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ツキミ・エルザード・アルザラッハ-1-

 アルザハ北東部、北東端にある庭園は「穢域あいいき」などと呼ばれて、滅多に人は近づかない。その由来はまさしく、ツキミという魔女が住んでいるからだが、遠目から見る限り、屋敷そのものは明人の世界でいうところの古風な西洋ホテル並に大きいし、庭園はカイゼル家の魔法訓練場ほどにはある。元々、ここは王族の親類縁者のために用意された場所であるので、それなりに設備は整っているし、造りも頑丈だ。

 それがツキミと、世話係数人を閉じ込める穢れた区域なのは皮肉というべきである。


「(これがツキミのいる屋敷か。でかいな)」


 ツキミの正体について、明人が予想するところは大貴族か大魔導師か王族か、である。このレベルの邸宅ならば、王族の可能性も高いのではないか。

 二人はとある安宿の屋根に上って庭園を見渡している。見える範囲においては、屋敷の警備は確かに手薄であるようだった。なにしろ、人影がほとんどないのだ。時折、鈍色と白銀が配された鎧を着込んだ兵士が歩いているのと、光の加減で屋敷を包む結界らしきものが反射するのが見える。


「結界は、基本的には決闘で使われたものとほぼ同質のものです。アーキット殿には容易でありましょう」


 決闘の際に見せた、どういう原理かわからないすり抜けをすることができるのならば、確かに容易であろう。

 しかし、保証はない。あのカイゼル家伝来の結界しかすり抜けることができないとしたら、すべてが終わりだ。そうなったら「結界の性質が変わった」などと言い訳するしかなくなるではないか。


「ちなみにだけど、あの結界にぶち当たったら、どうなるんだろう」

「まず間違いなく黒こげです。元々は王城の宝物庫を守っていたもので、あそこにはアルザラッハの建国以来の代物が収められているという話ですからね。今はどうなっているかは知りませんが」


 ジュゼッカの話しぶりから察するに、脅しでないことはわかる。そもそも脅したところでなんの益もないのだから当然だが、考え込まざるをえない。もし、懸念が的中してしまったら、本当の意味ですべての終わりだ。明人の人生は異世界で中断され、哀れな黒こげの死体を晒すことになり、ジュゼッカやアルマリーも後に続くことになる。


 とはいえ、明人には選択肢がない。


「(あるにはあるさ。でもそれは人間として最低の末路だよな)」


 すべてをなげうって、逃亡を図るというのは。

 言い訳はできるし、少なくとも明人にはその正当性も存在する。が、弁明したところで、あるいはなにも言わずに逃亡して、円満な未来は想像できないのだ。地理に明るくなく、常識にも疎く、身を立てる手段も存在せず、元の世界に帰る方策も見つからない。良心に従うにしろ打算にしろ、ジュゼッカと協力して、ツキミとやらに会ったほうが幾万倍もましというものなのだ。たとえ、失敗すれば命はないのだとしても、結果的には同じことだ。


 いささか拍子抜けするほど、屋敷の傍までたどり着くことができた。用心する必要もないほど、人気も人目もなかったのだ。警備を仰せつかっている兵士はたった四人。正門、裏門に二人ずつがあるのみである。一般の家屋ならそれで問題ないかもしれない。しかしある程度の身分のある人物の屋敷を監視するにはいささか以上に不足だ。

 魔導器などというハードウェアに頼ること甚だしいが、ここではそれが最高のセキュリティであるのであれば仕方のないことであろう。


「魔導器を解除できるのであれば、是非、私もお連れ下さい」


 当然の申し出である。が、それははねのけなければならない。


「ごめん。さすがにできないよ。俺一人で精いっぱいなんだ」

「……そうですね。それに、完全に解除してしまうと兵士に悟られてしまうでしょうし」


 ジュゼッカは軽く顎をつまんで、残念そうにつぶやいた。まったく、都合のよいように解釈してくれて助かっているのも事実である。


 ただ、ジュゼッカの言ったことにも一理ある。屋敷を包んでいる結界が完全に停止してしまえば、当然兵士の知るところとなり、会見どころではなくなる。なにしろ大罪人、魔女などと呼ばれているのだから、セキュリティが破られれば相応の対策が講じられることになろう。ツキミがそのまま処刑場に直行、ということもありうるのだ。問題を起こせばそれはすべてツキミの責任ということになるのだから。


 周囲には民家があるのだが、これはほとんどが空き家である。一〇年前にツキミが住むようになってから忌避されたのだ。その後も空き家をごろつきや盗賊どもが利用したこともあったが、入れ代わり立ち代わりとなって、現在では使われていない。


 屋敷自体はL字型をしている。正門は内側の角に面していて、正面玄関前には立派な噴水と花壇があって、よく手入れされている。明人は外側の角のほうに回って侵入を試みる。


「私はファロンに戻ります。会見することができれば、使いをお出しください」

「ジュゼッカ、その、色々ありがとう」


 成算はまったく立っていないが、とにかくこれだけは言わなくてはならないと思った。真実はともかく、明人を牢から出して拷問から救ってくれたのは彼女なのだ。それだけは事実として、感謝の念がある。


 緑色の目は少しの間明人を見つめていた。彼女には彼女の心算もあるし、ツキミへの崇敬と明人への忠心もある。屋敷に入れないことの無念さは、決して小さくはないだろう。


「とんでもありません。なにかにつけて、私はツキミ様とアーキット殿に微力を尽くします」


 それでは、と慇懃に頭を下げて、ジュゼッカは小走りに去って行った。

 なにかにつけて、か。それはもう充分なほど、尽くしてもらった。あとは彼女に報いなければならない。

 周囲には誰もいない。見えるのは鉄柵とその先にある植樹と結界に包まれた屋敷だ。柵自体は二メートル以上に及んでいるが、乗り越えられないことはない。

 こんなことをするのは小学生以来だ、と思いながら、柵を乗り越えて敷地内に降り立つ。手を伸ばせばすぐに結界に触れられる距離だ。


 遠くからジュゼッカが身を隠しながら見守っている。その視線を感じながら、明人は恐る恐る手を伸ばす。

死ぬわけにはいかないが、やめるわけにもいかない。明人にはこの結界を踏み越えるという選択肢しか残されていないのだ。


「うっ!?」


 明人の視界の隅に、兵士が映った。定期的に屋敷の周囲を回るようになっているのだ。その足取りは毅然としたものではなく、義務以外の何物でもないようであった。仕えているわけではないのだし、忠誠心を刺激するような相手でもないのだから、当然ではある。

 もはや、柵を再度乗り越えて逃げ去ることはできない。必然的に結界内に入るしかないのだが、彼の意志とは無関係に足がもつれ、そのまま植樹のなかに突っ込んでいってしまった。


 その姿を見て「やった」と呟いたジュゼッカは、


「どうか」


 万感の思いでもう一度頭を垂れ、その場をあとにした。


「や、やった、前と同じだ」

「!!」

「あ」


 植樹のなかから脱け出した明人は、目の前に若い女中を見出していた。

 白と黒の組み合わせの衣服とエプロンが、まさにメイドを思わせる。彼女は鋏と如雨露を手にして目を丸くしたまま固まってしまっている。それはそのはずだ、突如として植樹のなかから若い男が飛び出してきたのである。しかもここは結界で遮断されているはずなのに!


「……!!!」

「ちょっと待った、しーっ!」


 悲鳴を上げられる前になんとか口を塞いだ。


「いいかい?大きな声を上げないでくれよ」


 同意の頷き。


「ひゃぁ……」

「ちょっと!」


 手を放した瞬間に声を上げられたものだから、今度は全力で口を塞ぐ羽目になった。


「なんで声を出そうとした!?いいかい、大きな声を出さないでくれ」


 またしても同意の頷き。ゆっくりと慎重に手を放すと、女中は咳き込んだ。そういえば顔が赤いのは、おそらく口と一緒に鼻も塞いでしまっていたからであろう。急に動くものだから、三度、口を塞ごうと反応してしまった。


「あ、あなたは何者ですか」

「えぇっと、アーキットっていうんだけど、ツキミ様に会いたいんだ」

「え!?」

「声が大きい。大至急、ツキミ様に取り次いでもらいたい」

「もしかして、再三、ツキミ様に会おうとされていた騎士ですか。お帰り下さい。ツキミ様はここで静かに暮らしておいでです」


 女中が誰と勘違いしているのかわからないが、訝るのも無理はない。「魔女」ツキミに用があるのは憲兵や騎士どもであろう。そしてその用件は、ついにツキミを処刑してしまうに違いないのだ。


「いや、俺は騎士じゃないんだ。フィルブランドは知っているだろう?助けてもらいたいんだ」

「フィルブランド……」

「アルマリーが大変なんだよ」


 アルマリー・フィルブランドの名を知っているのは、王族、騎士、コールブランドかフィルブランドか、その縁者に限られる。女中は心持ち、警戒心を解いた。


「あなたはアルマリー様の、フィルブランドの縁の方ですか」

「彼らは命の恩人なんだ。俺のせいで牢に入れられてる。なんとか助けないと」


 女中は、まだ少年と思われる若者の黒い瞳を覗き込んだ。彼女の人物鑑定の正確さはともかく、少なくとも少年に害意はなさそうだ。

 女中は植樹の向こうに兵士の気配を感じ、この奇妙な闖入者を屋敷のなかへ誘った。


 屋敷のなかは想像どおり、立派な造りであった。石と木が幾何的に組み合わされてできており、年月を経たであろう風格がある。ただ、どこか空虚さを感じるのが気になるところだ。

 それに加えて、ところどころに手が行き届いていない部分が散見できる。無理もない、ここは主人であるツキミと、老執事一人に侍女二人、下級使用人が三人いるのみだ。噴水は執事が、花壇は侍女とツキミ本人が手入れをしているからいいものの、屋敷の北東部分に広がる庭園は結界の外ということもあって手入れなどはまったくされておらず、植樹すら使用人たちの手によるものだから、剪定が職人に比べれば雑といわざるをえない。

 屋敷の内部も、部屋数は多いが、ほとんどが使用されていないために、閉鎖されている場所も多々あるのだ。


 長い、赤絨毯の廊下を進み、閉鎖されている区画にたどり着く。人目を憚ってはいるものの、一人もすれ違わなかったのは、単純に人が少ないからだ。この事実が、ツキミという人物の立場というものを明人に教えている。

 これほどの屋敷に住みながら使用人は与えられず、警備も薄く、しかし結界によって守りは堅固である。貶められた評判によって人々は後ろ指をさして忌避し、罪人として屋敷に閉じ込められている。


 空虚だ、と明人は思った。善悪はともかく、罪人だろうが英雄だろうが、そういった人物の周囲には熱意だとか、物々しい雰囲気だとか、あるいは狂乱に満ちていたりしていて、ある種の活気があるものだ。だが人々の悪口ほどに、この屋敷にはあまりにもそういった活気がない。

 お前になど、もう誰も興味はない。

 そう言われているような気がして、明人は肩をすくめた。


「この部屋でお待ちください。ともあれ、ツキミ様に指示を仰ぎます」


 明人がなにかいうまでもなく、女中は一礼して出て行った。

 これで、ようやく会見がかなうというわけだ。問題のうちの二つ目が解決することになる。いささか脱力して、ベッドにどかりと座り込む。


「ぷわっ」


 まるで目の前をシルクのカーテンが覆ったようだ。ここは閉鎖された一二畳ほどの客間で、調度品自体は立派だが、数年ほどは人の立ち入った形跡は見られない。大量の埃と蜘蛛が先客として逗留しているようである。


 たまらず、部屋のドアを開け、衣服にたかった埃を払いながら新鮮な空気を吸いに出た。


「ばあちゃん家の納屋みたいだ」


 よく、咳き込んでくしゃみをしながら掃除をさせられては、小遣いをせびったものである。

 家族がどうしているのか、考えないではない。だが、郷愁は虚しいだけだった。ここは異世界であって、隣町ではない。月旅行よりもはるかに夢物語の場所なのだ。

 正直なところ、ツキミに会見することは明人の利益にはならない。拷問から救いだして、身代わりとなったジュゼッカとアルマリーを助けるためであって、それによって明人自身が無下に扱われることはないだろうが、元の世界に帰れるわけではない。少なくとも当面の衣食住は期待したいところだが、根本的な解決には直結しないのだ。


 自分はこの先、ずっとここで暮らさなくてはならないのか。


 一般的な高校生には酷な状況であろう。自主独立を志すには適当な時期かもしれないが、彼の場合、生半可な状況ではない。

 ただ、家帰りたさに判断を誤ることがないのは、彼自身にも意外であった。異世界という、ある意味で隔絶された場所が、かえってそうさせているのだろうか。


 とはいえ、いつまでもこの剣と魔法の世界にいたいとはどうしても思えない。魔法があるのだから、異世界に帰る方法もきっとあるはずだ。


 ……そう考えていたとき、二人ほどの話し声が聞こえた。一人は先ほどの女中で、いま一人は年輪を感じさせる男性だ。


「……早まったことを言うものじゃない。それこそ、付け入る隙を与えることになる」

「でもバロルさん、いまさらツキミ様に会いたいなんて、怪しすぎます。フィルブランドの名前を出したのだって、こちらを信用させるために決まっています」

「そうであるにしても、ツキミ様を暗殺するなど、アルザラッハ王家の名誉に傷がつくことにもなる……まさか」


 暗殺だと?彼らはなにを言っているのか。明人は角から慎重に窺い、階段の踊り場で話し込む二人の姿を見出した。


「間者か。ありうることだ。レイルウッドあたりの差し金でもなんの不思議もない」

「とにかく、あの男を尋問するべきです」

「ううむ、困ったな。腕力ではかなわんぞ」


 尋問。ものは言いようだ。ずいぶんとかわいい表現方法をするものだと明人は思った。つまるところそれは力ずくで聞き出すことであって、拷問の親戚にあたるだろう。


 腕力で劣るとも思えないが、こちらは魔法を使えない。たった一人でも魔法に長けている人間がいるのならば著しく不利である。打開策はたった一つだ。


「(ちくしょう、先にツキミに会わなきゃ)」


 それにしてもあの女中、ツキミに指示を仰ぐと言っておきながら、なかなかの食わせ者だ。話しぶりからして真実、ツキミの指示とは思えないが、ツキミが害されれば困るのはアルザラッハ王家とて同じことなのだろうか。

 いずれにしても捕まるわけにはいかない。とにかくなんとかしてツキミに会わなければならないのだ。


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