第33話『現場トップ(皇子)の直球すぎるプレゼン』
レオンハルト陛下との「甘すぎる個人面談」によって、私の心臓が未知の不整脈を起こしてから数日が経った。
「……よし。東部の農業特区における収穫量予測、前年比三百パーセント増。素晴らしい数字です。これで私の精神状態も平常運転に戻るはず……」
私は執務室のデスクに山積みになった書類を猛烈な勢いで処理しながら、必死に自分に言い聞かせていた。
あの日以来、レオンハルト陛下の顔を見るたびに顔が熱くなるため、私は「決算期前の超・集中モード」という大義名分を掲げ、極力執務室に引きこもっていたのだ。
バンッ!
しかし、私のささやかな逃避行は、勢いよく開かれた扉によって物理的に打ち破られた。
「エルゼ! 迎えに来たぞ! 今日こそ絶対、執務室から連れ出してみせるからな!」
作業着姿ではなく、動きやすいが上質な乗馬服に身を包んだルカ殿下が、強引に私の手首を掴んだ。
相変わらず、太陽のように眩しい黄金の瞳だ。
「ル、ルカ殿下!? 困ります、現在私は決算期のピークで……」
「嘘ばっかり。さっきセバスに確認したら、今日の分のタスクはもう全部終わってるって言ってたぞ。ほら、行くよ! 僕が造った『東部環境改善プロジェクト』の最終成果を、お前に一番に見せたいんだ!」
有無を言わさぬ力で引っ張られ、私はあれよあれよという間に帝城の裏庭に待機していた二人乗りの小型魔導馬車に押し込まれてしまった。
◇◇◇
ルカ殿下の運転する馬車が空を飛び、帝都の喧騒を離れて向かった先は、かつては魔獣が棲みつくただの荒野だったはずの東部の渓谷だった。
「……到着だ。さあ、エルゼ。目を閉じて、僕の手を引かれて歩いて」
馬車から降りたルカ殿下が、私の目の前に手を差し出す。
私は少し戸惑いながらも、彼の言葉に従ってそっと目を閉じ、彼の手を取った。彼の手は大きくて温かく、少しだけ魔力によるタコができている、働き者の手だった。
「よし、もう目を開けていいよ」
言われるままに目を開けた私は、次の瞬間、文字通り息を呑んで絶句した。
「これは……」
そこには、奇跡のような光景が広がっていた。
見渡す限りの広大な谷底が、一面、淡い青と銀色に輝く『魔導花』で埋め尽くされていたのだ。
そよ風が吹くたびに、青い花びらが波のように揺れ、銀色の花粉が星屑のようにキラキラと宙を舞う。まるで、夜空の星々をそのまま地上に敷き詰めたかのような、圧倒的な美しさ。
「すごい……。荒野の土壌改良プロジェクトが成功したのは報告書で読んでいましたが、これほど見事な景観を創り上げるとは。青と銀の色彩コントラストも完璧です!」
私は感動に打ち震えながら、すぐに脳内で計算を始めた。
「ルカ殿下、素晴らしい成果です! これを『帝都近郊の特級観光資源』として解放すれば、国内外から莫大な観光客を呼べます! 入場料と周辺の宿泊施設への波及効果を計算すれば、初年度で金貨三百万枚の利益は固いですね!!」
私が鼻息を荒くして「最高のビジネスモデル」を力説すると、ルカ殿下はガクッと肩を落とし、深いため息をついた。
「……お前さ。本当に、そういうところブレないよな。僕がどれだけロマンチックな演出をしても、全部『金貨』に換算されちゃうんだもんな」
「えっ? 何か間違った評価を下しましたでしょうか。現場トップの功績として、これ以上ないほどの——」
「違うよ、エルゼ」
ルカ殿下は私の言葉を遮り、一歩、私に近づいた。
彼が私の両肩に手を置く。その黄金の瞳は、いつもの無邪気な少年のものではなく、熱を帯びた『大人の男』の真剣な眼差しに変わっていた。
「観光資源になんかしない。入場料も取らない。ここは、他の誰にも見せるつもりはないんだ」
「……どういうことですか? 利益を生まない事業(無駄)は、アウグスト帝国の理念に反しますよ」
「利益のためじゃない。……この花畑は、全部、お前のためだけに造ったんだ」
ドキン、と。
私の心臓が、跳ねた。
「エルゼの髪と同じ、綺麗な銀色。エルゼの瞳と同じ、冷たいけど澄んだ青色。……お前の色だけで、この谷をいっぱいにしたかった。お前が笑ってくれるところを、僕が一番近くで見たかったから」
ルカ殿下の顔が近づき、彼の温かい手が私の頬をそっと包み込む。
銀色の花粉が舞う幻想的な光の中で、彼の整った顔立ちが息が止まるほど近くに見えた。
「兄上は、国庫の金や権力で、お前を理詰めで囲い込もうとする。お前も、そういう『論理』や『利益』でしか物事を見ないようにしてる。でもさ……恋って、そういうもんじゃないだろ?」
「こ、恋……?」
「そう。僕は、お前がどれだけ優秀な財務卿だとか、国にどれだけの利益をもたらすかなんて、実はどうでもいいんだ」
ルカ殿下は、私の言葉(逃げ道)をすべて封じるように、真っ直ぐに、直球すぎる言葉を紡いだ。
「ただ、お前が好きなんだ。理屈なんか何もない。お前が頑張ってる姿を見ると胸がギュッとなるし、他の男を見てると腹が立つ。お前の全部が愛おしくて、誰にも渡したくない。……僕の気持ちは、それだけだ」
——ピィィィィィィッ!!(脳内アラート、再び)
レオンハルト陛下の時とは全く違うベクトルの、ストレートすぎる、純度百パーセントの愛の告白。
ビジネス用語も、駆け引きも、損得勘定も一切ない。
ただ「お前が好きだ」という、圧倒的な熱量だけが、私の鉄壁の防御壁を物理的に破壊しにきている。
「な……っ、る、ルカ殿下……っ」
顔が、爆発しそうに熱かった。
頬を包む彼の手の温度が、私の全身に伝染したかのように、血液が沸騰するような感覚。
心拍数は完全に計測不能。足の力すら抜けそうになる。
「さあ、エルゼ。もう仕事の言い訳は聞かない。……僕のこの気持ち、どうやって『決算』してくれる?」
ルカ殿下が、少しだけ意地悪な、けれどどこまでも甘い笑みを浮かべて、私を抱き寄せようとした。
(あああああああっ!! 無理です! 処理できません! こんな純粋な感情を叩きつけられて、論理的な回答など導き出せるはずがありません!!)
私は完全にパニックに陥り、彼の腕からスルリと抜け出すと、自分の熱い両頬を両手でバシィッ! と挟み込んだ。
「ば、バグです!!」
「……は?」
「これは、明らかなエラー発生です! ルカ殿下、貴方がこの谷底に高密度の魔導花を密集させた結果、局地的な魔力溜まりが発生し、周囲の気温が急上昇しています!」
私は真っ赤な顔で、涙目になりながら支離滅裂な言い訳を叫んだ。
「その、急激な気温の変化によって、私の自律神経が乱れ、体温調節機能に致命的なバグが生じています! 顔が熱いのも、心臓がうるさいのも、すべては過酷な労働環境(温度差)による物理的エラーです!!」
「……エルゼ。お前、それ本気で言ってる?」
ルカ殿下が、ポカンと口を開けて固まっている。
「本気です! 有能な経営者は、体調不良を放置しません! 私は今すぐ執務室に戻り、冷えピタ……ではなく、氷魔法の魔石で頭部を冷却する必要があります! 視察は終了です! お疲れ様でした!!」
私はドレスの裾を掴み、全速力で振り返ると、馬車の方へ向かって猛烈なダッシュをキメた。
「あ、こらっ! 逃げるなよエルゼ! お前、絶対今照れてただろ!!」
後ろからルカ殿下が、呆れと楽しさが入り混じった声で追いかけてくる。
私は「聞こえません! 気温バグです!」と叫びながら、心臓が口から飛び出しそうなほどの動悸を抱えて走り続けた。
皇帝の『大人の色気』に続き、皇子の『直球の愛情』。
ビジネス用語の鎧はもはやボロボロに剥がれ落ち、エルゼという一人の女性の心は、完全に陥落のカウントダウンを始めていた。
しかし、不器用な彼女がその「エラーの正体」を完全に認めるまでには、あともう少しだけ、決定的な「熱」が必要だった。
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次回お楽しみに。




