第42話『リゾート地での過剰防衛(水着審査)』
巨大な白亜の豪華魔導客船が、紺碧の海を滑るように進み、大陸随一のリゾート国家『ゼムリア商業連法国』の巨大港へと滑り込んだ。
「……素晴らしい港湾インフラです。クレーンの稼働率、荷馬車の動線、そして観光客と物流の分離。我がアウグスト帝国も見習うべき効率的なオペレーションですね。しかし、関税の仕組みについては少々独占的な匂いが……」
私が客船の特等室のバルコニーから、眼下に広がる港の様子を観察しながら計算機を弾いていると、背後から二つの大きな影が忍び寄ってきた。
「エルゼ。入国早々、視察(仕事)モードに入るのは禁止だと言ったはずだが?」
「そうだよ、エルゼ! ほら、計算機没収! 今日から一ヶ月は、僕たちといっぱい遊んで、いっぱい愛し合う『次期CEO育成プロジェクト』の期間なんだから!」
レオンハルト様が私の手から計算機をふわりと奪い取り、ルカ様が私の背中に抱きついて頬をすりすりとしてくる。
二人はすでに、帝国の豪奢な礼装から、南国の気候に合わせた軽やかで上質なリゾートウェアに着替えていた。少し胸元が開いたシャツから覗く鍛え抜かれた鎖骨や、太陽の光を受けて輝く端正な顔立ちは、すれ違う乗客たちの視線を釘付けにしていたが、当の本人たちの目は私にしか向いていない。
「お、お二人とも、距離が近いです! それに、視察ではなくただの『競合他社のリサーチ』でして……」
「言い訳は却下だ。さあ、私たちが貸し切ったプライベートヴィラへ向かおう。君のために、世界で一番美しいビーチを用意したからね」
レオンハルト様にエスコートされ、私たちはゼムリア随一の超高級リゾートエリアへと足を踏み入れた。
◇◇◇
案内されたのは、エメラルドグリーンの海を独り占めできる、広大なプライベートビーチ付きの最高級ヴィラだった。
「では、私は早速『海洋活動用ユニフォーム(水着)』に着替えてまいります。お二人は先にお寛ぎください」
私は寝室へと入り、帝都を出発する前にセバスに手配させておいた水着に着替えた。
南国の強い日差しと気温を考慮し、通気性と水中での機動性を最優先した結果、選ばれたのは純白のセパレートタイプ(いわゆるビキニ)だった。私の銀髪と青い瞳に合わせたという銀糸の刺繍が施され、腰には透け感のあるパレオが巻かれている。
「よし、完璧なクールビズ(熱中症対策)です。露出面積が多いのは合理的ですね」
私は深く頷き、意気揚々と寝室の扉を開けた。
「お待たせいたしました! 着替え完了です。さあ、ビーチの砂の粒度と水質検査に向かいましょう!」
私がリビングに足を踏み入れた瞬間。
ソファでくつろいでいたレオンハルト様とルカ様の動きが、完全にフリーズした。
カチャン、と。
レオンハルト様の手に持っていたグラスが、テーブルの上に滑り落ちる。
ルカ様は口を半開きにしたまま、黄金の瞳を限界まで見開いている。
「……えっと? お二人とも、どうされましたか? 水着の規格に何かコンプライアンス違反が?」
「違反どころの話ではないっ!!」
バサァッ!!
次の瞬間、レオンハルト様が猛烈なスピードで立ち上がり、ソファにあった特大のバスタオルで私の全身を頭からぐるぐると簀巻きにしてしまった。
「れ、レオン様!? 何をするのですか、これでは視界が塞がれて歩行に支障が!」
「歩かなくていい! エルゼ、なんだその水着は!? 布の面積が圧倒的に足りていない! 君のその……白く透き通るような肌と、細い腰と、その……胸の谷間が……っ!!」
常に冷静沈着な皇帝陛下が、顔を真っ赤にして激しく狼狽している。
「あ、兄上! ずるいぞ、僕にもエルゼの水着姿ちゃんと見せてよ! ……って、うわあああっ! 駄目だ、直視したら僕の理性が吹き飛んで、ここで『プロジェクト』を開始しちゃう!!」
ルカ様も両手で顔を覆いながら、指の隙間からチラチラと私を見て、顔から火を噴きそうになっている。
「な、何を仰っているのですか! これは帝都の百貨店で『ハネムーン(慰安旅行)に最も顧客満足度が高い』と推奨された最新の機能性ウェアです! 露出度が高いのは、水中での空気抵抗を減らすための合理的な設計であり——」
「理屈の問題じゃない! こんな破廉恥で扇情的な姿を、他の男の目に晒すなど絶対に許さん! 強烈な『情報漏洩』だぞ!!」
「そうだよ! エルゼの肌を見ていいのは、夫である僕と兄上だけだ! 今すぐ着替えて!! ……いや、やっぱり僕たちの前でだけはその水着でいて!!」
最高権力者二人が、私の水着一つで大パニックに陥っている。
「情報漏洩って……ここはプライベートビーチですから、他の宿泊客は立ち入れないはずでは?」
「甘いぞエルゼ。沖合を通りすぎるクルーザーからの『不正アクセス(覗き見)』や、上空を飛ぶ海鳥の目にすら君を焼き付けたくない。……もし君がどうしてもその姿で海に出たいと言うなら、我々にも『過剰防衛』の準備がある」
レオンハルト様の目が、猛禽類のように鋭く光った。
「ルカ。我が社の最高機密を守るための、物理的および魔力的ファイアウォールの構築を」
「了解、兄上! エルゼの半径十メートルに、完全な視覚阻害結界を展開する! これで外からは、ただの風景にしか見えないよ!」
「素晴らしい。私は周囲一マイル以内に近づく不審船に対し、殺意を込めた威圧の覇気(物理的排除)を放ち続けるとしよう」
「お、お二人とも! たかが海水浴に、国家防衛レベルのセキュリティを敷かないでください!! 結界の維持にどれだけの魔力コストが……!」
私の抗議も虚しく、あっという間にルカ様による強力な不可視の結界が展開されてしまった。
「さあ、外からのセキュリティは完璧だ。次は……君の体に対する『直接的なリスクヘッジ』だな」
レオンハルト様が、テーブルから南国特有の甘い香りがする小瓶を手に取った。日焼け止めオイルだ。
「紫外線(UV)という有害な外的要因から、君の美しい肌を守らなければならない。我々で隅々まで『防御コーティング』を施してあげよう」
「えっ、あ、自分で塗れますから! そんな、社長直々にメンテナンスをしていただくなど——」
「いいから、寝そべって、エルゼ」
ルカ様に肩をぽんと押され、私はビーチベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
ひんやりとしたオイルが、私の背中に落とされる。
「ひゃっ……!」
レオンハルト様の大きく熱い手が、私の肩甲骨から背筋に沿って、ゆっくりと、艶かしく滑り降りていく。
ただオイルを塗っているだけのはずなのに、その指先の動きには、明確な「所有欲」と「愛おしさ」が込められており、背筋がゾクゾクと粟立った。
「……本当に、綺麗な肌だ。君のすべてを、私だけのものにしておきたい」
耳元で低く囁かれ、私の心臓の鼓動(BPM)が急上昇する。
「あ、兄上ばっかりずるい! 僕は脚に塗るからね!」
ルカ様の手が、私のふくらはぎから太ももにかけて、丁寧にオイルをすり込んでくる。
年下特有の少し強引で、けれど甘い手つきに、私は堪えきれずに声を漏らしてしまった。
「あ、んっ……る、ルカ様、そこは、くすぐったい……っ」
「我慢してよ、エルゼ。これでも僕、一生懸命理性を総動員して『ただ塗るだけ』に留めてるんだからね? これ以上可愛い声出されたら、ビーチのど真ん中で押し倒しちゃうよ?」
ルカ様の黄金の瞳が、獲物を狙う獣のように熱く燃えているのを見て、私は真っ赤になって口を噤んだ。
(な、なんという過酷な労働環境ですか! まだ海に一歩も入っていないのに、私の体温計は限界突破しそうです!)
たっぷりと時間をかけた「防護コーティング」が終わる頃には、私は息を乱し、すっかり彼らの愛撫のような手つきに溶かされてしまっていた。
「よし、これで完璧だ。さあ、海を楽しもうか、私の可愛い妻」
レオンハルト様に抱き起こされ、私はフラフラになりながらも、二人と手を繋いでエメラルドグリーンの海へと足を踏み入れた。
ルカ様の完璧な結界のおかげで、外からは見えず、そしてレオンハルト様の凄まじい威圧のオーラにより、沖合には船一隻たりとも近づいてこない。
まさに、世界で最も過保護で、最高権力者たちに愛されすぎている、至れり尽くせりの海水浴だった。
「ふふっ……海風が気持ちいいですね。お二人の完璧なセキュリティ構築に、心から感謝いたします」
私が水しぶきを上げながら心からの笑顔を向けると、二人は愛おしげに目を細め、波打ち際で私を強く抱きしめた。
「エルゼが喜んでくれるのが、僕たちにとって一番の利益だからね」
「ああ。だが忘れないでくれよ、エルゼ。昼間は海で遊ぶが……夜のスイートルームでは、私たちが君をたっぷりと『視察』する番だからな。次期CEO育成のためにね」
「ひゃうっ……! そ、善処、いたします……っ!」
私が真っ赤になって二人の腕の中に顔を埋めた、その頃。
——ゼムリア商業連法国、裏路地の地下深く。
豪華なヴィラでの甘いひとときとは無縁の、薄暗い空間に、数人の男たちが集まっていた。
「……アウグスト帝国の皇帝と皇子、そして『例の財務卿』が我が国に入国したとの情報は事実か?」
「間違いありません、ギルド長。現在、東海岸のVIPヴィラに滞在しております」
「ふん。世界最大の市場を築きつつある帝国の心臓……あの小娘さえ手に入れれば、帝国の莫大な富と流通の主導権は、我々『大商会連合』の意のままになる」
葉巻の煙を吐き出しながら、肥え太った男が下劣な笑みを浮かべた。
「護衛は連れてきていないのだろう? 皇帝と皇子がいようと、我がゼムリアの裏の力(武力と金のネットワーク)を使えば、女一人を拉致することなど容易い。……奪え。帝国の金の卵を、我々の鳥籠に閉じ込めてやるのだ」
甘く平和なハネムーンの裏で、帝国の圧倒的資本力を妬む三流企業(裏ギルド)の浅はかな敵対的買収(誘拐計画)が、静かに動き出そうとしていた。
彼らはまだ知らない。その小さな「金の卵」こそが、敵に回せば国一つを合法的に消し飛ばす、最も恐ろしい『氷の経営者』であるという事実を。




