直線と曲線
春、ココノ村出身の魔女ナスベリは今日も近くにあるビーナスベリー工房のタキア支社から遊びにやって来た。支社長と本社副社長を兼任しており忙しい身の彼女だが、できるかぎり時間を見つけて顔を出すようにしている。なにせ二十年以上離れていた故郷なのだ、半年経った今でも様々なものが懐かしくてたまらない。
終業後に馬に乗ってやって来た彼女は、しばし友人達と歓談した後、そのまま宿を取ることに決めた。
「たまにはしっかり休んでくださいなんてマドカに言われちゃってね、たしかにトップが働き詰めじゃ下も休み辛くなるし、明日は有給を取ったの」
食堂の椅子に腰掛け、少しずり落ちてきたメガネの位置を直しつつ微笑む。マドカとは彼女の秘書で、優秀なのだが性癖に問題のある困った社員。スズランやノイチゴを見ると理性を失ってしまいかねないので村へ来る際は毎回留守番を命じている。
たまに、それでもこっそりついて来たりするのだが。
「じゃあ、うちにとまるの?」
蜂蜜を入れた甘いお茶を手に問いかけてくるモモハル。ナスベリの幼馴染でもある彼の両親は、ここで食堂兼宿屋を営んでいる。
「泊めてくれるなら、そうしたいかな」
対面の席から彼の頬をつつくナスベリ。若さゆえの素晴らしい弾力を楽しむ。この瞬間だけはマドカの気持ちも理解できた。子供のほっぺには抗いがたい魅力がある。
ところが、そんな彼の母親でナスベリの友人であるところのレンゲは困ったように嘆息する。
「それがね、今日は満室なのよ……」
「そうなの?」
珍しいこともあるものだと失礼な感想を抱く。なにせ見るものの少ない田舎の村なので、この宿を頼る客も少ない。食堂に名物料理のカウレを食べに来る人間ならそれなりにいるのだが。
「ええと……じゃあ、どうしようかな」
予備のプランを何も考えてなかった。故郷なのでもちろん実家はあるのだが二十年以上ほったらかしたまま今でも放置中の為、できれば最終手段にしたい。
「うちの家族用の部屋に泊まってもらってもいいけど、ベッドが二つしかないのよね」
しかも片方は子供用で小さいという。レンゲと夫のサザンカが一緒に寝て末っ子のノイチゴもそこに加わり、モモハルだけが専用のベッドで寝ている状態。
「モモくん、一人で寝てるの?」
「スズとおなじだよ!」
得意気に胸を張る少年。そういえばお隣の雑貨屋の娘スズランも最近自分専用のベッドを与えられたと聞いた。
そのスズランの母親、もう一人の親友カタバミが「じゃあ」とカップをテーブルに置き、栗色の瞳でナスベリを見つめる。
「うちに泊まりなさいよ。スズのベッドは大きめに作ってもらったからアンタも十分寝られるわ」
「その手があった」
レンゲもぱんと手を打つ。ナスベリとしても断る理由は何も無い。ふふと吐息を漏らしながら頷く。
「それじゃあ、お世話になろうかな」
しばらくして、彼女はスズランと共に宿へ戻ってきた。やっぱり泊めてもらえなかったなんて悲しい話ではない。この村の住民は風呂に入りたい場合、だいたいがこの建物の裏にある共同浴場を利用するのだ。
普通の民家と同程度のサイズ感の建物。入口から男女別になっており、入ると若干遅い時間ということもあって他の利用者の姿は無かった。靴が無いので男湯の方も空だろう。
カタバミは夕食後の後片付けをしており、カズラは手紙の代筆を済ませてからにすると言ったため二人で来ることになった。
湯船に浸かる前に体を洗うことにする二人。椅子に座り、互いに背中を流し合ってから体全体を自分で洗って、そして洗髪に移行する。
「そーいや」
先程までの淑やかな雰囲気はどこへやら、はすっぱな口調で切り出すナスベリ。諸事情あってメガネを外すと人格が切り替わるのだ。
「社長がこないだのアイディア褒めてたぜ。商品化を検討してみるってさ」
「本当ですか?」
顔を上げるスズラン。ただし頭が泡だらけで目は閉じている。
「おう、軽量小型化した野営用品な。どれも既存の製品より大幅に利便性が向上してるし、すぐにも商品化できそうだってよ。よくあんなもん思いついたな?」
「この間、サザンカおじさんに夜釣りに連れて行ってもらったの。タザー湖の畔でテントを張って、モモハルとノイチゴちゃんも一緒に一泊したんだけど、道具が大きくて重くて運ぶのも設営するのも大変だった。だからもっと持ち運びやすいようにしたらいいのにと思って」
「なるほどな。うちの本社は都会の真ん中にあるから、そういうところにゃなかなか気がつけねえや」
「ふふ、田舎も悪くないよね」
「だな」
二人でくすくす笑い、髪についた泡を洗い流し、やっと全身綺麗にできたと並んで湯船に浸かる。
長い髪をまとめ、お湯に入らないようタオルで上げてから胸の高さまで浸かるナスベリ。彼女は女性としては背が高く、普通に座っていると肩までは湯に浸らない。
その艶姿を見てスズランがため息をついた。
「ナスベリさんって本当に綺麗だね。特に、そのまっすぐな黒髪……」
「おいおい」
それを言ったらスズラン自身はどうなのかと苦笑する。誰が見ても世界で一番の美少女じゃないか。初めて素顔を見た時は、あまりの可愛さに心臓が止まりかけたものだ。
髪の毛も自分と同じストレートヘアで、子供なのに白髪だが、光を受けると虹色にして反射するという不思議な特性がある。将来は自分などより遥かに美人になることは間違いない。
といったことを反論として述べると、何故かスズランはしゅんとしてしまった。どうも落ち込ませてしまったようだ。
「どうした?」
「うん……この髪は嫌いじゃないんだけど、クセッ毛も良かったかなって、時々思うの」
「はは〜ん」
理由はすぐに察しがついた。なにせ出会ってからの半年間、散々カタバミに甘える姿を見てきた。
「母ちゃんと同じが良かったってことか」
「……うん」
恥ずかしそうに、だが素直に認めるスズラン。
彼女と母・カタバミに血の繋がりは無い。だから顔立ちは全く違うし、髪の色も髪質も異なっている。カタバミの顔には若い頃のそばかすの跡がまだ残っていて、美人ではあるもののスズランに比べると素朴な容姿をしており、そして栗色の髪は少しばかりカールのかかったクセッ毛なのだ。
スズランは、そんな大好きな母との共通点がもっと欲しいのだろう。顔は変えられないから、せめて髪だけでも似せられないかと考えているのかもしれない。
「わかった、アタイに任せろ!」
ナスベリはすぐに請け負った。いや、スズランは別に何かを頼んだわけではないのだが、そういう悩みを解決するのは自分達“技術屋”の役割だという自負がある。
「何日か待ってろ! すぐになんとかしてやっからな!」
そして宣言通り数日後の昼、ナスベリは秘書のマドカを伴いやって来た。中央のベンチに座っていたスズランを見つけ、声をかけてくる。
「スズちゃ〜ん」
「お久しぶりでございます、スズラン様!」
「マドカさん!?」
三度の飯より美少女好きという危険な性癖を持つ彼女にはココノ村への接近禁止命令が出ている。だが、いつもなら顔を見るなり逃げ出すスズランも今日ばかりはびっくりして立ち止まってしまった。
──どういうわけか、マドカの黒髪は全部巻き毛になっていた。ストレートヘアだったはずなのに。これはもしや……。
「はあ……はあ……ひ、久しぶりの生スズラン様……存在そのものが尊い……」
「ひっ!?」
「ごめんねスズちゃん、今回だけは許してあげて。この装置の実験台になる代わりに一回だけ村へ連れて来るって約束しちゃって……」
申し訳無さそうに頭を下げるナスベリ。その手には金属の棒の半分にだけカバーを装着したような何かが握られていた。それを見たスズランの中でもマドカに対する恐怖心より未知の魔道具に対しての好奇心が上回る。
「なんですかそれ?」
「スズちゃんが欲しがっていたもの。髪にカールをかけられる道具」
「!」
予想通りではあったが、それでも強く目を輝かせるスズラン。詳しい説明を受けるまでもなく、すぐさま使用を申し出る。
「お母さんみたいにして!」
しばらくして、いつもの食堂には上機嫌のスズランの姿があった。
「んふふふふ」
「ふふ、その髪型も可愛いわよ。いいもの貰ったわねスズ」
お互いの姿がよく見えるようにと、珍しく対面に座ったカタバミも機嫌がいい。目の前のスズランの髪型は彼女のいつものそれと実に似ていた。
「あはは、モモは使わない方が良かったわね」
「おにいちゃん、おばあちゃんみたい」
ケラケラ笑うレンゲとノイチゴ。二人の間でモモハルは不満げに唇を尖らせる。
「むうー」
元々クセッ毛の彼が例の装置を使ったところ、母方の祖母とそっくりになってしまったのだ。それで母と妹に笑われている。
「これ、いつもとにもどるの?」
「何もしなければ二日くらいで戻るよ」
ナスベリの回答を聞いてさらに落ち込む彼。
ところがスズランに「いいじゃない、似合ってるわよ」と言われた途端、眩いばかりの笑顔を見せた。
「ほんと? じゃあいいや」
わかりやすい子だ。
「にしても本当にありがとね。これ、お金かからなかった?」
そんなカタバミの質問に「大したことないよ」とだけ答えるナスベリ。
実のところけっこうな開発費がかかったものの、これからいくらでも取り返せる。社長に報告したところあっさり商品化が決まったのだ。
「ところで、今日は嫌におとなしいわね?」
隣に座ったマドカに怪訝な眼差しを向ける。すると彼女は紅茶を手に優雅な仕草で頷き返した。見た目が良くて絵にはなるからタチが悪い。
「もちろんです。いつもと違う髪型の生スズラン様にノイチゴ様までも共にいらっしゃるこの楽園。この場の空気を一分一秒でも長く吸い続けるためなら抱きついて頬ずりしたい衝動の一つや二つ、抑え込んでみせます」
「ごめん。ほんと、次からは絶対に連れて来ないから」
カタバミ達の方を向いて謝るナスベリ。やはりこの変態を村に連れてくるのは危険だ。
「でも、マドカさんが何度もテストを受けてくれたおかげで完成したんですよね? ありがとうございます」
微笑みかけるスズラン。するとマドカは魔力弾の直撃でも受けたように勢い良く後ろへ倒れ込む。
「ちょっ、大丈夫!?」
「マドカさん!?」
「め、女神……幼い女神を見ました……」
マドカは、また気持ち悪いことを言って目を回していた。
何はともあれ喜んでもらえて良かった。宿の一室を借りてマドカを寝かせた後、階段の上で微笑むナスベリ。
彼女があの装置を作ったのはもったいないと思ったからだ。髪質の違い程度であの子が悩む必要は無いと。
だってほら、あんなに仲が良いじゃないか。食堂には結局いつも通り母親の膝に座って幸せそうに笑うスズランの姿があった。
血の繋がりが無いことなど些細な問題。あの子は性格という点ではカタバミと良く似ている。
世の中には血が繋がっていたって上手くいかなかった例がいくらでもある。自分と両親のように。
母の父への愛も、父の自分への愛も、自分の二人に対する想いも、一度もまっすぐには伝わらず最後まですれ違ってばかりだった。
スズランとカタバミは違う。あの二人の互いへの愛情は、まっすぐ相手に伝わっている。そんな母娘関係が身体的特徴の些細な違い程度で損なわれたら本当にもったいない。
願わくば彼女達が、いや、養父のカズラも含めた三人がずっと一緒に幸せに暮らせますように──かつて夢見た、自分達家族のそんな姿を重ね合わせ、彼女はゆっくりと階段を下りて行った。




