終章:「謎を解かない系探偵」原アイラはぶん殴る!②
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小山ジョウジロウ。
氷のように冷たい声で丁寧に、その名をアイラから聞かされた瞬間、マサヒコはビクッと肩を震わせた。
小山ジョウジロウ。去年の自身の部署異動でマサヒコの部下になった社員の名だ。
ジョウジロウは仕事の成績は優秀で、人当たりのいい営業部係長。だが、その人当たりの良さが災いし、仕事を背負わされがちなところもある――
いい意味で言うなら優しいいい人、裏返せば優しすぎて損をするタイプの人物だった。
マサヒコはこれまでにも、そういう部下を何人か持った経験がある。そして、そういう部下は“いじめの標的にするのに丁度いい”ということも、過去の経験からよく知っていた。
こういうタイプは、理不尽に対しても我慢強く、人に助けを求めることもなく、ただひたすら頑張りに頑張りを重ねる。
そんなジョウジロウの性格と性分をいいことに、書類の一文字、言葉のひとこと、一挙手一投足。すべてに指導の名のもと理不尽な因縁を毎日のようにつけ続けるマサヒコ。それを誰にも見られないような形で陰湿に粘着するマサヒコ。そんな日々に疲弊していくジョウジロウを根性なしと笑うマサヒコ。
そして――小山ジョウジロウが長年受け持ち、大きな苦労の中で積み上げてきた仕事の成果を、マサヒコは、彼が担当から外れ、今では全く関わっていないかのように印象操作し、自分の手柄へとすり替えた。
その結果、長年の努力が報われなかったジョウジロウは、マサヒコが異動で自身の上司になって6カ月の理不尽の末、ついにうつ病を発症し、休職に至ってしまったのだった。
◇◆◇
「私の相方がいろいろ教えてくれました。伊藤マサヒコさん。あなた、なかなかやり手のようですね。搾取と悪巧みの。そうやって、過去にも部下を貶め、退職に追い込み……」
アイラは、丁寧で冷たい口調のまま、マサヒコとの距離を1歩縮めた。それにつられるように1歩後ずさるマサヒコ。その強面の表情からは、もはや保ちきれない弱気と焦りがにじみ出ていた。
「そして2025年12月26日。あなたに精神疾患になるまで追い込まれた小山ジョウジロウさんは、首を吊り、この世を去った――」
「……は? なんで俺が責められるんだよ。あいつが勝手に死んだだけだろ。30過ぎにもなって、上司に少し厳しく言われたくらいでメンタル壊すなんて、社会人としてどうなんだよ……って、いや、別に追い込むつもりなんてなかったさ。ただ、あいつが優秀だって周りが騒ぐから、しっかり指導しようと思っただけで……。俺が悪いみたいに言われるのは筋違いだろ!」
アイラの言葉に、間髪入れず、まるで堰を切ったようにしゃがれた早口でまくし立てるマサヒコ。それは明らかに、言い訳以外の何でもなかった。
そんな言葉の羅列を聞くことになるなど、アイラは最初から分かり切っていた。
そしてまた一歩、アイラはマサヒコとの距離を縮める。そしてマサヒコはまた一歩下がる。
二人の間の“7歩”という距離は、変わらないままだった。
「だいたい、仕事なんだから、そりゃ多少きつく言うこともあるだろ。でも、それが全部パワハラ扱いって……そんなの理不尽じゃないか。」
マサヒコの声は徐々に小さくなり、その早口さだけが際立っていく。
それと反比例するように、アイラの冷たい表情は、ゆっくりと――しかし確実に――
彼女本来の“修羅の怒りの形相”へと変わっていった。
鋭く細められた目つき。怒りを噛み殺すように吊り上がった口角。そして、きつく握りしめられた拳。そのすべてが、彼女の内側で燃え上がる怒りを物語っていた。
その様子に、マサヒコは目の前の若い女が“只ならぬ者”であることを本能的に悟りながらも、わけの分からない場所で詰め寄られる恐怖と焦燥からか、油を注ぐように、まだ言い訳とも泣き言ともつかない言葉を続けた――
「俺だけ悪者にされるなんて……。いや、ほんとにそんなつもりじゃなかったんだよ。あいつがそこまで追い詰められてたなんて知らなかったし……。俺が全部悪いってことにされたら……本当に……俺だけを責めるのはおかしいだろ……。」
「いいえ。伊藤マサヒコさん。あなただけ――あんただけ責められて当然だぁ!」
凍りついた言葉の塊をそのまま投げつけていたアイラの語気が、瞬時に燃え上がった。
今度は冷淡さとは真逆の、強烈な怒りの炎を纏った言霊が、マサヒコの体を【ゴォラァララララ】と突き抜ける。
その勢いに圧倒されたマサヒコは、思わずその場に座り込んでしまった。アイラに背を向け、四つん這いで逃げようとするが――どうにも腰が抜けたのか、その場から動けない。
そこへ、【ジリリ、ジリリ】と足音を響かせながら近づくアイラ。鬼のごとき怒りの形相のまま、彼に手が届く距離まで歩み寄ると、【スーッ】と一つ深呼吸をした。
そして“両腕”に意識を集中させる。その間、2.15秒。
やがて揃えられた両手の“拳たち”を、【ポンポン】【ポンポン】【ポンポン】と音を立てて突き合わせながら、座り込んだマサヒコを煽るように見下ろした。
「小山ジョウジロウがされてきた理不尽。夫の死に心を痛めた妻のハルカさん。そして、図らずもジョウジロウが元凶となってしまった『G県N市連続電車飛込事故』に巻き込まれた3人の被害者……」
そこで一つ、アイラが呼吸を置いたとき――
座り込んだマサヒコは、恐怖に引きつった顔でアイラを振り返り、
「!!お、お前なんだその“う――」
「その根源をぶん殴る!! オーォラァァ!!」
アイラの姿を見たマサヒコの驚きの言葉を、最後まで言わせることはなかった。
アイラの叫びと同時に放たれた“腕”から、【ゴォラァララララ×6】と轟音を伴って解き放たれた拳が、マサヒコの脳天を、顔面を、顎を――左右から“同時”に挟み込むように捉えた。
次の瞬間。
マサヒコの顔は、アイラの“6本の腕”から放たれた6つの拳によって、もはや“人の頭かどうかも分からぬほど”に潰れ、その場で息絶えていた。
頭を砕かれ、動かなくなったマサヒコ。それを見下ろし、6つの腕を軽く振りながらアイラは、怒りの形相を静かに解き、いつもの勝ち気な美女の表情で言った。
「今俺は、アンタの生命線を切った。伊藤マサヒコ。この後6歩歩いたら――おめでとう、アンタはあの世行きだ。“カレン様”に俺から、アンタを修羅道に推薦するって話しておいてやるからさ。せいぜい、俺の仲間にかわいがってもらいな……って、ああ、こりゃ聞こえてねぇか……」
そう言いながら、ふっと気を抜いたアイラの腕は、【シュン】と元のとおり2本に戻っていた。それと同時に、はあ、と一つ溜息を吐く。
「……それじゃあ、仕上げだな。」
アイラは最後に短くそう呟くと、その場から20歩離れ、指を【パッチン】と鳴らした。
そして動かなくなったマサヒコを残し、この真っ白で何もない空間を【スォオオン】と閉じた。




