47.1945年(春和元年)10月 イスタンブール⑩
「三崎夫妻はあんたが殺ったんじゃないよな?」
目下、一番怪しいのは彼、ダニエル・スペンサーだった。
彼は英国製消音器付き拳銃の入手が可能な諜報員で、なのに、射撃の腕前が壊滅的。
消音器付きの拳銃が使われた、やけに『無駄撃ち』の多い殺人現場から推測すると──よほど動揺していたか、下手くそか。
マコトは静かな灰青色の目で、その下手くそに該当するダニエルを見た。
ダニエルの榛色の目は一瞬、見開かれた。
「……そんなわけないだろう、マコト。私よりエリザベスにやらせたほうが、よほどスマートだ」
だが、すぐに呆れたように肩をすくめて、首を横に振る。
「……だよな。それを無理心中に見せかけようだとか、素人じみたことはやらないだろうし」
マコトは息をつく。
ダニエルは条件が当てはまるだけで、実行するなら、相棒のエリザベスだろう。
「撹乱するにしたって意味がなさすぎるだろう。わざわざ八洲製の拳銃を握らせたっていうじゃないか?」
しかし、『現場を知る者』しか知らない情報には、引っかかった。
この場合は──。
「……ダニエル、あんた、トルコ憲兵から捜査情報を流してもらっているのか? そこまで知ってるってことは……」
「ああ。使われた拳銃が、MI6から流出したものみたいでさ。もうとっくにここにもトルコ憲兵が『事情聴取』に来てるんだ。まあ、座って話そうか。奥へどうぞ」
笑いながらそれを明かしたダニエルに招かれるまま、マコトは廊下の奥へと進んだ。
「久しぶり、マシュー」
目を合わさずに、エリザベスが言った。
幅広パンツの動きやすそうな部屋着姿のエリザベスは、リビングルームの奥の窓際の椅子に座っていた。
ゆっくりと息を吐き、煙草を燻らせている。
一見、ぼんやりと一服しているように見えるが、視線はイノニュ通りの方へ落ちている。
灰皿には吸い殻がこんもりと山を作っていた。
女帝の仮御座所カメリア・パレスと大八洲帝国大使館事務所を、長時間監視していることが窺えた。
「煙草、吸いすぎだぞ。歌声、出なくなるぞ。ミュージカル女優の端くれなんじゃ、なかったのか?」
「……うっさいなぁ」
マコトが言っても、エリザベスは煙たそうに煙草を咥える。
「……マシュー、あんた、チカコの側に残ることにしたんだ」
エリザベスの視線は一切振り返らず、窓ガラスの外を見つめたままだ。
「まあな」
マコトが短く答えると、エリザベスは煙草の煙を吐き出す。
「あんたは、退役したら過去には何もなかったような顔で家族作るような奴かと思ってたけど」
「……少し前まではそのつもりだったよ」
「でも、あの子を選んじゃったか……『王冠を捨てた恋』でもすんの?」
英国は九年前に先王が離婚歴のある米国人女性と結婚するために退位を選んだ。
それを揶揄する言葉の一つが『王冠を捨てた恋』だ。
──そんな醜聞は御免被りたい。
彼女のためにも、自分のためにも。
本音と内ポケットの中の睦子から預かった指輪を頭によぎらせながら、マコトは首を横に振る。
「王冠じゃなくて帝冠だが……帝国にはないんだ、代々伝わるような冠が」
「え、ないの?」
「ああ、帝に代々伝わる継承の証は剣と勾玉で、あと鏡……鏡は帝都の宮城の神殿にあるが、剣と勾玉は牧原侍従長が持ち出していて、今はこちらにあったはず。冠はあるにはあるが西洋の感覚だと帽子に近いし、男性用だし、あれ……女帝のときはどうするんだ?」
「そんなの、あたしに聞かれても知らないよ。あんたと違って王族なんか雲の上の人じゃん」
「俺だって王族や皇族なんて雲上人だし、宮廷のことなんて知らないんだよ。あくまでも無位無官の臨時雇いなんだから」
践祚式で剣璽は睦子へ継承されてたが、内々の儀式であり、内外に公に知らしめる即位礼はまだ、先帝の喪中のため、執り行われていない。
だから、マコトは女帝が即位礼のときにどういった冠や衣装を纏うのか、という知識は持ち合わせていなかった。
女帝が即位するのは一八〇年ぶりだ。
写真が、まだ、ない時代だ。
文書の記録は残されているだろうが、宮廷とは、マコトにとって本来縁のない、やんごとなき方々の世界だ。
マコトはため息をつく。
「で、話を戻しても構わないか?」
ダニエルがコホンと咳払いをする。
「トルコ憲兵が取り調べに来たけど、私とリズはここに張り付いてたから犯行は不可能、武器も横流ししていない。マシュー、お前も私たちから武器をくすねていないだろう?」
「……やってないぞ」
「ここに着いて、武器類は真っ先に確認してるさ……それで、カメリア・パレスから女帝連れで八洲大使館事務所に跳び移ったのは見ていたが……お前は女帝連れでは、殺しはやらないだろ?」
「……」
「だから、お前もおそらくシロ」
「……何が言いたい?」
「この件では、マシュー、お前と協力出来ると言いたいわけさ」
「そんな簡単に……」
「マシュー、お前、亡命宮廷側を信用していないだろう?」
ダニエルはマコトの痛いところを突く。
マコトだけではなく、おそらく睦子も、だ。
彼女は牧原侍従長をはじめとした随員を信用しきれていない。
──それもあるから、あえて、強くまとめるような態度を取っていない。
都合よく『女帝』の立場を利用されない為に、あえて舐められるような態度を取っている気もする。
──それに、元々の人との距離が近い性質が、命令を好まない。
それから、君臨すれども統治せず、の立憲君主の立場を崩したくない、それもあるのだろう。
そして、その警戒心の例外があるとすれば──女官長代理の荻野ぐらいか。
幼少期から仕えた、気安く『気の利く』、自らの手足になる女官──。
「……こちらが不利になるような情報は流さないぞ」
しばらく考え込んだマコトが眉間に皺を寄せて言うと、ダニエルはわざとらしく肩をすくめた。
「もちろん、構わないさ。英国の世論は行方不明の女帝を見つけ出して戦犯として処罰すべき、という声も大きいが、政府としては君主がいて安定してくれる方が助かる。ほら、ウチも王様のいる国だから、石を投げて跳ね返って来るのは御免だ。少なくともMI6はその立場で動いている」
榛色の目がマコトをまっすぐ見た。
「睦子に危害を加える気はないことだけは信じてほしい」
そして、ダニエルは、ウインクをしようとして、うまく出来ず、両目をつぶった。
*
ダニエルは『MI6の構成員の一人が、ベイオールの酒場で消音器付き拳銃を紛失した』と教えてくれた。
そのとき、口元にホクロがある東洋人の女と一緒だったとも。
──口元にホクロがある東洋人の女。
記憶の片隅の残像が一瞬、よぎる。
だが、マコトはこんな場所にいるはずは、ない、と頭を振る。
カメリア・パレスに戻り、喉が渇いたな、と思ったマコトは玄関から奥の食堂へ向かった。
食堂にはトルコの伝統的な湯沸かし器のサモワールが置いてあった。
サモワールは中央の筒に炭を入れ、周囲のタンクの水を沸かして保温する、という仕組みになっている。
夜中なので炭は随分前に主厨長の安元が足したきりで弱火になっているが、コックをひねると煮沸済みのぬるい湯が出る。
カップに注いで、白湯を飲み、息を吐く。
ふと、物音が聞こえた。
厨房からだった。
──誰だ。
侵入者の可能性もある、とマコトは警戒しながら、食器の返却口から覗き込んだ。
ガタン、と音がする。
厨房真ん中の床下収納庫の床板が開き、『中折れ帽』を被ったままの綾小路が出てきた。
手には懐中電灯と革のブリーフケース。
収納庫に保存されているであろう食料や酒類は、おそらく持ち出していない。
外出先から今さっき戻ったばかりのような出で立ちは、妙だ、と違和感を覚える。
──食料庫の先に、隠し通路があるのか?
その可能性が、マコトの脳裏に過った瞬間、綾小路と目が合った。
「なんや、バレてしもうたか」
綾小路はいつも通りの細い目をさらに細めて、わずかに口角を上げた。
次回更新は2026年6月4日(木)21時頃を予定しております。




