第29話『強制的な有給消化(という名の過保護な軟禁)』
溺愛のターン!!
私が目を覚ましたのは、雲のように柔らかい、最高級の羽毛布団の中だった。
「……はて。ここは私の執務室の仮眠用ソファではありませんね」
ゆっくりと上体を起こし、周囲を見渡す。
天井には星空を描いた壮麗なフレスコ画。床には足が沈み込むほどの厚さのペルシャ絨毯。そして、アンティークの家具には一つ残らず帝国最高峰の魔導細工が施されている。
どう見ても、帝城の中で最もセキュリティと格式が高い部屋——すなわち『皇帝陛下の私室』であった。
私は首元に違和感を覚え、そっと手を触れた。
昨日、アルフォンス元殿下の転移結晶でつけられた、ほんの数センチの擦り傷。そこには、傷跡一つ残さない超高位の治癒魔法がかけられた上で、なぜか『国宝級の治癒の魔石』が連なった重々しいチョーカーが、包帯代わりにぐるぐると巻かれていた。
「……過剰包装にも程がありますね。これでは肩が凝って計算機が叩けません」
私がため息をつきながらチョーカーを外そうとした、その時。
「駄目だ、エルゼ。その治癒のチョーカーは、君の細胞の隅々まで魔力が浸透するまで、あと三日は外してはならないと宮廷治癒士長が言っていたからな」
音もなく扉が開き、レオンハルト陛下がワゴンを押して入ってきた。
漆黒の軍服は完璧に着こなしているが、その手にはなぜか、湯気を立てるお粥や栄養満点のスープ、そして山盛りのフルーツが乗った銀のトレイが握られている。
「……へ、陛下? なぜ社長自らがルームサービス(配膳)を?」
「当然だろう。私の愛しい伴侶(予定)が怪我を負ったのだ。他の誰にも世話など任せられない。さあ、口を開けなさい。私が食べさせてあげよう」
レオンハルト陛下はベッドの端に腰掛け、銀の匙でスープをすくい、私の口元へと運んできた。
さらに、部屋の窓がバサァッ! と開き、そこからルカ殿下が飛び込んでくる。
「兄上! ずるいぞ、抜け駆けは! エルゼ、僕も最高級の魔力回復ポーションをゼリー状にして持ってきたから! 食後のデザートは僕が食べさせてやる!」
ルカ殿下もベッドの反対側に陣取り、キラキラした目で私を見つめてくる。
皇帝と皇子による、至れり尽くせりの完全看護体制。
「あの、お二人とも。私の傷はすでに見事に塞がっています。出血も止まり、平熱です。これ以上の休息は業務の遅延を招きますので、私は執務室へ——」
私が布団を退けようとすると、二人は同時に私の肩を押し留めた。
「「駄目だ(駄目だよ)」」
完璧なハモリだった。
「君は昨日、あんな恐ろしい目に遭ったのだ。体は治っていても、心が深いトラウマを負っているはずだ。最低でも一週間は、この部屋で私の保護下で絶対安静にしてもらう」
レオンハルト陛下が、有無を言わさぬ皇帝の覇気で宣言する。
「そうだよ、エルゼ! また変なゴミが侵入してこないとも限らないし、ここなら僕と兄上の結界で完璧に守られてるから! 心配しなくていいから、ずっとここで僕たちに甘やかされててよ」
ルカ殿下も、過保護な大型犬のように私の手を取り、自分の頬にすり寄せる。
私は彼らの言葉を聞き、脳内で状況を整理した。
トラウマ? 恐怖? そんなものは微塵もない。私にとって昨日の事件は「軽微な労災」と「追加の慰謝料徴収イベント」に過ぎない。
しかし、トップ二人が揃って私に一週間の休養を命じている。この意味するところは一つだ。
(……なるほど!! これは『強制的な有給消化の命令』ですね!)
私はポンッと手を打った。
有能な社員は、往々にして働きすぎてしまうものだ。企業としては、社員の過労死(休職)を防ぐため、定期的に有給休暇を完全消化させる義務がある。
社長(陛下)と現場トップ(殿下)自らが、私を社長室(この部屋)に軟禁してまで休ませようとしているのは、アウグスト帝国がコンプライアンス(労働基準法)を極限まで遵守する「超ホワイト企業」であることの証明に他ならない!
「素晴らしい労働環境管理です、お二人とも!」
私はベッドの上で居住まいを正し、深く頭を下げた。
「役員たる私が、有給休暇の消化率を下げるわけにはいきません。お二人のご厚意(福利厚生)に甘え、この一週間は業務から完全に離れ、心身のメンテナンス(休暇)に専念させていただきます!」
「……えっ。あ、ああ……そうか。君が素直に休んでくれるなら、それでいい」
レオンハルト陛下が、私の斜め上のビジネス解釈に一瞬呆気にとられながらも、安心したように微笑んだ。
「で、ではお言葉に甘えまして、さっそく……あーん」
私が口を開けると、レオンハルト陛下はひどく嬉しそうに、スープを私の口へと運んでくれた。
それを横で見ていたルカ殿下が「次は僕のゼリーだからな!」と騒いでいる。
こうして、私は帝国最高の権力者たちによる「過剰な有給消化サポート(という名の溺愛軟禁生活)」を満喫することになったのである。
◇◇◇
——一方その頃。
アウグスト帝国最北端、一年中吹雪が吹き荒れる『氷獄の魔石鉱山』。
「ひぃぃっ……! さ、寒い……! 重い……っ!」
かつてのグランゼール王国第一王子、アルフォンスは、薄汚れたボロ布のような作業着を纏い、足に重い鉄球を引きずりながら、ツルハシを振るっていた。
彼の両手は、レオンハルト陛下に粉砕された後に『労働に最低限必要なレベル』にだけ治癒魔法をかけられており、ツルハシを振るうたびに激しい痛みが走る。
「おい、新入り! 手が止まってるぞ! 一日のノルマ(魔石百個)を達成するまで、水も飯も抜きだからな!」
筋骨隆々の監視官が、容赦なく鞭を振るい、アルフォンスの背中を打った。
「ぎゃあっ!! や、やめてくれ! 私は王太子だぞ……っ!」
「王太子? ここにいるのは全員、借金まみれの奴隷だ! お前の借金は……金貨一億六千万枚だったな。今日の労働で一シリング減ったから、完済まであと四十四万九千九百九十九年と三百六十四日だ! 気合い入れろ!」
「あ、あぁぁぁぁっ……!!」
アルフォンスは絶望の叫びを上げながら、氷のような岩肌にツルハシを叩きつけた。
彼の隣では、かつての自称聖女ミリアが、鼻水を垂らし、泥だらけになりながら、掘り出された魔石を籠に入れて運んでいる。
「ど、どうして私がこんな目に……っ! エルゼ様ぁ、ごめんなさぁい! 許してぇっ……!」
彼女の泣き言も、吹き荒れる吹雪の音にかき消されていく。
彼らがどれだけ泣いて謝罪しようとも、もはや遅い。エルゼという「最強の支援者」を裏切り、見下し、あまつさえ彼女に傷をつけようとした代償は、彼らの命が尽きるまで、文字通り骨の髄まで搾り取られるという形で支払われ続けるのだ。
かつて彼らが見下していた「氷の令嬢」は、今や帝国の最高権力者たちの腕の中で、温かいスープを飲ませてもらいながら優雅な有給休暇を楽しんでいる。
彼我の絶望的なまでの格差。
これこそが、有能な経営者が下した、一ミクロンの慈悲もない「完全なる決算」の結末であった。
「……ふむ。北の鉱山に送った新規の労働力(不良債権)は、しっかりと稼働しているでしょうか。利息分の回収スケジュールが気になりますね」
ふっかふかのベッドの上で、私はルカ殿下から甘いゼリーを食べさせてもらいながら、遠い空に思いを馳せていた。
「仕事の話は禁止だと言っただろう、エルゼ。……さあ、次はこれを開けてごらん」
レオンハルト陛下が、私の首元にそっとキスを落としながら、新しい宝石箱を取り出してくる。
どうやら私の有給消化は、まだまだ手厚い福利厚生(プレゼント攻勢)と共に続くようである。
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次回お楽しみに。




