3.その聖具、気泡緩衝材
深夜24時前。
閉店前の客のいない駅前の100円ショップ『スマイル』のレジカウンターの中で、一ノ瀬りんは山積みになったグラスタンブラーと格闘していた。
「……なんでグラス100個も発注しちゃうかな、あのオーナー。全部包み直すこっちの身にもなってほしい」
たまに店に顔を出しに来たかと思うと、最近はこういうのが流行ってるんだよ!とどこから仕入れてきたかわからない情報を鵜呑みにし後先考えず発注をするオーナーを見るのはこれが初めてではない。
「あのたぬきめ...今度こそ絶対本社に報告してやる...」
ただでさえ深夜までの勤務で疲労困憊なのに、明朝の品出しのために一つずつ梱包し直す作業で、精神的にも肉体的にも体力はもはやマイナス域だ。
いつもは心のなかで静かに毒づいているりんも、独り言が多くなる。
梱包作業が一段落し、伸びをした瞬間、レジのすぐ背後にあるバックヤードへのドアが、『キィ……』と頼りない音を立てて勝手に開いた。
そこにあるはずの在庫の山はなく、代わりに広がっていたのは、禍々しい紫の炎が揺らめく、広大で寒々しい謁見の間。
そしてその玉座には、目の下に真っ黒なクマを作り、髪を振り乱して頭を抱える巨漢の男――魔王が鎮座していた。
「……ああ、眠れぬ。三日三晩、一睡もできぬ。我が魔力が昂ぶりすぎて、脳が裂けそうだ……!」
魔王は吼える。その咆哮だけで扉で隔てられているというのに、こちらの物までカタカタと震え、店内に嫌な振動が伝わる。
りんはレジカウンターに肘をつき、椅子の向きをクルリと背後の扉の方へ変えて、声を出した。
「……あの。そんなに怒鳴ると、作業の邪魔なんですけど。……っていうか、シンプルにうるさいです」
「ぬぅっ!? 貴様、どこから湧いた!? 刺客か!?」
魔王が血走った目で、レジカウンターに座ってこちらを見る不審な人間の女――りんを睨みつける。
「...ただのバイトです。時給1100円の。もうシフト終わりなんですけど……不眠症ですか? だったら、これでも潰して落ち着いたらどうですか。今、在庫の梱包が終わらなくて帰れないんで、とりあえずそれで時間潰してください」
疲れている時に魔導王の絶叫なんて聞かされたら、耳鳴りが止まらなくなる。
今でもすでに耳が痛いくらいだ。
「な、なんだ、その奇妙な透明の皮は……!? 貴様、そんなものでこの余を愚弄するつもりか!?」
不眠のせいか、りんを見る魔王の目はギラギラとしていたがりんは物怖じしない。
「いいから。こうやって、指で……(プチッ)。ほら、この中の空気の袋を一つずつ潰すんです。これ、意外と無心になれますよ」
りんは手元で使っていた『梱包用緩衝材』の端を、扉の向こう側の玉座へと放り投げた。
軽いものだから放り投げても魔王の元まで届かないかと思ったが、そこは異世界。
魔法なのだろうが魔王が手元まで引き寄せた。
「……ふん、馬鹿馬鹿しい。このような軟弱な供物で、我が荒ぶる魂が……(プチッ)」
魔王の巨大な親指が、小さな空気の粒を押し潰した。
「…………(プチッ。プチプチッ。……プチッ。)」
静寂が謁見の間と、100円ショップのレジ周りを支配する。
一粒潰すごとに、指先から脳へと伝わる微かな衝撃。弾ける音。
「な……っ!? この、指を押し返す絶妙な弾力、そして弾ける瞬間の甘美な解放感……! 指が止まらぬ! 思考が……我が魂を苛んでいた黒き衝動が、この一粒一粒に吸い込まれて消えていく……!」
先程までの態度とは打って変わって子どもに返ったような表情でプチプチを潰す魔王。
それをりんは冷めた目で眺めていた。
「……それ、110円(税込)なんですけど。あ、このロールごと欲しければ、お釣り出せないから金貨1枚でいいですよ」
「買う! 買い占めるぞ! 予備の『弾ける小宇宙』もすべて持てい!」
予想以上の声量にりんは顔をしかめる。
この魔王はちょうどいい声量というのがわからないらしい。
疲れた体で動きたくないりんは、グラスを梱包するために使っていたの業務用梱包用緩衝材ロールを扉の向こうに投げ入れた。
そんなりんの行動を知ってか知らずか魔王はプチプチを潰すのに夢中になっている。
「 おお、眠気が……三日ぶりに心地よい眠気が訪れる……」
魔王はうっとりとした表情で、もはや玉座から降りて床に座り込み、プチプチの山に顔を埋めながら指を動かし始めた。
静まり返る魔王城。
りんは椅子を再びレジ側へ戻し、魔王が投げよこしたずっしりと重い金貨を、スマホのライトで検分した。
「……よし。たぶん本物...。ってあれ梱包用のロールだっけ。まあ、110円レジに入れとけば『備品の買い替え費用』ってことで帳尻合わせられないかあ、無理か…明日買いに行くか…めんどくさ...魔王のせいじゃん...チッ」
彼女は自分の財布から110円を取り出し、レジに『チャリン』と投入した。
「はい、お買い上げありがとうございましたー」
誰もいない店内に、やる気のない声が響く。
在庫管理も完璧。レジの数字も1円の狂いもない...多分、帳簿上は。
「……あーあ。早く、換金レートの良い質屋でも見つけなきゃな」
りんは死んだ魚の目のまま、金貨をポケットにねじ込み、店の電気を消した。
どうでも良さそうに見えてりんは意外と小心者な部分もあるので後日ちゃんと自腹を切って梱包用のロールを買いましたとさ。




