第45話『有給休暇の返上(独占禁止法による反撃開始)』
路地裏での「害虫駆除」を数秒で終わらせた私たちは、大商会連合の裏帳簿を回収し、貸し切りのプライベートヴィラへと帰還した。
ヴィラの豪奢なリビングに戻るなり、私は南国特有の軽やかなリゾートウェアから、急遽手持ちの衣服の中で最もフォーマルに近い、ダークブルーのドレスに着替えた。
南国の熱気とハネムーンの浮かれた空気は、完全に私の脳内からシャットアウトされている。現在の私の頭脳は、冷徹な『帝国財務卿』としての最高稼働状態へと移行していた。
「さあ、ルカ様。先ほどの『超・遠隔魔導通信機』を起動してください。帝都の財務省本局と緊急のホットラインを繋ぎます。これより、私の強制有給休暇は一時返上し、ゼムリア大商会連合に対する『敵対的買収(M&A)』および『経済的制裁』の特別プロジェクトをキックオフします」
「うん、分かった! エルゼが本気になった顔、すっごく綺麗でかっこいいよ!」
ルカ様が嬉しそうに黒い魔導板をテーブルに置き、魔力を注ぎ込む。
すると、空間に青白い光が投影され、等身大のホログラム映像が浮かび上がった。
そこに映し出されたのは、書類の山に埋もれながら、血走った目で羽ペンを走らせている我が腹心、セバスの姿だった。
『……ハッ!? こ、これはルカ殿下の超遠隔通信……! お、お嬢様! それに陛下と殿下! ご無事でいらっしゃいましたか!? ハネムーンの初日だというのに、何かトラブルでも!?』
突然の通信に、セバスが慌てて立ち上がり、背後にいた若手官僚たちも一斉に敬礼の姿勢をとった。
「ええ、セバス。少々厄介な『羽虫』が、我が社(帝国)の最高リソースである私を不当に独占(拉致)しようと企てまして。物理的な排除は夫たちが完了しましたが、彼らの背後にあるゼムリアの裏ギルド『大商会連合』を、このまま野放しにするわけにはいきません」
私は手に入れた分厚い裏帳簿をテーブルにドンッと置き、氷のような笑みを浮かべた。
「市場の健全な競争を阻害し、不当な利益を貪るブラック企業(独占禁止法違反者)は、徹底的に駆逐する必要があります。これより、大商会連合を合法的に破綻させ、彼らの市場シェアをアウグスト帝国が完全買収します」
『なっ……!? ハ、ハネムーン先で、他国の裏社会をまるごと買収(M&A)されるおつもりですか!? さ、流石はお嬢様……旅行先でも決して利益の追求(仕事)を忘れないそのお姿、このセバス、感動のあまり震えが止まりません!』
「よし、俺たちも徹夜でプロジェクトを支援するぞ!」と、ホログラムの向こうで官僚たちが謎の熱狂に包まれている。自律型組織のモチベーション管理は完璧なようだ。
「では、直ちにスキームを構築します」
私は裏帳簿のページを開き、暗号化された数字を猛烈な勢いで読み解きながら、本国への指示を飛ばした。
「まず、大商会連合の最大の弱点は、彼らの資金がゼムリア国内ではなく、租税回避地である隣国ロンドールの『王立第一銀行』に集中している点です。裏帳簿の記録によれば、全資金の約七割がそこにプールされています」
『なるほど。脱税の典型的な手口ですね』
「レオン様。皇帝権限による『国際緊急凍結要請』の決裁をお願いできますか。我がアウグスト帝国がロンドール国に保有する莫大な外貨準備高を交渉材料(武器)とし、大商会連合の関連口座をすべて即時凍結させます。彼らに帝国という超大国を敵に回す度胸はないはずです」
私が振り向くと、ソファに深く腰掛け、私が仕事をする姿を熱っぽい視線で見つめていたレオンハルト様が、優雅に微笑んで頷いた。
「容易いことだ。ロンドール国王には私から直接、親書(という名の脅迫状)を送ろう。帝国の要求を呑まなければ、関税を三百パーセント引き上げると書き添えておけば、明日の朝にはすべての口座が凍結される」
「素晴らしい迅速な経営判断です。これで、奴らのキャッシュフロー(血液)は完全に停止します」
私はさらに裏帳簿をめくり、次なる一手を放つ。
「次に、物流網の破壊です。大商会連合はゼムリアの港を不当に独占し、他国の商船から法外な停泊料を搾取しています。……ルカ様」
「はいはい、僕の出番だね!」
ルカ様が、私の隣に座り込み、私の肩にすりすりと頬を寄せながら答える。
「このゼムリアのすぐ北に位置する無人島に、ルカ様の『大規模土木魔法』を用いて、一晩でアウグスト帝国直轄の『超・巨大関税フリーポート』を建設することは可能ですか?」
「一晩? うーん……魔力は有り余ってるから余裕だけど、地形の隆起と港湾施設の造成なら、三時間あればお釣りがくるかな。もちろん、帝国の商船が安全に停泊できる最高の港にしてあげるよ」
『さ、三時間で巨大港湾を……!? 相変わらず殿下の技術力は常軌を逸しておりますな……』
ホログラムの向こうで、セバスたちが絶句している。
「完璧です。ルカ様が新港を建設したという情報を、明日の朝一番で大陸中の商会に『大々的なプレスリリース』として発表してください。関税ゼロ、帝国の完璧な治安維持つき。これで、高額なゼムリアの港を利用する商船は一隻もいなくなります。大商会連合の流通網は、完全に干上がります」
「資金源の凍結」と「流通網の完全な破壊」。
暴力による報復などという一時的な苦痛ではない。これは、彼らの組織の根幹を、合法的かつ圧倒的な資本力で徹底的に締め上げる「経済的兵糧攻め」である。
「そして最後に、大商会連合の内部崩壊を促します。裏帳簿のデータから、不当に搾取されている下部組織の商会リストを抽出しました。彼らに対し、『帝国の傘下に入れば、これまでの負債を肩代わりした上で優遇税制を適用する』という買収案(TOB)を提示してください。悪党の結束など、金の切れ目が縁の切れ目です。明日の昼には、ギルド長は完全に孤立しているでしょう」
『完璧なスキームです……! 直ちに各省庁へ通達し、夜を徹してオペレーションを実行に移します! お嬢様のハネムーンを邪魔した三流企業に、帝国の恐ろしさを骨の髄まで思い知らせてやりましょう!』
セバスが深々と一礼し、通信機のホログラムが消えた。
私はパタンと裏帳簿を閉じ、深く息を吐き出した。
「よし。これで第一フェーズは完了です。あとは本国からの進捗報告を待ちつつ、明日の大商会連合の破産宣言(断末魔)を聞くだけですね。有能な経営者は、自ら手を下さずともシステムで敵を粉砕するのです」
私が満足げに頷いていると。
背後から、レオンハルト様の長くて力強い腕が伸びてきて、私の腰をふわりと抱き寄せた。
「レ、レオン様?」
「……本当に、君という女性は。怒らせれば国一つを一日で経済的に焦土と化すほどの冷徹な頭脳を持っているくせに、私に抱きしめられると、途端にこんなに可愛らしい声を出すのだから」
レオンハルト様の熱い吐息が私のうなじにかかり、低い笑い声が背中を震わせた。
同時に、正面からはルカ様が私の両手を取り、その指先に一つずつ、愛おしむようにキスを落としていく。
「エルゼが完璧な復讐の計画を立ててるときの、あの冷たい青い瞳……ゾクゾクするほど綺麗だったよ。でもね、エルゼ」
ルカ様の黄金の瞳が、夕闇が迫るヴィラの間接照明に照らされ、獲物を逃がさない獣のように妖しく光った。
「『本日の業務』は、これで終了だ。これ以上の残業は、夫である僕たちが許さないよ」
「その通りだ。君はハネムーン中だというのに、働きすぎだ。……さあ、ここからは私たちの時間だ。昼間は君の有能さにたっぷりと酔わせてもらったから、夜は君の『可愛らしさ』を隅々まで堪能させてもらうとしよう」
「ひゃっ……! お、お待ちください、まだ本国からの第一報の確認が——」
私の抗議の言葉は、レオンハルト様の甘く強引なキスによって、あっさりと塞がれてしまった。
口内に広がる大人の男の甘い味わいと、腰を抱き寄せる力強い腕の感触に、私の鉄壁のビジネス脳は急速にメルトダウンを起こし始める。
「んっ……んんっ……れ、レオン様……っ」
「ほら、僕のことも見てよ、エルゼ」
唇が離れた隙に、今度はルカ様が私の首筋に顔を埋め、甘く噛みつくような口づけを落とした。
全身を駆け巡る快感と、二人の圧倒的な愛情(過剰な福利厚生)に、私はもう立っていることすらできず、二人の腕の中に崩れ落ちそうになる。
「ああっ……だ、だめです、これでは……私の自律神経が……っ」
「だめじゃない。君は私たちの妻で、ここは私たちの寝室だ。……さあ、次期CEO育成のために、朝までたっぷりと愛し合おうか」
レオンハルト様が私を軽々と横抱き(お姫様抱っこ)にし、寝室の巨大な天蓋付きベッドへと歩き出す。
昼間は他国の裏ギルドを冷徹な論理と経済力で完膚なきまでに叩き潰した「氷の経営者」も、夜になれば、愛する夫たちに甘く溶かされるただの一人の女性でしかない。
ゼムリア商業連法国の裏社会が、帝国の見えざる経済的暴力によって阿鼻叫喚の地獄絵図と化しているであろうその夜。
ヴィラの最高級の寝室では、国家の興亡などどこ吹く風とばかりに、世界で最も甘く、最も濃厚な「愛の共同作業」が、果てることなく続けられていたのだった。




