終章:「謎を解かない系探偵」原アイラはぶん殴る!③
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「うお!? お、おおおぉ?」
2026年3月19日木曜日7時32分。N市駅前交差点。雨が降る――しかし傘をさすほどでもない霧雨。そんな陽気の中。
伊藤マサヒコは、いつも通りの通勤時間帯に、いつも通り会社に向かう人々の列に混ざって、赤いシグナルを灯す歩行者用信号機の前に立ち、信号が青に変わるのを待っていた。
(あれはいったい何だった?)
マサヒコは混乱していた。
自分は、もうすぐ青に変わるだろう歩行者用信号機の赤いシグナルを見て立ち止まり、そこでメールの着信音を聞いた“はず”だった。
スマートフォンをポケットから取り出し、届いたのはスパムメールらしいものだと確認し、それをポケットに戻して視線を上げれば、信号は青に変わっている“はず”だった。
だが――
スマートフォンから目を離した彼の視界に【ファーン】と飛び込んできたのは、いつも見慣れた風景ではなく、目に見えるものすべてが真っ白な空間。
何もない真っ白な空間の中に、自分一人だけ――いや、違う。
長いポニーテールの白髪の若い女――原アイラと名乗った女。そのアイラと2人きりだった真っ白な空間で、マサヒコは2025年12月26日に自らこの世を去った部下、小山ジョウジロウについて問い詰められ、迫ってくる“6本腕の女”の6つの拳に――
顔を潰され……!?
ピーヨ、ピーヨ、ピーヨ、ピーヨ、ピーヨ……
歩行者専用信号のシグナルが赤から青に変わり、音響式信号機が青になったことを知らせる。一定のリズムを刻むその電子音が、マサヒコの脳の奥に残っていた“恐怖の回路”を――再点火した!!
◇◆◇
「うおおおおおおお!?」
その瞬間、彼は信号が変わるのを待つ人々の中から、いの一番で必死に駆け出した。
マサヒコの思考は、“6本腕の女”にジワジワと追い迫られ、その拳で頭を破壊された恐怖が【パオン、ポオン】と反芻し続け、その慌てぶり――いや、半ば狂乱しているように見えるその姿に、信号待ちしていた人々は足を踏み出すことをためらい、その場に立ち尽くしていた。
横断歩道を、マサヒコの1歩、2歩、3歩――
(あれは何だ!? 俺は、俺は悪くない、悪くないんだ――!)
横断歩道を、マサヒコの4歩、5歩――
「あぶなーい!!!」「あああああああ!」
立ち尽くしていた人々の中から、悲鳴にも似た声が上がる。
それがマサヒコに届いていたかは定かではない。だが、その声は確実に、その場にいた人々の耳には届いていた。
横断歩道を、マサヒコの6歩【ドゥッ!!!!!】目――
それは、とても鈍い音だった。その音がマサヒコの耳に届いていたかは定かではない。
その衝撃を感じていたかも定かではない。そして、青信号に変わった横断歩道を駆け出した自分に向かってくる、信号を見落とした右折車の存在に、マサヒコが気づいていたかどうか。
こうなってしまった以上、それは誰にも――そして彼自身にも、定かではない。
伊藤マサヒコは、信号待ちから6歩目。横断歩道を渡り切る2歩手前で、信号を見落とした若い男性の運転する車に跳ね飛ばされ、向かい側の歩道へと“頭から”叩きつけられた――その姿から、誰の目にも明らかと言える即死だった。
◇◆◇
「うわぁぁぁ!!」「人が轢かれたぞ!!!」
「……」「救急車!! きゅうゅうしゃー!!」
悲鳴を上げる者、叫ぶ者、目の前の状況に言葉を失う者。冷静に救急車を呼ぼうとしたはずが、やはり動揺して言葉を噛んでしまう者。
2026年3月19日木曜日7時33分。
雨が降る――しかし傘をさすほどでもない霧雨。そんな陽気の中、N市駅前交差点は騒然としていた。
「ほーら、6歩であの世行き……」
その様子を27歩離れた場所から見ていた、長いポニーテールの白髪を軽く揺らし、小さく息を吐きながら――アイラは静かにその場をあとにした。




