13-3 プラトニック――いや、ちょめちょめな関係にあったのかもしれない
白鳥家にそんな事情があったなど知るよしもないが、あの冷静な白鳥が激情のあまりに机をたたき割るなど、よほどのことだったのだろう。
「白鳥は――アキラはペンネームに、君の、“シラトリアカネ”という名をつかっていた。そこから察するに、少なくとも君を裏切るような気持ちがなかったことの表れではないだろうか――いや、有り体に言えば、君は兄君に愛されていたのではないだろうか――部の存続を優先するあまり、彼の作品をこの世に残すことが出来なかったのは、部長であった私の責任だ。それについては、陳謝する」
桐生先輩は白鳥に向かって、深々と頭を下げた。
桐生先輩のせいで白鳥の兄が自ら命を絶ったという訳ではない。だがそのきっかけを作ったかもしれないという悔恨の念は、桐生先輩のメンタルをひどく苛むのではないかと、俺は心配になって伏せた顔を覗き込もうとした。
すると先輩は腰を曲げた姿勢のまま、首だけをあげ、いつものあの眼光を称え、視線を白鳥茜へと向け、言い放つ。
「だが、君がこうして天才作家と呼ばれ、名実ともに全国を席巻したのなら、それは作家としての彼の弔いにはなったと言えるのではないかな?」
さすがに不敵な笑みを浮かべてはいなかったが、その言葉は非常に強く、白鳥茜に向けられた槍の穂先のように思えた。
兄に代わって妹の茜がその名を全国に轟かせたならば、それは兄の遺志を継いだも同然ではないか、そう言いたいのだろう。
だが、さすがに俺でもその理屈は承服できない。作品を書いたのは茜であって晃ではない。たとえ晃がペンネームを妹の名前にしたとて、それは茜ではない。晃が極度のシスコン、茜がブラコンだったとしても、それで晃が報われたことにしてしまうのは、生者の勝手な論理だ。
桐生先輩は何事もなかったかのように、ただ静かに白鳥茜だけを睨み続けていた。
「白鳥茜よ。その言い様からして、アキラと私が、どれほどの時間を共に過ごしてきて、そこから何を生み出してきたのか貴様は知らんのだろうな」言葉はいつものように冷静だったが、彼女はやや顔をしかめて、秘めたる情動が噴出しないように抗っているようにもみえた。
俺の知らない先輩と白鳥晃の過去。
それは、先輩の一番の理解者であるはずの俺が、もうすでにアキラとやらに後れをとっていたことに気づかされた瞬間だった。
そのわずかながらの嫉妬が、下半身に激辛カレーをぶちまけられた俺に言わせた。
「先輩。それはだめだ、だめです、そんなことを言っては……」
いいかけた瞬間、部室内に轟音が響き渡った。その衝撃波に誰もが顔を逸らし肩をすくめた。
先輩はその短躯から繰り出されたとは思えないストロークで、先ほど白鳥が破壊した長机に、盛大な踵落としをくらわせ、フレームもろとも“くの字”に曲げて破壊していた。
それは、桐生先輩と白鳥茜の“格”の違いを示しているようだった。
奇しくも桐生先輩の破壊行為は、白鳥家の不幸譚に巻き込まれようとしていた部内の温度を下げ、白鳥が冷静を取り戻すきっかけにもなった。
「すまぬな、破壊した備品は私が私費で賄う――それはさておき、白鳥茜……貴様、アキラとは話をしたのか?」
「なんの、ことですか?」
「とぼけるな。貴様はそれで、世紀の天才高校生作家となどともてはやされたかったのか? 軽小説が駆逐され純文学は文壇に復権せり。貴様の登場は、さながら王の帰還といったところか」
「よしてください……別にそんなこと、おもってませんよ」
さすがに、先の机真っ二つが衝撃的すぎたのもあるが、この白鳥の口から発せられた弱者の言葉に、部内はもとより、桐生幸子も絶句した。
「アキラの筆致は、私とは違う。それは見事なものだった。小説執筆は勝った負けたではないが、当時、私自身は部長という肩書き、そして唯一人残った部員を引き連れた孤高のノマドとして、王国の復権を誓った立場上、負けを認める事が出来なかった」
白鳥晃という男、多くの時間を先輩の身近に付き従いながら、先輩に認められた男。もはや彼氏ではないか。いや、実際にそれに近しいプラトニック――いや、ちょめちょめな関係にあったのかもしれない。この先輩の一連の激情、理解するにありあまる。
「なにを今更、……おっしゃっているのか……はは。兄は素晴らしい作家でした。私はその血を受け継いでいるのですから……」本来白鳥の弁は部に対し、そして文芸の未来にとって、強い声明としてここに果たされるべきであったが、そうはならずに、ただ大気中に虚しく漂った。
白鳥は無垢な少女のように、顔を背け唇をすぼめた。世界を騒がせた男装の麗人はなんの色香も残さないまま消沈するかに思えた。だが突然振り返り、身体を開くと――
「ええ、ええ……そうですよ、そうですとも! あなたがかつてそうしたように、世の中からラノベは一掃されて、小説の本来あるべき世界が戻ってきました! きっと兄もそれを望んでいました! いいではないですか、本屋をみれば純文学作品であふれかえり、人々は本を手に取る度に、その純然たる物語に傾倒し、正しき道を歩まんとまた沈潜する。
世界は清浄への修正を選択しているのですよ。それにあなたが死守した文芸部はこうして部員も増えた。じゃあ、もうそれで、いいではないですか!」
白鳥は気でもふれたかのように突然声を荒げて、早口でまくし立てた。
当然だが、こうなると先輩も黙ってはいない。
「フッ、よくも言うものだ――まあよい。だが、そろそろ気づけ。純文学に描き出される世界や人物こそがもはやファンタジーであるという、重篤なパラドクスに陥らんとしていることに。物語によって修正される世界など糞食らえだ。美しく正しい物ほど疑ってかかるべきなのだ」
「ふぁ、ファンタジーですって? このボクが? ごじょおだんを!」白鳥の顔は紅潮して、完全に冷静さを失っていた。
「ならば言ってやろう。小説こそ我が人生、いや――人生是小説なりと、世界の純粋性を物語世界に求めた結果、貴様のように男装化して傀儡の文学王国の再構築を目論み、玉座に居座るなど、リアルを変質させて、まんまとファンタジーに仕立て上げていることに何ら違和感を感じないようでは、貴様こそ物語を冒涜する者であろう。違うか? 白鳥アカネよ」
桐生先輩は年長者らしく、終始声色を整えて白鳥に対峙した。
いつものように、今までのように激烈な物言いをする事はなかった。
だからこそ響いたのだろう。
「くっ……確かにファンタジー規制法が施行されるまでの“かれら”の進撃は脅威でしたよ。日々量産されてゆくジャンクフードのような物語の数々! 軽薄な言葉、粘液にまみれた欲望、けして物事を正面から捉えようとしない姿勢の悪さ。それらを人々が受け入れてゆく様に、心底嫌悪した。
マスメディアは原作乞食となり、とにかく次を次をと売れそうな作品をかいつまんではアニメやドラマを量産、クソみたいなたたき台を創っては、自称作家、自称俳優、自称アイドル、自称声優というNEETを生み出し、人々はまるでティッシュペーパーの如く、まるで自らの汚物を観まいとするかのように、快楽を得た次の瞬間には屑籠へ…………人よりも抜きん出るためとはいえ、彼らのなりふりの構わなさは、たくましさと同時に、こちらが観ていて赤面するほどだった。
たとえ目立つためだったとしても、臆面もなく、異世界転移、異世界転生、巨大ロボットにトランスセクシャル、モテモテハーレムにチート無双、よくもそんな安易な手段で栄誉を勝ち取ろうと、勝ち取れると思うものだと!」
白鳥のいいたいことはよく解る。ラノベ界のやり方は、まさに一撃必殺の特攻なのだ。才能がない者でも、波にさえ乗れば、その時と状況次第で賞を獲得することがある。あわよくば書籍化も。
だが所詮はまぐれだ、運がよかっただけだ。時流の波に乗っただけだ。
後にその、あるはずのない才能がさらに咲き誇ることなどけしてない。
そうして多くの若い作家達が散っていった。
逆に白鳥の兄のように、才能がきっちりあるにも関わらず、時流の波に阻まれ、吞まれ沈んでゆく者達もいる。不人気ジャンルを我が道と声高に叫んでみても、ニーズがなければそれはただの趣味か学術研究におわる。
アマチュアならまだいい、それで食うプロなどもっと露骨に売り上げが要求される。全ての創作とは、自身が造りたいもの、聴きたいもの、書きたいものを生み出すことではない、流行に乗り、持てる技術で売れるものを作ることを要求されるのだ。大多数が、消費層が造って欲しいもの、聴きたいもの、読みたいものを生み出すことが目的だ。
それが、悲しいかな出版界の現実だ。
文学に世界を変える力などない。ペンは剣より強しなどといってみても、所詮は文字の羅列、契約書とて破って暴力で叩き潰せば終わりだ。
文学というエンターテイメントは、その書き手がどんな信念を携えていようと、常に世界がそこから取捨選択をするだけなのだ。
「そんな物にお兄ちゃんの作品は埋もれて見向きもされずに、ただただ意味の解らない小難しい文字の羅列、漢語辞典か、ポエムだ、自己陶酔だ、エンタメ性皆無、娯楽要素なし、人に読ませる気あるのか、とまでいわれた。
それまで積み上げてきた文章作成技術、培ってきた語彙、レトリックに富んだ節回し、それらは全て、物語の“流行”という二文字に駆逐された。だから、ファンタジー法が施行された世界で、だからボ……アタシが……」
「しらとりあかねッ!」桐生先輩は今までに聴いたことがないほどの声を張り上げた。「もうよい! ……それ以上言わんでよい」
だが、白鳥茜は続けた。
「アタシが、お兄ちゃんの代わりになって、だから……皆にお兄ちゃんの作品を読んでもらいたくって、だから……そうすれば世界は変わるって、変えられるなら自分なんてどうだっていいって思って、お兄ちゃんがもしも今ここに居たら、今の私のように世界に認められていたはずだから、認められたから、だから、だから、そうおもって……オトコになって、お兄ちゃんの……」
そこで十七歳の女の子は人目憚らず、泣き崩れた。
白鳥がすすり泣く声だけが部室内に残留し、そこに居た人々の全員が、あっけない真実を知り、声なき声で泣いた。




