名前と願い(2)
帰郷してから間もなく結婚。それからさらに一年と八ヵ月後に雑貨屋を開いた。以前のココノ村には宿屋と鍛冶屋が一軒ずつあるだけで商店は無かったからだ。
提案したのはカタバミ。都会に出ていつでも好きな時に買い物ができることの利便性を実感した彼女は、それが村のためになると考えた。村民はほとんど自給自足で生きているものの、どうしても村内で手に入らないものが必要になった場合、馬車でトナリの街まで行く。もしくは行商が来るのを待たなければならない。
でも村内に店があれば、すぐに必要な物を手に入れられる。
二人とも実家と畑は土砂の下。掘り返すには大変な労力と時間を要するし、また地震が起きたらと考えると同じ場所に家や畑を作る気にはなれない。でも商店なら都会で働いていた経験が活かせるし、自分達の代わりに家族を弔ってくれた村の皆への恩返しにもなる。
──そう思ったのだが、結果はご覧の有様。
「どうしたら皆、来てくれるようになるんだろうね……」
商品を一つ一つ丹念に磨きながら嘆く。ここしばらくは売り上げ無しの日が続いていた。開店のために一年間だけトナリの街で働いて貯金しカンパも集め、さらには子爵様に借金までして建てたこの店も、そのうち手放す羽目になるかもしれない。子爵様は優しい人で「焦らずとも良い」と励ましてくれたが、大金を借りた身としてはやはり申し訳なくいたたまれない気持ちなのだ。
「こんな便利な物も仕入れたんだけどなあ」
当然、お客を呼び込むための努力はしている。妻は農作業の手伝いで生活費を稼ぎつつ周囲からの信頼を少しずつ回復してくれている最中。隣の家の夫婦は宿に食事に来る村民達へこちらの店の宣伝を行ってくれている。持つべきものは友達。
そして自分は今年の夏に発売されたばかりの画期的な製品を昔のツテを使って仕入れてみた。冷蔵箱という中に入れたものを冷やしてくれる魔法の道具。大企業ビーナスベリー工房が開発したもので、驚くことに魔力を供給してやる必要が無い。普通の魔法の道具は魔法使いが魔力を込めてやって初めて機能を発揮するものだが、何故かこれは放っておくだけで勝手に動いてくれるのだそうだ。実際見本として設置した一台は問題無く稼働している。
試しに扉を開いてみるとひんやりした空気が流れ出す。今朝入れた来客用の麦茶が少し減っていた。カタバミが飲んだのだろう。
タキアの夏は他の地方に比べると比較的涼しい。しかし、それでもたまに酷暑が訪れる。村に残っているのは老人ばかりだし、冷蔵箱があれば熱中症予防に役立てられると思ったのだが……やはり村民達は足を運んでくれない。一度見に来てくれと頼んではみたものの、反応は揃って梨のつぶてだった。
「はあ……」
今日何度目かわからないため息をつく。すると不意に視線を感じ、ベビーベッドを見た。例の赤ん坊が目を開けている。カズラは慌てて笑顔を作り、引き取ったばかりの娘に話しかけた。
「やあ、起きたのかい? それとも起こしちゃったかな? ごめんね」
「……」
赤ん坊はじっとこちらを見つめている。静かな子だ。不思議なことにこの子はほとんど泣かない。夜泣きも今までに一回しかしなかったそうだ。性格によるものなのかそれともなんらかの障害があるのか……実はかなり心配している。
「君はおとなしい子だね。元からそうだったの?」
つまり、生みの親と一緒にいた頃からこうなのかという意味で訊ねてみた。
すると、
「だーうー」
「違う? 元はヤンチャだったの?」
「うー」
驚いた。まるでこちらの言葉がわかっているかのような反応を返す。
「君はひょっとして、ものすごく賢い子なんじゃないかな?」
「あぶ」
「ははは、そうなのか。じゃあ名前も、もう少し考えてみないとなあ」
この子にはまだ名前が無い。妻のカタバミだけでなく隣の家の幼馴染達も交え、色々と意見を交わしているのだが、なかなかまとまらない。
サクラ、カエデ、ツワブキ、ボタン。遠い昔に創世の女神様が人間に“花言葉”というものを教えてくれて以来、人の名にも植物の名を用いることが一般的だ。花言葉を子への願いとして名前と共に託すのである。
たとえばカタバミには喜び、輝く心、母の優しさという花言葉がある。彼女のご両親は将来良い家庭に恵まれ、良い母親になれるようにと願いを込めて名付けたのだろう。
「君はとっても美人さんだしカタバミに笑顔を取り戻させてくれた恩人だ。きっと素敵な名前を考えるから、もう少しだけ待っててね」
「だう」
今度はコクリと頷く赤子。やっぱりこの子は賢い。将来は立派な人になるぞ。カズラも自然と顔がほころぶ。
直後、ドアベルが鳴り、客が訪れた。数日ぶりのことである。
「あっ、いらっしゃいませ」
慌てて振り返ると、視線の先には気難しそうな老婆の姿。
「ふん、お邪魔するよ」
「ウメさん」
彼女の名前はウメ。現在のココノ村の最長老だ。隣の家の夫婦の子を取り上げた現役の産婆さんでもある。
「よく来てくれました、どうぞ好きに見て行ってください」
「そうするよ」
久しぶりの来客に浮足立つカズラ。
ところがウメさんは商品の並ぶ棚には目もくれず、カウンター近くに設置されたベビーベッドへ近付き、中を覗き込む。
「おうおう、元気そうじゃの。どうじゃ新しいおうちは? この家の夫婦は良くしてくれとるかい?」
なんだ、カズラは肩を落とす。ウメさんは買い物に来たわけでなく、あの子を見に来ただけのようだ。
まあ置き去りにされた現場にいた当事者だし、産婆さんという職業柄か子供好きな人だ。気になるのも当然だろう。諦めてカウンターの裏に腰かける。
ウメさんはしばらく赤ん坊に話しかけていた。赤ん坊は赤ん坊でその言葉に頷いたり声を上げたりするものだから本当に会話しているように見える。さっきの自分も傍から見るとあんな風だったのだろうなと思い、少しばかり恥ずかしくなった。
やがて満足したウメさんは踵を返す。帰るのかなと思って見送りのために立ち上がると、彼女は近くの棚から手袋を一組手に取り、こっちへ持って来た。
「こいつをいただくよ。庭仕事用にね」
「え? お、お買い上げですか?」
「ここは店だろ。買い物するのは当たり前のことじゃないか。店に入っておいて手ぶらで出てくのも体裁が悪いしね」
「なるほど」
納得したカズラは丁寧に包装しようとしたが「いらんいらん」と言われそのまま手渡す。引き換えに一枚の紙幣を受け取った。金額を見てギョッとする。一番高額な紙幣だ。手袋の金額はその十分の一。
「ちょ、ちょっと待って下さい。おつりを用意します」
「いらん。釣りはまだやっとらんかった開店祝いと、ついでにその子の今後のための資金だよ。とっときな」
そう言うとウメさんは、早足でさっさと外へ出て行ってしまった。まるで照れ隠しでもするように。
カズラが高額紙幣を手に呆然と立っていると、また別の老人が入店した。今度は近所のクロマツさん。
「おいカズラ。お前さん達が引き取った子は、ここにおるか?」




