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息抜きの魔女  作者: 秋谷イル


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ぐ〜たらの神子・そのよん

「あ、しまった」

 スラスラとペンを走らせていたコデマリがいきなり声を上げる。ちょうど通りがかったストックは大きな青い瞳を丸くして立ち止まり、何事かと覗き込んだ。

「どうしたんですか、先輩?」

「ああ、ごめん。手紙を書き損じただけよ」

 謝ってから間違った部分に線を引き、改めてその後ろへ文章を綴り始めるコデマリ。

 人の手紙を見るのはいけないことだと思いつつ、ストックは眉をひそめた。

「新しい紙を使ったらいいじゃないですか?」

 線を引いて“これは書き損じです”と示したのはわかるのだが、はっきり言って見栄えが悪い。受け取った方の心証も悪くなるだろう。まだ大して書き進んではいないようだし、別の紙で書き直したらいいのにと思う。

 しかしコデマリは「馬鹿言わないで」と、そんな後輩を叱りつけた。

「紙は安くないのよ。あなた達も貴族令嬢だからといって、いつまでもそんな贅沢なことばかり言っていては駄目。ここでの仕事は社会勉強でもあるのだから一般的な金銭感覚を身に着けなさい」

「先輩だって大物政治家の娘じゃないですか……」

 親切心のつもりの提言だったのに、思わぬお小言を食らって頬を膨らませるストック。

 だが、すぐに思い出した。そういえばコデマリは──


「私は家を出て以来、自分の力で生きてるわよ。そう……自分の力で、ね」


(ひいいっ)

 彼女はこちらを見ていない。なのに、その背中から殺気じみたものを感じて震え上がる。この次期メイド長最有力候補は婚約者と駆け落ちして実家を出た。そして、その婚約者に逃げられて今ここにいるのだ。それを思い出させるような話題は避けるべきだった。

 まずい。コデマリは怒ったからといって理不尽な仕打ちをする性格ではないが、だとしてもこのままは気まずい。焦ったストックはあたふたと他の話題を探し、ふと自分の手の中のものを思い出す。

「そ、そういえば」

 彼女は数冊の本を手にしていた。彼女達の主人シクラメンに頼まれ、同じ建物の下階にある大図書館へ返却しようとしているものだ。

 彼女とて、紙が庶民にとってそれなりに値の張る品だという事実は知っている。だからこそ不思議に思っていたことがあるのだ。


「な、なんで本は安いんですかね!?」


 咄嗟にその疑問を新しい話題として投げかけてみる。するとコデマリはついに振り返り、スーッと目を細めた。気のせいか、さっきとは別の意味で怒らせてしまった気がする。

「本気で言っているのかしら?」

「は、はい……」


 ──実際、不思議だと思わないだろうか? 紙は高級品だと言う割に、今の世の中には本が溢れている。印刷機によって大量生産され、安価で書店や雑貨屋などに卸されている。そこらの子供でもお小遣いで買えるほど手頃な価格なのだ。


「……はぁ」

 冗談ではないようだと察し、嘆息するコデマリ。

「不勉強にも程があります……あなた、自分がどこで働いているか、もう少し自覚を持ちなさいな」

「どういうことです?」

「どういうもこういうも“本”よ? シクラメン様のおかげに決まってるじゃないの」

「あっ」

 そうか、そういうことか。やっとストックも合点がいった。

「シクラメン様が援助してるんですね?」

「ちょっと間違っているけれど、まあ、おおむねそういう認識で構わないでしょう。もう少し詳しく説明してあげるから、ちゃんと覚えなさいね」

 不勉強な後輩のため、コデマリは臨時で歴史の講義を始めるのだった。




 ──百八十年前のことである。神子(みこ)になってから二十年後、シクラメンは絶望に陥った。


「全部読んじゃった……」


 なんと、彼女はたった二十年で当時のシブヤ大図書館の蔵書を全て読破してしまったのだ。それどころか図書館に無い本まで大陸中からかき集め、それらさえもあっという間に読み切ってしまった。


「やる気出ない」


 新しい本との出会いを失ったシクラメンはへそを曲げた。それで困ったのは主に三柱(みはしら)教関係者である。

 元々引きこもり気味のシクラメンだったから部屋に籠もるのは仕方がない。しかし神子に出席して欲しい重要な儀式までもボイコットされると流石に不味い。熱心な信徒達から何故シクラメン様はいらっしゃらないのだと詰られる。彼女の世話を引き受けているのは教会なので管理責任を問われてしまうわけだ。信徒の中には有力な貴族王族もいる。彼らの機嫌を損なえば寄進も減るだろう。

 そこで彼等はどうにかシクラメンの機嫌を取ろうと試みた。本以外の様々な物で釣ろうとしたり、容姿を褒め立てたり、愛玩動物を飼わないかと提案したり。

 そのうちに一人が言ったわけである。


「では、本がたくさん作られるように作家達の援助を行うというのはどうでしょう?」

「それもいいけど、紙を安く作ろう」


 誰かの提案がきっかけでシクラメンは発想を飛躍させ、誰もが安く本を手に入れられる世の中にしようとした。


「どうしてですか? 本を増やすだけなら作家を支援するだけでいいんじゃ?」

「シクラメン様はずっと先を見据えていたのよ」

 ──当時、作家というのは教養のある人間がなるものだった。そして教養のある人間は大抵が裕福な家の出だった。

 しかし本が安価で買えるようになれば、より多くの人間が知識を得る。その知識がさらなる未知への扉を開くかもしれない。物語を読んだ人間は、己の中にも新たな空想を思い描くだろう。

 だからシクラメンは、まず種を撒くことにした。本を大量生産可能なものにして高級品の地位から追いやった。その代わり、誰もが手に入れられるようになったそれらがいつかより多くの本を生み出してくれるはずだと信じた。

「もちろん、知っての通り作家への援助も行っているけれどね」

 シクラメンが時折行う写本。あれと現代の技術を組み合わせて出版された復刻版の売上は一部を貧乏作家への支援に充ててある。

「あれ? でも、そうなると……なんで便箋なんかは高いんですか?」

「それは……」

 コデマリは急に言葉を濁し、周りに人目が無いのを確認してから答えた。

「まあ、知ってる人は知ってることなんだけれど、教会がシクラメン様から教えて頂いた“安い紙”の製法を公開せず独占しているからよ」

「へっ?」

「表向きは旧来の“高級紙”製造の文化を守るためというお題目。世に溢れた大量の本に使われている紙の一枚一枚が教会に利益をもたらすわけ。だからよ」

「ええ〜……」

 なんてことだ。教会の利権のため“本に使う紙”以外は今も高級品として扱われているということか。

 唖然とするストックを見つめ、コデマリは何故か教会を擁護するように書きかけの手紙を持ち上げてみせた。

「ま、まあほら、昔ながらの紙の方が圧倒的にペン先の滑りは良いのよ? アカンサス様の開発した印刷機は紙を活版に押し当てる方式だから、そのへんは考慮されてないのよね。大量生産された本の用紙はザラッとしてるでしょ?」

 そういえば彼女は熱心な三柱教の信徒だった。

「端材でちり紙を作ってるのも教会なのよ。世の中に貢献してるんだからね」

「わかりました。ご教授、ありがとうございます」

 嫌なことを知っちゃったなあと思いつつ、言い訳がましい説明を続けるコデマリに頭を下げて仕事に戻るストック。

 そうして本を返却した後、最上階の特別室まで戻ったら、いつものようにシクラメンが寝間着でベッドに寝そべり、ぐ〜たらな格好で新しい本を読んでいた。最近出たばかりの冒険物語の新刊だ。

「ただ今戻りました」

「おかえり」

 チラリとこちらを一瞥する主。

 そしてまた読書に没頭。

「……」

 その姿を眺めるうち、彼女の中でも少しだけ見方が変わった。この生活力皆無の自堕落な神子を養うため教会は毎年結構な予算を割いているのだとか。

 もちろんシクラメンの生み出したものから彼等は一定の利益を得ているはずだが、本が安いということは、その売上の一部も案外大した額ではないのかもしれない。

「必要経費……ってことかな」

 とりあえず、彼女の中ではそう考えることで折り合いがついた。

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