13-1 ザッツライト、その通りだ
「君が……白鳥、あかね……」そう怪訝な様子で呟いたのは桐生先輩だった。
確か桐生先輩と白鳥は初顔合わせのはずだ。
いままで何度か先輩がOGとして部に来たことはあったが、たまたま今まで白鳥は不在だった。無論それは、先輩が桐生幸子を避けていたため、一緒に行動することの多かった白鳥とも会う機会がなかった、とも言える。
一方、桐生先輩が彼を知らないはずはない。もはや顔も名前も全国区、文芸に興味のない人間でもその存在は知っているはずだ。
だが二人のやりとりはぎこちない。それは口にせずとも形が見えずとも、双方が感じている、才能の衝突のせいだろうか。
その意味深な空白を埋めるかのように、慌てて口を開いたのは幸子だ。
「アッ……わ、わあ、白鳥くん、ごめんなさい、これはわたしの不甲斐ない姉で……あの、すぐに帰らせるから……」彼女は目の前で起きている現象に気づいていない。ただ白鳥がとった態度が、一瞬惑うようにみえたせいで、そこは身内として咄嗟に気をつかったのだろう。
顧問という立場上の白鳥に対して、桐生は敬語とまではいかずとも、遠慮がちにものを言うようになったようだ。同級生同士奇妙な感じだとは思うが、今の白鳥は一ヶ月前にみたときよりも随分大人びて見えた。ともすれば俺よりも年上のように。
白鳥は右手を胸の前に挙げ、桐生幸子を制した。いいんですよ桐生さん、と。
そして今しがた気づいたとでもいうように、立ち上がろうと膝立ちの俺に視線を落とした。
「おや、国重君お久しぶり、ご無事でしたか。――それに、約束通りお連れしてきてくださったということですね、桐生先輩を……」
桐生先輩は俺のことを睥睨し、「約束……、通りだと? 国重、貴様……」と、密やかに舌打ちをする。
当然、すかさずそこに割り入るようにして白鳥が取り繕う。
「ああ、いつぞや国重君に、桐生先輩に一度お会いしてみたいとお話ししたことがあったのですよ。出来ればお連れしてきては貰えないか、と――いや、ウチの部長が取り持ってくれたならば、何も国重君にお願いすることはなかったのですけどね――――ねぇ? 桐生さん」
首をかしげ、桐生幸子に優しく問いかけるように向けたその顔は、微笑みに縁取られてはいなかった。怒りでも諦めでもなく、ただ無表情だった。
対して、桐生先輩は記憶を探るように右斜め下に視線を落としていた。
白鳥との接点などあるとは思えなかった。しかし、全くもって今更だが、ここにきて改めて白鳥が先輩と会いたいと言い出した事への疑問が、ムクムクと頭をもたげてくる。
「あ、誤解しないでくださいね、先輩と幸子さんの間柄に、口を挟もうという気はありませんよ――――先輩の作品を拝読しました。ええ、それで是非、お話をと思いまして……」と白鳥はようやく口許をくずして笑った。
それを聞いた桐生先輩は、視線を白鳥の方に戻すことなく、眼球を転がし、そのまま左斜め下の跪くような姿勢の俺に、視線の重力波をぶつけてきた。
いや、違います。俺は先輩の正体になど一言も言及してはいません。俺はただ、白鳥と先輩の顔つなぎを担っただけであり……いや、無論、さっちんとの仲を取り持ってもらおうという下心だけで行動したことは否定できないのだが……おい、白鳥、そこで口を挟まんのかいっ。
「ありゃ、もしかして、だめでした? 部室に保管してある先輩の過去作品――ええと、昔の作品について論じるのはお嫌いだとか?」
白鳥は一旦、桐生幸子を視界に収めると、彼女の瞳を捉え、その視線を誘導しつつ、桐生洋子へとレーザービームを照射した。その人を食うような視線の奥に、怪しく光る瞳がある。
「ま、話せば長くなります、立ち話もなんですから部室にはいりませんか? みなさんも、散々暴れたんです、もう気が済んだ頃合いでしょう?」
この混乱に関わった全ての人間が心を鎮め、話を冷静に受け止める準備が整うまで、それなりの時間を要すと同時に、否が応でも部室内は熱気に包まれていった。
バリケードを守っていた一年生部員達、そして目を真っ赤にし、制服のズボンまで盛大に鼻血にまみれた小山田。
ビリビリのシャツのまま、ヒビの入った眼鏡をかけ直す木ノ下。おまけに、匿ってくれと、ピンクの粉まみれになった、顔の原型をかろうじて保っている三条らしき、満身創痍の男までもが飛び込んできた。
白鳥はネクタイを緩め、開いた窓際の長机に膝を立てた姿勢で腰掛けた。
「そろそろ潮時ですか……」言いながら、白鳥は髪をかき上げた。いつの間にかウィッグが外され、茶色みを帯びた長い髪が露わになっていた。
男性としてこの学園に入学していること。俺にみせたのは気まぐれだったとしても、近いうちにいずれ晒すつもりだったのだろう。ここに居た俺以外の誰もが白鳥の非現実感に見入っていた。
風にそよぐ長い髪が、傾きかけた陽光に照らし出されきらきらと光った。
そして彼女は立て膝に両手を添え、睨み付けるような角度の眼光を部室に居る全員に向けた。
もう、今ここで何事が起きようとしているのかを問う者はいなかった。ただ、目の前の彼女が何を語るのか、それだけを待っていた。
白鳥の正面で桐生先輩は――いや海原桐子は、細い両腕を胸の前で組み、すらりと伸びた足を肩幅に開いて対峙する。
袖口に控えめなフリルをあしらった純白のワンピースは、先輩の凜とした佇まいと相まって、闇に浮かぶ一筋の希望の光にも見えた。そして、けして手の届かない断崖絶壁に咲く、一輪の可憐な花を思わせた。
つば広のストローハットの陰からその全てを見て取ることは出来ないが、口元から、あきらかに白鳥を認識し、警戒の念を抱いていることが分かる。
ここは二人の天才、白鳥茜と海原桐子という才能が衝突する、世界の狭間だった。
「誰もツッコまないから自分で言うけど、ここに、白鳥茜という男子生徒はいない。見ての通り、ボクは女」その胸を押さえつけていた“拘束具”のようなものも取り払われているようで、彼女の胸の前面にはふくよかな二つの膨らみがしっかり主張していた。
だが人称は“ボク”のままか――いいぞ白鳥。
中には白鳥茜が余興で女装していると勘違いしていた者もいたのだろう、一部の後輩女子部員達が密やかに色めき立った。そして同時に、超絶美少年だと思っていた先輩が、実は美少女だった、などという百合展開に股間を熱くした男子部員も何名かいただろう――いや、いないはずがない。
異性装はラノベやアニメの専売特許ではない。古典的な性嗜好の一つであり、重要な物語構造体の一つともなり得るファクターである。
別に、小山田でなくとも鼻息を荒げて下腹部を湿らせたとて構わないのである。
「この学園にかかわらず、今の時代は性別、立場、あらゆるバイアスに囚われることなく、容姿の如何を問わず自由かつ平等に学問の機会を与えるというのが一般的な流れ。皆さんがボクのことを男子だと勘違いしたのは仕方のないことだけど、文学に携わる人間が些末な属性にこだわり、自ら表現の域を縛る意味などありますか?」
いや、ちょっとまて。だったら――
「おっと――ならば白鳥が男装する意味だって、そもそもないだろう――そう皆さんは言いたそうですねぇ?」
ザッツライト、その通りだ――
「その理由は語れば少しばかり長くなります。ボクの極めて個人的な事情ですが……」
文学活動以前から学校を休みがちであった事は知っている。遅刻も多かったし、部室から水泳部の活動風景をのぞき見はするが、体育の授業は一切でていなかったことは知っている。男にして白すぎる肌、細すぎる肢体、繊細すぎる立ち振る舞いは訊かずとも、彼が何らかの厄介な病気を抱えていたことを想像させたとて無理もなかろう。
だから誰もが彼という存在に深く触れようとはしてこなかった。いや、そもそもその壊れそうな身体に、物理的に触れようともしなかったのだ。
そいつが突然の文学賞受賞という快挙、そして全国区のスターとなった。
女であることを隠しながら男としてこの学園の生徒として通学し、考え得る不自由をものともせず、そしらぬ顔で過ごし、さらに作家として大成してしまった。
「ボクには二つ上の兄がいました。桐生洋子先輩なら『白鳥』という名に覚えがありますよね? そう、彼もまた、小説家としての夢を抱いて、ここ文芸部に所属していました」
彼女からして二つ上だということは、俺達が入部する前に桐生先輩一人を残して退部していった先輩方の一人だろう。
彼らは漫画やアニメやラノベに親和性が高く、当時部長に就任した桐生先輩が強引に行った極純文学路線大改革、略して“文革”についてゆけず反目し、大量退部を企て、いっそ部をなき物にしようと画策した。その時に在籍していた二年生と入ったばかりの一年生は、夏を迎える前にこぞって退部したと聞いている。
「あなたが、桐生部長がね、無茶したから――――」
先輩の事を“部長”と呼ぶ白鳥茜の顔はもう、かつての白鳥茜ではなかった。
ずっと唇を真一文字に結んでいた先輩が、ようやく口を開く。
「ふッ、兄に代わって私を断じようというのか……」
「……いいえ、そんなつもりはありませんよ――――そう、あえて言うなら――――そうそう、桐生先輩は言っていたそうですね、“文学は純で綴られるべきだ”と。登場人物の言動やストーリー展開に依存しきり、言葉が著す本来の美しさを損なってはいけない。
言葉一つ一つに意味があり魂がある。その断片が折り重なり、絹のように繊細たる織物は、色柄などなくとも光と影が作り出す陰影により、おのずとテーマ性を浮かび上がらせてくるものだ。
面白い、面白くない、それだけでいいのか? いや、面白い事が文学の本質であってはならないのではないか、とね」
闇の中、スポットを浴びたミュージカルスターのように、白鳥茜は勢いよく振り返ると腕を前に伸ばし、さらに桐生先輩へと台詞を投げた。
「笑わせる、悲しませる、喜ばせる、怒らせる。文学、いや物語が人の感情を左右するための装置であってよいのか。飲食のように人の心を恣意的に左右するものであって良いのか。なにより自分たちはそれほどまでに高尚な存在なのか。そして人々はそれほどまでに愚鈍なのだろうか。
あなたが導き出した答は否――よって――――あなたは、部員の全ての物語を凍結させた。
部長権限でね。
あなたは優秀な人だったから。あの時点で実績らしきものがあったのはあなただけだったから、皆あなたの言葉に従わざるを得なかった。そしてあなたの言うことが正しいと首肯せざるを得なかった――――そうよね?」




