帰れなくなった治癒師⑥
[視点:シーチェルダ(神聖国の西側代表代理/ラスティネルの上司)]
ここは神聖国の真ん中。
白を基調として所々に淡いピンクが入った薄い石造りの楼閣がある。
その中は一年中ひんやりしており、ツンとしたお香のような独特のニオイが漂っている。
ここで十日に一度行われる四人会議がもうすぐ始まる。
今日は東西南北それぞれの責任者が一堂に会し、当主であるオミユシ様に対して現状を報告する。
オミユシ様は神聖国の守護神。
神聖国そのものを体現する絶対的な存在と誰もが思っている。
その御前で、私は代理で西側の窮状を報告しなければならない。
中央にオミユシ様が北を向いて手を合わせて座られている。陶器のような被り物で頭部をしっかり隠しているので、どこを見ているのかわからない。頭の上には白くて小さなフクロウがピッピ言いながら、せわしなく羽を繕っている。
私の左側には北側の責任者コノソロス。口髭もお腹周りの脂肪もたっぷりと蓄え、腕組みをして寝ているようだ。対面には東側の責任者ライユチ。責任者の中では最年長。老獪な紳士といったところか。そして、右側は南側の責任者ロライレン。私より少し年上か。ここに入ってくる時は一本足の乗り物に器用に乗りながら入ってきた謎の多い人物である。
「北から報告を始めようぞ」
オミユシ様の言葉に、コノソロスが寝ぼけたように目をゆっくり開ける。
私にとって初めての四人会議が始まった。
◇◇◇
「……以上が現状です。私を除いた西側担当の治癒師全員と連絡が取れなくなって、二週間が経過しました。ロレンスマーク王国との国境にある湖に発生した異常により、足止めをされているものと思われます。なお、湖の向こう岸に一名、生存者がいることは確認済みです」
私の報告を、オミユシ様は静かに受け止めた。
「……。シーチェルダよ、私の力が必要であれば、遠慮なく言いなさい」
千載一遇の好機。私は即座に頭を下げた。
「オミユシ様。ぜひ、お力をお貸しください」
「貴様ッ、遠慮というものを知らんのか!」
間髪入れずに、コノソロスが鋭く睨みつけ、怒鳴り声を上げた。
会議が始まるまで居眠りしていたとは思えないスピードだ。
私は目線を下げたまま、嵐が過ぎ去るのをじっと待つ。机に映った私の影が揺らめいているように見えた。
「よい。シーチェルダ、今すぐにでも向かおうぞ」
オミユシ様がコノソロスを手で遮り、腰を上げようとするので、私は冷静に付け加えた。
「オミユシ様。現場はかなりの距離がございます。三日は見ていただかねばなりません」
「そんなに長く、この国を離れられるわけがなかろうが!」
またコノソロスだ。真っ二つに割れんばかりの勢いで机を叩いている。
「よい……。では、明日出立することとしよう」
「オミユシ様! ご再考を! そんな危険な場所に行ってはなりません! まずは現地調査をしてから……」
必死に食らいつくコノソロスをよそに、オミユシ様は頷いていた。
四人会議終了後、皆が席を立つ中、正面に座っていたライユチが近寄ってきた。
「もし治癒師が不足するようなことがあれば、遠慮なく言いなさい」
「はい。ありがとうございます」
そう言うと、ライユチは含んだ笑みを浮かべ、すぐに振り返って帰って行った。
表情も言葉も優しかったが、第六感でいちばん恐ろしい気がした。
部屋を出たところで待っていたのがロライレン。
一本足の乗り物でじっと立っていたが、私と目が合うと降りた。
「これあげるよ。たぶん、役に立つと思うよ。うちは治癒師の数が少ないから人は出せないけど」
「えっ? ありがとうございます」
そう言うとロライレンは満足そうにして鼻歌混じりで帰って行った。
「これ、どうやって使うんだろう……」
◇◇◇
神聖国から出て、最初の稜線に立った。
私の後にオミユシ様たちが続く。
オミユシ様が動くとき、その周囲には三人の守護者が控えている。
左右、背後。音もなく付き従い、一切の隙がなく、測ったような一定の距離を保ち続けている。
今日は、あの白いフクロウがいない。
「シーチェルダ。確認だが、これから向かう先はこの方角で間違いないな?」
オミユシ様が、正面にある三面の山のうち、いちばん左を指さした。
「はい。そうです」
「目を閉じて、体の力を抜きなさい」
オミユシ様はそう言うと、私を陶器のような質感の両手で抱きかかえた。
「目は閉じたままですよ……」
「はい……」
空を飛んだことはないが、たぶん、感じる風と重力でそんな気がする。
何度か力強く着地するような衝撃を感じた後に、静かに降ろされた。
「目を開けてください。このことは、内緒ですよ」
視界を開けた時、すでにあの黒い湖の前に到着していた。
湖のほとりに立ったオミユシ様が、静かに右手をかざす。
指先をピンと立てたまま、微動だにしない。
それなのに、湖面を塞いでいたおぞましい黒いモヤは、見えない巨手に引きはがされるようにして一気に宙へ舞い上がった。
そして、あっけなく散り散りになって消えていく。
しばらくすると、以前と変わらない、青空をそのまま映す湖面と、清らかな静寂が戻ってきた。
私は、圧倒的な力で一変した光景に、視線が釘付けにされた。
オミユシ様の力は、私の想像を遥かに超えている。
「シーチェルダ。今度は体の力だけ抜いてください」
再び両手で抱え上げられる。
オミユシ様は三人の守護者を引き連れたまま、ためらうことなく湖へと踏み込んだ。
その足が湖面に触れた瞬間、波紋すら立てないまま体が宙を舞う。
まるで水切り石のように、水面を跳ねて突き進んでいく。
一歩ごとに景色が猛烈な勢いで後方へと去っていき、風が頬をかすめた。
瞬きをすることなく、気づいた時には私たちは対岸へと降り立っていた。
安堵できたのも束の間。
振り返れば、消し飛んだはずの黒いモヤが、再び湖底からじわじわと湧き上がってきている。
やはり、湖の中に黒いモヤの原因があるのかもしれない。
オミユシ様も湖を眺めているが、その表情はわからない。しかし、その目からは逃れられない圧が湖面に向けて放たれているのが伝わってくる。
普段見せない冷たい視線に、私は背筋が凍る思いだ。
ただ、こちらに振り向いた時には、いつもの穏やかな目に戻ったような気がした。
オミユシ様は両親指を重ね、音叉のような形にすると、何かを探すように無造作に歩き出した。
その指先で何か感じ取ろうとしているのかもしれない。
「わからぬ……。このあたりで見たのであろう?」
「はい」
やがて、オミユシ様は吸い寄せられるようにして足を止めた。
そこには、周囲の景色とは不釣り合いな、明らかに違和感を放つものがある。
オミユシ様は、平然とその薄いピンク色のくぼみに腰を下ろした。
私たちはまだ気づいていなかった。
そのすぐ真下に、私たちが探している治癒師の一人がいたことに。




