8 白い羽が示すもの
翌朝、
私は、久しぶりによく眠った。
目を覚ました瞬間、見慣れない天井に一瞬だけ「ここどこ?」となったけれど、すぐに思い出す。
そうだった…異世界だった。
「……慣れるのかなぁ、これ」
ベッドの上で大きく伸びをする。
身体は軽い。どこも痛くないし、昨日感じた胸の温かさも今はない。
(やっぱり何ともないじゃない)
昨日、レオンハルト様があんなに心配していたけれど、どう考えても大袈裟だったと思う。
そのレオンハルト様を思い出した途端…
なぜか、昨日の図書室での出来事まで一緒に思い出した。
高いところにあった本…
頭の上から伸びてきた腕…
振り返ったら、思っていた以上に近くにあった顔…
深い蒼色の瞳…
「……」
朝っぱらから何を思い出してるんだ、私は……
「やめやめ」
布団を勢いよくめくって起き上がる。
すると、ちょうど扉がノックされた。
「ミキ様、お目覚めでございますか?」
エミリアさんだ。
「起きてますよー」
返事をすると、エミリアさんとニーナちゃんが入ってきた。
「おはようございます、ミキ様」
「おはようございます」
「よくお休みになれましたか?」
「ぐっすり。体調もばっちりです」
先回りして答えると、エミリアさんが少し笑った。
「それは何よりでございます」
「でしょ? だから昨日のあれも何とも――」
そこまで言ったところで…
廊下から、聞き覚えのある男性の声がした。
「何とも、何ですか?」
「……」
嫌な予感…
扉の向こうから現れたのは、案の定、ベルン・グレンジャー様だった。
にこやかに笑っている。
ものすごく、にこやかに。
(……怖い)
「おはようございます、ミキさん」
「……おはようございます」
「よく眠れましたか?」
「はい」
「体調は?」
「絶好調です」
「そうですか」
グレンジャー様がにっこり笑う。
「では、お話を伺いましょうか」
「……何の?」
「胸が温かくなったそうですね?」
やっぱりーーー!
「レオンハルト様!」
思わず叫んだ。
すると、開いたままの扉の向こうから
「はい」
普通に返事が返ってきた。
「いるんですか!?」
「護衛ですので」
ひょこっと顔を出すわけでもなく、声だけ聞こえる。
「言いましたね!?」
「何をでしょう」
「グレンジャー様に!」
「報告するよう、ローグ殿から命じられましたので」
「告げ口じゃないですか!」
「報告です」
「同じです!」
「違います」
即答。
(この真面目騎士ーー!)
エミリアさんが横を向いて肩を震わせている。
「エミリアさん、笑ってます?」
「いいえ」
「絶対笑ってますよね?」
「気のせいでございます」
この城…
「何でもありません」と「気のせいです」の使用頻度が高すぎる。
「ミキさん」
グレンジャー様に呼ばれ、仕方なくベッドの端へ座った。
「はい」
「詳しく教えてください」
「本を読んでたら、胸の辺りがふわっと温かくなっただけです」
「痛みは?」
「なし」
「息苦しさは?」
「なし」
「動悸は?」
「……」
昨日のレオンハルト様の顔が浮かんだ。
「ミキさん?」
「それは本とは関係ないです!」
勢いよく答える。
部屋が静かになった。
「……私はまだ、本と関係があるかどうか聞いていませんが」
「あ」
しまった。
「何でもありません」
今度は私が使ってやった。
すると、扉の外で誰かが小さく咳払いした。
(まさか聞いてないでしょうね!?)
見に行きたい。
でも行ったら負けな気がする。
「とにかく!」
私はグレンジャー様へ向き直った。
「本当に何ともありません。今も元気です」
「それを判断するのは私です」
「……はい」
こういう時のグレンジャー様は強い。
結局、脈を取られ、目を見られ、魔力の流れまで確認された。
「身体には異常ありませんね」
「ほらぁ」
「ただし」
「……はい」
「何か変わったことがあれば、どんなに些細なことでも必ず教えてください」
「分かりました」
「本当に?」
「……この城の人、みんなそれ聞きますよね?」
グレンジャー様が笑った。
「それだけミキさんが信用されていないということでしょう」
「ひどい!」
すると、扉の向こうから
「同感です」
低い声。
「レオンハルト様!」
今度こそ、エミリアさんとニーナちゃんが吹き出した。
*
朝食を終えた頃、
ローグ様が部屋を訪ねてきた。
昨日とは違い、その表情はかなり真剣だった。
「ミキ、少しいいか?」
「はい」
ローグ様の後ろには、レオンハルト様とグレンジャー様もいる。
何だろう?朝からイケメン三人が揃ってる。
(……いやいや、そこじゃない)
どう見ても楽しい話ではなさそうだ。
「昨日の本のことですか?」
「ああ」
やっぱり……
ローグ様は小さな布に包まれた何かをテーブルの上へ置いた。
「これを見てくれ」
布を開く。中にあったのは、白い羽だった。
「……綺麗」
思わず呟く。
普通の鳥の羽よりずっと大きい。
真っ白なのに、光の加減によって銀色にも見える。
「触ってもいいですか?」
「ああ。ただし、ゆっくりな」
「羽ですよ?」
「いいから」
心配性だなぁ。
そう思いながら手を伸ばす。
そして……指先が羽に触れた瞬間、
――どくん。
「……っ」
胸の奥が跳ねた。
昨日と同じ。
いや、昨日より強い。
「ミキ?」
ローグ様の声が聞こえる。
でも、返事ができなかった。
羽から、淡い光が生まれていた。
白い光……
その光が私の指先を包み、ゆっくりと手の甲へ広がっていく。
「……光ってる」
自分の声なのに、遠く聞こえた。
「手を離してください」
レオンハルト様がすぐに動いた。
「待って」
「しかし」
「痛くないんです」
むしろ温かいし懐かしい。昨日と同じ…
知らないはずなのに…ずっと知っているような…
そんな不思議な感覚。
その時だった。
頭の中に声が響いた。
――ようやく
「……え?」
誰?
――ようやく、帰ってきた
「……帰って……?」
「ミキ!」
肩を掴まれた。
はっとする。
目の前にレオンハルト様の顔があった。
「大丈夫ですか?」
蒼い瞳が、真っ直ぐ私を見ている。
近い。
……なんて考えている場合じゃない。
「今……」
「何がありました?」
「声が……」
「声?」
ローグ様が聞き返す。
「聞こえたんです」
「何と言った?」
「『ようやく帰ってきた』って……」
誰も話さない。
部屋が静まり返る。
私の指先から光が消えた。
白い羽も、何事もなかったように元へ戻っている。
「……何なんですか、これ」
さすがに怖くなった。
「私、どこかおかしいんでしょうか」
その言葉を口にした瞬間、肩に置かれていたレオンハルト様の手に、少しだけ力が入った。
「おかしくなどありません」
「え?」
あまりにも迷いのない声だった。
思わず彼を見る。
「まだ何が起きているのか分からないだけです」
「でも……」
「分からないものを、最初から異常だと決める必要はないでしょう」
「……」
何だろう。その言葉が…すとん、と胸に落ちた。
「そう……ですね」
「はい」
「ありがとうございます」
小さく笑う。
すると、レオンハルト様が一瞬だけ目を細めた。
それから自分が、私の肩を掴んだままだと気づいたらしい。
「あ……」
珍しく、レオンハルト様の方が慌てた。
「失礼しました」
ぱっと手が離れる。
「いえ」
私もなぜか急に意識してしまった。
触れられていた肩が…
妙に熱い。
(……今は羽のせいよね?)
きっとそう。
そういうことにしておこう。
*
「昨日、図書室で見つかったのは羽だけではない」
少し落ち着いてから、ローグ様が話を続けた。
「え?」
「本が一冊、勝手に開いた」
「勝手に?」
「ああ。そして古代語と思われる文字が浮かび上がった」
「何て書いてあったんですか?」
「それが分からない」
「ローグ様でも?」
「読めん」
少し悔しそうだ。
「レオンハルトも読めなかった」
「はい」
「じゃあ、どうするんです?」
ローグ様が私を見る。
嫌な予感……
「……まさか」
「ミキなら読めるかもしれない」
「ですよねぇ」
そうなるよね。
「図書室へ行くぞ」
「今から?」
「ああ」
「グレンジャー様は?」
ちらっと見る。
「私も同行します」
「やっぱり」
完全に監視付き。
「大袈裟だなぁ」
呟くと、三人から同時に見られた。
「……分かりました」
私………そんなに信用ないですか。
*
図書室へ入ると、昨日と変わらない静かな空気が広がっていた。でも、今日は少し違って感じる。
昨日、あの不思議な本を見つけた棚…そこを見るだけで、胸が少しざわついた。
「こちらです」
レオンハルト様に案内され、奥へ進む。
机の上には、一冊の古い本が置かれていた。
かなり傷んでいる…
「これですか?」
「ああ」
ローグ様が頷く。
「開いてみてくれ」
「……はい」
少し緊張しながら表紙に触れる。
何も起きない。
ゆっくり開く。
ページには、確かに見覚えのある文字が並んでいた。
「古代語……」
「読めるか?」
「ちょっと待ってください」
文字を目で追う。
不思議…やっぱり読める。
『白き翼は、帰還を知る』
「……」
「ミキ?」
「『白き翼は、帰還を知る』」
ローグ様の表情が変わった。
「それだけか?」
「このページには」
下には白い鳥の紋章が描かれている。
大きく翼を広げた鳥
その胸元に……小さな光
「これ……」
胸が温かくなる。
「またです」
「何?」
「胸が……」
その瞬間、紋章が光った。
「ミキ様!」
レオンハルト様が私の腕を掴む。
同時に、ページから白い光が溢れた。
「……!」
眩しくて目を閉じる。
でも、怖くない。
むしろ…やっぱり……懐かしい。
風の音が聞こえた
木々が揺れる音
遠くで鳥が鳴いている
そして、誰かの声……
――待っていた
「誰……?」
――長い間。
白い光の向こうに…何かが見えた。
大きな翼
真っ白な羽
そして………
金色に輝く瞳
「……鳥?」
次の瞬間、光が消えた。
「ミキ!」
身体がぐらりと揺れた。
倒れる!そう思ったけれど、床には落ちなかった。
「……え?」
誰かの腕の中。
いや、誰かって?分かってる。
「大丈夫ですか!?」
すぐ耳元で聞こえる声。
レオンハルト様だ。
私の身体を支えるように、しっかり抱き留めてくれている。
近い……
近いどころじゃない。
(……抱きしめられてる!?)
いや違う。
倒れそうになったから……
これは救助…
護衛……
そう護衛です!
「ミキ様?」
「だ、大丈夫です!」
「本当に?」
「はい!」
顔が熱い。
絶対赤い。
「顔が赤いですが」
言わないでーーー!
「光のせいです!」
「光?」
「そう! 光!」
何を言ってるんだ私は……
「……そうですか」
レオンハルト様が少し不思議そうな顔をする。
その後ろで、ローグ様がものすごく微妙な顔をしていた。
「……レオンハルト」
「はい?」
「そろそろ離してやれ」
「……」
一瞬!!時間が止まった。
レオンハルト様が自分の腕を見る。
その腕の中にいる私を見る。
「……失礼しました!」
珍しく大きな声、ぱっと離れた。
「い、いえ!」
私も慌てて姿勢を正す。
「助かりました!」
「当然のことをしたまでです」
「ですよね!」
「はい!」
二人揃って、なぜか直立。
ローグ様が眉間を押さえている。
グレンジャー様は、笑っていた。
絶対に……
「……何ですか?」
私が睨むと
「いえ。何でもありません」
出た!!
またそれ!
*
「それで」
気を取り直して私はもう一度、本を見た。
「さっき、見えました」
「何が?」
ローグ様がすぐに聞く。
「白い鳥です」
「白い鳥……」
「すごく大きくて、真っ白で。目が金色でした」
「他には?」
「『待っていた』って」
「……」
「『長い間』って」
ローグ様が黙り込む。
「何か心当たりがあるんですか?」
「いや」
答えるまでに、ほんの少し間があった。
(あるな)
絶対何かある。
「ローグ様」
「何だ」
「隠してません?」
「まだ話せるほどのことがないだけだ」
「それを隠してるって言うんじゃないですか?」
「違う」
「同じです」
昨日のレオンハルト様への仕返しみたいに言ってやる。
すると、横から
「違うと思います」
「レオンハルト様はどっちの味方なんですか!」
「ローグ殿は上官ですので」
「ずるい!」
ローグ様が笑った。
「とにかく調べる。古い記録も含めてな」
「私も調べたいです」
「駄目だ」
「なんで!?」
「昨日の本を読んだだけで胸に異変が起きた。今日も二度反応した」
「でも――」
「ミキ」
ローグ様の声が少し低くなる。
「自分のことだから知りたい。その気持ちは分かる」
「……はい」
「だからこそ、急ぐな」
その言葉には、いつものからかうような感じがなかった。
「何が起きているのか分からないうちに、お前に何かあってからでは遅い」
「……」
何も言えなくなった。
「分かりました」
「よし」
「でも、分かったことは教えてくださいね」
「ああ。約束する」
それなら、今は任せよう。
*
部屋へ戻る途中
私はレオンハルト様と並んで歩いていた。
グレンジャー様はローグ様と一緒に残り、エミリアさんは少し後ろを歩いている。
しばらく無言だった。
何となく、さっき抱き留めてもらったことを思い出してしまって……
気まずい。
(普通にしよう)
そう!何もなかった。
転びそうになって、助けてもらっただけ……
「……あの」
「はい」
同時だった。
「あ」
「どうぞ」
「いえ、レオンハルト様から」
「大したことではありません」
「私も大したことじゃないです」
「では、ミキ様から」
「いやいや、そちらからどうぞ」
「……」
「……」
顔を見合わせる。
そして、なぜか二人とも笑ってしまった。
「何なんでしょうね、これ」
「さあ」
さっきまでの気まずさが、少し消えた。
「じゃあ私から」
「はい」
「さっきは、ありがとうございました」
「先ほども聞きました」
「ちゃんとお礼を言いたかったんです」
「……そうですか」
「転ばずに済みました」
「護衛ですから」
やっぱり……その言葉。
「……そうですよね」
思ったより声が小さくなった。
自分でも分からない。
何を期待したんだろう。
すると、少し歩いたところで
「ですが」
レオンハルト様が言った。
「え?」
「護衛でなくとも、同じことをしたと思います」
足が止まりそうになった。
「……」
今……何て?
聞き返そうとした時には、レオンハルト様は前を向いていた。
耳が…少し赤い。
(……それ)
(どういう意味?)
聞きたい。
……でも聞けない
心臓が……またドキドキしている。
今度は、白い羽も古代語の本も何もないのに
「……キュンキュン」
思わず小さく呟いた。
「何か?」
「何でもありません!」
慌てて前を向く。後ろから…
「ふふっ」
エミリアさんの笑い声が聞こえた。
「エミリアさん!」
「申し訳ございません」
絶対!!分かってる。
私だけがまだ分かってない何かを……
*
その日の夜、
エドワード・ローグは一人、魔法師団の資料室にいた。机の上には、古びた書物が何冊も積まれている。
白い鳥
古代語
帰還
そして……
異界から現れた女性
「……どこかにあるはずだ」
ページをめくる。何冊目だっただろう。
古い王国史の中に、不自然に切り取られたページを見つけた。
「……?」
前後を確認するが明らかにそこだけがない。そして、次のページの端に消えかけた文字が残っていた。
『――災厄の時、白き翼と共に現れし者を――』
その先は、破られている。
「……現れし者」
エドワードは目を細めた。
なぜ?
この記録だけが消されている?
誰が?
何のために?
その時、開いていた窓から一枚の白い羽が舞い込んだ。
机の上へ落ちる。
「……またか」
羽に手を伸ばす。だが……エドワードが触れる寸前、
白い羽は、光の粒となって消えた。
残ったのは…机の上に浮かんだ一つの文字。
『帰』
それもすぐに消える。
エドワードは、しばらく動かなかった。
「……帰ってきた、か」
ミキが聞いた言葉を思い出す。
そして、誰もいない部屋で低く呟いた。
「お前は……何者なんだ、ミキ」
その頃、本人は、そんな深刻なことになっているとは露ほども知らず……
ベッドの中で、今日の出来事を思い出していた。
白い鳥でも、不思議な声でもない。
――護衛でなくとも、同じことをしたと思います。
「……」
布団を鼻まで引き上げる。
「それは……」
ずるいでしょう??
「キュンキュンするやつじゃん……」
誰にも聞かれないように小さく呟いた。
そして、自分でも気づかないうちに、少しだけ笑っていた。




