天使が舞い降りた
アイン視点です
その時俺は、寒さと空腹で意識が遠のいていた。
ボロを着た子供が一人道に倒れていても、誰も足を止めない。
トリスは、孤児に優しいって聞いていたのにな……
ぼんやりする頭でそんな事を考えていたとき、誰かが俺にかけよってくる足音が聞こえた。
「大丈夫?」
少女の高い声。
朦朧としたまま、母国語で答えると、少女はすぐに俺の母国語で質問してきた。
うっすら目を開けて答える。
薄茶の長い髪と瞳。
桃色の頬。
真っ白な肌。
天使が迎えに来たんだと思った。
これで、父さんや母さんに会いに行ける……
しかし、ガッシリとした身体に抱きかかえられて馬車に詰め込まれて、これは現実なんだと気付いた。
天使のようなこの少女は、きっとどこかのお貴族様の令嬢なんだろう。
付き人らしい女の子が、少女を叱り付けている。
しかし少女は俺に膝枕をして、上からストールをかけると、付き人の女の子を諭しているようだった。
どこの屋敷に連れられてきたのかよく分からなかった。
ただ、屋敷に入ると同時に真新しい服を渡されて浴場へ押し込まれた。
ポカポカと温かい空気に包まれて、ようやく頭が動き始める。
とりあえず、湯船を汚さないように、身体と髪をしっかり洗ってからお湯に浸かった。
生き返る……
さっきまで死にかけていたのに、今はこうして生を実感している。
すべて、あの天使のような令嬢のお陰だ。
芯までしっかり暖まって、着替えに袖を通す。
今まで着たこともないような、スベスベした服。
きっと物凄く高いんだろう。
浴場を出ると、きっちりした身なりの男性にここで待つように言われた。
身体が空腹を思い出して、音を立てる。
俺のそばにいる男性は嫌なものを見るような目で俺を見下ろした。
そこに、先程の天使がやってきた。
「王女様。犬や猫とは違うのですよ?人間を拾ってくるとはどういうことです」
俺のそばに立っていた男性がピシャリと言う。
って、王女様って言わなかったか?
え?
戸惑う俺を見て、天使は安心させるように微笑んだ。
「でも、放っておくわけには行かないでしょう?」
「あの、俺……」
風呂で温めてもらえただけでもありがたい。
俺みたいな素性もはっきりしない男を城に入れたら、天使が叱られてしまう。
申し訳なくて口を開いたけど、天使は問題ないというように首を振ってみせた。
「ああ、気にしないで?それよりあなた、トリス語も話せるのね。よかったわ。マルコ、お父様とお母様には私からお話しますから、この子をエリクの所へ連れて行って何か食べさせてあげてくださいな」
「……かしこまりました」
ずっとそばに立っていた男性に連れられていったそこは、厨房だった。
「王女様が人間の子供を拾ってきた。随分飢えているみたいだから、何かを食べさせてやれとのご命令だ」
「王女様に拾われたのか。お前ラッキーだったな。
すぐに何か作ってやるから、それまでここにあるパンでも食ってろ」
厨房の男性は優しくて、俺は食前の祈りをしてからありがたくパンを手にした。
随分昔、母国のロングアイランドが滅亡の危機に瀕したとき、隣国の王太子妃が救ってくれたという。
それ以来、ロングアイランドでは物を食べられることに感謝の祈りを捧げるようになったと、母さんから聞いたことがある。
フワリとスープのいい香りがしてきて、思わず目で探すと、
厨房の男性がニヤリと笑って大きなスープ皿になみなみとスープを注いでくれた。
何日ぶりのまともな食事だろう。
野菜と肉の味がするスープはとても美味しくて、夢中で食べていたら笑われた。
「おかわりあるから、落ち着いて食べな」
「ありがとうございます」
パンとスープだけだけど、こんなご馳走食べたことないと思った。スープが減ってくると、厨房の男性がそっとお代わりを注いでくれる。
ようやく一心地ついてゆっくり食べ始めた頃、天使と、天使によく似た女性がやってきた。
天使は王女様なんだから、この女性は王妃様かもしれない。
トリスの王妃様と言えば、孤児や貧しい家の子どもたちのために新しい政策を打ち出したことで有名だ。
その政策のおかげで、トリスではストリートチルドレンが激減したと聞いたことがある。
王妃様は、厨房で俺を見つめていた女性に声をかけた。
「ノエルはこの子を執事見習いにしたいようなのですけれど、マリアンヌ様の見立ては?」
「食前の挨拶もきちんとできるし、素直ないい子よ。まだ子供だし、これからの教育次第で立派な執事になれると思うわ」
「そう。ありがとう。シシリア、この子が食べ終わったら、陛下の執務室へ連れてきて」
執事見習い?
そう言えば、これまでにも何度かそんな言葉が出ていた気がする。
でも、貧しい平民の俺にお城の執事見習いなんて出来るわけない。
きっと、国王陛下が反対されるだろう。
天使……王女様は王妃様と一緒に行ってしまった。
マリアンヌ様、と呼ばれていた女性が優しく微笑む。
「心配いらないわ。王妃様と王女様なら、きっと悪いようにはしないから」
執事見習いは無理だけど、下働きくらいなら雇ってもらえるかもしれないし、知り合いのお貴族様の屋敷での仕事を紹介してもらえるかもしれない。
俺は、王女様に拾われて本当にラッキーだった。
俺は一通り食べ終わると、厨房の男性にお礼を言った。
「気にすんな。食べてもらうことがコックの仕事だからな。
それに、これから先仲間になるかもしれないしな」
優しい人だ。
お城に住む人がこんなに優しいなんて思わなかった。
無表情なメイドさんに、どこかへ連れて行かれる。
さっき、後で陛下の部屋へと言っていたから、国王陛下のところへつれていかれるんだろう。
迷子になりそうなお城の中を歩いて、メイドさんは重厚なドアの前に立って、リズミカルにノックした。
「入れ」
「少年を連れて参りました」
行け、と目で指示されて、恐る恐る国王陛下の部屋に入る。
王妃様と王女様も一緒だった。
国王陛下に対する礼儀なんて何も知らないけど、お礼だけは言わないと、と思って頭を下げた。
「あの、この度は王女様の温情をいただき、本当にありがとうございました。
このご恩は一生忘れません」
「ほらね?いい子でしょう?」
王妃様は国王陛下に自慢気に言うと、俺に声をかけた。
「あなた、読み書きは出来るの?」
「はい。読み書きと計算は両親から教わっています」
これからは読み書きと計算くらい出来ないと仕事にありつけないから、と父さんと母さんが教えてくれたのを思い出す。
「道で倒れていたそうだが、この子を見たときどう思った?」
もっと難しいことを聞かれるかと思っていたのに、国王陛下からの質問はとても簡単だった。
「天使が……天使が迎えに来たんだと。笑われても構いません。あのとき俺の目には、本当に天使に見えたんです」
王女様を天使だなんて、子供だと笑われるかとしれない。
でも、本当に天使が舞い降りたと思ったんだ。
陛下は俺の返事の何を気に入ったのか、急にニコニコして言った。
「………いいだろう。君の名は?」
「アインと申します」
「アイン。君は今日からこの城の執事見習いだ。しっかり学んで、ゆくゆくは息子たちを助けるように」
「え?あの……」
今の流れのどこに、俺が執事見習いになる要素があった?
「不満か?」
「いえ!そうではなく……俺のような素性のわからない人間を雇ってもよろしいのですか?」
「君が悪事を働こうとすれば、中央広場で石像になるだけだ。
それに、娘のノエルと妻が君を執事見習いに、ととても推薦しているからね。
詳しい契約書は今日中に用意しよう。
今は疲れているだろうから、少し休むといい。
部屋まで案内させよう」
国王陛下がチリンチリンとベルを鳴らすと、すぐに年配のパリッとした男性が入ってきた。
「ポアロ。彼はアインと言う。読み書きと計算は出来るらしいから、明日から執事見習いとしてしっかり教育してくれ」
ポアロと呼ばれたその人は俺をじっと見て、それからニコリと笑った。
「王女様がとんでもない拾い物をしたと、マルコとメリーが騒ぎ立てておりましたが、さすがは王女様。とても見どころのある少年ではないですか」
「でしょう?」
え?俺のどこに見どころがあるんだろう。
「芯の強そうな目、しっかりとした立ち姿。
申し分ございません。メリーはともかく、マルコはまだまだ見る目がありませんね。
アイン、君にも失礼なことを言ったのではないですか?だとしたら申し訳ない。子の不始末は親の不始末。私からお詫びします」
まさか、自分より遥かに地位の高そうな大人の人に謝られるなんて思ってもいなくて、とてもびっくりした。
「いえ。大丈夫です、心配されるのも当然ですし」
「ありがとう。ティレーズ?」
「はい、ここに」
柔らかな女性の声がして、いつからいたのか、部屋に入ってきた。
「話は聞いていましたね?明日から彼を執事見習いとして私が直接指導します。
とりあえず、空いている使用人部屋の一室を彼に与えてください」
「かしこまりました」
ティレーズというその女性に連れられて、俺は国王陛下の部屋から出た。
「主人と娘が失礼なことを言ってごめんなさいね。後でよく言って聞かせるから」
にっこり笑っているけど、凄みがあって、この人とさっきのポアロという人だけは怒らせないようにしようと心に誓った。
「ここから先が使用人棟よ。廊下の色が違うでしょう?
右に行くと家族部屋、左は独身者用。あなたは左側ね」
左側に進んでいき、また分かれ道に出る。
「廊下の壁が白い方が女性用。茶色い方が男性用よ。あなたは茶色の方ね。奥から数えて3番目の部屋が空いているから、そこを使うといいわ。家具は揃っているけれど、足りないものがあったら、ポアロ様にいいなさい。
あなたの明日からの服なんかはポアロ様が用意してくれるはずよ。疲れているでしょう?今日一日で色々あったものね。
少し、部屋のベッドで横になるといいわ」
「こんなに良くしていただいて、ありがとうございます」
「お礼は、これから先あなたを拾ってくれた王女様と、あなたを認めてくれた王妃様と国王陛下に、仕事で返していきなさい。
ポアロ様の指導はキツイかもしれないけれど、逃げちゃだめよ」
「はい。わかっています。せっかくお仕事をいただけたのですから、努力して、一日でも早く1人前になれるよう頑張ります」
「うん!いい返事。じゃ、明日ね」
部屋の鍵を渡して、ティレーズさんは去っていった。
鍵を開けてドアを開くと、大きな窓に、机、本棚、クローゼット、ベッドが揃っていた。
ベッドも、いつでも横になれるように整えてある。
こんな立派な部屋を使わせてもらえるなんて。
俺は、絶対に1人前の執事になって、優しくしてくれた人たちに恩返しをしようと心に誓った。




