文官のヨトフと不死王①
朝日が昇る頃。
ヨトフは寝ている母親の枕元に朝食をそっと置いて、死霊兵とともに家を出た。
いつも朝は早い。事情があって早く登城せざるをえないからだ。
家から城門まではゆるやかな坂が続く。
老齢のヨトフは城門にたどり着くだけでも息が上がってしまう。
途中、眼下に広がる草原が一望できる場所がある。
そこで立ち止まり、朝日が徐々に地面を黄金に染めていくのを眺めていた。
そんな時。
空から声だけが舞い降りてきた。
「ヨトフだな?」
ヨトフは空を見上げる。そこには何もない。
一度、死霊兵の方を見たが、とくに警戒している様子もないので答えた。
「……はい……」
「これを肌身離さずつけておけ」
宙に現れた縦に細長い影から、不死王が上半身の右半分だけを覗かせた。
不死王は黒い小さな輪を人差し指と親指でつまんで差し出す。
ヨトフはそれを間近でじっと見つめながら、両手で受け取った。
「どの指でもいい」
ヨトフはそれを右手でつまむと、左手の小指にはめた。
すると、それはスッと吸い付くように指にまとわりついた。上下に動かそうとしても動かない。
「うむ。また後で会おう」
ヨトフが顔を上げた時、そこにはもう誰もいなかった。
周囲を見渡しても、後ろに死霊兵がじっと立っているだけだ。
漆黒の巨城を見上げる。それは朝日に照らされても黒い。
左手の輪をかざし、城の頂上を見つめる。
そして、再び城門へ向かって歩きだした。
◇◇◇
漆黒の巨城の二階。会議スペースの片隅。
朝早くから、三人の男たちがこそこそと話をしていた。
リンセンドルク商会のヘロックは身を乗り出し、かつての同僚で今は文官となったチージョイルに顔を近づける。
「おまえ、出世したんだってな」
「……なんで知ってるんですか?」
「たまたま聞いた話だ。気にするな」
「窓を開けてくれればいい。おまえは善意の第三者だ」
「いきなり何を言い出すんですか……それで、そちらの方は?」
「新しいパートナーだ。色々とアドバイスしてもらってる」
そう言って、ヘロックは椅子に座り、新しいパートナー――元窓際文官フェトスの背中を押す。
フェトスはかなり高齢に見える。
まばらに混じる白く太い眉毛、深い目じりのシワ、目つきが妙に鋭く据わっている。
「もしかして……文官でしたか?」
チージョイルはフェトスの目を見て、探るようにたずねた。
その問いに、すぐさまヘロックが答える。
「面接で落とされた」
「……そういうことですか」
チージョイルは視線を落として考え込む。
自分の首にきっちりと巻かれた黄色いゴムの首輪をなぞりながら切り出した。
「この前、この首輪で初めて人が死んだんですよ」
「知ってる」
ヘロックは間髪入れずに答えた。
チージョイルは、ヘロックの顔を下から覗き込む。
「……まさか……」
ヘロックは突然、隣の壁を左手でぶん殴った。
衝撃で、壁に掛かっていたボードが床に落ち、バタッという音が広い空間に響き渡る。
チージョイルはまったく動じず、あきれた様子で落ちたボードを片付ける。
ヘロックは、チージョイルの座っていた席のはるか後ろを右から左へと歩く老人に視線を移し、小声で言った。
「あれは誰だ?」
「たぶん、筆頭じゃないですかね」
チージョイルはボードを元通りにしながら、振り返ることなく答えた。
「おまえ、不死王に会えるようになったか?」
「筆頭しか、会える人はいないと思います。もちろん私は用があっても会えません」
「すれ違うことくらいあるだろ?」
「すれ違うこともないです。ふだんどこで何してるかすらわかりません」
「これを偶然を装って……だな……」
ヘロックは足元に置いていた荷物から瓶を取り出し、中の液体をかける仕草をする。
「聖水? そんなのどうするんですか?」
「おい! それ以上、言葉にするな!」
「どうだ? ちょっとだけでいい」
「あなた、私の保証人なんですよ」
ヘロックは聖水をさっさとしまい、声を低くした。
「お前ら、人が足りないんだろ?」
「そうですよ。足りてません」
「であれば、出せそうな仕事はなるべく外に回してほしいのです」
フェトスは穏やかな口調で言った。
「そういうことですか。窓を開けるというのは……どうやって、その仕事を確実に受注するんですか?」
「お前は心配しなくていい」
ヘロックの視界。チージョイルのはるか後ろに、歩き去ったはずの老人が右から入ってきた。
「……筆頭は双子か何かか?」
「いえ、おひとりです」
ヘロックは目をこすりながら、部屋から出て行く老人を茫然と見ていた。
◇◇◇
その日の午後、城の会議室で。
ヨトフが壇上で椅子に座っている。
目の前には首輪付きの文官十二人全員が集まっていた。
「金庫番ですか……」
目の前の文官がつぶやく。
「城の二階に新設する。資金の預かりと引き出し、移動が主な仕事。あとは……細かい規則はそこに書いてある通り。この中から最低でも二人は担当してもらいたい……」
ヨトフは文官たちを見回した。文官たちは手元の書類を読んでおり、紙をめくる音しかしない。
――ガタタッ!
ヨトフの座っていた椅子の脚が突如、音を立てて揺れ始めた。
その音に驚いて顔を上げた一部の文官たちと目が合ったのと同時に目の前の景色が変わった――
ヨトフは気づけば不死王の執務室の椅子に座っていた。
目の前では、不死王が壁に貼られた紙を眺めている。
不死王はそのまま、ヨトフに話しかける。
「取り込み中だったか?」
ヨトフは自分がどこにいるのか理解できず、頭が回らなかった。
「……いえ。ですが、その……」
「では、終わったら、連絡板に書き込んでくれ」
「えっ……」
不死王が頷くと同時に、ヨトフはさきほどまでいた会議室に戻っていた。
一部の文官たちが目を見開いて、ヨトフを見ている。
何事もなかったかのようにヨトフは文官たちに問いかけた。
「……希望者はいないか……? いなければ、こっちで決めるぞ……」
◇◇◇
文官たちを集めての全体会議が終わった。
少ない人数で仕事を回すのは難しい。
ヨトフは一向に増えない文官にもどかしい気持ちを抱えていた。
壇上の椅子に座り、下を向いたまま、その対策を考える……。
その時、ふと、文官の一人から声を掛けられた。
「ヨトフさん。ご相談が……」
ヨトフは顔を上げる。
「そうだったな。稟議書はできたか?」
「はい。お願いします」
ヨトフは稟議書の内容を確認する。
「ん……募集期間が短いけど、三十人も大丈夫か……? わかった……陛下には今日中に……」
ヨトフが目線を上げると、そこには不死王が立っていた。
「すまない。間違えた」
「えっ……」
また、いつのまにか不死王の執務室に来ていた。
「今日中にというのは何だ?」
「えっ……はい。あ、これ稟議書です。お願いします」
ヨトフは手に持っていた書類を机の上に置いた。
不死王はその書類をチラッと見てから、外の方を見た。
「サインがないぞ……ところで、そろそろ日が暮れるな……」
「……はい」
ヨトフは急いでサインを書き終えると、同じく外の方を見る。
「今日はもうキリがいいであろう?」
「……はい……何か用があったのでは?」
「明日にしよう……何かあれば遠慮なく連絡板を使うのだぞ」
不死王はヨトフから連絡板以外の書類を回収して手に持った。
「行くぞ」
「は、はい」
不死王とヨトフは一瞬で城門へと移動した。
その姿を見た城門の死霊兵の一人が、ヨトフに歩み寄ってきた。
夕暮れの赤い光が、城の前の緩やかな坂道を長く照らしていた。
「では、失礼いたします」
ヨトフは一礼すると、死霊兵の手を握り、坂道を下り始めた。
不死王は、門の前に直立したまま、じっと見つめている。
坂を下る途中、ヨトフがふと、後ろを振り返った。
不死王の視線とぶつかった気がした。ヨトフは慌てたように、もう一度深く頭を下げる。
そして、再び前を向いて歩き出した。
その間、不死王は微動だにしなかった。
見送りの手を振ることも、声をかけることもなく、ただそこに立ち尽くしている。
少し進み、ヨトフがまた振り返った。
やはり同じ姿勢で佇む不死王を見て、ヨトフは恐縮したように肩をすくめ、また頭を下げる。
ヨトフが坂を下りて振り返る。
すでに、城門に誰が居るのかわからないほど小さい。
ただ、不死王は変わらず、そこに立っていた――
家に戻ると、食卓の上に鍋とパンが二つ置かれている。
ヨトフは鍋のフタをあけ、目を閉じて、匂いを嗅いだ。
死霊兵を座らせると、その前にパンを置き、スープを器に盛った。
ヨトフも自分の分を準備すると、死霊兵の対面に座る。
死霊兵は食事をすることはない。ヨトフを見つめたままだ。
ヨトフは時折、死霊兵と目線を合わせ、食事を口に運んだ。




