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ツキミ・エルザード・アルザラッハ-2-

 閉鎖された区画には世話係なども立ち入らない。当然、主人であるツキミもそうであろう。世話係が何人いるのか見当もつかないが、時間は限られている。虱潰しに、というわけにはいかない。

 この館の主人ということは、やはり高い所にいると考えるべきであろうか。


「うっ」


 蜘蛛の巣に阻まれ、鼠と仲良く並走しながら、ようやく階段を見出した明人は、しかし人の気配を感じて、ある一室に身を隠した。施錠されていなかったのが幸いである。

 そこは客室の一種だが、倉庫とされているようだ。木箱やら古いカーテンやらが置かれている。明人の目を引いたのは本棚であり、縦横三〇センチメートルほどの人物画も飾られている。黒い髪に黒い瞳、シルクのドレスを着た女性だ。明人にはどこか、懐かしさを覚えるものがある。

 その人物画に手を伸ばそうとしたとき、ドアが開けられた。咄嗟に本棚の隅に身を隠す。


「(く、くしゃみが出そうだ……!)」


 こういうときに限って、体のどこかしらが痒くなったりするものである。むず痒いのをなんとか制して、明人は部屋に入ってきた人物をやり過ごそうとした。


「やっと見つけた。バロルったら、こんなところに置いていたのね」


 女性だ。しかも若く、あの女中とは声の印象が違う。透き通っていて優美さがあり、どこか星々と対話するかのような趣がある。

 本棚に近づいたようだ。女性は人物画を手に取って、しばらく眺めていたようだが、


「ツキミ様!」


 老執事の声に体をびくりとさせ、小走りに本棚の隅に身を隠す――――。

「……!!」

「あら」


 女性を抱きとめる形となって、明人はしばらく動けないでいた。女性のほうも、金褐色の瞳を明人に向けたままである。

 老執事の声が近くなって、硬直から解き放たれた明人は女性を庇い、息をひそめる。

 気配が部屋を通過するのを感じ取ると、同時に安堵の息が漏れて、顔を見合わせた。


 ジュゼッカもそうだが、この女性の肌は彼女よりも幾分か白い。黒地に紫が透けるドレスが肌の白さを際立たせているようだ。黒く長い髪には銀のワンポイントが施されている。


 一目見て確信した。


「ツキミ様?」

「はい」


 まったく澱みのない返事は、そよ風が頬をくすぐるようだ。


「よかった。あなたに会うことができて」

「それはなによりです」


 微笑みはパンジーの可憐さと、可憐なだけではない美しさと思慮深さが窺える。

 途切れがちの会話は、明人が慎重に言葉を選んでいる結果であった。ツキミの見目が想像以上に美しかったこともある。


「あなたのお名前をお聞きしても?」

「あ、俺、アーキット・シーイングといいます」


 ツキミは頷いてから、視線を下げた。抱かれたままの肩がある。

 慌てて放し、非礼を詫びる姿を見て、ツキミは柔らかな視線を向けた。白皙の頬には少しだけ、朱が差しているような気がした。


「あなたには温もりがあります。どこか懐かしいような。敵でないことはわかりますが、ご用件はなんでしょうか」

「フィルブランドを助けて下さい」

「……」


 金褐色の瞳は驚き、次いで沈痛な色相を表している。聡明な彼女は、これが尋常ならざる事態であることを察した。


「なにごとが生じたか、お聞かせください」


 黒髪の美しい女性は場所を移すべく、明人を誘った。


 非常にゆったりとした、優美とさえいえる歩調で誘われたのは、ツキミの自室であった。執事や女中たちに見つかるかもしれないと気が気でない明人は急いていたものだが、ツキミに侵しがたい雰囲気があって、ついになにも言い出せないままだったのだ。使用人たちに見つからなかったのは偶然であろうか。

 ツキミの部屋はまず、豪勢というべきである。高さ五メートルほどの天井にはシャンデリアがあって、二〇畳もの空間には天蓋つきのベッドに三面の鏡台、本棚が三つとツキミと同じ黒髪の女性が描かれた肖像画、桐のチェスト、ティータイム用のテーブル、ソファ、暖炉がある。いずれもが洗練されていて、華美ではないが伝統を感じるものだ。


 明人はティータイム用のテーブルに通され、ソファに座った。客に対して茶の一つも用意するのが礼儀というものだが、そもそも明人は招かれざる客であって侵入者なのである。


「お茶の一つもあればよいのですが……」

「い、いえ」


それでも生来のものか、ツキミは申し訳なさそうに不備を謝した。


「使用人たちは、私が許すまではこの部屋に入りません。それに、今頃は私を探して屋敷中を回っているでしょう」


 少しの間なら、時間があるということか。簡潔にツキミに説明せねばならない。が、そんなことが可能なのだろうか。


「アーキット、といいましたね。御存じのとおり、私はすでに世捨て人となりました。私にはなんの影響力も発言力もありません。アルマリーはそのことを知っているはず。そのうえであえてあなたを遣わしたのですか」

「……知りません」


 小首をかしげる。目の前にいる黒髪の少年の言葉は、明晰な彼女でも理解が及ばなかった。


「俺はあなたのことを知らないんです。あなたが魔女と呼ばれている理由も、なにもかもです」

「どういうことでしょう」

「……」


 明人には迷いがある。自分は異世界から来た人間だなどと、誰が信じるものか。

 しかし、言わなければならない。これほど民衆から蔑視され、軽視されているツキミに権力がないことは明白だ。

 察するに、フィルブランドはツキミの凋落の煽りを受けてあの僻地にいたのだ。そして彼らは帰参の機会を窺っていた。勘違いから、アルマリーやジュゼッカはツキミと通じている「アーキット・シーイング」がなんらかの密命を帯びてあの村に来たものだと思っている。だからこそアルマリーは明人の身代わりになったのであって、すべてが勘違いから生じたものだとすれば、その勘違いの根本原因を彼女に伝えねばなるまい。たとえ、信じなくとも、伝えるだけで義務や義理の何割かは果たされるはずだ。


「これから言うことは、誓って真実です。どうか、聞いてください。でも、信じなくても仕方ありません」


 ツキミは金褐色のなかに思慮深げな色をたゆたわせている。少年の言葉になにが隠されているのか考えているのだろう。

 少年の黒い瞳は訴えている。その黒い瞳は、彼女にとって決して不愉快なものではなかった。


「聞きましょう。ですが、言わせてもらえば、懸念されることはありません。おそらく私は信じるでしょうから」


 驚いて見返すと、美貌の女性は柔らかな笑顔さえ浮かべていた。見ず知らずの男が妙なことを口走っているというのに、肝が据わっているのか抜けているのか。


 だが、そこには安心させるなにかがある。


 言葉を選んでいる余裕はないし、そもそも理路整然と説明する自信はない。


「俺の本当の名前は、月見明人といいます」

「!?」

「だからこそ、あなたとの関係を疑われて投獄されました」


 気づいたら森のなかで寝ていたところから現在まで、たどたどしく、拙く、迂遠であり乱雑かもしれないが、とにかく言うべきことは言った。

 ツキミは明人の説明に驚きながらも、口を差し挟むことなく、頷きを交えながら聞き入っていた。金褐色の瞳はむしろ、興味津々といったような態であった。

 話し終えて一息つき、額に汗がにじんでいることに気づいた。ずいぶんと熱っぽくなってしまったようだ。ツキミが熱心に聞き入ってくれるものだから、興奮したのであろう。


「えぇっと、こんなところです。信じてくれませんよね」

「言ったはずですよ。信じるだろうと」

「……信じたんですか」

「ひとつお聞きしても?」

「はい」

「ここへはどうやって?」


 普通なら、結界があるために入ってこれないはずだ。


「わからないんです。さっきの決闘のときもそうだったけど、普通に、こう、するっと」


 美しい黒髪の女性は破顔した。愉快な表現をする、と思ったのではなく、得心がいったのだ。

 しばらくくすくすと笑って、ツキミは柔らかな笑顔を明人に向けた。


「明人」


 ツキミははっきりと、違和感なく流暢に明人の名を発音した。


「私はあなたを信じます」

「ほ、本当に?」

「異世界からの来訪者……私は間違ってなかった」


 嬉しそうに、そして微かに震えながらツキミは視線を落とした。その瞳は時間を超えているかのようだ。明人に視線を戻したときには、普段どおりの彼女だった。


「ツキミ様、じゃあフィルブランドを助けてくれますね」

「……それが可能か、今度は私がお話ししなければなりませんね」


 表情の翳りが、これから話されるであろう内容を明人に予期させる。


「私は妹を殺そうとしたのです」

「え?」

「幼いころの蒙昧、私は王位簒奪を企んだ大逆人」


 嘘だ。明人はなぜかはわからないが、直感した。一つには、彼女の人となりにそぐわない。まだ会って一時間も経っていないが、受け答えは明晰で、立ち居振る舞いは流麗で、その視線は柔和だ。とても妹を殺害しようとしたなどとは思えない。

 なにより、彼女の表情が透き通りすぎてむしろ、空虚だったのだ。


「真実を」

「……」

「あなたのことが知りたいんです」


 ツキミはしばらく明人を見つめていた。その時間は明人の世界の表現を借りるなら、秒針が二週はするかというものだった。

 やがて意を決して、ツキミは話し始めた。


 アルザラッハ王国の王、ルドウィンには二人の妃がいる。一人は正室であるマレーナ。もう一人は側室であるソレイユである。ルドウィンが即位して五年が経った頃に正室を娶り、その三年後に側室を迎えた。

 それぞれの妃は一人ずつ、子供をもうけた。いずれも女子であり、正当な王位継承たる男子でないことが残念がられたが、ルドウィンには些末なことであった。彼は開明的な思想の持ち主であり、柔軟であり、剛性にも富んでいたから、この際、女王でも構わないと思っていたのだ。

 重臣にはその考えに反対する者も多かったが、いかんせん、王の固い決意である。初の子が生まれたのが、ルドウィンがすでに四〇を迎えんとしていたから、というのが大きな理由である。


 反対していた重臣たちもついには折れ、姉のほうに王位継承権の一位たる資格を認めた。ただ、これはまだ一般的には公表しない。姉妹の年齢が幼いこともあるが、なにより、正統なる後継者は男子である、という考えが根付いているからだ。公表するのは、何年か後に肉体的にも精神的にも成長し、思慮深さと人間性に磨きをかけたときであろう。


 姉は聡明な子であった。知識に対する欲求が高く、父や家庭教師の魔導師たちを質問攻めにしてはたじろがせていたものである。その欲求に相応しく、彼女はなんでもよく知り、考え、また魔法の素養も目を見張るものがあるから、周囲は期待を大いに寄せることになった。


 一方、妹のほうは、学問や魔法に対しての興味はほとんどない。勉強をしないというわけではなく、むしろ積極的に姉と同じことを学んだ。それは知識のためではなく、姉に対する憧憬や親愛、あるいは競争心のためであった。彼女の関心は、動植物の生態や乗馬、剣術などに比重が傾いていた。よく姉を伴って城から出ては、親衛隊や騎士団の手を焼かせていたものである。


 大人しく、聡明な姉と、お転婆で闊達な妹。どちらが王位を継承するに相応しいかは、誰の目にも明らかであった。


 ただ一つ、問題があるとすれば、王位を継承するべき姉が側室の子であるということだった。


 王は第一子である姉に王位継承権の一位を認め、重臣たちもそれに従った。姉妹はまだ幼く、そんなことには興味もない。ただ一人、正室であるマレーナが納得していなかったのだ。

 基本的に王位継承は正室の男子がするべきである。これはアルザラッハ王国の法に則っているわけではなく、暗黙の了解的なものであるが、この場合、女子であるから、改めて子をなすか、または養子をとる方法もある。その点、ルドウィンは女王も構わぬという考えだから、正室の子である妹のほうに継承権の一位が確約されるはずだった。


 それが、第一子とはいえ、側室の子に譲らねばならぬというのは、正室としての立場がない。ルドウィンはそのようなことにこだわることはないであろうが、彼女自身が耐えられなかったのである。


 彼女は王に訴えたが、王は頑なだった。理由の一つには、姉の利発さが気に入っていたというのがある。男子ならば剣術や乗馬に優れているほうが好ましい点があるが、女子ならば魔法や学問に通じているほうがよいというのがルドウィンの考えだったのだ。男尊女卑的な思想がいかに開明的なルドウィンにも無視しがたかった、という点も否めないであろう。


 比較して、妹にそれを望むというのがルドウィンにはできなかったのだった。実の子供としての愛情は変わらないし、未だ幼い彼女たちがこれからどう成長するかは未知数ではあるものの、後継者として見ると、姉の思慮深さと聡明さ、柔らかで落ち着いた雰囲気というものが決定打となったのだ。


 しばしば、王としての職務という色合いが濃くなる夫婦の営みというものも、いよいよ姉に王位を継承させようと決めると、以前に比べて激減している。正当な後継者たる男子をもうけるのも、望みは薄い。


 ではどうするか。


 簡単なことだ。姉を追い落とせばよい。母である側室のほうから、という手もあるが、それではルドウィンが諦めきれない可能性がある。諦めざるをえない状況に追い込まなければならない。


 妹は、姉を伴ってよく城を脱け出してケレンの森に出かける。姉は渋々といった態だが、まさか妹一人にするわけにもいかないから、たしなめつつもついていく。彼女自身、冒険が楽しみになっていたこともあるであろう。


 さすがにケレンの森の奥深くまではいかない。ちょっと入った、小川がせせらぐ場所で寝転がったり、茸を採集したり、小川に足をつけてはしゃぐ程度だ。


 王妃はケレンの森に手の者を配置させ、魔獣を姉妹に襲わせるように手引きさせた。決して害が及ばないように、寸でのところで助け出させるのだ。少々の怪我をさせても仕方がないが、まさか王位継承の第一位が死亡してしまっては、親衛隊、侍従、王室衛理庁、憲兵隊などのトップが軒並み死を賜ることになる。内政的にも外政的にもメリットは存在しないから、妹に王位継承をさせるためにとはいえ、姉を絶対に死亡させてはならない。


 さて、王妃が一計を案じたのはここからだ。姉には一見、なんの落ち度も欠点もないように思える。


 ただ一つあったのだ。彼女はある「夢」を見るという。曰く「ピンクと紺の組み合わせの見たこともない服にサンダル、黒い髪を後ろでひとまとめにしてハルバードを持った女の子」の夢だ。年の頃は一五、六で、城内やケレンの森で、色々なことを教えてくれるという。


 周囲の大人は驚いた。その夢の少女の出で立ちが、一五〇年前に存在した王族のものだったのだ。その王族の少女は、故あって伝記や文書などの記録が厳重に保管されているので姉が知りえるはずはなかった。

 それでもルドウィンは、記録保管に綻びがあったのだろうと思った。アルザラッハ建国四〇〇年以上の歴史で、文書は膨大な数になる。他の人間の記録にその夢の少女が出てくる、というのを漏らさずに確認するのは不可能だ。姉がその記録を読んで気に入り、夢に登場させた可能性は否定しきれない。


 王はむしろ、姉の勉学や知識に対しての熱心さの表れとして喜んだが、周囲はそうでもなかった。あまりにもそういう夢を見る、というのを熱心に語るものだから王族や典礼を管轄する王室衛理庁が密かに記録保管所に命じて、紛失している文書がないか、あるいは城内にある図書館に夢の少女の記述があるものが存在するのか、調べさせた。


 一年ほど調査が続けられたが、結論として、そんなものは存在しなかった。では、姉はどうやって王族の少女の存在を知りえたのか、衛理庁の人間は首を傾げんばかりだった。姉は血筋を辿れば確かにその王族の少女の末裔ではあるのだ。先祖がえりでもあるまいに、血統の不思議さを感じずにはいられない。


 王妃はその話を利用したのだ。むろん、夢を見るだけではなんの非もないが、それが魔獣を呼び寄せて妹に怪我をさせたとなっては話は別だ。

 つまり、その夢によって彼女が乱心したのだと喧伝するのだ。どうやら姉は夢のなかで少女と話をして、色々なことを教わったりしているらしい。それが悪魔の囁きであり、彼女の知識欲が暴走した、ということにする。


 姉は否定するかもしれない。だが、王女とはいえ年端もいかない幼子の言葉と、成熟した女性である王妃や重臣の言葉と、どちらが信頼されるか。

 王の、子に対する信頼は相当なものだ。それを払拭するには、やはり相当の事件を起こすしかないのだ。ルドウィンも、姉の「夢」については知っているから、そこを利用しない手はない。


 奸計はついに決行された。


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