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12-3 そこへ、真打ち登場だ

 青春という本能の迸りは、むっとした夏の空気と、容赦なく視界に飛び込んでくる紫外線にそそのかされ、その仮初めの夏服という薄い布一枚の向こう側に思いを馳せてしまう。


 制汗剤の香りの中に、己にはない甘酸っぱい微香を感知し、非接触ながらもやや自分よりも高い体温を敏感に感じる事、それすなわち、互いのエーテル体が共振共鳴し合っているのだとすら勘違いしたくなる距離感に、一瞬にして恋に落ちる事が出来てしまう、――そう男とは、男とは、悲しい生き物なのだよ。


 貧弱な身体を持つが故、女は身体接触コンタクトによる恐怖心が大脳新皮質に影響し、ダメージを回避する能力が発達した。その行動原理はまだ言語を司る以前の人類の姿のみならず、あらゆる地上の生命体からも垣間見れる


 本来力によって蹂躙することの出来る男が、女と解り合うために言葉などいらなかったのだ。地平線のようにまっすぐに伸びた広い肩幅と、全てを受け入れてしまう無言の大地のような大胸筋が織りなす、脆弱なる婦女子の筋肉の無力さをこれでもかと思い知らしめる必殺カウンターアタック。


 俺は膝立ち、桐生に向け一歩を踏み出すと同時に、両腕を勢いよく桐生の細い腰にまわした。桐生の細い肩はびくりと跳ね上がったのがわかった。俺は彼女の胸の中心である胸骨におでこをあてそのまま固定した。彼女はわずかに身をよじり抵抗はしたが、やがてそのまま上半身が萎縮して俺を見下ろす格好となって緘黙かんもくした。


 ただただ心臓の鼓動だけが俺の頭に直接響いてくる。


 俺は幸子の心に直接語りかけるように言った。


「桐生、幸子……確かにラノベは快楽を求めるツールである事は認めよう。人工的、恣意的に量産、消費される刹那的な物語であることは認めよう。だがな幸子、いや、さっちん。人は弱い生き物だ。だから、時には川の流れるままに流され、溺れたくもなる。状況に負けたくなることだってあるんだ。それは書き手も同じだ」


「ハッ、離してよっ! 離しなさい!」桐生はぐいと腰をひねり、再び抵抗を始めた。


「だめだ、この手を離せば君はまたどこかへ行ってしまうんだろう――もう俺のそばから離れるな! 俺も君も弱い人間なんだ! せめて物語の中でくらい上手くゆく人生が歩みたいって、そう思うからこそ――そう願うからこそ、物語を書かずにはいられないんだ! ……俺達だって、先輩だって……洋子先輩だってそうなんだよ――!」


 言いながら俺は桐生幸子の身体をきつく抱きしめた。


「――って、何言ってんだぁあああ! このクソが! 離せって!」


 次の瞬間、脇と背中に激痛。股間に鈍痛。


 桐生幸子の右フックと肘打ちと、金的に膝蹴りが入ったのだ。


 俺は急所三点をいとも簡単に射られて、冷えた廊下に無様に崩れ落ちるしかなかった。


「このっ変態! 痴漢! どさくさに紛れて抱きつきやがって!」


 激痛のあまり声を上げることすら出来ず、俺は桐生幸子の右の足先だけをじっと見つめて、頭上から振り下ろされる罵声を受け止めるしかなかった。


 いや、受け止められないものも降ってきた。突然幸子は膝をあげると、俺の横っ面めがけて本気のスタンピングをかましてきた。俺は咄嗟に身体を仰向けに反転させて危機を逃れる。


 全く、とことん嫌われたものだ。


「それにッ……馬鹿にしてるの? この人の人生がうまくいってないって? 生まれてこの方順風満帆で凪の海しか渡ってこなかった何でもござれの豪華客船の一等客に、あと何が必要だっていうのよ! 宇宙飛行士にでもなるってのなら勝手になりなさいよ! ……ただし小説家だけは許さない! あなたを小説家だけにはさせない! だって、それは、だって私がなるから! 小説家の桐生は私だけなの!」


 桐生幸子は両手の拳を握り、両足を地にべったりつけて、わうわうと口を開き、言葉で怒りながら、顔で笑い、声で泣いていた。興奮の度合いが閾値しきいちを超えて、上手く感情のコントロールが出来ていないようだった。


 桐生幸子の言う“この人”、とは彼女の姉、つまり先輩のことだ。 そのあり溢れる才能により、文武両道と性的な関心とは無縁の清楚地味という王道を歩んできた洋子先輩は、確かに凪の海を渡る豪華客船の一等客の淑女とみえただろう。


 しかしだ、桐生幸子。いや、さっちん……残念ながら、君の姉さんは既に歴史に名を残す超売れっ子作家、生ける伝説海原桐子だ。“桐生”名義ではないが。


 あの年齢にして既に印税は年間数千万円をくだらない、ちょっとした資産家であり、けして比喩ではなく、彼女は豪華客船そのものなのだ。


 俺は敗北した腹いせにいっそ、今ここで言ってしまいたかった。


 全てにおいて彼女に勝てない俺の言葉で、サディスティックに、桐生幸子が唯一胸に秘める希望をへし折って、粉々に砕いてしまいたい衝動に駆られる。


 ああ――しかし、と俺は体をごろりと横たえたまま、背に廊下の冷えた床面に熱を奪われるのを感じていた。一夏の疲れが限界に達していた。


 ぼんやりと仰いだ視界に、桐生姉妹のスカートの中身がダブルルッキングできそうになったが、今はそんなことはどうでもよかった。

 



そこへ、真打ち登場だ。


 もはや、白鳥と桐生先輩を会わせる必要はないのかもしれなかったが、約束は約束だ。


 音もなく開いた扉から、まるで風が舞い込んだかのような自然な仕草で現れ、自分の意志ではなく誰かに描かれた俳優のように“彼”は言った。

 

「どうかしましたか桐生さん、なんだか騒がしかったようですが?」部室の引き戸に片手をかけながら、彼が立っていた。


 超絶チート美男子にして――いや、美男装女子にして前代未聞の学生文芸部顧問にして、高校生ベストセラー天才作家――白鳥茜。


「桐生先輩――私が、文芸部顧問の白鳥茜です。お初にお目にかかります」


 その白鳥の態度はあまりに芝居がかった慇懃さを、プンプンにおわせていた。

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