【第十一章】ギフテッド
上質な公爵家の馬車は、細かな装飾もさることながら、サスペンションに粘りのある鉄材を使った最新モデルで、石畳の道を快適に走行している。
だがアラディアに馬車の揺れの違いを感じる余裕はない。目前には足を組み、ふんぞり返るマクシミリアンの姿がある。目線も合わせぬ横顔は厳しく、強い不快感を顕わにしている。
突如、沈黙は破られた。
「お前、神霊の宿り手持ちだろ」
叱責や尋問を覚悟していたアラディアは、予想もしない言葉の登場に驚いた。貴族の言葉も使われず、平語でお前呼ばわりをされているが、好奇心が屈辱を上回り不思議と怒りはわいてこない。つられてアラディアもタメ口になる。
「なんで分かったの?!」
「俺も持っているからな」
肘を置いた馬車の窓枠を中指で叩きながら、マクシミリアンはぶっきらぼうに答えた。
「凄い、凄いわ!」
「自分以外のギフテッドなんて、初めて見た」
アラディアは高揚する気持ちを抑えきれず、目を輝かせる。
マクシミリアンが言うには、この能力の発動ランクは三段階あるらしい。
1ランク(初級)肌の接触。効果が弱く発動は安定しないという。
2ランク(中級)唇。効果と発動の確実性は増す。
明確な意思を持って幾度も『触れよう』とした女が、次に自分から『唇』を押し当てて来たことで、ギフトの存在を確信したのだという。
「で、3ランクってなんなの?」
「粘膜接触。これはとっておきの上級だ。効くぞ」
「ねん……まく?」
いまいちピンとこないアラディアを察し、マクシミリアンは顔を向け、べろりと舌を出してみせた。
「舐めるの?」
「粘膜同士の接触だ。さっきお前も体験しただろ」
(!!)
口の中を舌でまさぐられた感触が蘇り、ぞわりとしたアラディアは両手で自分の身体を抱きしめた。
「なんだ、それほど善かったか?」
「変なこと言わないでちょうだい、気色悪い」
「失礼なやつだなお前」
そう言うと、マクシミリアンは身体を正面に向き直す。
「さてここからが本題だ、アラディア・ピーチャム」
組んだ足に肘を立て、握った拳に顎を乗せたマクシミリアンが正面からアラディアを見据える。黒髪からのぞく深い青の瞳は、獲物を捉える猛禽類を思わせた。
「貴様のギフトは何だ。答えろ――」
罪人への尋問のような問いかけに、アラディアはあっけらかんと打ち明ける。
「私は他人の現世記憶を視られるの」
「その人の過去に見たものが、感情の音声付きで流れてくるわ」
ずいぶんと悪趣味な能力だなと、マクシミリアンが評価を下す。だがその自覚はあった。特に家族は被害が甚大で、兄など初恋から思春期のあんなことやら、こんなことまで妹に視られているのだから。
「ねえ! 私が授かった力の内容は教えたわ」
「貴方の能力はなんなの、ノースウッド卿」
屈託もなく質問に質問を返されて、マクシミリアンは視線だけを動かしアラディアを見る。
「俺のギフトは、真実に正す力――」
「触れた人間の行動や事象を正しく導く能力だ」
(???????????)
ぽかんと反応の薄いアラディアを察して「俺の力は説明しづらいんだよ」と面倒くさそうに訴えた。しばらく考え込むと、マクシミリアンが解説を始める。どうやらアラディアにもわかるように、平易な例え話を考えてくれたらしい。
「例えば、王国への納税をごまかそうとする領主が居るとするだろう」
「うん」
「俺が触ると、良心の呵責がある場合はきちんと税を収めるようになる。性根が『正された』のは判るな?」
「わかった」
アラディアは即座に相槌を打った。
「良心の呵責がない場合、何故か改ざんされた納税書に、ごまかす前の帳簿が混じって俺のもとに届いたりする」
「すると事象が『正される』わけだな」
「他国との交渉であれば、我が国に有利な折衝も可能だ。それが国の利であり『正しい』わけだ」
ここだけなんだか誇らしそうに語るのは、宰相補佐官としてのプライドなのだろう。
「……凄いわね」
アラディアは素直に感嘆の声を漏らした。
マクシミリアンの年齢で、行政機構のトップである宰相の補佐官までに登りつめた前例はない。あまりの出世スピードに、やれ公爵家の口添えだと影で囁かれていたけれど。どう考えても『正す能力』のおかげねと、アラディアは腹に落ちる。
「驚いた。ノースウッド公爵家って武門の大家でしょう? 貴方の高祖父はミグドランズの戦いの将軍で、一族は軍部大臣や騎士隊長を歴任してる」
「そんな公爵家から文官を目指すって、どんだけ剣の腕がボンクラなのよって思ってたの」
ボンクラという言葉に驚いて、マクシミリアンが口を挟む。
「お前、一言多いと言われないか?」
アラディアは全く気にせず「よく言われるわね」と答えた。
「それなのに、夜の剣技はお強くて。閨事の悪魔とか呼ばれているでしょう? 毎夜どれだけの女性にいかがわしい剣術指南してるのって思ってたわ」
マクシミリアンは天を仰いだ。
「訂正する。お前は三言多い」
くしゃりと前髪をかきあげ、呆れ果てるマクシミリアンに、アラディアは急に真面目な表情になって語りかける。
「でもノースウッド卿。あなた、宰相って天職じゃない!」
不意をつかれたアラディアの言葉に、マクシミリアンは大きく目を見開いた。硬化させた雰囲気が緩み、冷めた印象の瞳や頬に温かさが通ったように色を差す。
「私も自分のギフトを受け入れて魔女になる道を選んだけれど」
「貴方もそうなのね、宰相補佐官様」
凄く褒めたつもりだったのに、またプイッと顔を背けられてしまった。それでも少しだけ緩んだ馬車内の空気にアラディアは安堵する。だがその時間も長くは続かなかった。マクシミリアンが尋問を再開したのだ。
「と、言うわけでだ」
「俺はこのギフトの加護で、毒・薬・呪い類は効かないんだよ」
「それは『正しく』ないからな。俺にかかる悪意や欲望を、神霊の宿り手は、はねのける」
「で――。あの時、お前は俺に何をしたんだ?」
とうとうこの時が来てしまった。今更隠しても仕方がないと、アラディアは小さな声で「……媚薬を盛りました」と罪を認める。
マクシミリアンは明らかに動揺を隠しきれずに「ば、ばかな」と困惑している。彼の中ではありえないことが起きたのだろう。
そんな彼に、アラディアが追い打ちをかける。
「ノースウッド卿。先ほど自分は薬や毒が効かないって言ったけど。残念ながらあの時はとても媚薬が効いていたと思うわ……」
「そうだ、俺は確かに不覚になった」
苛立ちを隠さず、マクシミリアンは認めた。そんなことはあり得ないと思っていても、事実の前には実に無力であった。
ただ、なぜ「効いた」のか。マクシミリアンには思い当たるフシはありそうだ。
「ここで導き出される答えは」
「お前、俺に媚薬を盛ることに、なんの悪意や迷いもなかったな?」
(?!?!)
失礼ね、そんな事あるわけ無いでしょ! 私を何だと思っているの! ……と言いかけたアラディアだが、すぐに心は沈静化する。媚薬を使って強襲した時の気持ちを、記憶をたどりながら思い出していく。
「言われてみれば……そう……かも」
「こんなことでファーストキスを無駄撃ちするのは、どうかと思ったくらいで……。悪意は感じていなかった……はず」
マクシミリアンは小首を傾げ、小さく目を見開いた。
「ほう。キスは初めてだったのか」
鼻で笑われ、アラディアは自分が余計なことを口走ったのだと思い知る。
「ちょっとまって。今の言葉、忘れてちょうだい」
「一生忘れないとも。身に余る光栄だからな」
頬杖をつき、不遜な笑顔を返された。余裕たっぷりの態度が気に入らない。
「もう、茶化さないで。この悪魔!」
そう叫んだアラディアは、耳まで真っ赤に染まっていた。
アラディアの放った『悪魔』という言葉は、ずいぶんとマクシミリアンの気分を害するもののようだった。憮然と鋭く睨みつけられて、アラディアの肝がヒュっと冷える。
「その単語は、同じギフテッドのお前にだけは言われたくない」
空気まで凍りそうな、冷たく強い拒絶だった。
「神霊の気まぐれは知ってるだろ」と、頬杖をいたままマクシミリアンは語りだす。
「女の淑女教育とは違って、高位の男性貴族の閨教育には、実技が伴うことを知っているな?」
「ええ」
「俺の相手は、王都の高級娼館でトップだったエテリーヌという娼婦だった」
(私はナニを聞かされようとしているのかしら……)
マクシミリアンの突然の独白に(現世記憶は見せないのに、この男はなんてことを聞かせてくるの)と、アラディアは脳内で激しくツッコミを入れる。
「その娼婦は貧しい田舎の娘で、兄弟姉妹を養うために売られたらしい。一度も娼婦になりたいなど思ったことはなかったそうだ」
「で?」
「閨で泣かれたよ。好きでもない男に抱かれる生活は嫌だと」
思い出すのも辟易するかのように、マクシミリアンが吐き捨てた。
「ギフトの力で、正されちゃったんだ……」
これにはアラディアも同情するしかなかった。
「彼女は公爵家で身請けして、田舎に返した。今は望む暮らしをしているはずだ」
今更ながら、天に授けられた人知を超える力の影響力に、アラディアの身が引き締まる。
「次の相手は数々の愛人と浮き名を流す、社交界の花トレヴァー夫人。彼女は閨教育のスペシャリストとして、若い貴族たちを虜にしていた」
「その夫人が、愛する夫の子をなせぬ苦しみから逃れるために、数多の情事にふけっていたとしたら」
アラディアはゴクリと固唾をのむ。
「閨教育の翌日には、すべての愛人と情夫に手切れ金を渡し、夫の居る領地に引きこもったよ」
もう駄目だ。アラディアはたまらず馬車の座席に倒れ込んだ。
こみ上げる笑い声を堪えて肩は大きく揺れ動く。
「それからさ。マクシミリアンは閨で女に何をしたのかと、皆好き勝手に憶測を言う。それがあの忌々しい2つ名『閨事の悪魔』の正体さ!」
喋り続けるうちに苛立ちが増し、マクシミリアンの興奮は頂点に達しているようだ。声と手振りが大きくなって、心底呆れていると伝わってくる。
「というか、なんで俺はこんな余計なことをお前に話している! 自白剤でも飲まされたのか!」
不機嫌宰相補佐官でも、自分にセルフツッコミするのねとアラディアは妙に感心し、(自白剤。飲ませてはないけど、かけたわね)(まあ、あれは媚薬なのだけど)と頭の中で合いの手を入れた。
そう考えると、とてもおかしい。正面で取り乱すマクシミリアンも、そんな彼と婚約させられそうな自分も。全てが奇妙に思えてきて。アラディアの限界は突破した。
あははははははははははは!
体を座席に突っ伏したまま、たまらず大きな声をあげる。
思い切り笑いすぎてしまって、腹筋に引きつれるような鈍い痛みが走った。
「はあぁ、なんて面白いの!」
「貴方は『正しいことが起こる』のは分かっても、その正しさをいつ誰がどのように起こすのか、知る術がないのね!」
「その後に起きた『正しさ』も、結果からの推測でしかわからない」
一息で喋り終えたあと、同じギフテッド仲間としての見解を述べた。
「この神霊の気まぐれは厄介だわ、考える以上に」
ようやく笑いを押し留めたアラディアの目には、いっぱいの涙が溜まっていた。こぼれそうな涙を指でかるく拭いながら、マクシミリアンに向かって座り直す。
「全く……笑い事じゃないぞ」
マクシミリアンの声は、落ち着きのある低さに戻っていた。
「そうね、本当にそう」
2人は神霊の宿り手の力を授けられた者の苦悩を分かり合えたようだ。
一時はどうなるかと思ったけれど。アラディアはマクシミリアンに感謝の言葉を伝えていた。これほど『語ることが許されない能力』への理解が深まるとは、夜会の前に想像もしていなかった。
「私が貴方の現世記憶を視られないのは、私がこの能力にちょっとだけ罪悪感を持っているから」
「後ろめたいと『視ることは正しくない』って判定されちゃってるんだわ」
何度触っても、唇を重ねてもアカシック・レコードが流れてこないわけだ。
疑問がスッキリ解決して、アラディアは馬車の中で座ったまま背を伸ばす。
なんだかこの流れだと、媚薬の件も不問にしてくれそうかなと、勝手な事を考え始めた頃。馬車の速度が急に落ちた。ピーチャム伯爵邸が近いようだ。
「忘れているようだから、忠告しておく」
マクシミリアンは立ち上がると、アラディアに覆いかぶさるよう、馬車の壁に手をついた。
「俺はお前の名誉を守るため、プロポーズをした」
「公爵家からの申し出を断れるとは思うなよ。愛しい伯爵令嬢殿」
耳元で息を感じる距離まで近づかれ、脅すようにつぶやかれた。
しかし、アラディアはもう戸惑わない。
「ノースウッド卿。この婚約は愛がありませんの。必ずや貴公の力が『愛のない婚約は間違い』と正しく導いてくれるでしょう――」
二人は暗い馬車の中で、無言で見つめ合っていた。




