9 異世界のお勉強、始めます
翌朝……
目を覚ました私は、しばらくベッドの中で天井を見つめていた。
昨日も、本当に色々あった。
白い羽
古代語の本
聞こえた不思議な声
そして――
『護衛でなくとも、同じことをしたと思います』
「……」
思い出した瞬間、私は布団を頭まで引き上げた。
(朝から思い出すんじゃない、私!)
でも、どうしても浮かんでくる。
あの時のレオンハルト様の声
少し赤くなっていた耳
そして、私を抱き留めてくれた腕
「……だめだ」
布団の中で呟く。
「完全にキュンキュンしてる……」
五十五歳
いや……今は見た目二十歳くらいだけど…
中身は五十五歳。それなのに、こんなことで朝からドキドキしているなんて…
(若返ったら心まで若返るの?)
そんなわけない。……多分
「ミキ様?」
扉の向こうからエミリアさんの声が聞こえた。
「起きてます!」
慌てて布団から顔を出す。
「お入りしてもよろしいですか?」
「どうぞー」
扉が開き、エミリアさんとニーナちゃんが入ってきた。
「おはようございます、ミキ様」
「おはようございます」
「よくお休みになれましたか?」
「はい。ぐっすり」
「それはようございました」
エミリアさんがカーテンを開けると、朝の光が部屋いっぱいに差し込んだ。気持ちいい。こうして目覚める朝にも、少しずつ慣れてきた気がする。
「本日のご予定ですが」
「はい」
「午前中は、アルヴェリア王国についての講義を受けていただくことになっております」
「講義?」
「はい。歴史や周辺国、王城内での決まりごとなどを少しずつ覚えていただければと」
「助かります!」
思わず身を乗り出した。
「私、本当に何も知らないから」
国の名前と王城にいることくらいしか分かっていない。お金の単位も知らないし、身分制度があるのかも分からない。何より……
「魔法のことも教えてもらえます?」
「もちろんでございます」
「やった!」
思わず両手を上げると、ニーナちゃんが笑った。
「ミキ様、本当に魔法がお好きなのですね」
「好きというか、気になるのよ。だって昨日までなかったものだもの」
指先から光が出る
魔法で病気を診る
魔物と戦う
そんなもの、小説やゲームの中でしか見たことがなかった。しかも、どうやら私にも魔力があるらしい。
(怖いけど……やっぱり気になるよねぇ)
「では、お支度をいたしましょう」
「お願いします」
そう言ってベッドから出たところで、ふと…
昨日のことを思い出す。
「……レオンハルト様、今日は?」
聞いた瞬間、エミリアさんの手が止まった。
「はい?」
「いや、護衛」
慌てて付け足す。
「今日も護衛なんですよね?」
「はい」
「そうですよね」
「……」
エミリアさんが何とも言えない顔をしている。
「何ですか?」
「いいえ」
「絶対何か思ったでしょう」
「何も」
「その顔は何もじゃないですよね?」
隣ではニーナちゃんまで、にこにこしている。
(もう……)
「とにかく着替えましょう!」
「はい」
なぜか……急に恥ずかしくなった。
*
朝食を終えたあと、私はエミリアさんと一緒に、昨日とは別の部屋へ案内された。
扉を開けると、中には大きな机と黒板のようなものが置かれている。
そして…
「おはよう、ミキ」
「ローグ様?」
そこにいたのはエドワードだった。
「ローグ様が教えてくださるんですか?」
「最初だけな」
「お仕事は?」
「失礼だな」
「いや、魔法師団長って忙しそうだから」
「忙しい」
「じゃあ何で?」
「お前に適当なことを教えて、後で問題が起きる方が面倒だからだ」
「……私、そんなに危なっかしいですか?」
「かなり」
即答だった。
「ひどい!」
その時、後ろから低い声がした。
「私も同意見です」
振り返ると……
銀色の髪
深い蒼色の瞳
「レオンハルト様!」
声が少し大きくなった。
(何で嬉しそうに呼んでるの、私!)
「おはようございます、ミキ様」
「お、おはようございます」
平静……平静よ…
昨日のことは何もなかった……
……いや、あったけど…気にしない。
「今日も護衛ですか?」
「はい」
「そうですか」
返事をしただけなのに、なんだか嬉しい。
(重症じゃない?)
そんな私の様子をエドワードがじっと見ている。
「……何ですか?」
「いや」
「何?」
「何でもない」
またそれ?絶対何かあるよね。
「始めるぞ」
「はいはい」
「返事は一度」
「はい!」
なぜか子供みたいに怒られながら、私は席についた。
*
講義は思っていた以上に面白かった。
アルヴェリア王国は、周囲をいくつかの国に囲まれた比較的大きな王国で、王都を中心に各地へ街や村が広がっているらしい。
そして、この世界では、魔法は特別なものではない。
全員が使えるわけではないけれど、多くの人が少なからず魔力を持っている。
火を起こしたり
水を出したり
風を起こしたり
生活の中でも、様々な魔道具が使われているという。
「じゃあ、昨日の診察魔法も?」
「あれは治癒属性を持つ者が使うものだ」
「グレンジャー様って魔法も使えるんですね」
「医師なら、ある程度使える者が多い」
「へぇー」
面白い。
ノートがあれば全部書きたいくらいだ。
「ちなみにローグ様は?」
「何がだ?」
「どんな魔法を使うんですか?」
「主属性は雷と風だ」
「二つ?」
「珍しいか?」
「こっちの普通が分からないので」
「通常は、一つの属性が最も強く出る」
「じゃあ二つ使えるローグ様はすごい?」
「まあな」
ちょっと得意そう。
「自分で言うんですね」
「事実だからな」
「レオンハルト様は?」
聞いた瞬間、レオンハルト様がこちらを見る。
「私は氷です」
「氷!」
「はい」
「格好いい!」
反射的に言ってしまった。
「……」
「……」
あ…
また…
レオンハルト様が黙った。
「何で黙るんですか?」
「いえ」
少しだけ横を向く。また耳が赤い。
(分かりやすいなぁ……)
最近、ちょっとだけ分かってきた。
この人、褒められるの苦手なんだ。
なんだか少し可愛い。
(……いや)
待って?待って?今、可愛いって思った?
こんなに大きくて強そうな騎士を?
「ミキ?」
「はいっ!」
エドワードに呼ばれ、慌てて前を向く。
「聞いているか?」
「もちろんです!」
「今、完全に聞いてなかっただろう」
「聞いてました!」
「では、魔物について説明してみろ」
「……」
「ほら」
「今から聞きます」
「全く」
エドワードが呆れたようにため息をつく。
その向こうで…
レオンハルト様が、ほんの少し笑っていた。
(もう……)
絶対さっきの仕返しだ。
*
魔物についての話になると、部屋の空気が少し変わった。
「魔物は、通常の動物とは違う」
エドワードが黒板に簡単な絵を描きながら説明する。
「体内に魔石を持ち、魔力を使う。強い個体になるほど厄介だ」
「私が森で見た狼みたいなのも?」
「ああ。おそらくブラックファングだろう」
「名前まで怖い」
「本来なら、初心者が一人で遭遇して生き残れる相手ではない」
「……」
そう言われると…改めて怖くなってきた。
あの時、もし、光が出なかったら
私……また死んでいたかもしれない。
「ミキ様?」
レオンハルト様の声、顔を上げる。
「どうしました?」
「いえ」
「顔色が少し」
「大丈夫です」
すぐに答える。
でも、その瞬間…二人から睨まれた。
ローグ様とレオンハルト様……
「……何ですか」
「今、大丈夫とすぐ言ったな」
「言いましたけど」
「ベルンから聞いている」
「何を?」
「ミキは何でも大丈夫と言う、と」
(グレンジャー様ーー!)
どこまで共有されてるのよ!
「本当に大丈夫です。ただ、ちょっと思い出しただけです」
「本当に?」
「本当に」
レオンハルト様も私を見る。
「怖かったのですか?」
優しい声だった。
「……少し」
今度は素直に答えた。
「でも、もう大丈夫です」
すると、レオンハルト様はしばらく私を見たあと、ゆっくり頷いた。
「ならいいのですが」
それだけなのに
胸の奥が少し温かくなった。
昨日の不思議な本の時とは違う。
今度はちゃんと理由が分かる気がする。
*
「では、少しやってみるか」
「え?」
講義がひと段落したところで、エドワードが立ち上がった。
「何を?」
「魔力操作だ」
「魔法!?」
思わず席を立つ。
「まだ魔法ではない。まず、自分の中にある魔力を感じるところからだ」
「やります!」
「元気だな」
「だって、やってみたいじゃないですか」
「無理はするなよ」
「分かってます」
「本当に?」
「ローグ様までそれ言う!」
エドワードが笑った。
机の上に、小さな透明な石が置かれる。
「これは?」
「魔力を流すと光るだけの練習用の魔石だ」
「へぇ」
手に取る。冷たい。見た目は水晶みたい。
「まず目を閉じろ」
「はい」
「身体の中に流れるものを意識する」
「流れるもの?」
「何でもいい。温かさでも、光でも」
言われた通りに目を閉じる。
自分の身体、呼吸、心臓の音。
そして……胸の奥。
「……」
あ!!何かある!
昨日感じた温かさとは、少し違う。
もっと静かで、ずっとそこにあったもの。
胸の中心から全身へ流れている。
「分かるか?」
「……多分」
「それを少しだけ手へ集めろ」
「少しだけ?」
「ああ」
少し…
少し……
女神様じゃないんだから…
「……こう?」
その瞬間!
――パァッ!
「わっ!」
目を開ける。手の中の魔石が、ものすごい光を放っていた。
「眩しっ!」
「ミキ、止めろ!」
「どうやって!?」
「力を抜け!」
「抜いてます!」
「手を離せ!」
「はい!」
慌てて机に置く。光が消えない。
「……え?」
魔石は、まだ光っている。
それどころか白い光の中に
青
赤
緑
金色
いくつもの色が混ざり始めた。
「何これ……」
私はただ見ていた。
綺麗…すごく綺麗。
でも、周りは静まり返っている。
「……ローグ様?」
返事がない。
エドワードが魔石を見つめている。
レオンハルト様も普段とは違う真剣な顔。
「何か……まずかった?」
ようやく……エドワードが口を開いた。
「ミキ」
「はい」
「お前、本当に魔法を使ったことがないんだな?」
「ないですよ!」
「魔力操作も?」
「今初めてやりました!」
「……そうか」
何その顔?
「普通じゃない?」
「普通なら」
エドワードが魔石を持ち上げる。
まだ淡く光っている。
「この石は一色しか光らない」
「……え?」
「属性によって、色が変わる」
「じゃあ……」
私は石を見る。まだ何色もの光が揺れている。
その光は、ただ混ざっているだけではなかった。
青が赤を追い、緑が金色の奥へ沈み、白い光がそれらすべてを包み込んでいる。
まるで、石の中で、いくつもの力が目を覚まし、互いの存在を確かめているようだった。
「これって?」
「分からん」
エドワードが低く答えた。
「私も見たことがない」
その声には、いつもの落ち着きがなかった。
魔石の表面に、細い亀裂が走る。
ぱきり、と小さな音がした。
「……壊れるのか?」
レオンハルト様が一歩近づく。
「いや」
エドワードは魔石を見つめたまま、首を横に振った。
「壊れているんじゃない。内部の魔力が、器に収まりきっていない」
「それって、危険じゃないですか?」
「今すぐではない」
「今すぐではないってことは、後では危険かもしれないってことですよね?」
エドワードは答えなかった。
その沈黙が何より怖かった。
やがて、魔石の中心に白い光が集まり始めた。
他の色を押しのけるのではなく、すべてを束ねるように……その光の中に、一瞬だけ見えた。
白い鳥の紋章
昨日、本のページに浮かんだものと同じだった。
「……また」
胸の奥が熱くなる。
魔石の光が、私の鼓動に合わせて明滅した。
一度
二度
三度
そして……誰にも聞こえないはずの声が、耳の奥で囁いた。
――目覚めよ
「……っ」
息を呑む。
「ミキ?」
レオンハルト様の声で、意識が現実へ引き戻された。
光は消えていたけれど、魔石の中心には、白い線が残っている。鳥の翼のような、あるいは…何かを封じる印のような……
「少しやりすぎたかも」
あの言葉が頭に浮かぶ…
「ローグ様」
「何だ?」
「これ……女神様のおまけかな」
「……」
エドワードが眉間を押さえた。
「その女神に、一度詳しく話を聞きたいものだ」
「私もです」
ものすごく……
けれど、エドワードの視線は、魔石から離れなかった。その目に浮かんでいたのは、驚きだけではない。
まるで、この光を知っている何かを、必死に思い出そうとしているようだった。
*
結局……
その日の魔力操作は、そこで終わった。
「まだ何もしてないですよ?」
「十分だ」
「光らせただけなのに」
「普通じゃない光り方をしたからだ」
「ちょっとくらい続けても」
「駄目だ」
「ローグ様」
「駄目」
「レオンハルト様」
助けを求めるように見る。
「私もローグ殿に賛成です」
「裏切り者!」
「護衛ですので」
まただ……
「もう!」
頬を膨らませる。
すると、レオンハルト様が、ほんの少し笑った。
「また明日にしましょう」
「明日?」
「ローグ殿が許可すれば」
「……」
エドワードを見る。
「体調に問題がなければな」
「やった!」
思わず笑った。その時、
「ミキ様」
レオンハルト様がこちらを見ている。
「何ですか?」
「……楽しそうですね」
「はい!」
「そうですか」
それだけだった。でも、深い蒼色の瞳がすごく優しかった。
「何です?」
「いえ」
「また何でもない?」
「……はい」
「最近そればっかり」
笑うと、彼も笑った。その瞬間…なんだろう。
胸が……きゅっとした。
(……これ)
昨日、自分で説明したやつ。
好きな人に優しくされた時とか、格好いいこと言われた時とか、胸がきゅっとして、ドキドキして…
「……」
好きな人……
そこまで考えて慌てて首を振った。
(いやいやいや!)
違う。まだ違う。……多分。
「ミキ様?」
「何でもありません!」
「……そうですか」
その向こうで、エドワードがものすごく呆れた顔をしていた。
*
その夜、
王城の魔法師団長執務室
エドワードは、昼間使った練習用の魔石を机の上に置いていた。本来なら魔力を流した者の属性に合わせて一色、それだけが残る。だが、今…石の中には、いくつもの色が残っている。
火
水
風
土
光
そして、どの属性にも当てはまらない白
白い光は、他の色の中心に沈んでいる。
消えたわけではない。むしろ、すべての色を繋ぎ止めるように、魔石の奥で脈打っていた。
「……あり得ない」
エドワードは椅子にもたれた。しかも、問題はそれだけではない。魔石へ流した魔力の量。初心者では、絶対にあり得ない。
「何者なんだ」
また……同じ言葉が口から出た。
異界から現れた女性
古代語を読み、白い鳥に反応し…今度は、複数の属性を示した。そして、
『帰ってきた』
そう言われた。
「……」
エドワードは机の引き出しから一枚の古い紙を取り出した。昨日、王国史の中で見つけた記録を写したもの。
『――災厄の時、白き翼と共に現れし者を――』
その続きは、失われている。しかし……紙の端、今まで気づかなかった場所に小さな文字が残っていた。
かすれてほとんど読めない。
エドワードは魔灯を近づける。
「……」
一文字…二文字……かろうじて読めた。
『守り――』
そこで文字は途切れている。
「……守り?」
エドワードの目が細くなる。
その瞬間!!机の上の魔石が、かすかに震えた。
残っていた多色の光が一斉に揺らぎ、中心の白い光だけが強く明滅する。
エドワードは息を止めた。
古文書の文字に反応したのか。
それとも、どこか遠くにいるミキの存在を感じ取ったのか。魔石の表面に、先ほどと同じ白い線が浮かび上がる。
翼
紋章
そして、文字のようにも見える、途切れた印。
『守り――』
エドワードが指を伸ばした瞬間、魔石の光が消えた。
部屋には、重い沈黙だけが残る。長い間、誰にも知られず歴史から消されていた言葉。その先に続いていたのは……
「守り人……なのか?」
呟きは、誰もいない部屋に吸い込まれた。
だが、答えの代わりに窓の外から、鳥の鳴き声が聞こえた。夜の王城には、本来なら鳥などいない。
エドワードが振り返る。
窓辺に白い羽が一枚、落ちていた。
その羽の根元には、赤黒い染みがついている。
「……」
エドワードは羽を拾い上げた。
触れた瞬間!脳裏に、見知らぬ光景が走る。
燃える城
崩れ落ちる白い翼
血に濡れた石畳
そして……誰かが叫んでいた。
――守り人を、決して目覚めさせるな。
「……っ!」
エドワードは反射的に羽を放した。
床に落ちた羽は、音もなく消える。
残ったのは、
古文書の切れ端と
魔石の中に沈んだ、消えない白い光だけだった。
*
同じ頃、
私は自分の部屋で今日習ったことを思い返していた。
魔法
魔物
魔力
知らないことばかり。でも、楽しい。久しぶりだった。こんなふうに自分が知りたいから学ぶのは…
「明日も楽しみだなぁ」
ベッドに入る。目を閉じる。けれど眠りに落ちる直前、胸の奥で、かすかな熱が灯った。
白い光
多色の魔石
古代語の本
そして、聞こえた声
――目覚めよ。
「……」
私は無意識に胸元を押さえた。その瞬間、部屋の隅に置かれていた鏡が、ほんの一瞬だけ白く光る。
鏡の中、私の背後に白い翼の影が映った。
振り返る。
何もない。
もう一度鏡を見る。
そこには…いつもの私だけが映っていた。
「……気のせい?」
そう呟いた声に重なるように、遠く………誰かの声がした。
――守り人は、帰還した。
私はそれを聞かないまま…ゆっくりと眠りへ落ちていった。そして、夢の中で白い鳥が、金色の瞳を開いた。




