13-2 あるいは物語が生まれ出でる地平の果て、すなわち消失点でしかない
無論、ここで海原桐子たる桐生洋子がその問いかけを受け流すはずはない。
「そうだ、その通りだ……私が入部したときの文芸部は、明けても暮れてもゲームやアニメの話しかしない文芸部だった。好きなキャラクターを絵におこして喜んだりするのはまだ許せても、ただ格好がよいという理由だけでむやみやたらと熟語をつなぎ合わせ、無意味な言葉遊びをしたり、到底読めない当て字を開発することに夢中になったり、好きなシーンだけ書ければ満足して無責任に打ち切り。ネットの他己評価ばかりに目くじらを立て、挙げ句評価ポイントを水増しする事に躍起になり、自身の物語になど向き合うことすらなく、妄想と勘違いを肥大させ、自己認識不足を他人のせいにし、読まれるためのセオリーだけを愚直に踏襲する愚かしさを露呈しては、一人前に挫折して怨嗟の言の葉をのせた灯籠をネットの海にながす――――、この文芸部を変えると決意し、実力をもって部長の地位を獲得した私は、そんな諸君らとはやっていられないといったのだ! 今後はいかなる弁明も受け付けないと、よもやこのまま、ただひたすら過ちを過ちと認めぬまま、文学の顔をした戯れ事に突き進むというならば、私は本部を撃滅せねばならんと――そう、まさに今諸君が択一すべきことはひとつであ――――」
桐生先輩はかつての文芸部員を叩きのめすに相応しい忌憚なき演述の合間に、感極まり、――さきの白鳥の芝居めいた述懐に釣られたせいもあろうが――おそらく無意識にだろう、右掌を眼前に差し出し、まるで敵の襟首を掴んで最後通告をする圧倒者のように、掌を握りこみながら縦に拳を形作っていた。
やがて、自らのその無意識のジェスチャーに気づいたのだろう、先輩はさらに芝居がかった動作で、やれやれと首を振ると、腕を振り下げ、「ふッ……そうだ、その通りだ、我ながら傲慢だったな……」と腰に手をあて、目を伏せ、薄く笑った。
部室の壁際を埋め尽くした部員は、中心にいる二人の事を、固唾を吞んで見守るしかなかった。
「――そして部員は一人、二人と、あなたが統べる部を去っていった。
やがて文芸部はあなただけになった。それが三年前の晩夏のこと。
卒業する三年生も含めた部員が一人残らず辞めてしまい、何も知らずに訪れる新たな入部希望者も、先ほどのような頑強なあなたの意志を前にして、『ここは違う』と感じ、一ヶ月も経たずに辞めた……さすがに“鋼鉄の女”と呼ばれたあなたも、一人きりの部室では涙を禁じ得なかった」
白鳥は言う。まるでその現場にいて、先輩と共に文芸部の歴史を歩んできたかのように。
「フン、部の活動記録からそこまでを推察するか……大したものだな」桐生先輩は白鳥の述懐を、まるで我が子を愛でるかのような微笑みで受け入れた。しかし直後に表情を固め「だが、一つ間違っているな?」という。
反して白鳥はさらに表情を和らげる。
「ええ、そうです。あなたは一人きりにはならなかった。唯一残った男子部員がいたものね」
「ふッ、ははっ。やはりな……貴様、アキラの……」
ここまでが白鳥の計画したシナリオだった。
ここから、白鳥が桐生先輩との面会を望んだ本当の理由が明らかになる。
白鳥晃。
俺達の一つ上の先輩で、当然俺達は知らない。白鳥の話によると、自分の兄、アキラは最後の最後まで桐生先輩に付き従った部員の一人だったらしい。それを愚直ととるか義理堅さととるかまでは、今の段階でくみ取ることは出来ない。
「フッなるほど。お望み通り、告白せねばなるまい……私たちは二人で、部から同好会へ降格した文芸部の存続のために、部費を稼がねばならなくなった。本来なら賞に応募して実績を積まねばならねばいけないところだが、あいにく悠長にやっている時間はなかった」
かつて彼女が独白した、あの事件。
先輩が一人で部を支えるため否応なしにBL小説を書き殴った日々。
しかし、そこにもう一人の男が携わっていたとは。
桐生幸子の手前、“BL小説”とは口にせず、
「内容のない軽薄な小説作品をいくつも生み出し、ヤマなしオチなしイミなしの愛好本をつくり、世にばらまいた。私がいかに神速の打弦者であっても、生み出せる物語には限りがある。そして人にはそれぞれ才能という特異な宝珠が備えられている。もはや若気の至りとあざ笑って頂いても結構だ。私は作家兼、衣装を纏い破廉恥な売り子として。そして彼は製本と作品の販路を確保し、当時としては莫大な利益を上げた。賞作品を創っているのが馬鹿らしいほどにな」
さすがに、白鳥の正体を知った直後の、まさかの姉の告白だ。その事実を本人の口から聞けば、幸子も心穏やかではいられなかった。だが呆けている暇など与えられなかった。
「すまぬな、幸子……、私はまたお前を傷つけてしまうやもしれぬ」
幸子は大きな目をさらに見開いた。しかし目の前の姉を直視することが出来ずそのまま視線を右斜めの床へと落とした。先輩が秘めているという得体の知れない事実が恐ろしかったのだろう。それで本能的に目を逸らしたのだ。
先輩は、白鳥が海原桐子の正体を知ってカマをかけてきている可能性も考慮して、そのように告げたのだろう。先輩はもはや腹を決めたのだ。自分たち姉妹が解り合うには全てをさらけ出さねばならないと。
「姉という立場だけで、ずいぶんと上からものをおっしゃるのですね」白鳥はナンセンスだとばかりに視線を逸らして、肘をついた姿勢の身体を傾けると、わざとらしくこめかみに指をあてた。相手を揶揄するジェスチャーだ。
先輩は、一度も全国区の賞を獲っていない。だがそれは桐生洋子は、という意味である。無論その事を誰より身に染みて感じているのは桐生先輩自身だろう。同時に誰が(・)書いたかを(・・・・)認識されること(・・・・・)の無意味さもまた知っている。
曰く、今更作家などという人種の人となりや造形に興味を持つ者など、基本的にはいない。
かつて市井の人間にとっては充分すぎるほど、スキャンダラスでセンセーショナルな生き方を貫いていた文学黎明期の文豪達ならいざしらず、もはやメディアが一人歩きする時代に、それを生み出した“原作者”が誰であるかなど、些末な問題であると。
時代は加速を続けている。
もはや文学好きの人間でさえ、芥川や直木の受賞者を記憶することを諦めている始末だ。
人々は次々と新しい物語を消費し、快楽を求める、中毒者なのだ。
そのような者達にとって海原桐子は単なる記号、あるいは物語が生まれ出でる地平の果て、すなわち消失点でしかないのだ、と。
しばしば先輩は小首をかしげ「よく憶えておくがいい、国重よ。作家には意味などないのだ」と指で前髪を払って薄ら笑いを浮かべていた。
そして今、先輩は白鳥に対峙し、あの時と同じ仕草でこう言う。
「アキラは愚かな男だった。私にただ付き従って、文字通り私の右腕となり、身を粉にして自身を疎かにした」
その諦念を含んだ煽りともとれる言葉に、白鳥茜の整えられた眉がぴくりと跳ねる。
桐生先輩と白鳥の間に、いずれなりの亀裂が生じ始める瞬間かとおもわれた。
白鳥は体側に沿って下ろした生白い腕の先にある拳を、強く握りしめていた。
顎を引き口を噤んでいる。歯を食いしばっているようにも見えた。
「あ、兄には才能があった……なのに! そもそも、あなたがッ!」
「ふふ、わたしがどうした? 当事者でもない妹の君が、何をそんなに悔しがる事があるのかね? 現に、彼の痕跡はもうどこにもない。第一、より秀でた者を称えようというのに“才能があった”などとは、それが高校生天才作家、白鳥茜の語彙力かね?」
本人も気づいていないだろうが、いつしか白鳥は長机から降り、桐生先輩を真正面に捉えるような形で対峙していた。しかも、その言葉の勢いに引っ張られるかのようにやや前のめりになっている。
さすがに身内のことを揶揄するような桐生先輩の言には、冷静ではいられんか。
対して部内は絶句していた。
白鳥の弁舌ならば、どんな論客とだろうと渡り合えると思っていただけに、その狼狽え様は意外だったのだろう。
「あなたがそれを言うのか……、兄があなたと別れ、あなたの観ていない間、兄がいかに過ごしてきたのか知らぬからそんなことが言えるのです! 貴様らの作品などクソだと断じた本人が掌を返し、金銭獲得のためだけに軽薄な作品を執筆し、自らそれを売り、涼しい顔をして愛好家達の無邪気な笑顔を見てせせら笑うなどという、倫理的苦悩はいかほどなのか、ボクが近親者でなくとも作家なら理解して然る!」
桐生先輩は小さく舌打ちした。突っ込まれたくはない穴だ。
だが、白鳥はその穴をえぐりたいのではないらしい。
「――ここに兄の全てがある、兄が最期に残した自伝よ」
そう言って白鳥茜が目の前に掲げたのが、全体が赤色の装丁の薄い本。表紙のそこここに赤とんぼのイラストがあしらわれている。そのタイトルは『アキラトアカネ』。
よくみてみれば、著者名も“シラトリアカネ”とある。
「この本の赤は、最後に兄が部屋を出て行く直前の夕暮れの色。この本を読む度にあの風景がボクの脳裏に鮮烈に蘇ってくる」そういって白鳥は本を胸に、強く抱きしめる。
白鳥兄は、晃は書籍化作家だったのか…。
「この本は、兄の作品をまとめたボクのお手製なんだ」
違った……まさかの、キモいブラコンではないか。
「兄は高校を中退すると、文学武者修行の旅に出た。旅先で邂逅した文芸者たちと筆を交わし合う日々。夜な夜な己の生み出した文章を書き連ね、ゲシュタルト崩壊するまで音読を繰り返す毎日。目に映るもの感じるもの全てが比喩表現でしか話せなくなった時、兄の周囲から友人はもちろん、かっての文芸部仲間も去った。
それほどまでに強い意志でもって、兄は変わろうとした。唯一信じたあなたの凋落ぶりを目にして、このままではダメだと強く決心した。
世俗の誘惑を全て断ち切り、本当の文学を見つけるために。文学は純で綴られるべきであるという、まだあなたがよき文学者であった時の言葉を胸に、ただひたすら研鑽していた。
高校も卒業しないでクソの役にも立たない文字ばかり書いている穀潰しなどと両親から裁断され、生活費援助の打ち切りを告げられ、やがて橋の下にこしらえた段ボールハウスが彼の庵となった。
真冬のある日、寒さに耐えかねて火種を探そうと屑籠に手を突っ込んでいると、そこに薄い一冊の本を拾ったそうよ」
「ほう? それで」と、桐生先輩はこともなげに相槌を打つ。
「さ――寒さに凍えながら、久しぶりに目にする薄い同人誌――いいえ、それはいわゆる青少年少女達の股間を熱くさせるためのツールだったのだけど、あの軽妙で軽薄で軽快な言葉の羅列、卑猥で下劣で無責任な投げっぱなしな文章」
白鳥は一旦そこで言葉を切り、俺以外の三羽カラスに視線をやり、「そう、あなた方先輩たちのように、以前までの兄なら、たとえ同人誌だろうといかなる本をも燃やすことなど到底出来なかった」といい、眼を伏せる。
そしておもむろに踵を返すと、狭い部室の壁から壁の間を舞台のように使い、身振りを交えてこう続ける。
「しかしその時はもう、それをいとも容易く、躊躇いもなく火種に出来ると感じた、と。
ライターを手に取り火を点けた時――、“橋下さん”と、兄は呼んでいたそうだけど――大量のラノベを蒐集しているホームレスに咎められた。
『本は燃やすためのものじゃない! 愛でるためのものだ!』と。
その橋下さんと出会った兄は、果てしない時間の中、日夜文学について侃々諤々の議論を交わしていたそうよ。時にはつかみ合いの喧嘩になることもあったというから、その怪人とは、文学的に相容れないと感じていたのね」
それは橋下さんなどではなく、先日俺も邂逅した、松田・クリミナル・ラノベ怪人だ。間違いない。
文学的にどうこうというより、おそらく人として、いやホモ・サピエンスとして相容れなかったのだろうと思う。ただ、白鳥兄が松田先生に気づいていなかったとは少し考えがたい。自身の冒険譚を語るにあたり、あえて部の元顧問と橋の下で隣人となってしまったなどと、自身の境遇を認めたくないあまりに、フィクション化しようとした結果――これは物書きの宿命とも言えるが――事実を歪曲したととるほうが自然だ。
「ボクのことはどう言われたって構わない。だが、兄のことを悪くいうことは許せません。兄はあなたに付き従って、限界まで文芸部に留まった。純文学を愛するあなたを敬愛して止まなかったからだ。なのにあなたはコミケで好事家相手に営利目的の執筆を生業とし、純文学への情熱を忘れた。そんなあなたのことを見限り……ついに文学に絶望した兄は旅先で筆を折りました。挙げ句先日など密かに自宅で大量のラノベを蒐集し、私設閲覧所としていたというではありませんか。そんなあなたを慕っていた兄が不憫です……失意の兄は、そのまま海へ……」
白鳥は顔を伏せ、体を小刻みに震わせた。誰もが彼女が感極まり言葉を失ったと思っただろう。てゆうか、お兄さんの文学武者修行、以外と近くで最近までやってたんじゃネェか……。先輩の名誉のために訂正はしなくてはいけない。
「それは違う、白鳥! 先輩の部屋にあるものは閲覧所とするためのものではなく、部の備品を一時的に保管していたものなんだ。先輩はラノベになんて興味はないんだ!」
言ってしまってから、はたしてそうだったのだろうかと、恐る恐る桐生先輩に視線を向けると、なんと薄く微笑んで俺に視線を合わせてきた。それはどういう意味なんだろう。
「っく……ボクを置いて海へと……兄は、逃げた!」直後、ドンと長机の天板を、そこに平置きされた赤い本もろとも拳で叩いた。
鈍い破裂音と共にメラミンの化粧材の天板が見事にへしゃげ割れた。部室内がしんと静まりかえり、桐生先輩もそれ以上の言葉を投げることをやめた。
一般の部員達はもとより、三年の三羽カラスですら、一体これらのやりとりが何を表しているのかさっぱり判らないだろう。桐生先輩の事情を知る俺だってギリギリ理解できているくらいなのだから。
「ハッ、はは……こまりましたね、部の大事な備品を壊してしまいました」肩をふるわせ、顔をうつむけたまま、小さく卑屈に笑った。




