その4:2026年2月27日金曜日・G県N市駅「午前8時05分00秒」 ②
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「まもなく1番線に名古屋行きの電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください。」
到着前のアナウンスがホームに流れる。時刻は8時4分。定刻通りなら、あと1分で電車はN市駅に到着する。
アイラは5両目の乗車位置表示付近に立ち、【ピィィィィィン】と意識を研ぎ澄ませた。周囲の“この世の感触”と“あの世の感触”を同時に捉えながら、ホーム迫り来る電車を待つ。
彼女の集中は、周囲を見回すというより、自分を中心に半径1.2mの見えない網を張り巡らせているかのようだった。もちろんそんなもの、今ホームで電車を待つ世間一般の大多数の人々には見えもしないし、気付くこともできない。
これに気付ける者がいるとすれば――
アイラの友人たちの中でも、BARアムリタに集う数名か、あるいは今ここにいるとは思えない彼女の“同族”くらいのものだ。
東側から電車が駅に進入してくる。あと数秒もすれば、電車はアイラの立つN市駅改札口のほぼ正面――ホーム中央部の5両目乗降位置に到達する。
――そのときだった。
アイラは、明らかに“それまで背後には存在しなかった”この世ならざる者の気配がその場に【スゥゥゥゥン】と小さな波を立てて現れるのを強く感じ取った。
(来たか!)
だが、彼女はまだ動かない。そのままの姿勢で、微動だにせず、ただ“待つ”。
そして――
【トントントン】
右肩を軽く叩く、“この世のものではない感触”。
それにアイラは即座に反応した。両腕を動かすことなく、この世の者にも、あの世の者にも滅多に見えない“手”を使い、肩を叩いたその手を【ガシィン】と掴む。
【ビーックリィ】と一瞬大きく震えたその手を離さぬまま、アイラはゆっくりと後ろを振り返り、青い瞳の鋭い視線を“それ”へ向けた。
――が。
その視線は、次の瞬間ふっと緩み、アイラは小さく息を吐いた。
「……なるほど、そういうことか。」
アイラはその一目で、「G県N市連続電車飛込事故」の真相と、この事故が“今日で終わる”ことを確信し小さく呟いた。
その瞬間、電車はアイラの立つ5両目乗降口を通り抜け、いつもと変わらぬ朝の雑多な空気の中、ゆっくりと停車し、乗降扉が【プシュァーン】と音を立てて開いた。
◇◆◇
『おい、大丈夫か?』
口を動かすことなく、アイラは肩を叩いた“この世のものではない男性”に声をかけた。
見た目は30代ほど。きっちりした服装のはずなのに、どこかだらしなく着崩れている。整えられているのにボサボサにも見える髪。そして何より――その様子は、明らかに過呼吸だった。
空気を掴むように開閉する口。息が追いつかず、肩が小刻みに上下している。
アイラの肩に置かれた手は震え、視線はホームの床に落ちたまま動かない。
『ハッ……ハッ……ハッ……ハッ……』
(これはちょっと良くないな……)
苦しそうな彼の状態。そして、すぐ目の前には開いたばかりの電車の扉。このままここにいては危ない。
アイラは、どの周囲からも見えない“3本目の手”で掴んでいた彼の手をそっと離し、素早く肩を貸すと、乗降口から左へ逸れ、建物寄りのベンチへと彼を連れていった。
乗降口の列は規則正しく、しかし雪崩のように動き出し、人々は電車の中へ吸い込まれていく。その流れを背に、アイラは男性をゆっくりとベンチへ座らせた。彼は右側へぐったりと首を傾けている。
『ゆっくりで大丈夫だから、落ち着こう。ここで座っていれば大丈夫だ。』
アイラは静かに声をかけた。男性はうなずく余裕もなく、肩を震わせたままだが、
それでもアイラの声はどうやら彼に届いているようだった。
『ゆっくりな。急がなくていいからさ。ゆっくりでいいから。』
背中にそっと手を添え、普段の口調に少しだけ優しさを混ぜて語りかけるアイラ。
男性の呼吸はまだ乱れているが、しばらくするとその震えは、ほんのわずかながら落ち着き始めていた。
◇◆◇
ベンチに座り、ホームの喧騒が二度入れ替わるほどの時間が過ぎた頃、ようやく彼の呼吸は静かなリズムを取り戻し始めた。
その変化に気付いたアイラは、ふう、と小さく息を吐き、背中に添えていた手をそっと離した。
『だいぶ落ち着いたみたいだな。』
声をかけると、彼は【ブン! ブン!!】と大きく首を縦に振り、初めてアイラの方へ顔を向けのだが、その様子を見たアイラは思わず表情を引きつらせ、ほんの少しだけ身を引いていた。
『あ、ありがとうございました。助かりました。』
彼は一言で言えば“土気色で表情に乏しい”。だが、もとは良さそうな好青年――
いや、青年と呼ぶには少し年齢がいっているかもしれないが、精悍さを残したまま、意気だけを失ってしまったような顔つきだった。
ここからアイラは、彼にいろいろ聞かなければならない。だが、あまり緊張させて再び過呼吸になられても困る。とはいえ、どうしても確認しなければならないことがある。
彼は、自分の“今の状態”に気付いているのか。そして――なぜ、ここにいるのか。
しかし。
(これはどうしたらいいんだ? くっそー、こういう時、カレンがいてくれたら助かるのに!)
心の中でそんな弱音を吐きつつも、今ここにいるのは自分ひとり。
(ええい、どーにでもなれーっ)
腹をくくったアイラは、自身が苦手とする“会話での解決”に挑むべく、隣に座る“この世のものではない彼”へ声を投げかけた。
『俺は、原アイラ。アンタは?』
『……小山、小山ジョウジロウです……』
消え入るような小さな声で、男性はそう言い【グオン】と頭を下げた。
そして2026年2月27日、金曜日。「G県N市連続電車飛込事故」の真相は――
現実側の警察の捜査、駅の警備強化、そして非現実側のオカルト界隈の奇妙なざわめきをよそに、G県N市駅ホームのベンチに座る二人の会話によって、静かに明かされようとしていた。




