第44話『敵対的買収(誘拐未遂)と、最凶の護衛たち』
ゼムリア商業連法国の華やかな大通りから一歩外れた、薄暗い路地裏。
私たちを取り囲む十数人の黒装束の男たちは、手にした鈍く光る石——魔力を阻害する『封魔石』を掲げ、下劣な笑い声を上げていた。
「へっ、いくらアウグスト帝国の皇子サマが天才魔導士だろうと、この『特級封魔石』の前ではただの無力なガキだ! 魔法が使えなきゃ、俺たち数人に勝てるわけが……」
リーダー格の男が勝ち誇ったように宣言した、その直後だった。
「……ふふっ、あはははっ!」
私の周囲に絶対防御の結界を展開しているルカ様が、腹を抱えて笑い出した。
その黄金の瞳は、まるで路傍の石ころでも見るかのように冷え切り、しかし同時に残酷なまでの愉悦に満ちていた。
「すごいな、ゼムリアの裏ギルドってそんなにポンコツなの? その程度の魔力吸収石で、僕の魔法を封じられるって本気で信じてるんだ。……あまりに無知すぎて、同情しちゃうよ」
「なんだと……!?」
ルカ様がパチン、と軽く指を鳴らした。
ただそれだけの動作。
しかし次の瞬間、男たちが誇らしげに掲げていた十数個の特級封魔石が、ピキピキと嫌な音を立ててひび割れ、一斉に粉々に砕け散ったのだ。
「なっ……!? ば、馬鹿な! この特級封魔石の魔力許容量を、一瞬でオーバーロードさせたってのか!?」
「言ったろ? ポンコツだって」
男たちがパニックに陥る中、ルカ様の足元から黄金の暴風が巻き起こった。
それはただの風ではない。極限まで圧縮された魔力の刃だ。
暴風は意思を持っているかのように男たちの間をすり抜け、彼らの手首や足首、そして武器だけを正確に切り刻んでいく。
「ぎゃあああっ!!」
「ひぃっ! 腕が、剣が……!」
あっという間に、十数人の刺客たちは武器を失い、路地裏の壁や地面に無残に叩きつけられた。
「くそっ、ならば直接殺るまでだ! 魔法使いじゃない皇帝の方なら……!」
リーダー格の男が、隠し持っていた短剣を抜き放ち、狂乱の形相でレオンハルト様へと飛びかかった。
しかし、レオンハルト様は腰の剣を抜くことすらしない。
「……気安く近づくな。君たちのような羽虫の血で、私と妻のハネムーンを汚すわけにはいかないからな」
ドンッ!!!
レオンハルト様の全身から放たれた、漆黒の『威圧の覇気』。
それは物理的な質量を伴うほどのすさまじい重圧となって、飛びかかってきたリーダー格の男を空中で叩き落とし、石畳の地面にめり込ませた。
「がはっ……!? ご、ごふっ……」
「私の妻をその汚い口で呼び、あろうことか奪おうとした罪。……死よりも重い絶望をもって、この国ごと沈めてやろう」
レオンハルト様の黄金の瞳が、絶対的な支配者としての冷酷な光を放つ。
男は全身の骨が軋む音を立てながら、恐怖のあまり白目を剥いて完全に気絶してしまった。
戦闘開始から、わずか数十秒。
十数人の精鋭と謳われた裏ギルドの刺客たちは、誰一人として私たちの半径五メートル以内に近づくことすらできず、完全に制圧(蹂躙)されていた。
「……素晴らしい制圧速度です。相手の戦力を瞬時に無力化しつつ、周辺の器物破損を最小限に抑える完璧なオペレーション。流石はアウグスト帝国の最高権力者のお二人ですね」
ルカ様の結界の中で安全に戦況を見守っていた私は、思わず拍手をしてしまった。
戸籍上は『エルゼ・フォン・アウグスト』となり、名実ともに彼らの妻となった私だが、目の前で圧倒的な力を見せつける夫たちの姿には、一人の経営者としても惚れ惚れしてしまう。
「怪我はないかい、エルゼ?」
「全滅させたよ! ほら、結界解くね」
二人は刺客たちから視線を外した瞬間、先ほどの冷酷な顔から一変し、いつもの甘く優しい笑顔に戻って私に駆け寄ってきた。
「はい、お二人のおかげで完全無傷です。しかし、彼らはいったい……」
私は結界から出ると、地面に転がっているリーダー格の男の懐から、一冊の分厚い革張りの手帳が落ちているのを見つけた。
私はそれを拾い上げ、パラパラとページをめくった。
「これは……」
手帳の中には、暗号化された数字の羅列と、奇妙な記号がびっしりと書き込まれていた。
普通の人間が見れば意味不明な落書きにしか見えないだろうが、帝国財務卿である私の『数字の鬼』としての頭脳は、ものの数秒でその暗号の規則性を解読し、真実を弾き出した。
「……なるほど。これは先ほどグランド・バザールで推測した通り、ゼムリアの市場を牛耳る『大商会連合』の裏帳簿のコピーですね。各店舗からの上納金、関税の横領、政府高官への賄賂の記録が詳細に記されています」
「裏帳簿、か。どうやら彼らは、この国の市場を独占するブラック企業の実行部隊というわけだな」
レオンハルト様が、気絶した男を見下ろして冷たく鼻を鳴らす。
「それだけではありません」
私は手帳の最後のページに挟まれていた、一枚の羊皮紙を引き抜いた。
そこには、私の似顔絵と共に、今回の拉致計画の『事業計画書』が書かれていた。
「お聞きください、お二人とも。彼らは私を拉致した後、地下金庫の奥深くに監禁し、彼らの裏ギルドの資産運用と脱税のスキーム構築を『無給で』一生涯行わせようと計画していたようです」
「「……は?」」
レオンハルト様とルカ様の表情が、再び絶対零度へと凍りついた。
「俺たちの……エルゼを……無給で監禁して、奴隷のように働かせるだと……?」
「……兄上。やっぱりこいつら、ここで塵一つ残さず消し飛ばしていいかな。あと、その大商会連合の本部ごと、隕石でも落として地図から消滅させよう」
二人の全身から、先ほどとは比べ物にならないほどの、街一つを吹き飛ばしかねない凄まじい殺意と魔力が膨れ上がり始めた。
「お、お待ちください、お二人とも! 街中で広域殲滅魔法の使用はコンプライアンス違反です!」
私は慌てて二人の腕を掴み、その暴走を止めた。
「エルゼ! だけどこいつらは、お前を不当に奪おうとしたんだぞ! 絶対に許せない!」
「ああ。私のすべてである君を、薄汚い地下で働かせるなどと……考えただけで正気を失いそうだ」
私を大切に想うがゆえに激昂してくれる二人の姿に、胸の奥がキュンと甘く締め付けられる。
しかし、私はアウグスト帝国の財務卿である。ただ感情に任せて敵を粉砕するような、非効率な復讐は好まない。
「レオン様、ルカ様。彼らの狙いは私の命ではなく、私の『頭脳』を不当に搾取することでした。これは明確な『敵対的買収(M&A)』の仕掛けです。そして、有能な経営者は、敵対的買収に対しては暴力ではなく、さらに圧倒的な『経済的報復』をもって相手を地獄へ叩き落とすのです」
私は裏帳簿をパタンと閉じ、氷のように冷たく、しかし自信に満ちた笑みを浮かべた。
「命を奪うなどという無価値な制裁では、採算が合いません。彼らの資金源を合法的に根絶やしにし、大商会連合を破産させ、このゼムリア商業連法国の市場ごと、我がアウグスト帝国が完全買収(吸収合併)して差し上げます」
私の宣言に、レオンハルト様とルカ様は目を丸くし、やがてたまらないというように声を上げて笑い出した。
「くっ……ふははははっ! ああ、さすがは私の妻だ。隕石を落とすよりも遥かに残酷で、かつ自国の利益を最大化する完璧な復讐だな」
「あはは! エルゼが本気になった! いいよ、僕たちも手伝う! 昼は悪党を経済で完膚なきまでに叩き潰して、僕たちの凄さを思い知らせてやろう!」
二人は私の両手をそれぞれ取り、手の甲に熱いキスを落とした。
「ただし、エルゼ。これはあくまでハネムーンの『ついで』の出張業務だ。昼間は君の好きなようにこの国を買収していいが……」
「夜のスイートルームでの『次期CEO育成プロジェクト』は、一切手加減しないからね。覚悟してよ?」
「ひゃうっ……! そ、それはもちろん、契約(夫婦の義務)の範囲内ですから……っ」
私は顔を真っ赤にしながらも、力強く頷いた。
ゼムリアの裏ギルドが仕掛けた浅はかな誘拐計画は、最も怒らせてはいけない「最強の三位一体(家族)」の逆鱗に触れた。
強制有給休暇は、一時的に『完全歩合制の超大型出張案件』へと移行。
アウグスト帝国の圧倒的資本力と情報網を用いた、容赦のない「合法的な経済的兵糧攻め」が、今、静かに幕を開けようとしていた。




