」
そろそろ会計を済ませ、店を出ようというタイミングで、カレンはふいにそう切り出した。
「兵藤さんって、いち駅員だよね。その彼が、どうして事故の件をマサヤさんやアイラに“個人的に”相談しているのか。アイラの話を聞いていても、N市駅として調べたいから兵藤さんが動いている、という話が全然出てこない。だから、どうしてなのかなって……私はちょっと気になったの。」
カレンの問いに、アイラは【むむむ】と腕を組み、首を傾げた。確かに、兵藤ユウジの話には“組織として解明したい”という気配がまったくなかった。もしそうなら、いち駅職員ではなく、責任者クラスから話が来てもおかしくない。
「うーん……N市駅としては、気にしていないわけじゃないにしても、“事故として淡々と処理する”方針なんだろ。でも兵藤さんは、違和感を持ったままでいるのが気持ち悪い……とか、そういうことじゃないか?」
「まあ、そうね。そういうふうにも考えられるか……。私の気の回し過ぎね。うん、忘れて。今の話。」
「お、おう。」
ほんの短いやり取りだった。カレンは“気の回し過ぎ”と言い、忘れてと笑ってみせた。
だが、この短い会話は、なぜかアイラの中で強く印象に残った。
ただ、その印象から何かを考えることは――今は、あえてやめておくことにした。
◇◆◇
2026年2月16日13時50分37秒。
N市駅発・名古屋行きの電車が発車していくのを見送ったアイラは、遠ざかる車体を眺めながら、ふう、と一息つき駅の出口へと歩き出した。
今ここに来たのは、事故を調べるためではない。調べる前に一度“現地を見ておこう”と、カレンと別れたあと唐突に思い立っただけだ。だから長居は無用。自宅に帰って……少し休もう。
ポケットから交通系ICカードを取り出し、改札機の読み取り部にタッチすると――
【ピンポーン】
聞き慣れない音とともに赤ランプが点灯し、改札の扉は【スン】と動かず閉ざされたまま。
「あ……」
ICカードでホームに入り、そのままICカードで出ようとしたのだが、改札機は明らかに「それ、違いますよ」と言っている。反射的に駅務室の方へ顔を向けると、怪訝そうな表情の駅員とアイラの視線が【スパーン】と合った。
(俺、なにかやらかしました?)
どちらにせよ改札からは出られない。アイラは足早に駅務室へ向かった。
「すみません、ICカードで入っちゃいました。」
「はい。カードを貸してください。」
アイラが“仕事用の声”で丁寧に告げると、駅員は表情を変えず、事務的に淡々と答えた。ICカードを受け取ると、手早く端末を操作し、それをアイラに返す。
「ホームを見学するときは、入場券を購入してくださいね。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
(そうか、ICカードじゃダメなんだ……)
移動のほとんどは車とバイクで滅多に電車を使わない。そんなアイラが以前興味本位で作ったICカードは、今日が久々の出番だった。使い方をよくわかっていないままの、今の出来事にアイラは――
(ま、いっか。一つ勉強になった。はははは……)
そんなことを思いながら、アイラはN市駅をあとにした。




