朝顔と鈴蘭(後編)
その後もスズラン達は村中を順に見て回った。懐かしそうに。
(だから、あんたらだってまだ一年も離れてないでしょ)
たった一年でこんなド田舎の村に大きな変化が起こるわけも無い。なのにこの村出身の三人は楽しそうに、ああだこうだと喋りながら並んで歩く。それがアサガオには気に入らない。
「へー、そうなんだ」
妹はそんな三人の話を興味深そうに聞いている。本当は興味なんて無いくせに、適当に相槌打ちやがって。
「あ、あ、あの」
「だからなに?」
弟はいまだにノイチゴとマトモに会話できていない。諦めなって、アンタじゃどうにもならないよ。
「わあ、うちの畑、ちゃんと手入れされてる!」
「自分でやれっつうの……」
「え? 何か言いました?」
「別に」
アサガオがそっぽ向くと、今度はモモハルが走り出した。
「おじいちゃん!」
「おー、モモ。帰って来たか」
宿屋の裏手の椅子に、モモハルの母方の祖父クルマユが座っている。
「久しぶりっ!!」
「元気そうで良かった」
「ノイチゴもスズちゃんもよう戻って来た。はっはっはっ」
「おじいちゃんはどこにいたの? さっきまでいなかったよね?」
「お前さんらが帰って来ると聞いてな、サルトリの野郎とタザー湖まで釣りに行って来た。あいつぁ今、店ん中で仕込みをしとるよ。大漁だったから今日はたっぷりと食ってくれや。クロマツんとこの嬢ちゃん達もな」
「わあ、楽しみ」
「所詮は田舎料理じゃん……」
前に食べたカウレだけは認めても良い。でも魚料理は元々好きじゃないし、それが田舎料理となればなおさら期待出来ない。アサガオは小さく呟き、肩を竦める。
店の中ではモモハルの父方の祖父サルトリがクルマユの言った通り厨房で魚を調理していた。
「生臭い……」
「おっ、帰って来たか。待ってろよぉ、じいちゃん達の釣って来た魚でウメェもん作ってやっかんな」
「ありがとう、おじいちゃん」
「僕も手伝う?」
モモハルが申し出ると、サルトリは「ヘッ」と笑う。
「いいっていいって、長旅で疲れてるだろ。久々に帰って来たんだ、ゆっくりしな」
「うん、わかった」
厚意には素直に甘えるべき。そう思ったのだろう。モモハルは頷いてその場を後にした。アサガオ達も宿屋から出る。
「次はあそこね」
「後でまた行くんでしょ?」
「うん、でも先に僕たちだけでもあいさつしておこうよ、ノイチゴ」
スズランとモモハルが先頭に立ち、入って行ったのは教会裏の墓地。そういえば彼等はボンの墓参りのため帰省したんだったと思い出す。
先祖の墓前で祈った後、何故か三人は西の斜面を見つめ、また手を合わせた。あそこで誰か亡くなったんだろうか?
「そろそろ戻る?」
「う~ん、まだ日も高いし、ついでだからあそこにも行きましょ」
スズランは東の森を見つめている。それだけでモモハルとノイチゴにはなんのことだかわかったようだ。二人揃って「そうだね」と笑う。こころなしかワクワクしてるようにも見えた。
アサガオ達三姉弟は首を傾げる。
「あそこ?」
「ちょっと刺激的な場所」
「ひいいいいいいいいっ!!」
その屋敷に入ったアサガオ達は、すぐさま外へ逃げ出した。
「なっ、なっ、なんなのここ!?」
「おおお、お化け屋敷!?」
「昔ここに住んでた魔女の親子のお家。たしかに変な物がいっぱいあるけど別に危なくはないわ。ちょっと前まで学校として使われていたんだから」
「学校!? そんなのこの村にあったの!?」
「ロウバイ先生が私達と一緒にメイジ大聖堂へ行っちゃったんで、今は休校中なの。再開したらその時は一緒に勉強しようね」
「うええ、べんきょうやだあ」
「どうして? 楽しいじゃない?」
顔をしかめたユウガオを見て不思議そうに問いかけるノイチゴ。直後、弟はあっさりと意見を翻す。
「ぼく、べんきょうだいすき」
「嘘つき。いつも宿題しないって先生に怒られてたくせに」
そしてやはり躊躇無く弟の本性を暴露する妹。ユウガオは泣きながらヒルガオに食ってかかる。
「ねえちゃんのばか!!」
「本当のことでしょっ」
「ケンカしないの」
割って入り諍いを止めるスズラン。その笑顔はまるで慈愛に満ちた女神様。
「アホくさ……」
妹と弟がケンカするのはいつものこと。ほうっとけばいいんだと、アサガオはつまらなそうに毒づいた。
やっと村の中心に戻って来た。子供達の姿を見つけ、大人達はまた周囲に集まって来る。
「おかえり、スズ」
「ただいま、お父さん」
優しそうな父親に抱き着くスズラン。嬉しそうな顔。あの子の一挙一動がいちいち眩しくて癇に障る。
「ほらショウブ、お姉ちゃんが戻って来たわよ」
「ショウブ~」
今度はデレデレしながら赤ちゃんを受け取る。生まれたばかりの弟を心底溺愛しているのが、その表情を見ただけでわかった。
でも、あれ? アサガオはおかしなことに気が付く。
(あのお母さんもお父さんも、全然アイツと似てない……)
あまりに娘と違い過ぎる。どう見ても両親は自分と同じ“普通の人”だ。
あっ、そういえばと思い出す。
(本当は“最悪の魔女”とかいう、ずっと前に世間を騒がせた魔女の子供なんだっけ)
大人達が噂しているのを聞いた。あのお披露目の時、スズラン自身もそれを認めていたはず。なるほど、それなら似ていないのも頷ける。血の繋がりは無いのだから。
「あ、この子がショウブ。私の弟」
スズランは自慢気に腕の中の赤子を見せる。
こんな特別な存在に愛されているとなると、ひょっとしたら赤ちゃんは似たような美形かもしれない。そう思って覗き込む。ヒルガオとユウガオは異口同音に「かわい~ね」と褒めちぎった。
なるほど、たしかに可愛い。でも、アサガオの口からは偽らざる本音が。
「可愛いけど……なんか普通だね。あんたとは全然似てない」
──空気が凍った。
いや、違う。震えている。大気が、そして大地が震え始める。
「ふぎゃああああああああああああああああああああっ!」
赤ん坊は泣き出した。自分を抱く姉の体から放たれた怒気に怯えて。
「ス、スズ!!」
「落ち着きなさい!!」
グラグラ揺れる地面の上で必死に姿勢を保ちつつ呼びかける両親。その声にしかし彼女は答えない。大きな青い瞳でまっすぐアサガオを見つめ、静かに問いかける。
「なんて言ったの?」
「……」
アサガオは答えられなかった。意地を張ったというのもあるが、それ以前に声が出ない。まるで蛇に睨まれた蛙。一瞬でわかった、だからこそ彼女は神子なのだと。まるで立っている次元が違う。
「ねえ? なんて言ったの?」
スズランは母親に歩み寄り、弟を返す。そして今度はアサガオに向かって近付いて来る。
実のところスズランにとってもすでに限界だったのだ。彼女は気付いていた。ちゃんと聞いていた。これまでアサガオが言った言葉を。愛するこの村と人々に対する暴言を。
この震動は意図的に起こしたものではない。むしろ必死に止めようとしている。けれど止まらない。アサガオは今のスズランにとって一番言ってはいけないことを言った。逆鱗に触れてしまったのだ。
最愛の家族との繋がりを否定された。それだけは絶対に許せない。
「お、親父、アサガオが!?」
「待ってくれスズちゃん!! ワシが謝る、ワシがっ!!」
「お許しください神子様!! 娘の代わりに私を! どうか私を罰してください!!」
家族が必死に許しを乞う姿を見て、今さらになって自分がしでかした事の大きさを知るアサガオ。
けれど──
(ふざけんなよ!)
彼女の中の怒りもまた、さらに激しく燃え上がった。
自分は本当のことを言っただけだ。それで傷付けてしまったならたしかに謝るべきかもしれない。でも両親や祖父が害されるいわれはない。自分がしたことの責任は自分で取る。他の誰も謝る必要は無い。尻ぬぐいなんかされてたまるか。
「どいつもこいつも、アタシを甘く見やがって!!」
勝手に移住を決めた両親。どこか遠慮している祖父。受け入れたふりをして、けれどもよそよそしい感じが拭えない村人達。気に入らない。みんなみんな気に入らない。
中でも一番気に入らないのは、やっぱりこの女だ。何が神子だよ、一コ下のガキンチョじゃねえか!!
「調子に乗んなチビ!」
目の前まで来たスズランの顔に、アサガオは思いっきりビンタをかました。再び空気が凍り付く。
「スッ……」
「スズラン様あああああああああああああああああああああっ!?」
「娘! 貴様、神子様になんてことを!!」
護衛の騎士達が騒ぎ出した。ああ、自分は逮捕されるか下手したらこの場で即刻打ち首だろうな。想像して唾を飲む。
ところが次の瞬間、さらに予想外のことが起こった。
「いっ……たいですわ!!」
「おごっ!?」
なんとスズランがグーで殴って来た。しかもアゴを。思わずのけぞったアサガオの視界の中で星が瞬く。
それを見ていたら、なんかもうどうでもよくなった。
「あに……すんだよ、このっ!!」
殴り返す。
「そっちが先にやったんでしょ!!」
スズランは足を蹴って来た。スネを的確に。
「いってえええええええええええ!! クソッ、ふざけんなよ!!」
「ふざけているのは貴女です!!」
「なんでいきなり口調変わってんだよ!?」
「貴女こそ素が出てますわ!!」
二人はしっちゃかめっちゃかに殴り合い、つかみ合い、引っかき合って瞬く間に傷だらけになっていく。神聖な神子がまるで普通の子のように喧嘩する様を見て、護衛の騎士達も判断に悩む。
「ど、どうしたらいいんだ?」
「とりあえず、引き離すしか……」
「いや、しかし、ああも組み合っていると……」
「ほっといてください」
そう言って彼等を止めたのはレンゲだった。
「子供の喧嘩です」
「い、いや、たしかにそうなんですが……」
「大丈夫大丈夫」
スズランの母カタバミまでもそんなことを言う。聖騎士達には意外だった。彼女の愛娘に対する溺愛ぶりは、すでに聖都中に知れ渡っているから。
「あああ、アサガオ、なんてことを……なんてことを……」
「あー、どうやら心配いらんようじゃよ」
狼狽している息子の嫁の肩を叩き、クロマツは懐かしむような目で取っ組み合う二人を見つめる。いつの間にか地震も止まっていた。
「のう、カラマツ」
「そうだな」
息子カラマツも冷静さを取り戻し、苦笑する。彼にとって、それは見慣れた光景だったから。
「さすがはカタバミの子。ナスベリと決闘してた頃のあいつにそっくりだ」
「はは、親子だからね」
カズラもそう言って笑った。
「と、止めなくていいの?」
おろおろしているヒルガオの頭を撫で、モモハルは呟く。
「大丈夫、もう終わるよ」
「え?」
はたしてその言葉通り、直後に姉のアサガオもスズランも体力を使い果たし同時に座り込む。
二人とも生傷だらけになっていた。
「ハァ……ハァ……くそっ」
「も、もう、おしまいです……か」
「そっちだって、立てないじゃん……」
「体格では、そっちが上なんですから、実質、私の、勝ちです……」
「ふざ……けんな、よ」
アサガオは残り僅かな力を振り絞り、スズランの顔にもう一発パンチを見舞った。力の無いへろへろとした拳だったが、今のスズランにはそれなりに効果があったらしい。
アサガオが前のめりに倒れるのと同時に、彼女も顔から倒れ込む。
(やった、やってやった)
これで自分の勝ちだと思った瞬間、何かが顔に当たった。
「おあいこ……ですわ」
本当に最後の一滴まで力を絞り尽くしたのだろう。スズランはアサガオの顔に拳を当て、そのまま意識を失ってしまう。
悔しい。なんだこいつ。
「くそっ……かっこいいじゃん……」
翌朝、顔を腫らして全身包帯まみれになったアサガオの元へ似たような姿のスズランが訪ねて来た。
お互い謝るでもなく、罵るでもなく、ただ火花を散らして睨み合う。
母が泡を吹いて気絶する前にスズランが言った。
「ちょっと付き合いなさい」
「わかった」
どこへ行くとか何をするとか一つも確認しないまま頷くアサガオ。彼女はもう理解している。
(この子は卑怯な真似なんてしない)
神子なのに昨日の喧嘩では一度もそれらしい力を使わなかった。正々堂々拳だけで体格で勝る自分に挑んで来て、そして結局引き分けに持ち込んだ。
あそこまでやられてまだ相手を馬鹿に出来るほど腐っちゃいない。認めよう、すごい奴だと。
「後ろに乗って」
「えっ」
スズランはホウキを召喚して跨る。流石に予想外だったので躊躇した。
でも意を決し、言われた通り後ろに乗ってみる。本音を言うと、前から一度くらい空を飛んでみたかった。
「ちゃんと掴まってて」
「う、うん」
アサガオが頷くと、ホウキは空に向かって上昇を始める。
あっという間に村全体を見渡せるほど高く飛び上がった。
「ひ、ひえええ、高いっ」
都会にいた頃は空を飛ぶ魔女なんて日常的に見上げていた。けれど見下ろす側の視点はこうなっているのか。よくこんな高さを平気で飛び回れるものだ。
高みに立つのはけっして良いことばかりではないと、たった今実感した。
「そ、それで、アタシをどこへ連れてく気?」
「いろんなところ」
言うなり、まず眼下にある大きなカエデの木を指差す。
「あれがモミジ。私の実の母親“最悪の魔女”が住んでいた家」
「えっ? 中に入れるのは知ってたけど、あれってそうだったんだ」
「そう、それからあっちに見えるのが昨日の屋敷。ナスベリさんの生家。ナスベリさんはビーナスベリー工房の副社長で、今は向こうにあるタキア支社の支社長もしてる」
「あの大企業の!? この村、アンタ達以外にもそんな有名人がいたの!? アタシあそこの服ばっかり買ってるよ!」
「それだけじゃないわ、うちのお母さんだって有名なんだから。村の名産、私とお母さんが最初に育てた銘茶“カタバミ”は七王のミツマタさんやユリ様まで愛飲してるのよ」
「へえ~」
七王とはなんぞやと思ったが、スズランの態度から有名人だとは察しがついた。
「ここに来て一ヶ月だけど、まだ知らないことがそんなにあったんだね」
「たった一ヶ月でしょ。私は九年住んでたのに今でも新しい発見がある。あの森の地下には古い遺跡があって中は幽霊だらけ。鍛冶屋のツゲさんはそんなこと気にせず採掘に行く。タザー湖では美味しいエビが獲れるのよ。このあたりはカニも美味しいわ。あなたの祖父のクロマツさんはカニ獲り名人で、昔、川の主と呼ばれる巨大ガニを仕留めたんだから」
そんな説明を聞いて、どうして自分が連れ出されたのか自然と理解できた。
そうか、この子は悔しかったんだ。大好きな故郷を、そこで生きる人達を馬鹿にされて。だから教えたい。この土地の、そして彼等の本当の姿を。
「それと──」
「待った。そう急がないでゆっくり案内してよ。この辺りのこと、もっと詳しく知りたくなった」
彼女の言葉を遮って頼むと、スズランは少しの間だけ驚いた顔をして、やがて微笑む。
「もちろん。それじゃあ付き合ってもらうよ、アサガオちゃん」
「オッケー、よろしくねスズちゃん」
そして包帯まみれの少女達は空を駆ける。
やがて帰って来た二人は笑顔で肩を並べていたという。
これが二人目の親友アサガオとスズランとの出会いだった。
なお、数日後の余談だが──
「おおっ、ついに乗りこなせましたよスズラン様! どうですか、この雄姿!!」
「スズちゃん……あれがユリ様? 七王の?」
「うん……」
ミヤギの女王が暴れ牛を乗りこなした姿を見て、アサガオは「七王ヤベー」と思ったという。




