ぐ~たらの神子・そのご
「どうだったかしら、この間のお披露目」
「なかなか見応えがあったよ」
「そう……あれを見て“なかなか”で済ませられるのはあなたくらいね。アイビーですらけっこう驚いていたのに」
「だろうね」
聖都シブヤの片隅にある喫茶店。オープンテラスの一席で、男はコーヒーカップを口に運びつつ頷いた。見た目は三十代半ばから四十代前半といったところ。長い黒髪を後ろに撫でつけ、前髪の一房だけを前に垂らしている。コーヒーと同じ色のベストにズボン。キャラメル色に黒い縦縞が入ったシャツ。どれも上等な代物のようだが、いついかなる時でも同じ格好なので、おそらく身なりに気を遣う方ではない。周囲を不快にさせない程度それらしい格好をしていればいいだろうと考えるタイプ。
一方、対面でなく斜向かいの席に座っているシクラメンは常と異なる服装だった。どこぞのお嬢様のように見える清楚な白いワンピース。髪も綺麗に結ってまとめ、瞳の色は魔法で青に変えてある。他者の自分に対する認識をぼかす術も併用しているので今の彼女を知神ケナセネリカの神子だと見抜ける者はそうそういない。
ただ、いかにも気怠そうにテーブルに突っ伏しているこのだらしない姿を見れば普段の彼女を知る人間にはあっさりバレてしまうだろう。本人はそもそも正体が明らかになったところでどうとも思わないのである。
「カガリお嬢様、シャンとなさってください」
コデマリが戻って来た。シクラメンの要望で近所の菓子店までクッキーを買いに行っていたのである。こちらも一応カツラとメガネで変装済み。カガリとはシクラメンが変装時に使う偽名。コデマリの方はヤエと名乗っている。本好きでたまに聖都の古書店まで掘り出し物を探しに来る地方の貴族令嬢と、そのお付きという設定。双方普段とさほど変わりない。
この二人は時々こうして仮の姿で街へ出て来る。年がら年中図書館にいるシクラメンといえど、たまには外の空気を吸いたくなることもあるらしい。コデマリ以前のお気に入りメイドがいた時代からずっと繰り返されてきたことだ。
ただ、その頻度が最近少し上がっている。原因は斜向かいの席の中年男。
彼とシクラメンの出会いは、一年と半年前まで遡る。
──その日、新たに図書館に入荷した絵本“最悪の魔女”を読んだシクラメンは自室のベッドの上で勢い良く起き上がり眉根を寄せた。彼女にしては珍しい反応。傍にいたコデマリはビックリして主の為に用意したお茶を落としそうになる。
「わっ、とっ、このっ」
「コデマリ、この“アキタニール”って、どこの誰?」
「ア、アキ……なんです? あ、その絵本の著者ですか? 私には存じかねますが……」
「至急調べて。話を聞かないといけない」
「え? わ、わかりました」
仕えるようになってから早三年、主がこんなに切羽詰まった表情をするのは初めて見た。よほどの緊急事態だと察した彼女は様々なツテを使い絵本の作者を捜索。するとあっさり見つかった。同じ聖都の中にいたのである。
そして変装を行い、作者がよく通っているという喫茶店の目と鼻の先までやって来た時、急にシクラメンは立ち止まった。やはり見慣れない強張った表情で。
「そんな……まさか……」
「どうなさったのですか、お嬢様?」
「とんでもないものがいる」
「とんでもないもの?」
眉をひそめたコデマリに対し、それ以上何かを答えることはなく、ゆっくり店外の席へ近付いていく彼女。やがて再び足を止めたのは一人の男の前。
彼はそれまで読んでいた本をパタリと閉じ、黒い瞳をシクラメンに向けて微笑む。
「何か御用かな? 知恵者のお嬢さん」
「なっ……」
相手は初対面のはずのシクラメンの正体を看破していた。咄嗟に間に割り込もうとするものの、主の手がそれを制する。
「いい、コデマリ」
「お嬢様、その名前──あっ」
魔法使いの端くれでもある彼女は、その瞬間ようやく気付く。すでに大規模な認識阻害の魔法が発動している。多分、シクラメンの近くにいる自分達以外、もう彼女を認識できない。
流石は知神ケナセネリカの神子。こんな魔法を近くにいた自分にも気付かせることなく行使するとは。
シクラメンは正体不明の男を真っ直ぐに見据え、問いかける。
「私が誰かを知っているなら話は早い。あなたの正体も教えて欲しい。主神ウィンゲイトと同質の魔力のあなた。いったい誰?」
その言葉でギョッと目を見開いたのはコデマリだけ。男は優し気な笑みを崩さぬままで相席を薦める。
「まあ、座りなさい。ちょっとだけ長い話になるから、コーヒーでも飲みつつゆっくりと話そう」
「ウィンゲイト様が……亡くなられた?」
「遠い遠い昔にね」
ポカンと口を開いたコデマリの言葉を、あっさり肯定する男。
「そしてあなたが、その後継者?」
「遠い遠い昔にね」
やはり簡潔にシクラメンの質問にも頷いてみせる。
彼は自らの名を“ゲルニカ”と名乗った。作家として使っているアキタニールという名は知人から借りたものらしい。
「どうしてわざわざ偽名を?」
「多分、君の神様は僕の名前を知っている。なるべく君達には接触しないままこの世界を去りたかったんだが、見つかってしまったのではしかたがない」
『たしかに、その名前だけなら私も知っている。ウィンゲイト様が始原の神々に対抗する手段の一つとして進めていた計画の名が“ゲルニカ”だった』
シクラメンに加護を与えた知識の神ケナセネリカが補足した。本来この声はシクラメンにしか聞こえていない。そのはずなのだが、男は小さく首を縦に振る。
「まさにその計画で生まれたのが僕だよケナセネリカ。はは、カロラクシュカをモデルにしたタイプなだけあって、彼女に良く似ている」
『私を認識している? 現界したわけでもないのに』
「ということは、本当に──」
「まあ、信じるも信じないも君達の自由だが、一応、改めて名乗っておこう。僕がウィンゲイトの名を継いだ二代目の世界神。そして、その座をとうの昔に引退した隠居魔王こと、ゲルニカ・M・ウィンゲイトだ」
あれから一年と半年経ったものの、いまだにコデマリにはわからない。この男は本当に神様なのだろうか? いつ会ってもここにこうして座ってコーヒーを飲んでいるばかりで、それらしいことを全くしていない。ひょっとしたら妄想が行き過ぎただけの変人で、主はそんな彼を憐れんでいるだけなのではと思うことも多い。
だが、シクラメンの態度を見ているとやはり本気で彼の言葉を信じているように見える。だから否定することもできない。
シクラメンは数枚の紙を手に持っていた。どれも絵本の原稿。
「どうかな?」
ゲルニカの問いかけに、彼女は首を横に振る。
「前のお話に比べて、盛り上がりに欠ける。オチも弱い」
「やっぱりそうか。う~ん、難しいな……」
「不思議。あなたは兵器として完成に至るまで星の数ほど転生を繰り返し、全ての人生の記憶を留めていると聞いた。なのに、この原稿にはそれらの経験が反映されているように見えない」
「経験が豊富過ぎるせいなんだよね。何を書いても目新しさを感じない。自分で斬新だと思える要素を盛り込もうとすると、君達には意味不明になる」
ため息をついて、また一口コーヒーを啜る。空になってしまったカップを手に彼は従業員を呼んだ。
「お嬢さん、もう一杯いただくよ」
「あ、はーい」
薄桃色の髪の少女がコーヒーを注ぎに来る。どことなく見覚えのある顔。誰だったかと考えたコデマリは、やがて気付いた。先日のお披露目以降、田舎の村出身ながら一躍時の人となった新たな神子スズラン様だ。彼女に良く似ている。
その少女が去った後、ゲルニカは呟いた。
「彼女はウィンゲイトの子孫だよ。僕や新しい神子さんの遠縁だね」
「えっ?」
「ウィンゲイトの血を引くというだけの人間なら割とそこら中にいるのさ。あの子はその中でも因子の多い方だが」
主神の子孫だという少女がきびきび働く姿を眺め、コデマリは唖然とする。そんな簡単に神の子孫に出会えていいものだろうか? そもそも神と自分達人間は何故同じ姿をしている? 人間は単なる神の被造物ではなく、彼等の子供なのか?
「神とは……信仰とは……いったい……」
「彼女はいつもこうなるね」
「コデマリは真面目過ぎるの。そこが気に入ってるんだけど」
「なるほど」
頷いた男に対し、シクラメンは原稿の束を返した。そしてコデマリの買って来てくれたクッキーを齧りつつ、さらなるアドバイスを送る。
「あなたにとってはつまらなくても、読者にとっては面白いかもしれない。そういう話を書けばいい」
「はは、それはわかっているよ。しかし無理なんだ」
「何故?」
「僕は自分が面白いと思ったことでしか筆が乗らない。書いていて退屈な話を完結させる能力が無いんだ」
「そう……」
ならしかたないとシクラメンも諦める。星の数ほど転生を繰り返した男なら面白い話もまた星の数ほどあるのだろう。でも本人にそれを文章化するつもりが無いなら無理強いはできない。作家が嫌々書いた物語には、やはりやるせなさが滲み出てしまうものだ。そういうものは彼女としても好みではない。
「ヒメツルのことは、あなたにとっては新しくて面白かったのね」
「まあね。あの子はとても面白い。まさしく、新しい可能性を僕に見せてくれている」
その言い方がなにやら引っかかった。
新しい可能性。ということは古い可能性もあった? ヒメツルの過去までも知っているかのような発言。あの絵本でも語られていない彼女の過去に、この男はどこかで関わっていた?
「……まあ、いいか」
ここで根掘り葉掘り聞いてしまっては面白くない。物語は少しずつ読み解いていくから楽しい。
彼には自身の過去の記憶を文章化するつもりがない。しかし、お茶の合間のなにげない会話の中では、それらを断片的に語ってくれる。思い出を物語にするのではなく、単純に思い出として語る分には退屈でないらしい。
シクラメンがここに通うようになったのはそれが理由。彼女は口で、かつて神だったと名乗るこの男の物語を引き出し、耳でそれを読んでいる。
正体が何者であろうと関係無い。彼女にとってもやはり面白いか、そうでないかの方が重要なのだ。




