その5:2026年3月16日月曜日・G県N市新町交差点「寄合館」③
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いつもこうして依頼人の話を傾聴している黄泉野カレンには、常々思っていることがあった。なぜこの世は、いい人と呼ばれる者が陥れられ損をし心を壊し、ずるい人と呼ばれる者がいい人を陥れ得をして笑って暮らせるのか。
彼、小山ジョウジロウも、いわゆる“いい人”の枠の中にいる人物。しかし、そういう人物は何かと標的にされやすい。そのことに対して、彼女は常々憤りを感じているのだ。
「G県N市連続電車飛込事故」。
これに直接かかわったのは間違いなく、今目の前にいる男性――小山ジョウジロウ。
しかし彼は、その場で“見えた人”に助けを求めていただけ。
だが、悲しいかなジョウジロウの姿は、首が不自然に伸び、右斜め80度に傾いた幽霊の姿。
彼の言う“その場で見えた人”というのは、彼から見える“自身の訴えを感じ取れる人”だったのだろう。
ほとんどのこの世の人があの世の人の姿を見られないように、彼らもこの世の人の姿を見られない。だが、どちら側とも波長が何らかの形で合ったとき、互いの存在を認識してしまう。それが、霊感と呼ばれるものの諸説の中の一つである。
ジョウジロウに肩を叩かれ振り返った人――この事故の被害者たちは、“幽霊小山ジョウジロウ”の姿に驚き、振り返ったままその場を駆け出して線路に転落した。
彼らが後ろを向きながら驚いたような顔をして転落していったのは、その場で誰かに押されたのではなく、そこにいた幽霊の姿に驚き、逃げようとした先が線路だった――
これが、「G県N市連続電車飛込事故」の顛末だった。
カレンの思いとして、小山ジョウジロウには同情の余地がある。
それは、彼が意図せず事故を起こしてしまったこと。そして――彼がうつ病になるまで精神的に追い詰めた上司・伊藤部長の存在。
小山ジョウジロウがうつ病を発症し、自死に至らなければ、この事件は最初から起こっていない。
だが、ジョウジロウが3人の被害者を出す事件に直接かかわっていることは、紛れもない事実だった。彼が自らの死を受け入れ、旅立つ先は――
「黄泉野先生。3人の人を事故に遭わせてしまった僕は、どうすればいいのでしょうか。」
喉の奥から押し出されるように、静かに空気を揺らしたジョウジロウの言葉に、カレンは腕を組み、小さな苦笑いと【フ】と小さなため息を吐いた。
「小山さん。意図したことではなくても、あなたが起こしてしまった3件の事故。これにあなたは強く関係しています。大変なことをしてしまった――それは事実です。ただ私は、この事故の件で“あなたが悪い”とは思いません。何事にも原因があり、結果があります。私は、この事故の原因の根本はあなたにはないと思っています。だから、今は気に病むことなく逝ってください。ただ、あの世でどんな審判が下るかは……私の口からは言えません。」
その言葉を聞いたジョウジロウは、思わず頭を傾けた。この人は何を言っているのだ、と。ここを紹介してくれた原アイラは、
『ああ、そこは問題ないよ。アイツも俺と同じで、アンタみたいなのの姿が見えるし、話もできる。まあ俺もアイツも霊能者とかの類じゃないけど、まあ……そういうことだ。』
と言っていた。そして今目の前にいる黄泉野カレン。
『今は気に病むことなく逝ってください。ただ、あの世でどんな裁定が下るかは私の口からは言えません。』
まるでそれは、あの世での裁定――あの世の行き先を決めるかのような口ぶりだ。
「黄泉野先生、原さんもそうなんですが……あなたたちは何者なんですか?」
その言葉に、カレンは【ん】と肩をすくめた。“ちょっと深く言い過ぎたかな”という思いが彼女の頭に浮かぶ。その思いを静かに笑顔へと変えながら、彼女は小山の質問に短く答えた。
「小山さん、それは知らぬが仏ですよ♪」
その言葉とカレンの笑顔が、ジョウジロウの質問を【ピシャーリ】と終わらせた。
◇◆◇
2026年3月5日木曜日、3時を迎えるころ。
面談の時間を終えたジョウジロウを見送るため、カレンはカウンセリング室の玄関に立っていた。その手には、長形3号の封筒が収まっている。
「ありがとうございました。いろいろ聞いていただけて少し楽になりました。原さんにもよろしくお伝えください。」
ジョウジロウは【スゥーっ】と頭を下げ、礼を言う。自分の死を受け入れ、これからあの世の裁定を受けに行く彼に小さな微笑みを投げかけたカレンは、手に持った封筒を彼に差し出した。
「道中お気をつけて。あと、これを。あちら側の受付の者に渡してください。」
特別なものというわけでもない、どこにでもある長形3号の茶封筒。それを渡されたジョウジロウは、パッパと封筒の表と裏を確認する。宛名などは書かれておらず、封のところにだけ『黄』と捺印されている。紙一枚が入っているのだろうと思える軽さ。
カレンの「受付の者に渡してください」という言葉に、“また何を言っているのだろう”という思いはあったものの、彼はその言葉を飲み込み、【コクリ】と頷いた。
「それと……小山さん。奥様、ハルカさんが今日の夕方、ここに来ています。駄目だと分かっていたのに抑えられず、あなたに強い言葉をぶつけてしまったことを、とても後悔してみえます。もし、ハルカさんに伝えたいことがあれば、お預かりしますが。」
カレンは、ジョウジロウの第一発見者である妻・小山ハルカのこと、彼女が心的ショックでPTSDを発症し、ヨミノカウンセリング室でカウンセリングを受けていることを、彼に知らせた。
それを聞いたジョウジロウの表情は、なんとも言いようのないものだった。複雑な感情であることは当然だろう。最も側にいて自分を心配してくれていた人であり、結果的に最後は強い焦燥感を引き起こす一因にもなった人でもある。
31秒間。彼はしばらく黙っていた。そして――
「自分を責めないで。今まで本当にありがとうと、お伝えください。」
ジョウジロウは、寂しさの中にあるさわやかな笑顔で、その言葉をカレンに預けた。
カレンはその気持ちを受け止め、【コクリ】と頷いた。
「黄泉野先生。ハルカさんのこと、よろしくお願いします。」
それが、小山ジョウジロウの最後の言葉だった。
◇◆◇
2026年3月5日、3時27分04秒。カウンセリング室の扉を抜け、空もまだ暗いG県N市新町通へと歩みを進め、ゆっくりとその姿を薄めていく小山ジョウジロウ。
その後ろ姿を見送りながら、カレンはポケットから愛煙している煙草“アニス”を取り出し、愛用のライターで火をつけた。
「ふー……」と、一息。
その一息に含まれているのは煙草の紫煙だけではない。小山ジョウジロウ、小山ハルカという二人への想い、そして二人を不幸にした――いや、五人、いや、「G県N市連続電車飛込事故」の被害に遭った全員を不幸にした根本的存在、“伊藤部長”への強い怒りが含まれていた。
眼鏡越しのカレンの黒い瞳の奥には、彼女が“すべてを見透かす人”である象徴の真っ赤な瞳が隠されている。夜明け前の闇空を見上げるその目は、明らかに心理カウンセラー・黄泉野カレンではなく、裁定者カレンの瞳を露わにしていた。
「……この件、アイラにしっかりシメてもらいましょうか。」
呟くように言葉を発したカレンの口元が、【ニャーリ】と微笑み――いや、闇笑みを浮かべていた。




